エスメラルドの宝典

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第36話

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 車内のデジタル時計が深夜一時に達するまで、あと五分。
 俊平の運転する車両は都市部を抜け、幹線道路を北上する。昼間は渋滞気味だった道路も、視界を常闇が占める時間では交通量が少ない。
 助手席には琴乃、後部座席に慧と鏡花が座る。
 その構図は、フリーフロムの元アジトから帰還した際と同じだ。

「そろそろだな。作戦内容を伝えよう」

 今回の作戦を仕切るのは慧だ。
 元々は彼が単身で行うつもりだった内容を、移動中に改変した。四人全員で協力しあい、成功率を高めるために。

「到着後、鏡花と琴乃は敵陣の正面入口から侵入する。深夜だが、奴らも見張りを立てないほど馬鹿じゃない。発見されたら、襲撃者の実力を知った連中は総出で迎撃に当たるはずだ。ふたりはそこで怯まず、とにかく多くの敵を引きつける。敵がふたりに夢中になっている間に、俺は千奈美を見つけだして一対一の状況に持ち込む」
「あの女――九条って奴を説得するにはアンタがやらなきゃ駄目なんでしょうけど、勝算あるわけ? あいつ、宝典魔術師なのよ?」
「俺だって、無策で行動するほど愚かじゃない」
「無能力者のアンタでも勝ち目があるってわけ? ふぅん。雑魚を片付けたら、お手並みを拝見させてもらおうかしら」
「好きにしろ。奴らもそう簡単には倒されてはくれないだろうがな」

 愉快そうに「どうかしらね?」なんて余裕を浮かべ、琴乃は窓の外に顔を向けた。
 車は幹線道路から脇道に移った。電灯の無い暗黒を進んでいく。

「作戦の件ですが、先日のように敵の一部が逃げる可能性はないでしょうか?」
「フリーフロムの性質上、ほぼ確実に逃走ルートが用意してあると考えられる。襲撃前にルートを潰しておきたいが、施設の全貌がわからんので難しいな」
「前と同じように、地下道を用意している可能性はありませんか?」
「充分にあり得る。だがこちらには包囲網を敷けるだけの人員はない。当たりをつけるか、あるいは逃げる間もなく電光石火で殲滅するしかなさそうだ」

 口では時間がないと言いつつ、慧は敵が即座に逃げるとは思っていない。
 藤沢がAMYサービスに対抗する準備を整えているのは間違いなく、逃げ延びたばかりのアジトを捨てる決断も容易ではない。
 ただし、優劣が明瞭になれば話は変わる。藤沢は大勢を逃がすために、何かしらの策を講じる。それが慧の見解だ。
 藤沢がいる限りフリーフロムは不滅。
 千奈美も、彼が存命の間は自由になれない。

「当たりならついているだろう?」

 何気なくハンドルを切りながら俊平は続ける。

「注意すべきは空さ」

 彼の意見に、慧は合点がいった。
 鏡花は言っている意味がわからないのか、不思議そうに目をぱちぱちする。

「どういうことでしょう? フリーフロムの人たちは空を飛べるのでしょうか?」
「その点は天谷さんのほうが詳しいだろう? 僕は実際に見てないけど、彼らは昨日、空からやってきたらしいじゃないか」

 万が一の逃走ルートとしては申し分ない。
 〝あんな物〟を所有しているのなら、使わない手はない。破棄したくもないだろう。
 慧が偵察した限り、これから向かうアジトには離着陸できるだけの充分な敷地面積がある。昨日訪れたときには実物を確認できなかったが、敷地内のどこかで保管しているはず。

「あっ、そういえばそうでした。敵はヘリコプターを持っていましたね」
「偵察の際にヘリポートと思しき場所は見当たらなかった。あるとすれば……二棟の高層建造物のどちらかの屋上が怪しいか」
「その二棟の高さが異なるなら、たぶん高いほうが有力だろう。隣に障害物があると邪魔だからね」
「だったらあたしが速攻で屋上を押さえてもいいわよ? なんなら機体もバラす?」
「それだと鏡花の負担が増える。隙が生まれやすくなり危険だ」
「私なら大丈夫です――と、いいたいのですが、不安はありますね」
「まぁ、相手の総数は推定五十人だものね。敵の戦術しだいでは対処しきれない状況に陥るかもしれない。でも、じゃあどうすればいいのよ?」

 目的地は間近に迫っていた。
 慧は到着までに打開策を示さなければならない。けれども、抜け目のない方策は簡単には浮かんでくれない。
 慧自身が屋上を制圧できれば最適だが、それでは千奈美の相手をできない。今回の作戦は、彼が彼女を助けられなければ失敗だ。その方法は採用できない。
 あるいは屋上に千奈美を誘い出させれば、ヘリの破壊と彼女の説得を両方こなせる。慧はそう仮定してみたが、具体的な実現の案までは浮かばない。

「こういうのはどうだろう?」

 手詰まりを意味する沈黙を破ったのは俊平だ。彼はとある提案をした。
 示された対策は、慧には意外な内容だった。琴乃と鏡花はそれほど驚かず、納得した様子で頷く。
 唐沢俊平という人物をまだ理解しきれていない慧としては、一抹の不安を拭いきれない。
 しかし、他のふたりが認めているのなら。

「それでいこう」

 慧は、友人を信じることにした。
 到着ギリギリになってしまったが、夜襲の方針は固まった。
 あとは各自が、計画完遂に尽力するのみだ。
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