黒猫は闇に泣く

ギイル

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第1章 黒猫の友人

城内

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血の匂いが鼻をつく。
蒸せ返るような悪臭と、転がった無数の死体が城の中に溢れかえっていた。
「何にもないね」
グラスの後ろでトゥクルがそう言った。
「何も・・・ですか?」
「・・・?逆に何があるの?」
トゥクルには見えていない。
グラスはそう直感した。
先に入った燈は優は、この惨状を見たのだろうか。
いや、それ以前に気がついてもいないかもしれない。
自身しか気づかない意味は。
おそらく涙哨石の影響下において人の視覚を操作できる能力者が存在するということだろう。
「何でもないです。それよりこの穴は何でしょう」
赤いタイルに似つかわしくない黒い円。
床に人が数人入れるほどの穴が口を開けていた。
どうやら地下まで繋がっているようだ。
「燈ちゃんが開けたんだろうね」
「何て大雑把な人なんでしょう」
独り言のように呟いた。
苦笑を浮かべたトゥクルを他所にグラスは穴の底を覗き込む。
「まさか飛び込むとか言わないよね?」
トゥクルの言葉にグラスは目を丸くした。
この時初めてトゥクルは、グラスの死んだ人間の様な表情が動いた気がした。
「飛び込まないんですか?」
まるで心外だ、とでもいうように言うグラス。
燈といいグラスといいどうしてこんなにも無茶をする女性が多いのかとトゥクルは内心頭を抱えた。
「深さがわからないのに飛び込むのは良くないと思う」
「大人のくせに馬鹿なんですね」
グラスは一言そういうと手頃な岩を手に取った。
トゥクルに見えるように翳してみせると、そのまま穴に向かって投げ込んだ。
数秒後、音が返ってくる。
「この高さだと四階分ですね」
「ぎりいけそう」
「貧弱な方ですね」
彼女に恐らく悪気はないのだろうが、しれっと馬鹿にしてくるのにはトゥクルも少し気に障る。
だが女性に言い返すことも癪なので聞き流すことに決めた。
「てか、下微妙に赤くない?」
微かに見える地下室は鈍い赤を吐き出している。
「涙哨石ですね」
その言葉にトゥクルはグラスの腕を掴み引き寄せた。
「それ君行ったら駄目なやつじゃない!?」
「問題ありません」
グラスはそう即答するもトゥクルの力は緩まない。
「いや、だって能力者は・・・」
「それくらい知っています」
「じゃあ・・・」
「私が能力だけで生きてきたとそうお考えですか?いくら十代だからと言って私は十字軍の一員です。幼い頃から能力が使えなくなった際の訓練は受けています」
早口で捲し立てるように、しかし淡々とグラスは言う。
怒りも焦りも感じさせない表情にトゥクルは静かに手を離した。
「能力が無くて戦えないようでは、すぐ死ぬ人間と同じです」
そう吐き棄てるとグラスは穴の元へと歩み寄る。
トゥクルは思わぬ事態に狼狽したもののグラスの隣に足並みを揃える。
「女の子はタフだね」
「男性が弱いだけだと思います」
軽口を叩きあう暇はない。
顔を見合わせると二人は同時に地面を蹴った。
「涙哨石が何故赤いか知っていますか?」
髪が靡き鼓膜に風の音が響いている。
「そういう色だから!」
声を大にして言うトゥクルにグラスは呆れた表情を浮かべた気がした。
「同盟の好で教えてあげましょう。涙哨石はその名の通り彼らの涙でできています」
彼ら、その言葉にトゥクルは眉を潜める。
「心当たりがないのは当然でしょう。彼らを知るのは極一部の人間です。彼らとは罪の子を指します」
「罪の子?」
「人からは忌み嫌われ世界に愛された子供のことです。その子供達の流す涙は体外に出ると形を変え涙哨石という物へ変化します」
しかしその仕組みや構成についてはまだ謎が多いとグラスは最後に付け加えた。
「そんな情報どこで手に入れるの?」
トゥクルの問いにグラスは一瞬黙り込む。
そして口を開いてこう言った。
「私達の秘密のお茶会です」
赤い光が視界を支配した。
瓦礫と共に散らばり、壁から無数に頭を出す涙哨石にトゥクルは顔を思い切り顰めた。
「触れたらバチってくるから嫌だよね」
なるべく涙哨石から距離を置く形でグラスは薄暗い部屋を散策していた。
壁に空いた複数の穴を確認し、更にもう一つの床に空いた穴を見てグラスは暫く間を置いた。
「ここまで道が多いと何処に行けばいいか分かりませんね」
「とりあえず下に降りてく?しらみ潰しに探す感じで」
薄っすらとだが光が灯った更に下層を指差す。
「いいですね」
迷う事無く飛び降りたグラスを追った。
「あーあ。これでもう戻れないかもね」
トゥクルは確かにそう聞いた。
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