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第3章 『水とともに生きる:前編』
第12話 腕だけは
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数日続いた雨も上がり、運よく今日は晴れ。
クリスさんと二人、淡海で使用する珈琲豆の調達に出かけている。
なんでも、淡海で仕入れている豆は特別製なのだとか。
珠子さんがお店を継いでしばらく後、クリスさんが手伝いを始めた頃、今の淡海が出せる最高のブレンドを作ろうという話が持ち上がったらしい。
それまで使っていた豆も美味しいには美味しかったらしいのだけれど、正直言ってどこでも飲めるタイプの味だったようで。元は珈琲を楽しみつつも『食事やスイーツ』に力を入れていたお店だったらしく、珈琲自体にはそこまで拘りを持っていなかったという話だ。
そこで、せっかくだからと考え始めた二人だったけれど、それが随分と難航したらしい。あれでもこれでもないと、配合を変えては飲み、変えては飲み、と繰り返し、実に二年半の歳月をかけて出来上がったのが、今の味なんだそうだ。
配合が決まってからは、専門の業者に依頼し、特注しているとのこと。
「へぇ……以前、お二人で考えられた、という話は聞きましたけど、そんなに途方もない時間がかかっていたんですね」
「ええ、そういうことになります。同時に、それを寸分の狂いなく準備してくださる業者様の方にも感謝ですね」
クリスさんは温かく笑って言った。
「さて――見えてまいりましたね。あそこが、うちで使っている珈琲豆を拵えてくださっているお店『豆の木』さんです」
それはお店、というより、工場のような店構え。随分と年季の入った建物だ。
「お久しぶりです、信楽さん」
クリスさんが声を掛けたのは、店先にいた優しそうなお兄さん。
年齢も、クリスさんとそう離れていないように見える。
それに気が付いた男性も、クリスさんに笑顔で手を振って応える。
「おークリス、久しぶりやな。どないしたんや?」
「先日、お父様の方にご連絡致しました、うちの豆を頂きにまいりました。ご用意は出来ておりますか?」
「あー、それなら出来とるけど、何やつまらんなぁ。間に一日晴れ間はあった言うてもあんだけ続いた連日の大雨、それからやっと解放されたっちゅう記念にデートの誘いにでも来たんか思たわ」
「えっ!?」
男性の言葉に、つい私が反応してしまった。
二人の視線がぎょっと集まる。
「あんた――クリスの子か?」
「バイトの子やわ! 妹尾雫さん! 前に話したやろ、その子やその子! 冗談は軽い態度だけにしいや!」
男性の軽口に、クリスさんは頬を膨らませて怒る。
「あっはっは! 冗談や冗談、前に言っとった子やろ、分かっとる分かっとる」
「ほんまええ加減にせんと、そろそろ工房さんとの縁も切るで」
「悪い悪い、謝るさかい贔屓にしたってや」
慌てる様子もなく、男性は軽い調子で謝った。
この人の態度と同じように、クリスさんの言葉もまた、冗談のようなものなのだろう。
……じゃれ合い?
