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第1章 『吸血鬼』
1-10 声
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瞬く間に遠のいてゆく職員室。
残像さえ見えているように錯覚するほどの速度で以って、ただただ力の限り足を回した。
背中には、これまで聞いて来た優しい声とは思えない、けたたましい笑い声が響いていた。
「くそっ、くそっ…!」
どうして気が付かなかった。
どうして気が付けなかった。
奴らは、自身の目的の為なら何だってする、狡猾で残忍な存在だと知っていたはずだ。
その身を以って、体験していたはずだ。
――違う。
信じたくなかった。
信じたくなかっただけなんだ。
まさか自分の身内が、そんな御伽噺に殺された等という事実を。
茜たちの死は、不慮の事故なんかじゃない。
酔っ払いの間違った運転なんかでもない。
茜達は殺されたんだ。
殺したのだと人間には認知されないよう、巧妙に、事故に見せかけるよう慎重に。
奴らはそういう存在だ。
人間社会に溶け込む為に、頭を使い、時間を使い、策を労して、人間を追い詰めようとする存在だ。
殺すという最終目標より、そこに辿り着くまでの過程をより楽しむ性格の悪さ――それを、知っていたはずなのに。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ……くそ、くっそ…!」
いつから目を付けられていた。
どうして目を付けられていた。
分からない。
見当もつかない。
走りながらでは、頭の中を整理しようにも出来ない。
しかし今は、その足を止める訳にはいかない。
止めたら、思考する間も無く絶命する予感しかない。
皐月は、ただひたすらに校門方面を目指して足を回した。
まさか、昼間からこうも堂々と邂逅するとは思ってもいなかった。
夜陰に乗じて、或いは夜も更けた時間帯に家を襲撃されるか――もっと、人目のない時間帯を狙って来るものだとばかり思っていた。
いや、そうやって高を括っていた。
そうあるべきだと、そうでないと困ると思っていた。
しかして先日のあの事件からも、そうでない可能性だってあることは理解していたはずだ。
あれだけ大きな物音を聞いておいて誰も気付かない、なんて異常事態、奴らの仕業以外にあり得ない。
誘われた。誘い込まれた。
誘いに、まんまと嵌ってしまった。
「くそッ――痛っ…!」
やっとの思いで校舎を出たところで、足が縺れ、アスファルトの上に倒れ込んでしまう。
そこでようやく理解した。
生徒の保護、不審者の侵入防止という意味では完璧な、随分と背の高い校門が、確と閉められている事実に。
教室が開いていないと分かってから職員室へと行くまでの間に一度、校門の方へは目をやっていた。その時には未だ、閉まっていなかった筈だ。
そしてその後すぐに瞳子と出会い、以降ずっと一緒にいた。
廊下から校門を見やってから出会うまでの高々数十秒の間か、皐月が逃げ出してから数十秒の間――或いはもっと別の方法で。
いずれにしても、それは尋常ならざる御業だ。
常人、いやそも人間にはそんな芸当、出来ようはずもない。
改めて事の異常さを理解した皐月は、擦り切れて痛む腕と足を踏ん張ると、可能な限り早く立ち上がり、校門を飛び越えようと駆け寄ってゆく。
校門さえ越えることが出来れば、あとは道なりに坂を下ってゆくだけ。
通りにさえ出られれば後は、祭日であればこそ、そこかしこに人の顔は現れる筈だ。
人波の中でなら、さしもの異形とて無暗に手出ししようとは考えないだろう。
――ただ。
それはあくまで、皐月が通りに出られればの話。
それまでに足止めでも喰らい、捕らわれてしまえば――
「ざぁ~んねんでした~」
間延びした声が聞こえた刹那、皐月は胸の辺りに鋭い痛みを覚えた。
「がぁッ――!」
顔をしかめ、一瞬意識が遠のくような感覚にもなるが、それでも足を回そうとする皐月。
しかしその意思とは裏腹に、身体が前へと進んでゆく感覚はない。
いくら足を動かしても、景色が回ってゆくことはなかった。
「ぁ――がっ、ぁぁあ…!」
感じたことのない違和感に、皐月は自身の身体へと視線を落とす。
