琵琶のほとりのクリスティ

石田ノドカ

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第2章 『祖父の写真』

第16話 偽物なんてない

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 クリスさんの巡る朝の散歩コースでは、お店から日牟禮八幡宮へと向かう道を更に進み、ロープウェイ前を通り過ぎて、そのまま図書館まで進む。その図書館前を、お散歩では左に曲がってお店へと帰るのだけれど、右に曲がって進んでゆけば、八幡公園へと辿り着ける。
 もうすっかりと桜は散ってしまったけれど、春先には遠目にも分かる程の桃色が目に嬉しく、八幡堀と八幡公園とをはしごするようにお花見を楽しむ人もいるくらいの人気スポットらしい。
 そんな話を、クリスさんが道案内がてら私たちに教えてくれた。
 観光客は八幡堀に目を奪われやすいから、意外にも穴場だったりするんですよ、と。

「公園も小高い場所であるため、市街を一望するにも、実はここが一番行きやすかったりもするんですよ。先ほどの図書館とロープウェイの麓駅の間辺りに、駐車場もありますから」

「広さもあって、色んな遊具もありますし、お子様連れでも存分に楽しめますね」

「流石、雫さん。お勉強の賜物でしょうか」

「いえ、クリスのつけてくれる勉強会のおかげです」

「あらあら。ふふっ」

 クリスさんは、いつものように口元を隠して上品に笑った。

「勉強会? そう言えば、妹尾さんも標準語――妹尾さんはここの育ちではないのですか?」

 隣で静かに歩く善利さんが尋ねる。

「話すと長くなるんで割愛しますけど、産まれまれはこっちですけど、しばらくして東京に移り住むことになって、十年ぶりに帰ってきたって感じなんです」

「十年ぶり、ですか。でしたら、ここに住んでいたのは八つの時までなんですね」

「はい。だから、殆ど知らないことばっかりで。喫茶店って、観光客が結構来店なさるんですけど、その時にオススメスポットとか有名な観光地とか、そういうことを聞かれることが多いんですよ。でも私、最初は何も答えられなくて……だから、この土地を深く愛していて情報通でもあるクリスさんに教えて貰ってるんです。特別授業、みたいな」

「ここの勉強を……なるほど」

 善利さんは小さく頷くと、また正面に目をやり、静かに歩き出した。
 横目に少し観察していると、一歩前を歩くクリスさんや私の方、そうでない時には行き先や空の方へと、チラチラと視線が泳いでいる。
 物珍しいのかな、それともおじいさんとの思い出が蘇って来たのかな、とも思ったけれど、それはどうやら違いそうだ。それなら、私やクリスさんに泳ぐのはおかしい。
 お店でクリスさんと話している時は、落ち着いていてよく出来た高校生だな、なんて思ったけど――ちょっと違ったかな。

 善利さん、きっと緊張しているんだろう。

 知らない間に話が進み、知らない場所へと行くことになって、知らない人々と話し、その知らない人々とともに、知らなかったおじいさんの思いが潜む場所を訪れようとしているんだ。
 色んな感情がごちゃ混ぜになってしまっているんだと思う。

「あ、あの、善利さ――」

 言いかけた言葉は、すぐ喉元まで出かかって、止まってしまった。
 あの日、私の知らないところで囁かれていた言葉――

『妹尾先輩って、ちょっと図々しいって言うか』

『分かる。別に頼んでもないのに踏み入って来ないでよって感じ』

『エースだからか知らないけど、ただの部活なんだし、そこまでして欲しくないんだよね』

『正直、ちょっとうざいよね』

 ……嫌な記憶が蘇ってしまった。
 それを見かねた友人たちが突っかかって行って、部活も一時活動停止になる事態にまで発展してしまった。
 友人は、私の性格を『そんなつもりでやってるんじゃない』って言ってくれたけど、結局はそういうことなんだと思う。
 人は誰しも『パーソナルスペース』というものがあって、それは心身ともにもっているもの。人によって違うし、踏み入って大丈夫な人もいれば、そうでない人もいる。
 そんなつもりはなかったけれど、私のやっていたことは、それを気にせずずかずかと踏み入ったようなもの。それをされた受け取り手がどう感じるかなんて、考えないままに。

「妹尾さん……?」

 変な間が出来てしまったから、善利さんも動揺してしまっている。
 どうしよう。こんな時、今までの私だったら、何て言って――

「雫さん」

 ふと、前を歩くクリスさんの声が耳を打った。
 思わず仰いだそちらには、ただ前を向いて歩くクリスさんの背中がある。

「そうなってしまったのは、ただの結果です。あなたのせいじゃない。受け取り手の気持ちがあるのなら、発信する側の気持ちだって当然あります。どちらが重要とかではありません」

「クリスさん……」

「良いですか、雫さん。他者を思う気持ちに、正解も不正解もありません。その人の為に何かをしたい、どうにかしたい――そういった思いに、偽物なんていうものは、唯の一つだって存在しないんですよ」

 クリスさんの口調は、至って真剣だった。
 わたあめみたいに柔らかな、いつもの声とは違う。
 けれど、厳しく言っているのではないとも分かる。あの日、私が自分のことを話し、知っているからこそだ。
 クリスさんが、どこまで私のことを思って話しているのかは分からない。ひょっとしたら、別に何も考えていないのかも知れない。
 でも、それがなんだ。受け取り方次第だと、そう思ったのは、他でもない自分だ。
 なら私も、クリスさんの言葉で私が感じた通りに――

「――ねえ、善利さん。おじいさんって、どんな人だったんですか?」

 思い切って吐き出した言葉。その刹那、クリスさんの纏う空気が、いつもの柔らかいものへと戻ったような気がした。
 ……なんて、気のせいかな。
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