千年巡礼

石田ノドカ

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第3章 『雪解け』

15.こんなことなら

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 けれど、

「ごめんなさい、ミツキ。少し遅くなってしまいました」

 受け止め、抱えたミツキを、優しい声で話しながら、すぐに降ろした。
 いつもと、雰囲気がまるで違う。
 早いところ降ろしたのも『それ』が原因なのだろうと空は直感した。

「さゆき――つめたい……?」

「ごめんなさいね、ミツキ。でもこれは、ミツキをいじめた悪い奴を懲らしめる為に、必要なことだから」

 触れた時のみならず、傍らに立っているだけでも感じる程の冷気。
 これまで妖魔と相対して来た時とは違う感覚に、ミツキも困惑した様子で紗雪を見上げている。

「わるいやつ……さゆき、あいつをやっつけにきたの?」

「いいえ。貴女と空くん、それからトコさんを助けに来たんですよ」

 そう言いながら、紗雪は一歩、大きく前に出た。

『おいおい雪女よぉ。お前じゃ俺様の相手は務まらねぇって教えてやったろうが。その餓鬼と言いお前と言い、鬱陶しいことはやめて、さっさとあのニンゲン出してくれやぁ』

 わざとらしく大仰な身振りで、妖憑は肩を落とす。
 それには構わないまま、紗雪はその傍らを通り過ぎると、空、そしてトコを抱きかかえた。

『おいおい――勝手なことしてんじゃねぇよ』

 予備動作もなく振るわれる攻撃。
 極限まで脱力した、それでいて確かな殺意の籠った拳。
 しかしそれは、

「――――あぁ?」

 空を切り、そこにいた筈の三つの姿までなくなっていた。

「さぁミツキ、空くん。監視所まで急いでください。トコさんを届けられますね?」

「わかった!」

 ミツキは元気よく頷くが、空は浮かない顔。

「で、でも、雪姉ちゃんは――」

「いいから、早く。私はアレの相手をしなければなりませんから、その間に一刻も早くユウと合流して、桜花に戻ってください」

「わ、分かった……母ちゃん、行くよ。おま――み、ミツキも、手を貸せよ…!」

「うん!」

 ふたりで肩を貸し、半ば引き摺るようにしてでも、トコを連れて何とか走り出す。

「ふふっ。なんだ、ちゃんと仲直り出来たんですね」

 ふわりと笑って、その小さく頼もしい背中を見送る。

『行かせるわけ――』

 その脇を通り過ぎようとする妖憑。
 次の瞬間、すぐ傍らにあった、取るに足らないと踏んでいた筈の妖気が、爆発的に強くなったことで思わず足を止め、向き直った。

『お前ぇ…そうか忘れてた、雪女だったよなぁ』

 妖気のみならず変化していた紗雪に、妖憑は不敵な笑みを浮かべる。

『可笑しいと思ったんだわ。雪女って言う割にゃあ、妖気が弱すぎる。俺様が殺して来たあいつらは、もっと遥かに強かったってなぁ。だが――』

 今一度、その姿に視線をくぐらせると、妖憑は僅かに眉をひそめた。

『なんだぁ、その姿は。妖気が強くなる雪女は五万と殺して来たが、姿形まで変わった奴は見たことがねぇ』

 瞳に映る姿と記憶とを照らし合わせても、思い出されるものはない。
 真っ白な肌、同色の髪、そこまではいい。
 しかし河岸での戦闘時、装束は確かに布で織られた物を来ていた筈だ。
 それが今は、薄く透ける、を纏っている。

「殺して来た、と仰るのなら、見たことがないのは当然のことですよ。何せこれ・・は、自身の持ち得る全ての妖気と引き換えの芸当なのですから」

『…………あ?』

 妖憑の目つきが変わった。

「随分と舐められていたようですが、多少は期待してくださっても構いませんよ」

『期待だぁ? それにお前、自分の言っていることが分かってんのか?』

 またも呆れたように言う妖憑。
 その答えとして、紗雪は意識を極限まで集中させ、一気に妖気を練り上げた。
 更に爆発的に跳ね上がる妖気――それに呼応するかのように、身に纏っていた氷の装束が分厚さを増した。