瞬間、言葉を失った。
身体を支えているのは、今し方覚えた痛みを植え付けた根源である得物――その上に、上半身が乗っかっているだけで、動かしているつもりだった足は遠くの方に転がっていて、微塵も動いていなかった。
下半身が、無くなってしまっていたのだ。
あるはずのそこからは、代わりに見たこともない量の鮮血が溢れている。
「ぇ、ぁ……」
足ばかりではない。
出血量の所為か、声まで出辛くなってきている。
振り返ろうにも、固まってしまったみたいに首も回らない。
意識も遠のき始めた。
その代わりに、とでも言わんばかりに、後ろから瞳子が皐月の首を回した。
恍惚の表情を浮かべて視線をわざと合わせる瞳子に、嫌味の一つを吐き出すことも出来ない。
少しずつ暗くなる視界。
周囲の音も拾えなくなってゆく耳。
際限なく溢れ滴る血の匂いさえ感じない。
死――
これが、これから死にゆく者の感覚なのか。
回らない頭で、皐月はそんなことだけ考える。
ただ――それでも、いっそのこと良いのだろうかとも思えた。
向こうに逝けば、茜とも、両親とも再会が果たせる。
何の罪もなく散って行った三人と、何の罪も犯した記憶はない自分。
向かうところはきっと同じで、いずれどこかで再会できるはずだ。
言えなかったこと、聞けなかったこと、一緒にやりたかったこと――全部全部、途中から、また始められるだろう。
少し歳を取って容姿も変わってしまったけれど、きっとそんなことは気にせず、笑い掛けてくれる。
薄れゆく意識の中、皐月は昔日の思い出を回想した。
――助けて……ちゃん――
そこに、声が響いた。
また、あの声だ。
(ああ……燃える車の中で、さぞ怖かったことだろう)
(熱くて苦しくて、さぞ嫌な思いをしたことだろう)
(ごめん……ごめんな。助けてあげられなくて……兄ちゃんも、身体中痛くて動けなかったんだ)
(でも、もう心配はいらないぞ……そっちでは、今度こそ、兄ちゃんがちゃんと助けてやるから……)
もうすぐにでも途切れてしまいそうな意識の中、皐月ははっきりと思い出した。
燃え盛る火炎の中で、茜が叫んでいた言葉の全てを。
――助けて……お兄ちゃんを、助けて…!――
(……ああ。そうか)
(思い出した……茜は、あの時――)
残像さえ見えているように錯覚するほどの速度で以って、ただただ力の限り足を回した。
背中には、これまで聞いて来た優しい声とは思えない、けたたましい笑い声が響いていた。
「くそっ、くそっ…!」
どうして気が付かなかった。
どうして気が付けなかった。
奴らは、自身の目的の為なら何だってする、狡猾で残忍な存在だと知っていたはずだ。
その身を以って、体験していたはずだ。
――違う。
信じたくなかった。
信じたくなかっただけなんだ。
まさか自分の身内が、そんな御伽噺に殺された等という事実を。
茜たちの死は、不慮の事故なんかじゃない。
酔っ払いの間違った運転なんかでもない。
茜達は殺されたんだ。
殺したのだと人間には認知されないよう、巧妙に、事故に見せかけるよう慎重に。
奴らはそういう存在だ。
人間社会に溶け込む為に、頭を使い、時間を使い、策を労して、人間を追い詰めようとする存在だ。
殺すという最終目標より、そこに辿り着くまでの過程をより楽しむ性格の悪さ――それを、知っていたはずなのに。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ……くそ、くっそ…!」
いつから目を付けられていた。
どうして目を付けられていた。
分からない。
見当もつかない。
走りながらでは、頭の中を整理しようにも出来ない。
しかし今は、その足を止める訳にはいかない。
止めたら、思考する間も無く絶命する予感しかない。
皐月は、ただひたすらに校門方面を目指して足を回した。
まさか、昼間からこうも堂々と邂逅するとは思ってもいなかった。
夜陰に乗じて、或いは夜も更けた時間帯に家を襲撃されるか――もっと、人目のない時間帯を狙って来るものだとばかり思っていた。
いや、そうやって高を括っていた。
そうあるべきだと、そうでないと困ると思っていた。
しかして先日のあの事件からも、そうでない可能性だってあることは理解していたはずだ。
