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第33話
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慧は一日の大半を自室で過ごした。窓から差していた陽光は赤く染まり、夜が訪れる。
夕食前、引き篭もってばかりいるのも不健康かと思い、慧は邸宅の外に出た。玄関を出て建物の側面をまわり、裏庭に向かう。そこならば誰もいないと思った。人に会いたい気分ではなかった。
ところが先客が一名、邸宅の壁に背を預けて佇んでいた。まだ火をつけたばかりの煙草が彼の指に挟まれている。
男のほうが早く気づいていた。彼は興味深そうな眼差しを向けた。
「慧くんか」
名前を呼ばれ、慧は悠司に近寄る。
「どうだい? ここでの生活には慣れたかな?」
「温かい飯に、柔らかい布団。こんな場所で暮らせる日が来るとは、一週間前の俺にいっても信じないだろうな」
「そうか。しかしね、それは別段恵まれたことじゃない。我々人間の営みにおいて、受けて当然の在り方だ」
ここが恵まれているのではなく、これまでが恵まれていなかった。当たり前すらも許されない生活を強いられてきたのだと、悠司はそう語る。
「AMYサービスの雰囲気にも驚いたな。組織というのは司令塔たるトップがいて、絶対的な力で部下たちを統率すべきだと、そう思っていた。だが、ここでは社長はただの飾りだ。指令を出すばかりじゃなく、異論も汲んでくれる。部下と上司が、良好な協力関係を築いている」
「それが私の理想とする関係だからね。間違ってると思うかな?」
大勢の意見は混乱のもとだ。組織を管理する者は、確固たる意志のもとに自らの判断で支配しなければならない。
フリーフロムはボスである藤沢智弘によって統制されている。その方向性はともかくとして、やり方は正しいのではないかと慧は評価していた。
「わからん。だが、こんな組織があってもいいとは思う。藤沢も社長のような考えを持っていればな。その場合、フリーフロムはとうに解散していて、俺は今頃どこかで平穏に暮らしていたかもしれん」
「それは素敵な世界だね。そうなっていたら、私と君が出会うこともなかったわけか。気を悪くさせるつもりはないけど、私は君の歩んできた道に感謝したいね」
冗談なのか本気なのか。飄々とした態度からは真意が判然としない。
くわえていた煙草を口元から離す。悠司はゆっくりと息を吐き出した。
白く曇った煙が、星の瞬きの見えない曇天の夜空に溶けていく。
「慧くん。君は〝彼女〟をどうしたい?」
「……今朝は惚けていたのか。鏡花からか?」
「鏡花からは聞いてないよ。単なる私の勘だ」
「つくづく恐ろしい親子だな。人の隠し事を看破したうえで、それを悟られぬよう偽装するとは」
「慧くんにとっては厄介かもしれないけど、親にとっては嬉しいものだよ。子供が自分に似るっていうのはね。それで、君は九条千奈美を助けたいのかい?」
直接的な言い方に切り替える。慧は、それに付き合うつもりはない。
「口にしたところでどうする。詮なきことだ」
「断られてしまっているのだから、思い通りにとは厳しいだろうね。どうして救いたいのか、彼女に伝えたのかい?」
「必要と判断すれば、次に会ったときには伝える」
「ふむ。そういうわけか。君たちが目に見えない絆で繋がっているのなら、それでも心配ないのかもしれないね」
何をいいたいのか。慧はAMYサービスの長を訝しげに凝視する。
悠司は部下の視線をよそに、暢気な手つきで短くなった煙草をうまそうに吸った。
「けどね、慧くん。私も君も彼女も、心で通じる前に眼で見る人間だ。盲目なら話は別だけど、見えているモノを無視はできない。裏でどう思っているかは別として、表面上では君と彼女は敵同士だ。君の心が彼女の心に届いたとしても、どうしたって人間は〝見えるもの〟を優先してしまう。敵と認識された君が、彼女の組織への忠誠に勝つのは極めて困難だろう。思い通りとならなかった場合、君は彼女をどうする?」
彼がそれを心配されるのは二度目。そろって他人の心配をするとは、お節介な親子だ。
問いかけに答えようとして、慧は自分を殺そうとした阿久津の言葉を思い出す。
『てめぇを殺すのも嫌だったんだ、俺は』
そうしなければ、守りたいモノを守れなかったから。慧は手にかけた男に同情した。
理想通りにならなければ、千奈美をどうするか選ばなければならない。阿久津が、慧に対して決断したように。
「――ああ、やっぱりいいよ、答えなくて。君のしたいようにすればいい。ここで私と共有してしまったら、変な意地が生まれてしまうからね。濁った感情では誤った判断を下しかねない」
悠司は煙草の火を消し、おもむろに歩き出す。慧の横を素通りした。
拍子抜けしたまま、慧は視線だけで背中を追う。
建物の陰に消える直前、悠司は振り返った。冗談の混じらない真剣な瞳が慧を映す。
「不幸な結末にならないよう、祈っているよ」
悠司の姿が見えなくなった。
去り際の台詞に、慧は思わず笑みをこぼす。
「その祈りが、叶えばいいんだがな」
自嘲するように呟き、慧は踏み出した。
今夜は星が見えない。流れ星に願いを託せそうにないが、叶えるのは彼自身だ。
