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のーが

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第2話

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 唐突だった慧の要求にも、敵の女性の顔色は変化しなかった。散々寝返りを示唆したのだから不思議ではないのかもしれないが。
 彼女の握っていた薙刀が、ようやく下ろされた。

「わかりました。それなら、争う必要もありませんね」

 いつの間にか、彼女の瞳から敵意が消えていた。それだけではない。彼女はまるで親しい友人を見つけたときのように慧へ歩み寄る。足元で水溜まりを弾き、柔和な笑みを浮かべながら。

「――ちょっと待て」

 片手で制すると、それまで反応の薄かった彼女は首を傾げた。

「どうかされましたか?」
「そりゃどうかもされるだろ。なぜ疑わない。こちらとしては好都合だが、根拠がない。不意を突かれて殺されるかもしれないだとか、普通はそういう心配をするものだ」
「殺すつもりですか、私を」
「いや……そのつもりなら、こんなふうに話したりしないだろ」
「じゃあいいじゃないですか。心配無用ってことですよね?」

 慧としては腑に落ちない。彼の申し入れは得体の知れないものであるはずだ。容易くは信用されず、裏があると疑われると踏んでいた。追求される内容を予測して、即答できるよう準備していたのに……それがまったく要らないという。
 刃を向けていたときには眼力だけで心臓を貫く形相だった彼女が、すっかり軟化した雰囲気を醸していた。

「初めて会った敵の言葉を信じるのか? どうしてそんなふうに信じられる」
「あなたは私が信じてくれると思ったから、私にお願いしたんですよね? だから疑いません」

 なんて単純な答え。誰かに騙された経験がないのだろうか。久しぶりに触れた純真無垢な心に、慧の口に苦い味が広がる。
 彼女は階段室のほうに目をやって、再び慧を見た。

「いつまでも雨に濡れていたら風邪を引いてしまいます。他の仲間たちを紹介しますので、下に行きましょう。あ、まだお名前を聞いてなかったですね。私は天谷鏡花あまやきょうかといいます」
「質問したくせに、お前が答えるのか」
「人に訊く前にまずは自分から。私のお父さんの教えです」

 調子の狂う相手に、ますます苦味が増していく。
 寝返った理由も訊かず、彼女は名前を知りたいといった。冗談だろう。
 慧は理解に苦しむが、鏡花は心の底から信じてくれているようだった。そこに不都合はない。価値のない要求に応じるだけで信頼が強固になるのであれば、拒む必要もない。

「上倉だ。どれほどの付き合いになるかわからないが、よろしく頼む」
「こちらこそ。これからよろしくお願いしますね、上倉くん」

 背を向けて平然と歩き出した鏡花のあとを、三歩分の間を空けて慧が追随する。
 暗い空に、銃声はもう聞こえない。
 耳に届く雨音も、階段を降りるにつれて徐々に遠くなっていった。
 
   ◆
   
 屋上での会話以来、慧と鏡花は言葉を交わさなかった。一階に到達する。視界の端に、長年過ごしてきたアジトの入口が映った。外の世界は、電気の通っていない建物内よりは幾分明るい。雨はもう止んでいた。
 入口付近に二人の男女が佇んでいた。ふたりともタオルで濡れた髪を拭っていたが、目が合うなり手を止めた。
 男性のほうは無感動に慧を見据えている。女性のほうは、敵意剥き出しといった具合に、鋭利な眼光で睨みつけた。ふたりとも、鏡花と同じ制服を着ている。
 鋭い目つきのまま、女性のほうが慧の隣にいる鏡花を見た。

「鏡花、そいつ敵でしょ? なんで野放しにしてんの?」

 身体は小柄だが、声には迫力があった。一本に結われた長い髪が、内に秘める自信を感じさせる。

「敵を自由にさせとくなんて正気じゃない。理由を説明しなさいよ。どうしてそんな平気でいるわけ?」
「上倉くんは敵ではないですよ。私たちの新しい仲間です」
「なに? 知り合い?」
「いいえ。さっき会ったばかりです」

 片方の眉を吊り上げる女性は、わけがわからない、と言いたげだ。慧としても同感だった。彼をすんなりと受け入れた鏡花のほうが異常で、拒むほうが正常な反応なのだ。

「吉永さん、一旦落ち着こう。野放しにされている彼をよく見てごらん。敵意を感じるかい? 僕は感じないね。屋上で何かあったのさ。そうだよね、君」

 もうひとりいた銀髪の背の高い男性に、冷静な口調で尋ねられる。

「お前の相方からは、親の仇でも見るような視線を受けているがな」
「はァ……? このあたしを挑発するとはいい度胸じゃないの。鏡花とどういう話をしたのか知らないけど、あたしには関係ないわ。アンタも外にいるお仲間たちと一緒に、ここで覚めない眠りにつく?」
「連中を仲間だと思っていたら、こんなふうに寝返ったりはしない。それくらいわからないか?」
「……なんなの? なんなのよアンタッ!」

 語気を荒げた彼女が、苛立ちを隠そうともせず大股で靴音を立てながら寄ってくる。

「信用されたいなら言葉を慎みなさいよッ! あたしを侮辱するつもりなら容赦しない。ここで終わらせてあげる。今日という日を、アンタの人生最悪にして最後の日にしてあげるからッ!」
「俺はお前たちの小間使いになりたくて寝返ったんじゃない。信用はしてもらいたいが、頭を下げるつもりはない。同じ目的を達成するために、力を貸そうとしているだけだ」
「偉そうに。戦いもせず投降したんでしょ? よくそれで対等なんて言えるわね」
「悪いが、安い挑発には付き合えん。腕試しがしたくて鏡花に申し入れをしたわけじゃないからな」
「ふぅん、そう」