あれだけ大きな物音を聞いておいて誰も気付かない、なんて異常事態、奴らの仕業以外にあり得ない。
誘われた。誘い込まれた。
誘いに、まんまと嵌ってしまった。
「くそッ――痛っ…!」
やっとの思いで校舎を出たところで、足が縺れ、アスファルトの上に倒れ込んでしまう。
そこでようやく理解した。
生徒の保護、不審者の侵入防止という意味では完璧な、随分と背の高い校門が、確と閉められている事実に。
教室が開いていないと分かってから職員室へと行くまでの間に一度、校門の方へは目をやっていた。その時には未だ、閉まっていなかった筈だ。
そしてその後すぐに瞳子と出会い、以降ずっと一緒にいた。
廊下から校門を見やってから出会うまでの高々数十秒の間か、皐月が逃げ出してから数十秒の間――或いはもっと別の方法で。
いずれにしても、それは尋常ならざる御業だ。
常人、いやそも人間にはそんな芸当、出来ようはずもない。
改めて事の異常さを理解した皐月は、擦り切れて痛む腕と足を踏ん張ると、可能な限り早く立ち上がり、校門を飛び越えようと駆け寄ってゆく。
校門さえ越えることが出来れば、あとは道なりに坂を下ってゆくだけ。
通りにさえ出られれば後は、祭日であればこそ、そこかしこに人の顔は現れる筈だ。
人波の中でなら、さしもの異形とて無暗に手出ししようとは考えないだろう。
――ただ。
それはあくまで、皐月が通りに出られればの話。
それまでに足止めでも喰らい、捕らわれてしまえば――
「ざぁ~んねんでした~」
間延びした声が聞こえた刹那、皐月は胸の辺りに鋭い痛みを覚えた。
「がぁッ――!」
顔をしかめ、一瞬意識が遠のくような感覚にもなるが、それでも足を回そうとする皐月。
しかしその意思とは裏腹に、身体が前へと進んでゆく感覚はない。
いくら足を動かしても、景色が回ってゆくことはなかった。
「ぁ――がっ、ぁぁあ…!」
感じたことのない違和感に、皐月は自身の身体へと視線を落とす。
瞬間、言葉を失った。
身体を支えているのは、今し方覚えた痛みを植え付けた根源である得物――その上に、上半身が乗っかっているだけで、動かしているつもりだった足は遠くの方に転がっていて、微塵も動いていなかった。
下半身が、無くなってしまっていたのだ。
あるはずのそこからは、代わりに見たこともない量の鮮血が溢れている。
「ぇ、ぁ……」
足ばかりではない。
出血量の所為か、声まで出辛くなってきている。
振り返ろうにも、固まってしまったみたいに首も回らない。
意識も遠のき始めた。
その代わりに、とでも言わんばかりに、後ろから瞳子が皐月の首を回した。
恍惚の表情を浮かべて視線をわざと合わせる瞳子に、嫌味の一つを吐き出すことも出来ない。
少しずつ暗くなる視界。
周囲の音も拾えなくなってゆく耳。
際限なく溢れ滴る血の匂いさえ感じない。
死――
これが、これから死にゆく者の感覚なのか。
回らない頭で、皐月はそんなことだけ考える。
ただ――それでも、いっそのこと良いのだろうかとも思えた。
向こうに逝けば、茜とも、両親とも再会が果たせる。
何の罪もなく散って行った三人と、何の罪も犯した記憶はない自分。
向かうところはきっと同じで、いずれどこかで再会できるはずだ。
言えなかったこと、聞けなかったこと、一緒にやりたかったこと――全部全部、途中から、また始められるだろう。
少し歳を取って容姿も変わってしまったけれど、きっとそんなことは気にせず、笑い掛けてくれる。
薄れゆく意識の中、皐月は昔日の思い出を回想した。
――助けて……ちゃん――
そこに、声が響いた。
また、あの声だ。
(ああ……燃える車の中で、さぞ怖かったことだろう)
(熱くて苦しくて、さぞ嫌な思いをしたことだろう)
(ごめん……ごめんな。助けてあげられなくて……兄ちゃんも、身体中痛くて動けなかったんだ)
(でも、もう心配はいらないぞ……そっちでは、今度こそ、兄ちゃんがちゃんと助けてやるから……)
もうすぐにでも途切れてしまいそうな意識の中、皐月ははっきりと思い出した。
燃え盛る火炎の中で、茜が叫んでいた言葉の全てを。
――助けて……お兄ちゃんを、助けて…!――
(……ああ。そうか)
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