千年巡礼

石田ノドカ

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第3章 『雪解け』

18.雪解け

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 遠目に見えた山麓の洞窟、その入り口の外にまで及ぶ氷は、紗雪が創り出したものでまず間違いはないだろう。
 そうであるのなら、まだ妖気が絶えていない道理。まだ手遅れではない。
 束の間、安堵しつつも、ユウは迷うことなくその氷を砕かんと刀を振り抜く。
 刹那――

 バキッ!

 大きな音を立ててヒビが入ったかと思うと、そこからヒビは拡大してゆき、刀が届くより速く砕け、細かな氷の粒へとその姿を変えてしまった。
 振り抜いた勢いそのままにユウは地面へと倒れ、少し引き摺ったところで静止した。
 鈍い痛みに耐えながらもすぐに起き上がると、その最奥目指し駆け出した。
 僅かな灯り――蝋燭か提灯か、誰かが火を焚いているのだろうか、灯りの漏れる方へと足を進める。
 そうして突き当たった、最奥で――

「あら、ユウ……はや、か――です、ね……」

 全身から血を流し、折れた足で立つ、紗雪の姿が目に入った。
 長巻を掴んでいた右腕ももはや力は入らないようで、滑り、床へと落としてしまう。
 左腕は、無い。

「ゆき、ね――」

「はい……? あぁ、これ――なら、わたし、あやかし……から、けが……すぐに、なお……す」

 口か喉か頭か、受けた傷が大きすぎて、言葉を発するのもままならない。

「そう、だ……わたし、ユウ……いわな……と、いけないこと……」

「ゆ、雪姉……」

「ユウ……わたし、あな……ずっと、す――」

『おらよ』

 低く短い言葉の後で、紗雪の首がちぎられた。
 音を立てて倒れる身体。
 頭部は中空――それを手にしているのは、件の妖憑、虎熊だった。
 持ち上げながら、つまらなさそうに溜め息を吐く。

『こうすりゃ治んねぇよな、さすがによぉ』

 嘲笑しつつ話す妖憑は、わざとユウに気付いたような素振りを見せると、手にしていた紗雪の頭をユウの傍らへと放り投げた。
 何を考えることも出来なくなってしまったユウは、視線だけでその顔を見やる。

 口元は動かない。
 目は半分開いたままで光も無い。

 息を、していない――

『雪女の秘術だって言うから、ちったぁ期待したのによぉ。あんま楽しめなかったわ、そいつ。まぁ――結果良しってなぁ、お前が来てくれたんだからよぉ』

「ゆ、き……」

『あぁ? まさかお前も壊れちまったのかよぉ? んだお前、ニンゲンだろ? 妖一匹死んだくれぇで悲しいってか? んなわけ無ぇよなぁ、ニンゲンがよぉ』

「雪、姉……」

『うるっせぇなぁ……さっさとあの力使えよ、なぁ!!』

 不意を突き、ユウに攻撃を繰り出す妖憑。
 頭蓋まで響くそのやかましい声に、ユウは、頭の中で何かが切れる音を聞いた。
 そうしてすれ違いざま――一本、腕が宙を舞った。

『おらおらぁ! さっさとしねぇと五体不満足に――――あぁ?』

 ポトリ、と落ちた腕を見やる。
 ニンゲンの腕じゃない。
 自分の腕だ。

 どうして。
 自分の攻撃で、引きちぎった筈だ。

 ……違う。

 すれ違いざま、千切ろうと掴んだ腕を斬られたんだ。
 どうやって――

 長巻を使って。
 ニンゲンが手にしているのは短刀じゃない。

『てめぇ……』

 向き直った相手は、気が付けば紗雪の亡骸へと歩み寄っている。
 手にしていたその頭をゆっくりと、横たわる身体の上へと置いた。
 そうしてゆらりと振り返るニンゲンの形相は、何の雑念も無く、ただ『殺す』という本能のみで獲物を狙う獣のように冷たい。

『……違うなぁ。獣のよう、じゃねぇ……お前、その目ぇ……』

 表情はなく、ただ真っ直ぐに自分のことを見据えるニンゲン。
 縦に細く伸びた真っ赤な瞳は、さながら狐のようである。

 狐のような表情と妖気――
 思い当たるものは、一つしかなかった。

「殺してやる――さっさと来い。時間の無駄だ」

 これが本当にあのニンゲンの声なのか――そう疑いそうになる程に、冷たく低く、感情の無い声。

『お前……やっぱりあの妖気を喰ってやがったのかぁ……あぁそれだ……それだ、それだ、それだそれだそれだぁぁぁあ!!』

 独り高揚し、身震いする妖憑。

『やりゃ出来んじゃねぇか、ええ!? もっとだ、もっと殺意を籠めろ! 高めろ!!』

 ひと際大きく吠えたところで、斬られてなくなっていた腕が再生した。
 しかしてユウは黙ったまま、ただ視線を寄越して立ち尽くすばかり。

『最っ高に上がって来たァ…! おら、さっさと殺り合おうやぁぁあ!!』

 昂る感情のまま、真っ直ぐに突っ込む妖憑。
 これまで通りなら、それで誰でも殺せてきたのだろうが、今ここに限っては、高揚感は無駄な感情だった。
 妖憑の拳を紙一重で避けたユウは、そのまま一歩、二歩とだけ歩き進む。
 なんだ、とばかり振り返り、続く二撃目を放とうとする妖憑。しかし、身体が思うように動かない。
 どころか姿勢を崩し、倒れかける始末。
 そこでようやく、片足の大腿に半分切れ目が入り、ぶらりと踊っていることに気が付いた。