描く憧憬を現実の風景とするためには、行動するより他にない。
AMYサービスが手を引くなら、選ぶべきは一つ。
慧が戦いを続けるには、組織を抜けるしかなかった。
夕食前、引き篭もってばかりいるのも不健康かと思い、慧は邸宅の外に出た。玄関を出て建物の側面をまわり、裏庭に向かう。そこならば誰もいないと思った。人に会いたい気分ではなかった。
ところが先客が一名、邸宅の壁に背を預けて佇んでいた。まだ火をつけたばかりの煙草が彼の指に挟まれている。
男のほうが早く気づいていた。彼は興味深そうな眼差しを向けた。
「慧くんか」
名前を呼ばれ、慧は悠司に近寄る。
「どうだい? ここでの生活には慣れたかな?」
「温かい飯に、柔らかい布団。こんな場所で暮らせる日が来るとは、一週間前の俺にいっても信じないだろうな」
「そうか。しかしね、それは別段恵まれたことじゃない。我々人間の営みにおいて、受けて当然の在り方だ」
ここが恵まれているのではなく、これまでが恵まれていなかった。当たり前すらも許されない生活を強いられてきたのだと、悠司はそう語る。
「AMYサービスの雰囲気にも驚いたな。組織というのは司令塔たるトップがいて、絶対的な力で部下たちを統率すべきだと、そう思っていた。だが、ここでは社長はただの飾りだ。指令を出すばかりじゃなく、異論も汲んでくれる。部下と上司が、良好な協力関係を築いている」
「それが私の理想とする関係だからね。間違ってると思うかな?」
大勢の意見は混乱のもとだ。組織を管理する者は、確固たる意志のもとに自らの判断で支配しなければならない。
フリーフロムはボスである藤沢智弘によって統制されている。その方向性はともかくとして、やり方は正しいのではないかと慧は評価していた。
「わからん。だが、こんな組織があってもいいとは思う。藤沢も社長のような考えを持っていればな。その場合、フリーフロムはとうに解散していて、俺は今頃どこかで平穏に暮らしていたかもしれん」
「それは素敵な世界だね。そうなっていたら、私と君が出会うこともなかったわけか。気を悪くさせるつもりはないけど、私は君の歩んできた道に感謝したいね」
冗談なのか本気なのか。飄々とした態度からは真意が判然としない。
くわえていた煙草を口元から離す。悠司はゆっくりと息を吐き出した。
白く曇った煙が、星の瞬きの見えない曇天の夜空に溶けていく。
「慧くん。君は〝彼女〟をどうしたい?」
「……今朝は惚けていたのか。鏡花からか?」
「鏡花からは聞いてないよ。単なる私の勘だ」
「つくづく恐ろしい親子だな。人の隠し事を看破したうえで、それを悟られぬよう偽装するとは」
「慧くんにとっては厄介かもしれないけど、親にとっては嬉しいものだよ。子供が自分に似るっていうのはね。それで、君は九条千奈美を助けたいのかい?」
直接的な言い方に切り替える。慧は、それに付き合うつもりはない。
「口にしたところでどうする。詮なきことだ」
「断られてしまっているのだから、思い通りにとは厳しいだろうね。どうして救いたいのか、彼女に伝えたのかい?」
「必要と判断すれば、次に会ったときには伝える」
「ふむ。そういうわけか。君たちが目に見えない絆で繋がっているのなら、それでも心配ないのかもしれないね」
何をいいたいのか。慧はAMYサービスの長を訝しげに凝視する。
悠司は部下の視線をよそに、暢気な手つきで短くなった煙草をうまそうに吸った。
「けどね、慧くん。私も君も彼女も、心で通じる前に眼で見る人間だ。盲目なら話は別だけど、見えているモノを無視はできない。裏でどう思っているかは別として、表面上では君と彼女は敵同士だ。君の心が彼女の心に届いたとしても、どうしたって人間は〝見えるもの〟を優先してしまう。敵と認識された君が、彼女の組織への忠誠に勝つのは極めて困難だろう。思い通りとならなかった場合、君は彼女をどうする?」
彼がそれを心配されるのは二度目。そろって他人の心配をするとは、お節介な親子だ。
問いかけに答えようとして、慧は自分を殺そうとした阿久津の言葉を思い出す。
『てめぇを殺すのも嫌だったんだ、俺は』
そうしなければ、守りたいモノを守れなかったから。慧は手にかけた男に同情した。
理想通りにならなければ、千奈美をどうするか選ばなければならない。阿久津が、慧に対して決断したように。
「――ああ、やっぱりいいよ、答えなくて。君のしたいようにすればいい。ここで私と共有してしまったら、変な意地が生まれてしまうからね。濁った感情では誤った判断を下しかねない」
悠司は煙草の火を消し、おもむろに歩き出す。慧の横を素通りした。
拍子抜けしたまま、慧は視線だけで背中を追う。
建物の陰に消える直前、悠司は振り返った。冗談の混じらない真剣な瞳が慧を映す。
「不幸な結末にならないよう、祈っているよ」
悠司の姿が見えなくなった。
去り際の台詞に、慧は思わず笑みをこぼす。
「その祈りが、叶えばいいんだがな」
自嘲するように呟き、慧は踏み出した。
今夜は星が見えない。流れ星に願いを託せそうにないが、叶えるのは彼自身だ。
描く憧憬を現実の風景とするためには、行動するより他にない。
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