『氷が育ってんじゃねぇな。こいつぁ……』

 身に纏う装束から氷が生まれているのではなく、紗雪の周囲の空気が凍り、それが中心点である紗雪に結びつているように見える。

「私は、何も貴方を殺そうなどとは思っていません。そこまで身の程知らずではありませんから」

『あぁ?』

 ギロリと睨みつけられる圧にも負けじと、紗雪は更に限界まで妖気を練り上げ、もう一段階、周囲の温度を下げた。
 纏う装束は更に分厚さを増し、身体は霜を蓄える。

「貴方に勝ち目がないことくらい、自分が一番わかっています。だからと言って、それが諦める理由にはならないんですよ」

『じゃあ、どうやって俺様を足止めするってほざくんだぁ?』

「もう気付いているのでしょう? 殺せないのなら、それ以外の方法で勝てば良い。私に――雪女にだけ出来る、唯一の方法でね」

 強気に睨みつけると同時、紗雪は地面を強く踏み鳴らした。
 瞬間、冷気が岩窟全体へと拡がり、壁を、地面を、天井を、空間そのものを凍らせてゆく。

 まずい――そう思うのが、一瞬遅れた。

 妖憑が踏み出す頃には、出口へと向かう空間を埋め尽くす、分厚い氷が創り出されていた。
 迷わず全力で殴りつけるが、軽くヒビが入る程度で壊れはしない。

『ただの氷じゃねぇな……女ぁ、一体何しやがった?』

「それは私の妖気で創り出したものです。持ち得る妖気と意志次第で、継続させることも、瞬時に溶かすことも可能です」

『妖気か、そうか……やりやがったなぁ女ァ…!』

 振り返り、一層憎悪の籠った目で睨みつけるが、紗雪は最早、それに気圧されることはない。
 出入り口に氷を張れた時点で、構想していた作戦の半分は達成された。

「無論、相応の対価はございますが――なに、それより先に、貴方を氷漬けにしてしまえばいいだけのことです」

 わざと嘲笑うような言い方で吐き捨てながら、紗雪は気合十分に長巻を構える。

「我々雪女の力は、『氷の創造』ではなく『温度の掌握』です。まさか、知らなかったとは言いませんよね?」

『――面白ぇじゃねぇか、ゴミ女ァ……』

 嬉々として拳を構え、戦闘態勢に入る妖憑、紗雪は一番得意とする居合の型を取りながら、不敵に微笑んで見せた。

「殺せないのなら、『絶対零度』下に閉じ込めてしまえばいい。どうぞ、ご自分の拠点として逃げ場のない岩窟を選んだ、馬鹿で愚かなゴミ頭を存分に悔いてお逝きなさい」

『ちっとは気持ちよくさせてくれんだろぉなぁ、女ァ…!』

 我慢の限界を超えた妖憑は、一気に踏み込み、紗雪へ攻撃を仕掛ける。
 それに反撃する姿勢を取りながらも、紗雪は笑みを浮かべていた。

(ユウ。貴方は死なせません。ニンゲンの貴方では、どう頑張っても、この妖魔には敵いませんから)

 意識を強く、強く保つ。

(ですからせめて――せめて、私の命が繋ぐこの時間を使って、咲夜様にご連絡を。そしてどうか、妖などという奇異の存在は忘れて、元の幸せな暮らしに戻ってください)

 鞘へと納めた長巻を握り直すと、渾身の一撃を放たんとする妖憑と向かい合う。

(あぁ……こんなことなら、もっと早くに思いを伝えておくべきでした……)

 最後にふわりとほほ笑むと、振り下ろされる暴力に抗い、持ち得る力の全てを籠めて、長巻を振り抜いた。
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