『お前ぇ……』

 目で追えなかったどころか、斬られていることにすら気付かなかった。
 これまで味わったことのない『焦り』という感情に、妖憑は驚きつつも、更なる高揚感を得ていた。

『いいなぁ、お前……やっぱ最高じゃねぇか』

 纏わりつくような笑みにも、ユウは眉一つ動かさず、振り返るようなこともしない。
 その背後を取るようにして繰り出す攻撃も、ユウは簡単に躱してみせる。
 一度ならず二度、三度、四度――速度を、角度を、方法をかえてみようとも、ユウは決定的な傷がつかないよう避け、その度妖憑は一つ、ないし二つ新しい傷を負う。

 ますます焦りは強くなり、攻撃も単調になる妖憑。
 対してユウは、わざと決定的な攻撃を繰り出していない。
 なるべく多くの傷を、なるべく長い時間痛みを、なるべく強い恐怖を、与えられるだけ与えてから始末しようと。
 それは理性的な行動ではなく、自身の内から溢れて止まない怒りに身を任せた、その結果だった。

『く、っそが……何だ、何なんだぁお前はぁ…! 幾ら何でも可笑しいだろうがぁ、その妖気はよぉ…!』

 どれだけ怒号を飛ばそうとも。
 どれだけ攻撃を繰り出そうとも。
 ユウは一つも物言わず、ただ冷たく刃を振るい続ける。

『糞がぁ…! ニンゲンのくせによぉぉお…!!』

 怒りと焦燥感のままに拳を振るい続ける最中、

「はぁ……」

 短く聞こえた溜め息の後で、

「――――飽きた」

 心底つまらなさそうに、心底辟易したように、ユウが呟いた。

『あァ…!?』

 だらしなく聞こえた言葉に怒りを覚えたところで、突如として身体が宙に浮く感覚が襲う。
 慌てて見やった四肢が全て、瞬きの内に切り取られ、胴体だけが空中に取り残されているためだった。
 支えを失いバラバラと音を立てて落ちる身体を、中空から見送る妖憑の視線の先には、今身体を切り裂いた時の気だるげな雰囲気とは打って変わって、憎悪や殺意、ただただ負の感情を集め固めたような空気を纏い、長巻を構えるユウの姿。

 ――まずい――

 危惧した時には既に遅く。
 目の前がチカリと光った次の瞬間には、視界が揺らぎ、頭は宙を舞った。

 ゴロゴロと転がってゆく首。
 訳も分からず回り続ける景色。
 やがて止まり、回る視界で捉えたものは、それだけでは飽き足らず、抜いた刀を地面へと突き立てるように構えるユウの姿。
 その切先は、他でもない妖憑へと向けられている。

『やめっ――』

「死ね」

 こいねがう間もなく、無慈悲にも突き立てられる刀。
 刀身は、目玉から後頭部まで一気に突き抜けた。

『て、め……この糞――』

「……死ね」

 首だけで、いや口だけでのたうち回る妖憑に、一度引き抜いた刀を、もう一度突き立てた。
 それからも、

「死ね……」

 何度も、

「死ね…」

 何度も、

「死ね」

 何度も、

「死ね…!」

 何度も、

「死ね…!!」

 何度でも。

 呪詛を呟くが如く繰り返し吐き捨てながら、怒りの限り、持てる力の限り、何度でも刺し、斬りつけ、いたぶり続けた。
 その度、目玉が飛び、角が折れ、耳のように見える器官も削ぎ落ちて――最後には、それが頭であったのかさえ分からないくらいに、細かくなってしまった。
 粉微塵になったそれが、崩れ、風の中へと溶けるように霧散してからも、ユウはその場に刀を振るい続けた。
 手が止まったのは、限界を超えて普段は使わない長物を振り続けた腕が音を上げ、動かなくなってしまってからだった。

 斬り落としていた腕や足も、もう既に霧散してしまっている。
 怒りをぶつける対象もいなくなってしまった。

「――――――――はぁ……」

 いつからか止まっていた息を、大きく吐き出した。
 静寂が訪れても、頭は回らない。

 心、此処に在らず。
 ふらりと立ち上がると、ユウは必要なものを手に、洞窟から抜け出した。
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