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王への道のり
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謁見室へと続く廊下にぽつぽつと横たわる、複数の兵士。アルオたちは構わず進む。城門へと。ただ一刻も早く、ここから出たかった。
荷物などない。王から与えられたものなど何一ついらない。エイダの形見もない。全て第七公妾に棄てられてしまったから。
「……どうして、あんな王のために闘わなければならない……どうして」
「……せめて、モーリス将軍が指揮をとってくれていれば……」
進む道に、転々と傷を負いながら横たわる兵士たちの嘆き。呻き。小さなそれは、嫌でも全て耳に響いてくる。
ぎりっ。
アルオは奥歯を噛み締めた。強く。強く。顎が痛むほどに。握り締めた拳からは、血が滴っている。歩く速度が増していく。
分かっている。理解はしている。
「……お前たちも、あいつらの被害者だということは……っ」
庇いたくてもできない。モーリスがそうであったように。中には心を傷めていた者もいたかもしれない。けれど。
思ってしまう。
どうして助けてくれなかった。
どうして救いの手を差し伸べてくれなかった。
どうして母を助けてくれなかった。
「それなのに……わたしにお前たちの為に闘えというのか! ふざけるな!!」
足を止め、アルオが悲痛に叫ぶ。モンタギューは後ろで、黙って見ている。
一人の兵士の、悲鳴が上がった。
「……ま、魔族……っ」
背後に近付いてくる気配に、アルオは振り向かないまま「早いな。もうあいつらを殺したのか」と苦笑した。
「いいえ。泣くわ喚くわ煩くて。まるで羽虫のようにうっとおしく。殺すのも馬鹿らしくなり」
一定の距離まで来ると「お考えは、変わりませんか?」と、魔族は足を止めた。アルオはため息をつき、背後を振り返った。
「──お前は本心から、わたしが魔王と対等に闘えると思っているのか? それともこれは何かの罠か?」
魔族の返答は「さて」とあっけらかんとしたもの。否定も肯定もしなかった。
「ああ、こういうのはどうでしょうか。あなたの勝敗に関係なく、あなたの友とやらの身の安全は保証すると」
アルオが応える前に「あ、そういうのは結構です」と、モンタギューが右手を上げた。魔族は「おや残念」と、嗤った。
口を挟む間もなかったアルオが「……おい、モンタギュー」と渋い顔をした。
「置いていくより、置いていかれる方が何倍も辛い。お互い身に染みて分かっていることではありませんか。そんなこと許しませんよ」
真顔でしれっと応える。
「それ以外はアルオ様のご自由に。何処までもついて行きますので」
モンタギューが恭しく頭を垂れる。アルオは右手で顔を覆った。先ほどの魔族の提案。守られる保証などないのは理解している。ただ、信じる信じないは別にして、心が揺れたのは確かだ。モンタギューはそれを、見抜いていたのかもしれない。
「……剣の腕は同等でも、お前は魔法が使えないだろう。狙われたらどうする」
「さて」
「いや。さてじゃなくてだな」
顔を上げ、視線を交差させる。モンタギューの双眼は、驚くほど凪いでいた。
「……わたしに闘えというのか」
「いえ。私は闘ってほしくはありませんよ」
ですが、迷っておられるのでしょう?
心の葛藤を見抜かれ、アルオが舌打ちする。
違う。迷ってなどいない。先に見捨てたのは城の者たちだ。なのにどうして、助けを求める。恥知らずもいいとこだ。ふざけるな。
「──わたしは」
口火を切ろうと口を開いた。その時。
曇天の下。石畳の上で気を失っていた若い兵士が、剣を杖代わりに立ち上がるのをモンタギュー越しに見た。よろよろと歩き出し、アルオと魔族の間で立ち止まる。そして、アルオたちを庇うように、魔族に剣先を向けた。
「──お逃げ下さい」
頭から。腕から。背中から血を流し、火傷の痕が生々しく残る身体で、兵士が呟いた。
「──っっ」
アルオが息を呑む。兵士は魔族への恐怖からか、全身を巡る痛みからか、震えながらも「その身なり、王族の方でしょう。早くお逃げ下さい」ともう一度、はっきり言った。
顔を伏せ、アルオが拳をぶるぶると震わせる。食い込む指が、掌を深く抉る。
「──この阿呆が!! 王族なんぞ庇って死ぬつもりか!?」
双眸に怒りを宿らせ、アルオが怒鳴り散らす。兵士は振り返り、どうして自分は怒られているのだろうとポカンとした。
アルオは建物の柱を睨み付けた。
「そこに隠れている神官! とっとと出てきて兵の手当てをしろ!!」
「で、ですが」
神官が震えながら魔族に視線を向ける。アルオは苦虫を噛み潰したかのような顔をした。
「──わたしは人間が嫌いだ」
うつむきながらの、唐突の言葉。それでもモンタギューは「はい」と応えた。
「でも。お前も、エイダも、人間だ」
「はい。アルオ様も」
「わたしは王族だ。同じ人間でも、腐っている。どうしようもないほどにな」
「王族以外にも、腐っている人間はいますよ。ご存知でしょう? そして王族にも、優しい人間はいる。──一人しか、知りませんけどね」
そんな奴は知らない。王族はみな、等しく腐っている。だが──王族以外のみながそうではないとは、確かに言えない。けれど。
アルオはふっと身体から力を抜き、しばらく黙考したあと、魔族へと向き直った。
「……わたしがお前を殺してこのまま逃げたら、どうする」
「どうもしません。残った魔族が人間を皆殺しにするだけてす。そして、先ほども申し上げた通り、長い歴史の中でも、あなた様ほどの魂の資質を持ったヒトは非常に稀です。遅かれ早かれ魔族の良い標的になるでしょう。特に、魔王様と上位魔族が放ってはおかないでしょうね」
「……なるほどな」
今逃げたところで、いずれは闘わなければならない。そして魔族の提案が罠ではなく、真実とするなら、今なら魔王一人の相手ですむ。──勝てば、だが。
(人間を皆殺し、か)
アルオが雲に覆われた空を仰ぐ。
人間は嫌い。憎い。だが住むところも、食べる物も。好きな書物も。つくるのは、全て人間だ。そしてエイダとモンタギュー以外にも、優しい人間がいることは知っている。
──エイダが生きていたら、どう言っただろうか。
逃げろ?
