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のーが

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第34話

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 あと数分で二十四時を迎えようとする頃、照明を消した自室で慧は瞼を閉じていた。
 辺りに民家も公共施設もない地域で孤立する天谷邸において、襲撃者のいない夜に雑音はない。静寂の空間に佇み、手首を交差させ精神を研ぎ澄ます。
 今日が特別というわけではない。慧は毎晩、精神統一を欠かさない。単純だが日々の積み重ねが、彼に五感を覚醒させる能力を発現させたのだ。誰にでも可能でも、誰にでも為せる所業ではない。
 壁にかけられたアナログ時計の三本の針が重なる。
 彼は立ち上がった。掛け台にある二本の直刀に手を伸ばし、左右の腰にそれぞれ差す。
 部屋を出て行こうとする前、机に置いたままのイヤホンマイクを見下ろした。
 ほんの少しだけ悩んだ末、彼はそれを放置して自室をあとにした。

   ◆
 
 照明の落ちた邸宅を抜け、周囲には目もくれず庭の整地された道を進む。
 普段は夜間も誰かが見回りをしているが、今夜は見当たらない。悠司が必要ないと命じたのだろうと彼は推察した。休養を与え,休めるときに存分に休ませているのだろう。
 堂々と正門にあたる格子状の門扉を開く。鉄の擦れる音が響いたが、すぐそばにいなければ聞き取ることのできない些細な音だ。これで脱走がバレたりはしない。
 敷地の外に出た。慧は痕跡を残さぬよう注意を払い門扉を閉じた。

「――こんばんわ、上倉くん」

 不意に横から声をかけられ身構える。
 すぐ隣に、鏡花がいた。
 彼女は寝間着でもメイド服でもなく、AMYサービスの制服を着ていた。そばの外壁には、薙刀の納められた布袋が立てかけてある。

「……こんな夜中に、こんなところで何をしている」
「なんとなく、上倉くんが来るような気がしまして」
「俺を待っていたのか?」
「はい」

 さも当然であるかのように、鏡花はいつものように微笑んだ。
 慧は誰にも計画を共有していない。彼女が何故そんな考えに至ったのか疑問でしかなかった。
 一日中、彼は部屋に篭って考え事に耽っていた。言うまでもなく、フリーフロムの辿る結末についての憂慮だ。
 STEという絶大な力を前に、抗えるはずもない。当然、組織の一員である千奈美も巻き込まれる。他の構成員とともに命を落とすだろうことは明白だった。そうでなくとも、慧がそうされたように、大勢を逃がすために彼女が囮にされる可能性もある。

 慧にとって、彼女は八年も共に過ごした実の妹のような存在。千奈美が死んでしまうかもしれないのに、指をくわえて傍観などできるはずもない。
 AMYサービスが手を貸してくれるなら、彼女を救うことは難しくなかった。慧がいなくともフリーフロムを壊滅できる戦力が揃っているから、彼自身は説得に専念できる。
 しかし手を引いた状況ではそうもいかない。慧だけでフリーフロムを追い詰め、彼女を救わなければならない。
 現実味は薄いが、他に方法はない。しかたがないと、そう諦めていた。

「それで、どうするつもりだ?」
「ついていきます」

 鏡花は平然とした声色で即答する。慧の予想した通りの返答だ。

「俺がどこへ行くか、わかっているのか?」
「フリーフロムの拠点です」
「どうやってそれを知った」
「わかったんですよ。お父さんから話を聞かされた上倉くんの瞳が、全部教えてくれました」
「今朝のことをいってるのか? あのときはまだ、この時間に出ようとは考えていなかったが」
「上倉くんなら、きっとこうするって思ったんです。予想的中ですね」

 逡巡のない言いように、慧は戦慄した。
 彼が考えつくよりも先に、鏡花は彼が取るであろう行動を読んでいた。彼自身より、彼女は彼を理解しているのだ。
 誰かにこんなにも深く自分を理解してもらうのは、慧にとって初めての経験だ。
 自分ですら気づけていない自分の本質。誰にも見せたことのない裏の部分まで、他人に把握されている。
 それは、あまりにも不気味な感覚だった。

「俺はお前がこわい。お前には、隠しごとができないらしい」
「隠そうとする上倉くんがわるいんです。私を置いて一人で行こうとするのがいけないんです」
「だが昨日の元アジトの一件で、お前は千奈美を倒せたのに加減した。俺がやるべきだと言って」
「九条さんは、もちろんそうですよ。彼女もきっと上倉くんを待っています。私が九条さんだったら、そう思うでしょうから」

 肌を撫でる夜風のように穏やかな声色。千奈美の想いすらも看破しているかのように鏡花は語る。

「でも、上倉くんの邪魔をする人たちも多くいるでしょう。私がそれを抑えます。私に、上倉くんが九条さんを救うお手伝いをさせてほしいんです」
「俺が千奈美の説得に専念できるようにか?」

 当然のように鏡花は頷いた。
 慧は戸惑う。そもそも彼がAMYサービスに寝返ったのは、まさしく彼女たちにその役目を負ってもらうためだった。
 初めから、一人では無謀だとわかっていた。
 だから腕の立つ優れた者たちを利用しようと目論んだ。むしろ頼もうとしていたことを、鏡花のほうから志願してくれたのだ。感謝する理由はあっても、拒む理由などあるはずもない。

