UBER -ユベル-

石田ノドカ

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第1章 『吸血鬼』

1-9 創立記念日

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 翌日。
 月曜日。
 今日が、二学期最後の登校日。終業式の日だ。

 朝。

 皐月は、誰より早く登校していた。
 生徒はおろか、先生の姿も未だ見ていない。
 そんな日に見る校舎の中は、普段とは違う様相を呈しているように見えた。

 誰も居ない静かな教室。
 部活に勤しむ者の声もないグラウンド。
 いつも以上に喧しく聞こえる予鈴の音。

 普段は、登校する人影が一番多いくらいの時間帯に辿り着くことが多いだけに、今まで見たこともないその様子は、現実離れしている程にも思えた。

 パタ、パタ、パタ、パタ。

 上履きの音が廊下に響く。
 しばらくそれを聞き流した頃、ようやく自分の教室へと辿り着いた。

 二年A組。二年生階の一番奥。

 扉を開こうと試みるが、ピクリとも動かない。
 それはその筈だ。未だ誰の姿も見ていないのだから。
 こんな時は、職員室へ行けば、早くから来ている先生から鍵を借りられるはずだ。

 いつまでも寒い廊下にいるのも身体が堪える。
 先に入ってストーブを点けておいたところで、誰に怒られる訳でも無し。
 思い立った皐月は踵を返し、職員室へと向かい歩き始めた。

 パタ、パタ、パタ、パタ。

 また、自分の足音を聞きながらの移動。
 誰も居ない廊下には、本当によく響く。

 ――おかしいくらいに。

 立ち止まり、少し考えたところで、皐月は漠然と抱いていた不安が強くなった。
 おかしい。
 そう。おかしいのだ。

「……誰も来ない」

 いくら早いとは言っても、もうそろそろ誰かの影や物音くらいあっても良い頃合いだ。
 視線を寄越した窓の外――校門の方にも、未だその影は一つもない。
 自分があの校門を通り抜けたのは、十数分は前のこと。
 それに皐月が入れたということは、少なくとも誰か来ている人はいる筈なのだ。

 日にちを間違えた……?
 いや。仮に日曜日なら、後者は元より校門が開いている筈もない。

 おかしい。
 何かがおかしい。

 皐月はポケットからスマホを取り出した。
 時刻は八時過ぎ。
 もう誰か来ていても、なんて話じゃない。
 ある程度の人数、揃い始めていてもおかしくない時間なのだ。

 あまりにおかしい。不可解だ

 先日の出来事と言い今日のことと言い、何かがおかしい。
 狂い始めている。
 そう直感した皐月は、一刻も早くここから離れようと、身を翻した。

 矢先、

「どうしたの?」

 ふと、背中に声を掛けられた。
 慌てて振り返ったそこには、職員室から顔を出してこちらを見やる、担任教師の姿があった。

「先生……?」

「ええ、そうだけれど――愛宕くん、どうしたの? 随分と顔色が悪いわ」

 そう言いながら担任、宮下瞳子みやしたとうこは、職員室から出、皐月の方へと歩み寄った。
 幾らか背丈の高い皐月の顔を、訝し気に見つめる。

「うーん……病気、ではなさそうだけれど、変な汗かいてるね。ちょっとこっちに来なさい」

 言うと、皐月が何か返すより早く、手を引いて職員室の中へと誘った。
 そうして適当な椅子に座るよう言いつけると、奥の給湯室で湯を沸かし始める。
 呆気に取られつつも、座り、次第に漂い始めるお茶の香りに身を任せていると、少しずつ動揺は薄れ、鼓動も落ち着きを取り戻していた。
 戻って来た瞳子から手渡されたコップは、分かり易く女性向けのデザイン。おそらく瞳子のものであろうそれを受け取ると、少し迷った後で、思い切って口をつけた。

「生憎とかなり念入りに洗ってあるから、気を遣う必要はないからね」

「……別に、そんなんじゃないですよ。ただ、俺がこれ借りちゃったら、先生が飲むやつなくなるんじゃないかなって」

「ふふっ。うんうん、そういうことにしておいてあげよう」

 桐子は明るく笑って、大きく頷いた。
 大人の余裕なのか、懐が広いのか。
 羨ましいとさえ感じるそんな対応には、皐月は心の中で口を尖らせた。

「さて――愛宕くん、どうして学校に? それも制服まで着てさ。まさか、学校があるなんて勘違いしてやって来たの?」

「違うんですか?」

「えっ、ほんとに? 今日は創立記念日だから終業式は明日になるよーってプリント、先月渡した筈なんだけど」

「創立記念日……え、祭日ですか」

「ですかって、大丈夫? 金曜の夜、親御さんや生徒向けにメールも送信されている筈よ。土日を挟むから忘れないようにね、って。愛宕くんは独り身だから直接君の携帯に送ってあるはずだけど。確認してない?」