闘え?
いや。何となくだが、おそらくはモンタギューと似たようなことを語る気がした。優しく、笑顔で。
『あなたがお決めなさい。私は何処までもついていきますから』
──そうするさ。
アルオは心を決め、空から魔族へと視線を戻した。
「魔族。魔王の元へと案内しろ──モンタギュー。後ろでため息をつくな」
「ついてません。息を吐いただけです」
「……お前はついてくるなと言ったら怒るか?」
前を向いたまま小さく質問すると、すぐさま「怒りません。ただ自害するだけです」という返答がきた。
「…………」
まだ見ぬ魔王より、こいつの方が怖い。アルオは胸中で吐露した。
魔族がにっこりと微笑み「悦んで」とお辞儀をする。「馬でどのぐらいかかる」「そうですねえ」と、上位魔族と対等に会話する少年に、若い兵士も神官も声を失う。けれど赤毛の男が口にした名前を、若い兵士は知らず繰り返していた。
「アルオ、様……?」
アルオは後宮から出たことはほとんどない。だからその姿を知る者は少ない。だが。
あの髪。瞳。国王によく似たあのお方は。
──第五王子?
若い兵士が、アルオの背に、確かめるようにそっと呟いた。
荷物などない。王から与えられたものなど何一ついらない。エイダの形見もない。全て第七公妾に棄てられてしまったから。
「……どうして、あんな王のために闘わなければならない……どうして」
「……せめて、モーリス将軍が指揮をとってくれていれば……」
進む道に、転々と傷を負いながら横たわる兵士たちの嘆き。呻き。小さなそれは、嫌でも全て耳に響いてくる。
ぎりっ。
アルオは奥歯を噛み締めた。強く。強く。顎が痛むほどに。握り締めた拳からは、血が滴っている。歩く速度が増していく。
分かっている。理解はしている。
「……お前たちも、あいつらの被害者だということは……っ」
庇いたくてもできない。モーリスがそうであったように。中には心を傷めていた者もいたかもしれない。けれど。
思ってしまう。
どうして助けてくれなかった。
どうして救いの手を差し伸べてくれなかった。
どうして母を助けてくれなかった。
「それなのに……わたしにお前たちの為に闘えというのか! ふざけるな!!」
足を止め、アルオが悲痛に叫ぶ。モンタギューは後ろで、黙って見ている。
一人の兵士の、悲鳴が上がった。
「……ま、魔族……っ」
背後に近付いてくる気配に、アルオは振り向かないまま「早いな。もうあいつらを殺したのか」と苦笑した。
「いいえ。泣くわ喚くわ煩くて。まるで羽虫のようにうっとおしく。殺すのも馬鹿らしくなり」
一定の距離まで来ると「お考えは、変わりませんか?」と、魔族は足を止めた。アルオはため息をつき、背後を振り返った。
「──お前は本心から、わたしが魔王と対等に闘えると思っているのか? それともこれは何かの罠か?」
魔族の返答は「さて」とあっけらかんとしたもの。否定も肯定もしなかった。
「ああ、こういうのはどうでしょうか。あなたの勝敗に関係なく、あなたの友とやらの身の安全は保証すると」
アルオが応える前に「あ、そういうのは結構です」と、モンタギューが右手を上げた。魔族は「おや残念」と、嗤った。
口を挟む間もなかったアルオが「……おい、モンタギュー」と渋い顔をした。
「置いていくより、置いていかれる方が何倍も辛い。お互い身に染みて分かっていることではありませんか。そんなこと許しませんよ」
真顔でしれっと応える。
「それ以外はアルオ様のご自由に。何処までもついて行きますので」
モンタギューが恭しく頭を垂れる。アルオは右手で顔を覆った。先ほどの魔族の提案。守られる保証などないのは理解している。ただ、信じる信じないは別にして、心が揺れたのは確かだ。モンタギューはそれを、見抜いていたのかもしれない。
「……剣の腕は同等でも、お前は魔法が使えないだろう。狙われたらどうする」
「さて」
「いや。さてじゃなくてだな」
顔を上げ、視線を交差させる。モンタギューの双眼は、驚くほど凪いでいた。
「……わたしに闘えというのか」
「いえ。私は闘ってほしくはありませんよ」
ですが、迷っておられるのでしょう?
