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第3章 愚者の選択
1.王女の苛立ち
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「まったく! どうなっているのよ」
グランロゼ王国王城。その奥にある一室にパリンと高い音が鳴り響く。
部屋のテーブルについて、グラスを床に叩きつけたのはこの部屋の主。グランロゼ王国王女であるエカテリーナ・グランロゼである。
エカテリーナはいかにもお姫様とばかりに美しい顔立ちをしており、普段から人前で笑顔を絶やすことはない。
しかし、今日はその表情も怒りの一色に染まっており、荒ぶる感情のままに物に当たっていた。
「また負けたの! なんて使えないのかしら……あの無能勇者どもはっ!」
テーブルの上にはエカテリーナの部下が持ち込んだ報告書が広げられている。その内容こそが、彼女の怒りの原因となっていた元凶だった。
婉曲な言葉遣いで長々と書かれた報告書の内容を要約すると、『勇者が魔王種に戦いを挑んで敗北した』とのことである。
今から1週間ほど前、勇者のリーダー格である山名龍二が仲間を率いて魔王種の討伐に出かけた。
結果は敗北。龍二はグランロゼ王国に巣食う魔王種の一角――『狼王マルコシアス』に大敗して、這う這うの体で敗走することになったのである。
幸いなことに勇者の中から死者は出なかったものの、同行した兵士が大勢命を落とすことになってしまった。
今回の討伐を指示したのは、勇者を召喚したエカテリーナだ。つまり、最終的な責任者もまたエカテリーナということになってしまう。
兵士に被害が出たことも、軍事費を無駄にしたことも、全てはエカテリーナの失態として父王に報告されることになるのだ。
「これで3度目……! あの馬鹿ども、いったい何時になったら魔王を倒せるのよ! これじゃあ何のためにアイツらを召喚したのかわからないじゃない!」
勇者が魔王討伐に失敗するのはこれが初めてではない。マルコシアスには2度目の敗北。別の魔王種である『蟲王デカラビア』にも1度敗北していた。
敗戦を重ねるたびに軍事費をドブに捨てることになってしまい、エカテリーナの失点は積み重なるばかりである。
「ひ、姫様……」
怯えた声を漏らしたのは報告を持ってきた文官である。
女性の文官は烈火の表情をする主君に顔を引きつらせながらも、言いづらそうに顔を蒼褪めさせて口を開く。
「の、後ほど執務室に来るようにと、国王陛下がおっしゃっておりました。その……おそらく、今回の敗戦の説明を求めていらっしゃるのかと……」
「っ……!」
エカテリーナはキッと文官を睨みつけた。八つ当たりの矛先になった文官は蛇に睨まれた蛙のように凍りつき、ガタガタと身体を震わせる。
嗜虐欲をそそられる文官の姿に、エカテリーナは目の前の女を傷めつけたい衝動に襲われる。
しかし、相手は自分の部下や奴隷というわけではない。あくまでも王宮――もっと言えば国王に仕える臣下なのだ。
エカテリーナが憂さ晴らしのために折檻などしようものなら、すぐさま王に報告が行くことだろう。
「…………承知しましたと、父上に伝えなさい」
「っ……かしこまりました!」
エカテリーナは怒鳴りつけたい衝動を必死に堪えて、絞り出すように声を発する。
文官は救われたような安堵の表情になり、足早に部屋から出て行ってしまう。
エカテリーナはテーブルの上に置いてあったティーポットを手に取り、扉めがけて投げつける。
「このっ! このこのこのっ! これじゃあまたアイツらに差を付けられてしまうじゃない! 私が女王になれなかったらどうしてくれるのよ!? あの勇者ども!」
エカテリーナは椅子に腰かけた姿勢のまま、足でダンダンと床を踏みつける。
王女の居室である部屋にはエカテリーナ以外に誰もいない。身の回りの世話をしているメイドなどは、エカテリーナの怒りの気配を察して早々に逃げ出していた。
そもそも、エカテリーナが勇者を召喚して魔王種討伐を志した本当の目的は、魔物に奪われた領土を取り戻すことなどではない。