「……してません」

 期末試験、バイト、亡き身内の墓参り……考えることが多過ぎて、失念してしまっていたらしい。
 一気に緊張の糸が切れた皐月は、溜め息交じりに肩を落とすと、背もたれに全体重を預けて天井を見上げた。

「誰か一人くらい来るかな、とは思っていたけれど、まさかうちのクラスから、それも君だったなんてね」

「すいません、ご迷惑を……」

「いいのよ。その為に私は今日いるんだもの。もうそろそろいつもの朝礼時間にもなるから、その時まで誰も来なかったら私も帰るわよ」

 その為、というのは、万一誰か来てしまった時の、説明及び帰宅を促すための役割だろう。
 教師という身は、誰かがそういった貧乏くじを引かされるものらしい。

 内心哀れに思いながら、皐月はお茶を飲み進める。
 温かく、ほっとするその味は、皐月の頭を冷静にさせるには十二分の効果を発揮した。

 と、机上のカレンダーに見つけた。
 この学校の名前が記載されている、主な学校行事なども一緒に纏めてあるカレンダーだ。
 よほどまめな性格の先生なのか、律儀にも過ぎた日にはバツ印がつけられている。
 今日は月曜日。やはり間違いはなかった。
 本当に土曜日を丸々飛ばしてしまったのだなと改めて自覚させられた。

「ちょっと落ち着いた、って感じだね」

「多少は……これ飲んだらすぐ帰ります。ありがとうございました」

「うんうん。ごめんなさい、より、ありがとうの方が聞こえがいいね」

 瞳子は大きく頷きながら、隣の席に腰を落ち着けた。

 一口。
 二口。

 コップを傾ける度、心はどんどん落ち着いてゆく。
 そうしてクリアになった頭はまた、いやに色々なことを考え始めた。

「また、難しい顔してる」

 瞳子が、呟くように言った。

「えっ……俺?」

「うん。廊下で振り返った時も、似たような顔をしていたわ。何かあったの?」

 瞳子の問いに、皐月は言葉を詰まらせる。
 考えていたのは、妹の夢のこと、あの夜の惨状、そして未だ謎な空白の一日についてだ。

 妹のことは、自身の家庭環境を知っている為、当然瞳子も知っている。が、夢のこととなればまた別の話。悪夢を見ていたということに関して、瞳子は知らない。
 惨状については、話せる筈もない。未だニュースにもなっていないという不思議も絡んでいるのだから。
 空白の一日についてもそうだ。病気か何かも分からない上、あの惨状を見てしまったすぐ後だったということもあり、話そうとすればそれに触れない訳にはいかなくなる。誤魔化そうとすればするほど、自ずからその尻尾を出してしまいかねない。

「……いえ、何でも」

 皐月には、それら選択肢を考えない、という選択の他なかった。

「――そう」

 瞳子は、皐月の様子から何か察したのか、それ以上追随しようとはしなかった。

「敢えては聞かないけれど、これだけは覚えておいて。教師だから、という立場は置いておいて、一人の大人として、私は君の味方だからね。困ったことがあれば、抱えきれなくなる前に話してよ」

 つい先日、似たようなことを言われた。
 それを思い出してしまったからか、心は幾らか穏やかになった。

「ありがとうございます。何かあったら頼らせてもらいます」

「何にもなくたって、世間話だけでもドンと来いよ。先生、恋人もいない独り暮らしだからさ。帰ったって、大してやることもないし」

 瞳子は、苦笑しつつ言うと、皐月が飲み終わったコップを取り上げ、給湯室の方へと歩いて行った。
 外見だけでなく、内面まで裏表なさそうなあの性格――どうして恋人の一人も出来ないのか、甚だ疑問である。
 言い寄る同僚の一人二人いたって、おかしくなさそうなのに。

「そう言えば愛宕くん、バイトはどう? 無理してない?」

 コップを洗いながら瞳子が言う。

「正直に言うと、多少無理しないと生活できないくらいです。でも、それでしんどいってことはありません。バイト先の人らもよくしてくれますし。心配はいらないくらいですかね」

「そう? 事情もあるし立派なことだとは思うけど、本当に無理だけは禁物よ」

「はい。分かってます」

 皐月は深く頷いた。
 それは、この数日だけでよく分かった。
 とは言っても現状、日数も時間も減らすつもりは毛頭ない。

「先生が学生の頃なんか、先生に厳しく言われたものよ。夏休みなんかの長期休暇中でさえ、色々と制限やらきつくてね。もっとも、君の場合は家庭環境故の許可な訳だけれど――それにしたって、今の子は選択肢が多くていいわね」