「あー笑った笑った。堪忍な、嬢ちゃん。クリスとは中高同じやったんや。で今や互いに店継ぐような立場や言うんやから、不思議な縁やと思わへん?」
「えっ? え、はい、そうですね……クリスさんがこれだけ砕けた話し方するのも、私初めて見ましたもん」
「せやろ? そろそろ結婚でも考えてくれたらええんやけど――」
「雫さん、お父様の方へ伺いましょう。この方はハズレです。大ハズレです。さっさと看板を下ろして欲しいものですね」
と、クリスさんは私の手を引き工房の中へと入ろうとする。
「ほう、それでええのか? ほなこの豆はどないしよかな――」
ニヤニヤと楽し気に笑いながら、わざとらしく掲げるそれには、黒いマジックで『淡海』と手書きされている。
特注、と話があったように、他には売りに出されていない証拠だ。
ふと、クリスさんの足が止まった。
「最初から出して頂けません? 面倒なんですよ、この時間。勿体ないったらありません」
「幼馴染のじゃれ合いやんかこんなん。たまにしか会わんのやしこれぐらい付き合ってや」
「面倒なじゃれ合いでなければ良いんですよ、もう。今日はバイトの子もいるんですから、あまり私のイメージダウンに繋がるような態度を取らせないでください」
「あはは、悪い悪い――っと、ほい、この袋に入っとるもん全部な。代金はもう珠子さんから貰っとるさかい」
「はいはい。ありがとうございます」
「おっ、何や素直に感謝されたわ」
「お仕事のことだけです。人間性はさておいて腕だけは、腕だけは、本当に腕だけは信用しているんですから」
「棘あるなぁ……嬢ちゃん苦労するやろ、クリスんとこで働くんは」
「い、いえ、そんな…! 凄く優しいし、まかないも美味しいですし……私には勿体ないぐらい良い環境です」
「はっはっは! そりゃ何よりやな! 頑張りや」
「は、はいっ!」
お礼を言いつつ頭を下げると、隣ではクリスさんが呆れたように苦笑いしながら息を吐いていた。
何だかんだと言いつつも、意外に良い相性だったりするんじゃないのかな。
「あ、そうやクリス」
歩き始めていた足を、男性の声が引き止めた。
何か、と二人して振り返る。
「最近、八幡堀の方で、何や女の幽霊の目撃情報があるらしいわ」
「幽霊、ですか? どのような?」
「さぁ、俺もよぉ分からんけど、常連のおっちゃんや姉ちゃんらが噂しとるんや。手だか頬だかに切り傷つけた、女の霊が出るんやーって。ふらふらとお堀の周りうろついとって、気が付いたら消えとるらしい。ここ数日やったかな、新しい話やわ」
「おっちゃんに姉ちゃん……性別年齢はバラバラ。出どころ不明の噂という訳ですか。分かりました、ありがとうございます。特別用心することはないと思いますが、気を付けますね」
「おーう、ほなまたなー」
大きく手を振って私たちを見送る男性。
私たちは、それに小さく頭を下げながら、工房を後にした。
クリスさんと二人、淡海で使用する珈琲豆の調達に出かけている。
なんでも、淡海で仕入れている豆は特別製なのだとか。
珠子さんがお店を継いでしばらく後、クリスさんが手伝いを始めた頃、今の淡海が出せる最高のブレンドを作ろうという話が持ち上がったらしい。
それまで使っていた豆も美味しいには美味しかったらしいのだけれど、正直言ってどこでも飲めるタイプの味だったようで。元は珈琲を楽しみつつも『食事やスイーツ』に力を入れていたお店だったらしく、珈琲自体にはそこまで拘りを持っていなかったという話だ。
そこで、せっかくだからと考え始めた二人だったけれど、それが随分と難航したらしい。あれでもこれでもないと、配合を変えては飲み、変えては飲み、と繰り返し、実に二年半の歳月をかけて出来上がったのが、今の味なんだそうだ。
配合が決まってからは、専門の業者に依頼し、特注しているとのこと。
「へぇ……以前、お二人で考えられた、という話は聞きましたけど、そんなに途方もない時間がかかっていたんですね」
「ええ、そういうことになります。同時に、それを寸分の狂いなく準備してくださる業者様の方にも感謝ですね」
クリスさんは温かく笑って言った。
「さて――見えてまいりましたね。あそこが、うちで使っている珈琲豆を拵えてくださっているお店『豆の木』さんです」
それはお店、というより、工場のような店構え。随分と年季の入った建物だ。
「お久しぶりです、信楽さん」
クリスさんが声を掛けたのは、店先にいた優しそうなお兄さん。
年齢も、クリスさんとそう離れていないように見える。
それに気が付いた男性も、クリスさんに笑顔で手を振って応える。
「おークリス、久しぶりやな。どないしたんや?」
「先日、お父様の方にご連絡致しました、うちの豆を頂きにまいりました。ご用意は出来ておりますか?」
「あー、それなら出来とるけど、何やつまらんなぁ。間に一日晴れ間はあった言うてもあんだけ続いた連日の大雨、それからやっと解放されたっちゅう記念にデートの誘いにでも来たんか思たわ」
「えっ!?」
男性の言葉に、つい私が反応してしまった。
二人の視線がぎょっと集まる。
「あんた――クリスの子か?」
「バイトの子やわ! 妹尾雫さん! 前に話したやろ、その子やその子! 冗談は軽い態度だけにしいや!」
男性の軽口に、クリスさんは頬を膨らませて怒る。
「あっはっは! 冗談や冗談、前に言っとった子やろ、分かっとる分かっとる」
「ほんまええ加減にせんと、そろそろ工房さんとの縁も切るで」
「悪い悪い、謝るさかい贔屓にしたってや」
慌てる様子もなく、男性は軽い調子で謝った。
この人の態度と同じように、クリスさんの言葉もまた、冗談のようなものなのだろう。
……じゃれ合い?