 そのはずなのに、彼は自分の内に沸き起こった感情に戸惑った。
 手を貸してくれると言ってくれた鏡花の申し出を、どうにも快く受け入れる気になれなかったから。

「お前たちAMYサービスは手を引いた。ここからは俺の私闘だ。AMYサービスの社員である鏡花が手を貸せば処罰は免れん」
「構いませんよ。それで上倉くんの願いが叶うなら、喜んで罰を受けます」
「お前は正気じゃない。どうして俺にそこまで献身する。会って間もない俺なんかのために、積み重ねてきた信頼を崩すべきじゃない。そんなの、どう考えてもおかしいだろ」
「おかしくなんてありませんよ。私が上倉くんをお手伝いをしたいと思うのは、私が、上倉くんのことを好きだからです」

 何度目かになる、飾り気のない好意。
 純真な好意を受けることに、慧は慣れていなかった。鏡花の顔を眺めたまま硬直してしまう。
 鏡花は困惑する慧に顔色を変えることもない。彼女は指先すら動かせないでいる彼の手を優しく引っ張り、自分の手を重ねた。
 その手のひらは温かく、慧の想像より小さかった。

「私は決めてたんですよ。初めて会ったとき、仲間になることを認めたのは上倉くんの力になりたいと思ったからです。この人はとても困難であることを承知したうえで、何か〝正しいこと〟をしようとしている。だったら私はこの人を手伝いたい。そう思ったんです。もしもそれが勘違いで私たちの会社に被害をもたらしてしまったら、私は責任を取るために処罰を受けていたと思います」
「本当にそこまで考えていたのか?」
「さて、どうでしょうか。でもあんまり関係ないことですよ。だって私は間違ってなくて、上倉くんは正しい人だったわけですから」
「頼んでもないのに、力を貸そうとしてくれるのか」
「はい。私は、上倉くんの仲間ですから」

 どこか楽しそうな鏡花。緩んだ顔で慧を見つめる。

「勝手な奴だな。許可したわけでもないのに、俺の仲間を名乗るのか」
「なにをいってるんですか。上倉くんが先にいったんですよ? 私と初めて会ったあの日、雨の降る屋上で」

 ――そういえば、そうだった。

 つい二日前の出来事だ。
 豪雨の打ちつけるアジトの屋上で、乱暴な雨に打たれながら慧は敵が来るのを待っていた。そこへ同じように髪と服を濡らした鏡花がやってきて、AMYサービスに寝返りたいと彼は伝えた。
 そのとき、自然と選んでいた単語が『仲間』だ。
 偶然その言葉が選ばれたわけではない。人間の心に偶然の概念はないのだ。

 ――納得だな。

 慧だって孤独が好きなわけではない。
 フリーフロムの気にくわない点に目を背けていれば、阿久津や藤沢の仲間として過ごせた。悪事を働く罪を全員で背負う度に、絆が深まった気さえしていたかもしれない。
 それでも彼は決意した。
 そんなのは、亡くなった両親が望む生き方ではないから。
 欲しいモノを全て拾っていけるほど人生は甘くない。罪を償うため、彼はかつての仲間を捨てた。孤独になる覚悟を固めていたのだ。
 それがいま、孤独にならなくとも良いのだと、そう言ってもらえている。
 自分がどんな表情をしているのか、慧はわからなかった。
 鏡花は相変わらず楽しそうにしている。対して慧は、誰にも見せたことのない顔をしていた。

「私は、上倉くんの頼みを承諾しました。あの日から私たちは仲間になったんです。利益のためじゃなくて、その人のために力になってあげられる関係に。だから、私は上倉くんを手伝いたいんです。大切な仲間ですから。いまさら辞めるなんて許しません」
「……お前は力を貸してくれるというが、俺はお前に何もしてやれない」
「そんなことありませんよ。私は、上倉くんのような人がいると知っただけで嬉しかったんです。どれだけ強大な障害があろうとも、どれだけの時間がかかろうとも、守りたいものを守ることを曲げない不屈の信念。命の存続すら顧みず、すべてを誰かに、なにかに捧げられる人。私は、そんな存在に憧れていたんです。憧れて、でも、そんなふうになるのは無理だと思いました」

 握られる手に力が込められる。慧は彼女から目を逸らせない。

「そんなとき、上倉くんが現れたんです。上倉くんは私が諦めた理想を、本気で形にしようとしていました。それで気づくことができたんです。不可能は困難から逃げるための口実なんだって。願うだけではなく行動すれば、叶えられないことはない。私はそれを証明したいんです。上倉くんの選んだ道の終点を見れば、私はまた理想を目指せる気がします。信じた道を、いつまでも歩み続けられる気がするんです」
 熱っぽい口調ではない。捲し立てるわけでもない。あらかじめ決めておいた台詞でもなければ、感情を偽った虚言でもない。
 一つ一つの言葉を大事にするように鏡花は紡ぐ。あらゆる言葉が、彼女の本心から生まれていた。

「だから、私をつれていってくれませんか?」
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