魔王種討伐の手柄によって、王の座を手に入れるという個人的な動機であった。
召喚された勇者が魔王種を倒せば、その功績は召喚者であるエカテリーナのものになる。
グランロゼ王国には現在2体の魔王種がいた。その両方を討伐することに成功すれば、他の候補者を押しのけて次期国王になれるかもしれない。
しかし――その計画は現在進行形で頓挫しつつある。
勇者の成長が想定よりも遅く、いっこうに魔王種が討伐できなかったからだ。
召喚された勇者達は特殊なスキルを有しており、さらにその成長ぶりはとても期待ができるものだった。
しかし――ある程度強くなってレベルの上昇が緩やかになると、そこから急に成長が止まってしまうのである。
例えば、勇者のリーダーである藤原光哉は1年間でレベル40にまで成長したものの、その強さはせいぜい騎士団長と同じ程度でしかない。
優秀といえば優秀なのだが、飛びぬけて圧倒的に強いというほどではなかった。
たった1年という短期間で王国でも1、2を争う実力者と対等になったのだから、すごい成長だと褒め称えるべきかもしれない。あと何年かすれば、伝説の英雄並みに強くなれるかもしれない。
しかし……すぐにでも功績が欲しいエカテリーナにとっては、その成長は緩慢すぎるものである。
父であるグランロゼ王は病に侵されており、医者からはあと数年の命だろうと宣告されているのだ。そして、父王が死ねば長兄である王子が後継者となってしまう。
つまりエカテリーナが女王となるためには、父王が死ぬまでの間に、兄を超越して後継者の座を奪い取るような功績が必要なのだ。
しかし――焦れば焦るほどに求めていた手柄は遠のくばかり。
無理なスケジュールで断行された魔王討伐は3度とも失敗に終わり、エカテリーナの失態として刻まれてしまった。玉座は遠のくばかりであった。
(これじゃあ私が女王になれないじゃない……! だったら、いっそのこと……!)
いっそのこと、兄を暗殺すればいい。
そう口にしようとして慌てて言葉を止める。どこに見張りやスパイがいるともわからないのだ。滅多なことは口にできない。
召喚された勇者らの中には暗殺に有用なスキルを持っている者もいるが、強力な手駒を持っているのは兄も同じだ。騎士団長や筆頭宮廷魔術師は兄の側についていることだし、容易く討ちとることはできないだろう。
それにライバルは兄だけではないのだ。
エカテリーナは3人兄妹の3番目であり、兄の他にも姉がいる。
兄王子を暗殺によって排除したところで、首謀者がエカテリーナであることが露見してしまえば、王位は姉の手に転がり込んでしまうだろう。
(いけませんわね。それあくまでも最終手段。それよりも、あの無能な勇者達を強くして今度こそ魔王種を倒さなければ……! そのためにはもっと資金が必要だというのに、まったくどうしてこのタイミングで……!)
エカテリーナは激しい焦燥から親指の爪を噛む。麗しの姫を必要以上に追い詰めている要因は他にもあった。
エカテリーナを支持して資金提供を行っていた貴族の1人が、先日、反逆者として捕らえられたのである。
裏で盗賊団を指揮して金品の略奪を行っていたその貴族は、つながっていた盗賊団が何者かに滅ぼされ、悪事の証拠を暴露されたことにより失脚してしまったのだ。
ちなみに、その盗賊団を壊滅させて支持者失脚の原因を作ったのは、エカテリーナによって追放された銭形一鉄だったりする。
エカテリーナが行った勇者召喚。そして、無能な勇者の追放という行動は明らかに己の首を絞めていたのだが、現時点でそのことには気がついていなかった。
「こうなったら、少し強引な手段を使ってでも彼らの成長を促すしかありませんね。お父様の目が届かない場所でしたら、多少の荒っぽいやり方も許されるはず……」
薄暗い笑みを浮かべて独り言ちながら、エカテリーナは椅子から立ち上がった。
一先ず、今回の敗戦について、父王への言い訳を考えなければいけない。
