エスメラルドの宝典

のーが

文字の大きさ
31 / 47

第31話

しおりを挟む
 ――なんなの、あの女。

 アジトに帰還した千奈美は、慧の殺害を阻んだ長髪の女性を思い出す。
 彼女さえいなければ完遂できた。終わりにできたはずなのに。
 思いに耽れば、怨嗟は深さを増すばかり。

 ――違う。

 邪魔されて苛立つ千奈美だが、目を背けてはならない事実もある。
 殺せなかったのは、妨害だけが理由ではない。
 最後に銃を向けたとき、彼女は彼を撃ち抜けた。
 当たらなかったのではない。当てなかったのだ。彼女が、彼女自身の意志で拒んだから。

 言い訳はあった。それが言い訳にならないともわかっていた。
 鏡花に余計なことを指摘され、感情が蘇ってしまったのだ。
 殺したい欲に嘘はない。恩人を最悪の形で裏切った彼への憎しみは深い。
 だが八年間という時間は長すぎた。彼と育んだ思い出のすべてが偽りで、無価値なゴミ。そう決めて千奈美は忘れようとしたが、数日で記憶から消えるほど浅くはなかった。
 初対面の鏡花は、千奈美が捨てようとする感情を見透かした。大切なモノであるはずだと、思いださせた。
 鏡花さえいなければ、慧への想いが蘇ることもなかった。

 ――それも、違う。

 割り当てられた部屋のベッドに座り、千奈美は古びた電灯の下でかぶりを振る。
 認めたくないが、認めなくてはならない。
 忘れられるわけがないのだ。
 千奈美の胸に渦巻く慧への憎悪は本物だ。彼を消してしまいたい。胸の内から湧き上がる殺害欲求が、繰り返し彼女を刺激する。
 彼の殺害は藤沢のためになる。ならば、千奈美の選択も決まっている。

 彼を殺しても、過去の幸せまでがなくなるわけではない。それに気づけなかったから迷ったのだと、千奈美は自己を分析した。結果的に殺しあう関係となってしまったが、彼の生涯の全部を憎むことはない。
 何もかも否定しようとしたから、矛盾に迷った。鏡花はその弱点を的確に見抜いた。

 ――得体の知れない奴……。

 AMYサービスに寝返った慧の隣には、いつも鏡花がいる。
 新たなアジトを偵察に来たときも、慧を急襲したときも、彼女は慧のそばに立っていた。AMYサービスの本拠地で慧に向けられた刀も、鏡花が彼に手渡した。
 フリーフロムにいた頃、慧の隣にいたのは千奈美だ。彼を守ることもサポートすることも千奈美の役目だった。彼女はその立場が好きだった。心の支えになってくれる慧に、恩返しができている気がしていたから。
 だけど、本当はもっと単純。ただ隣にいるだけで嬉しかった。
 それなのに、鏡花は何食わぬ顔で代わりを務めている。慧も彼女には心を許している。千奈美はそう決めつけずにはいられない。でなければ、常にそばに置くなんてありえない。
 ともすれば、男女の間に芽生える特別な感情さえも――

「ふざけないで……ッ」

 頭に浮かんだあまりに許せない可能性。耐えるように握られる千奈美の拳が軋む。
 呻き声をあげた。行き場のない怒りを抑えようと額を両手で抱え込む。

 ――……認めよう。

 慧には未練がある。慧を殺す覚悟が足りていない。
 彼に対する本心を認める。そのうえで、決意しなければならない。
 彼女の知る慧はどこにもいなくなった。彼は変わってしまい、戻ることはない。
 独りになってもいい。本来なら失われていたはずの命。なにかを手に入れられるほど、自由を許される立場ではない。
 生涯をフリーフロムに尽くす。恩人のためにも、それ以外にありえない。
 恩人の脅威となる裏切り者の首は狩るしかない。
 彼に、愚かな選択を後悔させるためにも。

 千奈美はベッドから立ち上がる。安価な木製の机に置かれていたナイフを手に取り、ホルダーから刃を抜く。鈍く輝く刀身に彼女の瞳が映った。
 その瞳は、歪んでもいなければ笑ってもいない。標的を殺すという目的を遂げるためだけに在るようだ。
 今日の深夜には、各地に散らばるフリーフロムの構成員が本拠地に集結する。しかし藤沢は当初の予定を変更して、あさっての早朝に総力を挙げてAMYサービスの邸宅を奇襲すると決めた。雇った傭兵の到着が明日となるためだ。
 千奈美でも仕留めきれない相手が敵にいるならば、フリーフロムのみでは不安がある。武器はあれども、宝典魔術師は千奈美しかいないのだ。やむを得ず藤沢は計画の変更に踏み切った。
 いずれにしても、襲撃の際に慧と千奈美は対峙する。

 ――もう、同じ失敗は繰り返さない。

 千奈美は後頭部に手をまわす。髪をまとめていたゴムを外した。ほどけた髪から汗の臭いが広がる。構わず握り束にして、ナイフを下から当てる。
 決別のためだ。
 慧が変わってしまったのなら、自分も変わらなければならない。
 慧の知る姿でなくなれば、迷いを完全に断ち切れる気がした。

