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序章 『出会い』
第2話 考えごと
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会話が途切れると、また静寂が訪れる。
「どうしたん? 考え事?」
ふと、お姉さんが声を掛けてきた。
「えっ? あ、いえ――」
「初対面、かつご自分では名乗りもせずに、プライベートであろうと分かりそうな内容への声かけとは。相変わらずですね。花音さんの良いところでもありますが、悪いところでもありますね。はい、どうぞ」
お姉さんへとそう返しながら、マスターさんは準備の出来たらしいそれらを、私の前へと並べていく。
「ミニ・ブッシュドノエルと、当店のブレンドです。正面にある小瓶がミルクとお砂糖なので、ご自身でお好きなほどお使いください」
小さなお皿に乗った、小さなお菓子。
ブッシュドノエルなら知っている。切り株に見立てたお菓子だ。
綺麗に作るのは難しいお菓子だと聞いたことがあるけれど、それをこのサイズで作ってしまうなんて。
「悪いところでもあるって、だって心配になるやんか、あんな大きい溜息吐いてたら」
「え、た、溜息……? 吐いてましたか、私…?」
「今とちゃうけどね。店長さんの脇から店ん中に入って来た時」
「だからって、簡単に詮索するべきではありません。そう見えるのなら尚更に、ズカズカと踏み入るべきではないんですよ」
穏やかな口調ながらも、少し厳しい声音でマスターさんが言った。
「とか言って、私らとの会話は上の空で、モザイク越しに見えるいたいけな少女のことがずっと気になっとったんは、どこのどなたやったかなー」
「その話は良いじゃないですか、今は」
穏やかな表情のまま、マスターさんが返す。
今だけでなく、もっと前から、色んな人の気を引くようなことをしてしまっていたなんて。
恥ずかしい。恥ずかしいし、申し訳ない。
「その辺にしとき、花音」
と、束の間の静寂を切り裂いたのは、すぐ隣で珈琲を啜っていた強面のおじさま。
カップに視線を落としたまま、言葉一つでお姉さんを黙らせた。
「誰かに聞いて欲しいんやったら、そのうち自分から話し出すもんや。聞きだすようなもんやない。きっかけなんか、ここにおるんやったら珈琲一口で十分や」
鋭くも柔和な言い方に、お姉さんは私に苦く微笑みながら、両手を合わせて困ったようにウインク。そのまま姿勢を戻して珈琲を飲み始めた。
「え、えっと……」
「お前さんもお前さんや。おどおどしとるだけやなく、そんな辛気臭い顔までしとったら、そりゃ気にすんな言う方が無理な話や。来栖さんな、若いけどそこら辺の機微にはめっちゃ敏感なんや。俺や花音にも分かるぐらいの様子やったら尚更、気になってしゃーなかったことやろう。この試食会ってやつも、普段やったら他の応募しとった客に角が立たんようにって、決めた人数は絶対に守っとるんやから」
「えっ……」
と、私が何か言葉を発するより早く、おじさまは席を立った。
「柄にもなく喋り過ぎて疲れたわ。花音に連れられて無理矢理やったけど、美味かったわ。こりゃ金とってええ商品や」
「ふふ。ありがとうございます、武雄さん。またいらしてくださいね」
「ん、また来るわ。ほな」
椅子に掛けてあった上着を手に取ると、おじさまはそのまま扉を開けて出ていってしまった。
後を追うようにして、ぺこりと頭を下げたお姉さんも、店を後にする。
いつの間にか、その更に隣に座っていた人もいなくなっていた。
カウンターに座っているのは、私一人。一気に寂しくなってしまった。
無意識だったとは言え、私が空気を悪くしてしまったのは間違いない。
悪いことをしてしまった。
「そう思い詰める必要はありませんよ、お客さん」
先ほどのおじさん曰く、このマスターさんは感情の機微に鋭い――今のも、表情なんかで読まれてしまったのだろう。
「で、でも……」
「武雄さん、昔からああなんです。ちょっと不愛想ですけれど、とっても義理堅くてお優しい方なんですよ?」
「……すいません」
「いいえ」
短く言うと、店長さんは片付けを始めた。
再び、私の周りは静寂に包まれる。
――きっかけなんか、ここにおるなら珈琲一口で十分や――
ふと、あのおじさまが言っていたことが、頭の中で繰り返された。
余程、私にとって印象的だったのだろう。
湯気の少し弱ったカップに、今更ながら手を掛ける。
とても落ち着く、芳醇な香り。ブラックなのに、角のない柔らかな香りだ。
優しい。まるで、このマスターさんのよう。
いただきます。
声に出すのは何だか気が引けて、心の中でそう言うと、私は一口、少しばかり含むと、舌の上で転がした。
「おいしい……」
それは一瞬のことだった。
一口飲んでしまうと、それは何ともないように、自然と口から零れて出てしまった。
「とても美味しいです、これ。何だか不思議……凄く深くて複雑な味なのに、とっても柔らかくて優しい……」
「あら、お客さんは舌が肥えてらっしゃるんですね。それが、うちのこだわりポイントなんですよ」
「い、いえ、皆まで分かってはいませんよ、珈琲が好きでよく飲むってだけで…!」
「ふふっ。ありがとうございます」
微笑みながらも、マスターさんはカップを磨く。磨きながらも、よくよく観察していると、色々と忙しそうにはしながらも、常に私以外のお客さんにも視線は寄越しているらしかった。
機微に敏感……なるほど、それはそうだ。
これだけ周囲のことを、わざとらしくなく常に見ているのだから。
小さく息を吐いて、もう一口。
やっぱり、優しい味だ。
武雄さん、って言ったっけ、あのおじさん。