これから受けるであろう父親からの説教。そして、己を嘲笑っているだろう兄王子のほくそ笑む顔を思い浮かべながら、エカテリーナは悔しそうに唇を噛みしめたのであった。
グランロゼ王国王城。その奥にある一室にパリンと高い音が鳴り響く。
部屋のテーブルについて、グラスを床に叩きつけたのはこの部屋の主。グランロゼ王国王女であるエカテリーナ・グランロゼである。
エカテリーナはいかにもお姫様とばかりに美しい顔立ちをしており、普段から人前で笑顔を絶やすことはない。
しかし、今日はその表情も怒りの一色に染まっており、荒ぶる感情のままに物に当たっていた。
「また負けたの! なんて使えないのかしら……あの無能勇者どもはっ!」
テーブルの上にはエカテリーナの部下が持ち込んだ報告書が広げられている。その内容こそが、彼女の怒りの原因となっていた元凶だった。
婉曲な言葉遣いで長々と書かれた報告書の内容を要約すると、『勇者が魔王種に戦いを挑んで敗北した』とのことである。
今から1週間ほど前、勇者のリーダー格である山名龍二が仲間を率いて魔王種の討伐に出かけた。
結果は敗北。龍二はグランロゼ王国に巣食う魔王種の一角――『狼王マルコシアス』に大敗して、這う這うの体で敗走することになったのである。
幸いなことに勇者の中から死者は出なかったものの、同行した兵士が大勢命を落とすことになってしまった。
今回の討伐を指示したのは、勇者を召喚したエカテリーナだ。つまり、最終的な責任者もまたエカテリーナということになってしまう。
兵士に被害が出たことも、軍事費を無駄にしたことも、全てはエカテリーナの失態として父王に報告されることになるのだ。
「これで3度目……! あの馬鹿ども、いったい何時になったら魔王を倒せるのよ! これじゃあ何のためにアイツらを召喚したのかわからないじゃない!」
勇者が魔王討伐に失敗するのはこれが初めてではない。マルコシアスには2度目の敗北。別の魔王種である『蟲王デカラビア』にも1度敗北していた。
敗戦を重ねるたびに軍事費をドブに捨てることになってしまい、エカテリーナの失点は積み重なるばかりである。
「ひ、姫様……」
怯えた声を漏らしたのは報告を持ってきた文官である。
女性の文官は烈火の表情をする主君に顔を引きつらせながらも、言いづらそうに顔を蒼褪めさせて口を開く。
「の、後ほど執務室に来るようにと、国王陛下がおっしゃっておりました。その……おそらく、今回の敗戦の説明を求めていらっしゃるのかと……」
「っ……!」
エカテリーナはキッと文官を睨みつけた。八つ当たりの矛先になった文官は蛇に睨まれた蛙のように凍りつき、ガタガタと身体を震わせる。
嗜虐欲をそそられる文官の姿に、エカテリーナは目の前の女を傷めつけたい衝動に襲われる。
しかし、相手は自分の部下や奴隷というわけではない。あくまでも王宮――もっと言えば国王に仕える臣下なのだ。
エカテリーナが憂さ晴らしのために折檻などしようものなら、すぐさま王に報告が行くことだろう。
「…………承知しましたと、父上に伝えなさい」
「っ……かしこまりました!」
エカテリーナは怒鳴りつけたい衝動を必死に堪えて、絞り出すように声を発する。
文官は救われたような安堵の表情になり、足早に部屋から出て行ってしまう。
エカテリーナはテーブルの上に置いてあったティーポットを手に取り、扉めがけて投げつける。
「このっ! このこのこのっ! これじゃあまたアイツらに差を付けられてしまうじゃない! 私が女王になれなかったらどうしてくれるのよ!? あの勇者ども!」
エカテリーナは椅子に腰かけた姿勢のまま、足でダンダンと床を踏みつける。
王女の居室である部屋にはエカテリーナ以外に誰もいない。身の回りの世話をしているメイドなどは、エカテリーナの怒りの気配を察して早々に逃げ出していた。
そもそも、エカテリーナが勇者を召喚して魔王種討伐を志した本当の目的は、魔物に奪われた領土を取り戻すことなどではない。
魔王種討伐の手柄によって、王の座を手に入れるという個人的な動機であった。
召喚された勇者が魔王種を倒せば、その功績は召喚者であるエカテリーナのものになる。