 ――……。

 彼女はナイフを動かさなかった。
 束ねていた髪を解放する。指の隙間から、一本一本が流れ落ちる。
 手にしていたナイフをホルダーに戻し、元あった場所に置いた。

 形にしなければ気が済まないなんて情けない。千奈美は自分の弱さに嫌気がさした。
 そんなことをせずとも、もう迷ったりはしない。
 掲げた決意は揺らがない。
 入口のドア付近にあるスイッチを押して、千奈美は部屋を消灯した。ベッドに身体を預ける。
 昨夜と同じく、今日も眠れそうになかった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

【完結】魔王を殺された黒竜は勇者を許さない

綾雅(りょうが)要らない悪役令嬢
ファンタジー
幼い竜は何もかも奪われた。勇者を名乗る人族に、ただ一人の肉親である父を殺される。慈しみ大切にしてくれた魔王も……すべてを奪われた黒竜は次の魔王となった。神の名づけにより力を得た彼は、魔族を従えて人間への復讐を始める。奪われた痛みを乗り越えるために。 だが、人族にも魔族を攻撃した理由があった。滅ぼされた村や町、殺された家族、奪われる数多の命。復讐は連鎖する。 互いの譲れない正義と復讐がぶつかり合う世界で、神は何を望み、幼竜に力と名を与えたのか。復讐を終えるとき、ガブリエルは何を思うだろうか。 ハッピーエンド 【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ 2024/03/02……完結 2023/12/21……エブリスタ、トレンド#ファンタジー 1位 2023/12/20……アルファポリス、男性向けHOT 20位 2023/12/19……連載開始

裏切られ続けた負け犬。25年前に戻ったので人生をやり直す。当然、裏切られた礼はするけどね

魚夢ゴールド
ファンタジー
冒険者ギルドの雑用として働く隻腕義足の中年、カーターは裏切られ続ける人生を送っていた。 元々は食堂の息子という人並みの平民だったが、 王族の継承争いに巻き込まれてアドの街の毒茸流布騒動でコックの父親が毒茸の味見で死に。 代わって雇った料理人が裏切って金を持ち逃げ。 父親の親友が融資を持ち掛けるも平然と裏切って借金の返済の為に母親と妹を娼館へと売り。 カーターが冒険者として金を稼ぐも、後輩がカーターの幼馴染に横恋慕してスタンピードの最中に裏切ってカーターは片腕と片足を損失。カーターを持ち上げていたギルマスも裏切り、幼馴染も去って後輩とくっつく。 その後は負け犬人生で冒険者ギルドの雑用として細々と暮らしていたのだが。 ある日、人ならざる存在が話しかけてきた。 「この世界は滅びに進んでいる。是正しなければならない。手を貸すように」 そして気付けは25年前の15歳にカーターは戻っており、二回目の人生をやり直すのだった。 もちろん、裏切ってくれた連中への返礼と共に。 

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

女神の白刃

玉椿 沢
ファンタジー
 どこかの世界の、いつかの時代。  その世界の戦争は、ある遺跡群から出現した剣により、大きく姿を変えた。  女の身体を鞘とする剣は、魔力を収束、発振する兵器。  剣は瞬く間に戦を大戦へ進歩させた。数々の大戦を経た世界は、権威を西の皇帝が、権力を東の大帝が握る世になり、終息した。  大戦より数年後、まだ治まったとはいえない世界で、未だ剣士は剣を求め、奪い合っていた。  魔物が出ようと、町も村も知った事かと剣を求める愚かな世界で、赤茶けた大地を畑や町に、煤けた顔を笑顔に変えたいという脳天気な一団が現れる。  *表紙絵は五月七日ヤマネコさん(@yamanekolynx_2)の作品です*

クラス転移したからクラスの奴に復讐します

wrath
ファンタジー
俺こと灞熾蘑 煌羈はクラスでいじめられていた。 ある日、突然クラスが光輝き俺のいる3年1組は異世界へと召喚されることになった。 だが、俺はそこへ転移する前に神様にお呼ばれし……。 クラスの奴らよりも強くなった俺はクラスの奴らに復讐します。 まだまだ未熟者なので誤字脱字が多いと思いますが長〜い目で見守ってください。 閑話の時系列がおかしいんじゃない?やこの漢字間違ってるよね?など、ところどころにおかしい点がありましたら気軽にコメントで教えてください。 追伸、 雫ストーリーを別で作りました。雫が亡くなる瞬間の心情や死んだ後の天国でのお話を書いてます。 気になった方は是非読んでみてください。

東京ダンジョン物語

さきがけ
ファンタジー
10年前、世界中に突如として出現したダンジョン。 大学3年生の平山悠真は、幼馴染の綾瀬美琴と共に、新宿中央公園ダンジョンで探索者として活動していた。 ある日、ダンジョン10階層の隠し部屋で発見した七色に輝く特殊なスキルストーン。 絶体絶命の危機の中で発動したそれは、前代未聞のスキル『無限複製』だった。 あらゆる物を完全に複製できるこの力は、悠真たちの運命を大きく変えていく。 やがて妹の病を治すために孤独な戦いを続ける剣士・朝霧紗夜が仲間に加わり、3人は『無限複製』の真の可能性に気づき始める。 スキルを駆使して想像を超える強化を実現した彼らは、誰も到達できなかった未踏の階層へと挑んでいく。 無限の可能性を秘めた最強スキルを手に、若き探索者たちが紡ぐ現代ダンジョンファンタジー、ここに開幕!

酔っぱらったせいで、勇者パーティーを洗脳してしまった

透けてるブランディシュカ
ファンタジー
悪友のせいで酔ったら。(※重複投稿しています)仲仁へび

処理中です...