心の葛藤を見抜かれ、アルオが舌打ちする。
違う。迷ってなどいない。先に見捨てたのは城の者たちだ。なのにどうして、助けを求める。恥知らずもいいとこだ。ふざけるな。
「──わたしは」
口火を切ろうと口を開いた。その時。
曇天の下。石畳の上で気を失っていた若い兵士が、剣を杖代わりに立ち上がるのをモンタギュー越しに見た。よろよろと歩き出し、アルオと魔族の間で立ち止まる。そして、アルオたちを庇うように、魔族に剣先を向けた。
「──お逃げ下さい」
頭から。腕から。背中から血を流し、火傷の痕が生々しく残る身体で、兵士が呟いた。
「──っっ」
アルオが息を呑む。兵士は魔族への恐怖からか、全身を巡る痛みからか、震えながらも「その身なり、王族の方でしょう。早くお逃げ下さい」ともう一度、はっきり言った。
顔を伏せ、アルオが拳をぶるぶると震わせる。食い込む指が、掌を深く抉る。
「──この阿呆が!! 王族なんぞ庇って死ぬつもりか!?」
双眸に怒りを宿らせ、アルオが怒鳴り散らす。兵士は振り返り、どうして自分は怒られているのだろうとポカンとした。
アルオは建物の柱を睨み付けた。
「そこに隠れている神官! とっとと出てきて兵の手当てをしろ!!」
「で、ですが」
神官が震えながら魔族に視線を向ける。アルオは苦虫を噛み潰したかのような顔をした。
「──わたしは人間が嫌いだ」
うつむきながらの、唐突の言葉。それでもモンタギューは「はい」と応えた。
「でも。お前も、エイダも、人間だ」
「はい。アルオ様も」
「わたしは王族だ。同じ人間でも、腐っている。どうしようもないほどにな」
「王族以外にも、腐っている人間はいますよ。ご存知でしょう? そして王族にも、優しい人間はいる。──一人しか、知りませんけどね」
そんな奴は知らない。王族はみな、等しく腐っている。だが──王族以外のみながそうではないとは、確かに言えない。けれど。
アルオはふっと身体から力を抜き、しばらく黙考したあと、魔族へと向き直った。
「……わたしがお前を殺してこのまま逃げたら、どうする」
「どうもしません。残った魔族が人間を皆殺しにするだけてす。そして、先ほども申し上げた通り、長い歴史の中でも、あなた様ほどの魂の資質を持ったヒトは非常に稀です。遅かれ早かれ魔族の良い標的になるでしょう。特に、魔王様と上位魔族が放ってはおかないでしょうね」
「……なるほどな」
今逃げたところで、いずれは闘わなければならない。そして魔族の提案が罠ではなく、真実とするなら、今なら魔王一人の相手ですむ。──勝てば、だが。
(人間を皆殺し、か)
アルオが雲に覆われた空を仰ぐ。
人間は嫌い。憎い。だが住むところも、食べる物も。好きな書物も。つくるのは、全て人間だ。そしてエイダとモンタギュー以外にも、優しい人間がいることは知っている。
──エイダが生きていたら、どう言っただろうか。
逃げろ?
闘え?
いや。何となくだが、おそらくはモンタギューと似たようなことを語る気がした。優しく、笑顔で。
『あなたがお決めなさい。私は何処までもついていきますから』
──そうするさ。
アルオは心を決め、空から魔族へと視線を戻した。
「魔族。魔王の元へと案内しろ──モンタギュー。後ろでため息をつくな」
「ついてません。息を吐いただけです」
「……お前はついてくるなと言ったら怒るか?」
前を向いたまま小さく質問すると、すぐさま「怒りません。ただ自害するだけです」という返答がきた。
「…………」
まだ見ぬ魔王より、こいつの方が怖い。アルオは胸中で吐露した。
魔族がにっこりと微笑み「悦んで」とお辞儀をする。「馬でどのぐらいかかる」「そうですねえ」と、上位魔族と対等に会話する少年に、若い兵士も神官も声を失う。けれど赤毛の男が口にした名前を、若い兵士は知らず繰り返していた。
「アルオ、様……?」
アルオは後宮から出たことはほとんどない。だからその姿を知る者は少ない。だが。
あの髪。瞳。国王によく似たあのお方は。
──第五王子?
若い兵士が、アルオの背に、確かめるようにそっと呟いた。
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