「あー笑った笑った。堪忍な、嬢ちゃん。クリスとは中高同じやったんや。で今や互いに店継ぐような立場や言うんやから、不思議な縁やと思わへん?」
「えっ? え、はい、そうですね……クリスさんがこれだけ砕けた話し方するのも、私初めて見ましたもん」
「せやろ? そろそろ結婚でも考えてくれたらええんやけど――」
「雫さん、お父様の方へ伺いましょう。この方はハズレです。大ハズレです。さっさと看板を下ろして欲しいものですね」
と、クリスさんは私の手を引き工房の中へと入ろうとする。
「ほう、それでええのか? ほなこの豆はどないしよかな――」
ニヤニヤと楽し気に笑いながら、わざとらしく掲げるそれには、黒いマジックで『淡海』と手書きされている。
特注、と話があったように、他には売りに出されていない証拠だ。
ふと、クリスさんの足が止まった。
「最初から出して頂けません? 面倒なんですよ、この時間。勿体ないったらありません」
「幼馴染のじゃれ合いやんかこんなん。たまにしか会わんのやしこれぐらい付き合ってや」
「面倒なじゃれ合いでなければ良いんですよ、もう。今日はバイトの子もいるんですから、あまり私のイメージダウンに繋がるような態度を取らせないでください」
「あはは、悪い悪い――っと、ほい、この袋に入っとるもん全部な。代金はもう珠子さんから貰っとるさかい」
「はいはい。ありがとうございます」
「おっ、何や素直に感謝されたわ」
「お仕事のことだけです。人間性はさておいて腕だけは、腕だけは、本当に腕だけは信用しているんですから」
「棘あるなぁ……嬢ちゃん苦労するやろ、クリスんとこで働くんは」
「い、いえ、そんな…! 凄く優しいし、まかないも美味しいですし……私には勿体ないぐらい良い環境です」
「はっはっは! そりゃ何よりやな! 頑張りや」
「は、はいっ!」
お礼を言いつつ頭を下げると、隣ではクリスさんが呆れたように苦笑いしながら息を吐いていた。
何だかんだと言いつつも、意外に良い相性だったりするんじゃないのかな。
「あ、そうやクリス」
歩き始めていた足を、男性の声が引き止めた。
何か、と二人して振り返る。
「最近、八幡堀の方で、何や女の幽霊の目撃情報があるらしいわ」
「幽霊、ですか? どのような?」
「さぁ、俺もよぉ分からんけど、常連のおっちゃんや姉ちゃんらが噂しとるんや。手だか頬だかに切り傷つけた、女の霊が出るんやーって。ふらふらとお堀の周りうろついとって、気が付いたら消えとるらしい。ここ数日やったかな、新しい話やわ」
「おっちゃんに姉ちゃん……性別年齢はバラバラ。出どころ不明の噂という訳ですか。分かりました、ありがとうございます。特別用心することはないと思いますが、気を付けますね」
「おーう、ほなまたなー」
大きく手を振って私たちを見送る男性。
私たちは、それに小さく頭を下げながら、工房を後にした。
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