なるほど。これはとても、心がふんわりと解されていくような心地になる。
「どうしたん? 考え事?」
ふと、お姉さんが声を掛けてきた。
「えっ? あ、いえ――」
「初対面、かつご自分では名乗りもせずに、プライベートであろうと分かりそうな内容への声かけとは。相変わらずですね。花音さんの良いところでもありますが、悪いところでもありますね。はい、どうぞ」
お姉さんへとそう返しながら、マスターさんは準備の出来たらしいそれらを、私の前へと並べていく。
「ミニ・ブッシュドノエルと、当店のブレンドです。正面にある小瓶がミルクとお砂糖なので、ご自身でお好きなほどお使いください」
小さなお皿に乗った、小さなお菓子。
ブッシュドノエルなら知っている。切り株に見立てたお菓子だ。
綺麗に作るのは難しいお菓子だと聞いたことがあるけれど、それをこのサイズで作ってしまうなんて。
「悪いところでもあるって、だって心配になるやんか、あんな大きい溜息吐いてたら」
「え、た、溜息……? 吐いてましたか、私…?」
「今とちゃうけどね。店長さんの脇から店ん中に入って来た時」
「だからって、簡単に詮索するべきではありません。そう見えるのなら尚更に、ズカズカと踏み入るべきではないんですよ」
穏やかな口調ながらも、少し厳しい声音でマスターさんが言った。
「とか言って、私らとの会話は上の空で、モザイク越しに見えるいたいけな少女のことがずっと気になっとったんは、どこのどなたやったかなー」
「その話は良いじゃないですか、今は」
穏やかな表情のまま、マスターさんが返す。
今だけでなく、もっと前から、色んな人の気を引くようなことをしてしまっていたなんて。
恥ずかしい。恥ずかしいし、申し訳ない。
「その辺にしとき、花音」
と、束の間の静寂を切り裂いたのは、すぐ隣で珈琲を啜っていた強面のおじさま。
カップに視線を落としたまま、言葉一つでお姉さんを黙らせた。
「誰かに聞いて欲しいんやったら、そのうち自分から話し出すもんや。聞きだすようなもんやない。きっかけなんか、ここにおるんやったら珈琲一口で十分や」
鋭くも柔和な言い方に、お姉さんは私に苦く微笑みながら、両手を合わせて困ったようにウインク。そのまま姿勢を戻して珈琲を飲み始めた。
「え、えっと……」
「お前さんもお前さんや。おどおどしとるだけやなく、そんな辛気臭い顔までしとったら、そりゃ気にすんな言う方が無理な話や。来栖さんな、若いけどそこら辺の機微にはめっちゃ敏感なんや。俺や花音にも分かるぐらいの様子やったら尚更、気になってしゃーなかったことやろう。この試食会ってやつも、普段やったら他の応募しとった客に角が立たんようにって、決めた人数は絶対に守っとるんやから」
「えっ……」
と、私が何か言葉を発するより早く、おじさまは席を立った。
「柄にもなく喋り過ぎて疲れたわ。花音に連れられて無理矢理やったけど、美味かったわ。こりゃ金とってええ商品や」
「ふふ。ありがとうございます、武雄さん。またいらしてくださいね」
「ん、また来るわ。ほな」
椅子に掛けてあった上着を手に取ると、おじさまはそのまま扉を開けて出ていってしまった。
後を追うようにして、ぺこりと頭を下げたお姉さんも、店を後にする。
いつの間にか、その更に隣に座っていた人もいなくなっていた。
カウンターに座っているのは、私一人。一気に寂しくなってしまった。
無意識だったとは言え、私が空気を悪くしてしまったのは間違いない。
悪いことをしてしまった。
「そう思い詰める必要はありませんよ、お客さん」
先ほどのおじさん曰く、このマスターさんは感情の機微に鋭い――今のも、表情なんかで読まれてしまったのだろう。
「で、でも……」
「武雄さん、昔からああなんです。ちょっと不愛想ですけれど、とっても義理堅くてお優しい方なんですよ?」
「……すいません」
「いいえ」
短く言うと、店長さんは片付けを始めた。
再び、私の周りは静寂に包まれる。
――きっかけなんか、ここにおるなら珈琲一口で十分や――
ふと、あのおじさまが言っていたことが、頭の中で繰り返された。
余程、私にとって印象的だったのだろう。
湯気の少し弱ったカップに、今更ながら手を掛ける。
とても落ち着く、芳醇な香り。ブラックなのに、角のない柔らかな香りだ。
優しい。まるで、このマスターさんのよう。
いただきます。
声に出すのは何だか気が引けて、心の中でそう言うと、私は一口、少しばかり含むと、舌の上で転がした。
「おいしい……」
それは一瞬のことだった。
一口飲んでしまうと、それは何ともないように、自然と口から零れて出てしまった。
「とても美味しいです、これ。何だか不思議……凄く深くて複雑な味なのに、とっても柔らかくて優しい……」
「あら、お客さんは舌が肥えてらっしゃるんですね。それが、うちのこだわりポイントなんですよ」
「い、いえ、皆まで分かってはいませんよ、珈琲が好きでよく飲むってだけで…!」
「ふふっ。ありがとうございます」
微笑みながらも、マスターさんはカップを磨く。磨きながらも、よくよく観察していると、色々と忙しそうにはしながらも、常に私以外のお客さんにも視線は寄越しているらしかった。
機微に敏感……なるほど、それはそうだ。
これだけ周囲のことを、わざとらしくなく常に見ているのだから。
小さく息を吐いて、もう一口。
やっぱり、優しい味だ。
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なるほど。これはとても、心がふんわりと解されていくような心地になる。
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