 掴みかかってきそうな剣幕だった彼女はつまらなそうな顔になり、慧ではなく、部外者のように状況を観察している鏡花に視線を投げる。

「じゃ、アンタに説明してもらおうかしら。どんな話があって、敵のこいつが無傷で勝手にふるまってるか」
「僕としても気になるね。天谷さん、これはどういうことだい? 連絡も取れず、合流したら敵であるはずの男と一緒にいるんだ。説明すべき事情があるのだろう?」

 離れた位置から動こうとしない銀髪の男もまた、同調して鏡花に問いかける。彼に言われて、鏡花は何事かを思い出した様子で制服のポケットから小型の機械を取り出した。耳にかけるフックのついた、ワイヤレスのイヤホンマイクだ。

「あ、電源を切ったままでした。戦うときは邪魔だから外してるんです。上倉くんとは戦いになると思ってましたから。ごめんね、唐沢くん」
「謝るほどのことではないよ。僕たちにソレを支給した社長は、意図した通りに運用してくれなくて悲しむかもしれないけどね。それより、上倉くんというのが彼の名前かな?」
「はい。私たちと一緒にフリーフロムと戦ってくれると約束してくれました。上倉くん、紹介しますね。こちらにいるふたりは、女の子が吉永琴乃よしながことのさんで、男の子が唐沢俊平からさわしゅんぺいくん。ふたりとも、私の所属するAMYサービスという会社の同僚です」
「待ちなさい」

 紹介を受けた琴乃が、不服そうに口を挟む。

「まだこいつが手を貸すわけを聞いてないわ。どうして寝返ったのよ? 何が目的であたしたちに手を貸すわけ?」
「上倉くんは、私たちの仲間になりたいそうです」
「話にならないわ。何度も言うけど、そいつは敵なのよ? あたしたちを騙して、油断したところで襲いかかってくるに決まってる。そんな簡単に信用するわけ? 理由も確認しないで? おかしいわよッ!」

 自分が疑われているのに、まともな人間がいてくれて良かったと慧は感じていた。どれだけ優れた存在でも判断を間違うことがあるのだから、対立する意見を言ってくれる者がいて、客観的に正しさを評価するのは大切だ。この場合、慧は疑われるべき、が正しいだろうから、彼としては少々複雑な心境だが。

「騙すつもりなら私はもう殺されています。それに私は、上倉くんを信じていますから」
「な、なんでよ!? アンタたち初対面なんでしょ? なんで会ったばかりの、しかも敵対してる奴の言葉を信用なんてできるのよっ!」
「私には、上倉くんが悪い人に見えないんです」
「……」
「……」
「…………え、それだけ?」
「はい」

 またもや慧は琴乃から不倶戴天の敵を見るように睨まれるが、今のは完全にとばっちりだ。
 正直、彼は面倒になってきていた。慧自身が話したところで納得してもらえないのだろうが、このまま鏡花に任せていては日が暮れそうだ。

「琴乃、だったか。理詰めで考えることが最適じゃない場合だってある。お前も鏡花と同じように、直感に従ってみたらどうだ? 俺を信じれないか?」
「なに馴れ馴れしく名前で呼んでんのよッ! キモいから喋りかけないでッ!」

 ――なんて、ひどい。

 気に障る発言をしたつもりはないが、慧は口も聞きたくないほどの嫌悪感を与えてしまっていた。原因について、彼はまるで見当がつかなかった。
 それにしても、喋りかけるなと言われてはどうしようもない。どうすべきか困っていると、両腕を組んでいた俊平が慧に顔を向けた。

「僕は信じよう。天谷さんのこういう行動は、今日が初めてというわけでもない。それで僕たちが窮地に陥ったことだってないしね」
「お前とは、いい友人になれそうだ」
「そうかな? それを決めるのは僕か、それとも君か、はたまた世界か。針を動かすのは誰か、その一点には興味があるね」
「前言を撤回してもいいか?」
「消せないさ。人は生涯、時を重ねるたびに増える過ちと寄り添っていくしかないのだから」

 ――この男、かなりイかれている。

 一番まともそうな奴に限って、一番おかしかったりするものだ。慧は圧倒されて、気の利いた返答が欠片も思いつかなかった。顔に苦味まで浮かぶ。俊平とは距離を置いて付き合うべきかもしれない。

「ともあれ、まずは帰還しよう。この建物の横に車をつけてあるから、上倉くんも乗ってくれ。君の分のタオルもあるよ。予備のやつがね」
「上倉でいい。友人だろ?」
「なら、そう呼ばせてもらうよ。上倉、吉永さんと天谷さんも、続きは車のなかで話そう」

 雨を浴びて荒れ果てた土地を、慧の新しい友人が歩いていく。
 行く手の端々に、慧と一緒に暮らしていた者たちの亡骸が転がっている。俊平はそれら一つ一つに目を向けた。無防備なのに隙がないように錯覚する後ろ姿に、慧が追随する。
 慧は、亡骸を見なかった。

「ところで、車は誰が運転するんだ? 他に仲間がいるのか?」
「安心してくれ」

 この男は質問にイエスかノーで答えられない性質らしい。俊平は首をまわして慧を見ると、得意気に微笑を作った。少し腹の立つ顔だ。慧はほんのわずかばかりのストレスを感じた。
 制服の胸ポケットに手を入れて、俊平は車のキーホルダーを人差し指に引っ掛けて取り出す。それを指先でくるくると鬱陶しく回転させた。

「運転するのは僕さ。ファーストクラスに勝るほど快適に、君を送り届けよう」

 後ろからついてきていた鏡花と琴乃の反応を窺う慧。鏡花は楽しげに身体を揺らしていて、琴乃は小さくため息をついた。

「そいつのお気に入りよ」

 何が、とは訊かなかった。
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