「そうなんですか? 昔の方がおおらかだったってよく言いますから、もっと緩く、ある程度何でも出来たものかと」

「あー、うちが進学校だったからかな。勉学一番、その他二番って校風だったから」

「それはまた、何とも言えませんね」

「まあ、おかげでこうして教師出来てる訳だから、あの制約も無駄じゃなかったかな、って今では思えるわね」

 大人になってある程度吹っ切れて、過ぎたことは考えても仕方がない、と悟ったようだ。

「ごめんね、どうでもいい話。やっぱり暇なんだろうなぁ。これ洗い終わったら家まで送るから、もうちょっとだけ待ってて」

「そんな、大丈夫ですよ。別に何かあるって訳でもないんですし。お茶、ご馳走様でした」

「そう? まぁこっちも、施錠のこととか考えたら、やっぱり手間はちょいちょい残ってたかも。気を付けて帰るのよ」

「はい。それでは、失礼します」

 会釈をしつつ、皐月は携帯電話を取り出した。
 今日のバイトは夜から。変更も何もない。

 時刻は九時を回った辺り。
 ほら、問題ない。

 …………問題、ないはずだ。

 皐月は、自身の疑いを間違いだと信じたくて、もう一度机上のカレンダーに目をやった。
 主な学校行事が書かれているカレンダーだ。書かれているのだ。
 その後で、メールボックスの方に今一度目を落とした。

 未読の新着メールがあることを報せる数字が――。

「……先生、一つだけ良いですか?」

「ん? なに?」

 皐月は、喉の奥が急速に乾いてゆく感覚に襲われた。

 気のせいだ。
 きっと何かの事情があったのだ。

 そう思いたいのに。

「今日って、創立記念日なんですよね……?」

「ええ、そうよ。だから私一人だけなの」

「……それを報せる為に、学校から追ってメールも送信されたって」

「――ええ、そうよ」

 瞳子は、声色を変えない。

「そう、ですか……学校からってことは、一斉送信ですよね」

「――いいえ。私が、担任として、うちのクラスの子たちに送ったものよ」

「一人ずつ……?」

「――ええ、一人ずつ」

 瞳子の声色が、冷たくなった。
 そうか。ならば当然だ。
 皐月一人だけ『敢えて』抜かしていたことにも得心がいく。

 プリントを見ていなかったのは自分の落ち度だ。
 しかし、敢えてメールという言葉を出さなければ、皐月がそれに気付く筈もなかった。
 メール、という言葉を使ったのは、今日が創立記念日だという事実をより強めるためだろう。
 だが実際のところ、そんな小細工をする必要は全くなかった。
 プリント一つだけであれば、気付くにしてももう少し後になっていたことだろう。
 しかしメールという余分な言葉は、その場で気付かない訳にはいかない。

 …………否。

 余分な言葉ではない。
 早く気付け、とでも言いたいのだろう。

 皐月一人に敢えて送らなかったのではない。本当にメールを送っていたのか否かは、この際どうでもいい。
 何せ、これはもっと以前――そう。プリントを配った、というところから、既に仕掛けられていたことなのだから。

 皐月はその性格上、貰ったものはその日の内に検め、記憶し記録しておかなければ気が済まない質だ。
 そうでなくとも、毎日バッグの中は確認している。日々使用する教科書やノートは、置き勉などせず、いつも家から持ち出しているのだから。
 もしどこかで抜け落ちてしまっていたとしても、翌日、最悪その更に次の日くらいには気付けた筈だ。

 プリントの確認忘れなんかじゃない。
 はじめからそんなプリント、皐月は受け取っていなかったのだ。

 それだけじゃない。

 祭日で教師も生徒も原則いないそんな日に、見回りと戸締りが一教師に委ねられるという点も不自然だ。
 普通は警備員か守衛、或いは校長や教頭、一教師を使うにしたってもっと上の立場にいる者に依頼する筈である。

 警備員室は、下駄箱のあるすぐ隣。
 しかしその部屋は、電気はおろか、カーテンすら閉め切られていたはずだ。

 校長や教頭にしても同じだ。
 教頭なら普段は職員室にいるが今はおらず、すぐ隣の校長室からも誰一人出てこない。
 間違って登校して来た生徒の様子を見に出てくるくらいのこと、したって不思議はないというのに。
 今この学校には、自分と瞳子、二人以外の気配がまるでない。

 創立記念日。どの立場の者も皆一律休日とされていることだろう。
 仮に間違って登校して来たとて、プリントを改めて見るか、学校へ電話、或いは身内に確認してもらえばすぐに分かることだ。
 元より、学校に誰か配備しておく予定も必要もない。

 それが、どうしてか瞳子だけはこうして学校にいる。
 それはつまり、学校の指示などではなく、瞳子一人の独断だという事実に他ならない。

 ――皐月は、全身に冷や汗をかく程の嫌な予感がした。

「……愛宕くん。やっぱり、君は私が家まで送り届けてあげるわ」

 そう言って、瞳子は蛇口を締めた。
 物音がなくなったことで、場が一気に静まり返った。
 瞳子はそのまま給湯室の鍵までかけると、ゆらりと皐月に向かい合った。
 視線が交錯する――その僅かに一歩手前で、

「っ……!」

 皐月は、恐怖に固まりかけていた足に力を籠めると、強く床を蹴り、一目散に走り出した。
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