グランロゼ王国には現在2体の魔王種がいた。その両方を討伐することに成功すれば、他の候補者を押しのけて次期国王になれるかもしれない。
しかし――その計画は現在進行形で頓挫しつつある。
勇者の成長が想定よりも遅く、いっこうに魔王種が討伐できなかったからだ。
召喚された勇者達は特殊なスキルを有しており、さらにその成長ぶりはとても期待ができるものだった。
しかし――ある程度強くなってレベルの上昇が緩やかになると、そこから急に成長が止まってしまうのである。
例えば、勇者のリーダーである藤原光哉は1年間でレベル40にまで成長したものの、その強さはせいぜい騎士団長と同じ程度でしかない。
優秀といえば優秀なのだが、飛びぬけて圧倒的に強いというほどではなかった。
たった1年という短期間で王国でも1、2を争う実力者と対等になったのだから、すごい成長だと褒め称えるべきかもしれない。あと何年かすれば、伝説の英雄並みに強くなれるかもしれない。
しかし……すぐにでも功績が欲しいエカテリーナにとっては、その成長は緩慢すぎるものである。
父であるグランロゼ王は病に侵されており、医者からはあと数年の命だろうと宣告されているのだ。そして、父王が死ねば長兄である王子が後継者となってしまう。
つまりエカテリーナが女王となるためには、父王が死ぬまでの間に、兄を超越して後継者の座を奪い取るような功績が必要なのだ。
しかし――焦れば焦るほどに求めていた手柄は遠のくばかり。
無理なスケジュールで断行された魔王討伐は3度とも失敗に終わり、エカテリーナの失態として刻まれてしまった。玉座は遠のくばかりであった。
(これじゃあ私が女王になれないじゃない……! だったら、いっそのこと……!)
いっそのこと、兄を暗殺すればいい。
そう口にしようとして慌てて言葉を止める。どこに見張りやスパイがいるともわからないのだ。滅多なことは口にできない。
召喚された勇者らの中には暗殺に有用なスキルを持っている者もいるが、強力な手駒を持っているのは兄も同じだ。騎士団長や筆頭宮廷魔術師は兄の側についていることだし、容易く討ちとることはできないだろう。
それにライバルは兄だけではないのだ。
エカテリーナは3人兄妹の3番目であり、兄の他にも姉がいる。
兄王子を暗殺によって排除したところで、首謀者がエカテリーナであることが露見してしまえば、王位は姉の手に転がり込んでしまうだろう。
(いけませんわね。それあくまでも最終手段。それよりも、あの無能な勇者達を強くして今度こそ魔王種を倒さなければ……! そのためにはもっと資金が必要だというのに、まったくどうしてこのタイミングで……!)
エカテリーナは激しい焦燥から親指の爪を噛む。麗しの姫を必要以上に追い詰めている要因は他にもあった。
エカテリーナを支持して資金提供を行っていた貴族の1人が、先日、反逆者として捕らえられたのである。
裏で盗賊団を指揮して金品の略奪を行っていたその貴族は、つながっていた盗賊団が何者かに滅ぼされ、悪事の証拠を暴露されたことにより失脚してしまったのだ。
ちなみに、その盗賊団を壊滅させて支持者失脚の原因を作ったのは、エカテリーナによって追放された銭形一鉄だったりする。
エカテリーナが行った勇者召喚。そして、無能な勇者の追放という行動は明らかに己の首を絞めていたのだが、現時点でそのことには気がついていなかった。
「こうなったら、少し強引な手段を使ってでも彼らの成長を促すしかありませんね。お父様の目が届かない場所でしたら、多少の荒っぽいやり方も許されるはず……」
薄暗い笑みを浮かべて独り言ちながら、エカテリーナは椅子から立ち上がった。
一先ず、今回の敗戦について、父王への言い訳を考えなければいけない。
これから受けるであろう父親からの説教。そして、己を嘲笑っているだろう兄王子のほくそ笑む顔を思い浮かべながら、エカテリーナは悔しそうに唇を噛みしめたのであった。
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