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1、始まりはいつも春
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業者さんはひとのよさそうな顔を曇らせ、恐縮したように言った。
「もう、部品がないんですよ。古い機材ですからね」
「はあ」
「とりあえずクリーニングはしておきましたが、そんなに冷えるようにはならないでしょう」
「ちょっと待ってください。食品を冷やせないと営業できないんですが」
「そうですよね……」
カスガ・フーズから紹介された業者さんは、いつもとても良心的で、祖父が長年やっていた「喫茶トラジャ」を継いだ貴広には心強い味方のひとりだ。
このひとが、こんなに困った顔をするなんて。
「もうこいつは直せないんで、冷蔵庫ごと入れ換えですね」
「はあ」
また金がかかる。地方都市の古い喫茶店を貴広が継いで、まだ二年。安定経営にはまだ遠い。
「じゃあ……お願いします」
「それなんですがね」
「はあ」
まだ何かあるのか。業者さんがさらに顔を曇らせる。貴広の脳内に不穏なBGMが鳴り響く。
言いにくそうな業者さんに、良平が横から助け船を出した。
「この幅に合う冷蔵庫って、今はないんだって」
「『ない』って?」
貴広は傍らの良平を振り返った。良平は補足した。
「このカウンターにそのままはめ込めるサイズのものって、今はもう作られてないんだって」
「ええっ? じゃあ、冷蔵庫を特注しなきゃいけないってこと?」
そんな金額は、商社員時代の貯金を全部はたいたって無理だ。
「いやあ、さすがに、冷蔵庫の特注……まではアレですが……」
業者さんがようやく口を開いた。
「やるとしたら、まあ、方法はふたつなんですよ。ひとつは、このカウンター内のものを全部引っ張り出して、現在の既存の冷蔵冷凍庫に合わせて、厨房機器も揃え直す」
息を呑む貴広に気の毒そうな視線を送り、業者さんはうなだれた。
「もうひとつはさっきおっしゃった、特注ですね。ただこちらは、チェーン展開されてる会社さんと違って『一点モノ』となりますから、費用はかなりかさむでしょう」
「ははは……はは。そうですよね」
だましだまし使っていた業務用の冷凍冷蔵庫。天板はカウンター内の作業台にもなっている。これをサイズの異なる別のものと入れ換えるとなると。
考えるだに怖ろしい。
厨房機器の全取っ替えってことだ。シンクも、奥のガステーブルも。新しいものを置き直して、幅が合わないなんてことになれば、表から見えてるカウンターそのものもいじらなきゃだし。
費用もかかるが、作業中は営業もできない。
ボックス席でコーヒーを飲み干したゆうこママが言った。
「あら~、タイヘンねえ。冷蔵庫はないままって訳にいかないものね」
ゆうこママはこの近くで小さなラウンジを経営している。飲料が主力商品であるところは、「喫茶トラジャ」と共通だ。
「ゆうこママ……」
貴広はゆうこママに泣きそうな目を向けた。背後では良平がシンクで洗いものをしている。ランチで使った食器を、冷蔵庫のせいでなかなか片付けられなかった。
カチャカチャと軽い音。ぶっきらぼうで愛想のない良平だが、実はとても丁寧な仕事をする。
貴広はこの音を聞くのが好きだ。安定感があって、どこか繊細で。この音がすると、貴広は自分もがんばらなきゃと毎回思う。自分の仕事を、自分の判断を、支えてくれる、受け止めてくれるようで安心する。
ずっと聞いていたい優しい音だが――。
「もう、部品がないんですよ。古い機材ですからね」
「はあ」
「とりあえずクリーニングはしておきましたが、そんなに冷えるようにはならないでしょう」
「ちょっと待ってください。食品を冷やせないと営業できないんですが」
「そうですよね……」
カスガ・フーズから紹介された業者さんは、いつもとても良心的で、祖父が長年やっていた「喫茶トラジャ」を継いだ貴広には心強い味方のひとりだ。
このひとが、こんなに困った顔をするなんて。
「もうこいつは直せないんで、冷蔵庫ごと入れ換えですね」
「はあ」
また金がかかる。地方都市の古い喫茶店を貴広が継いで、まだ二年。安定経営にはまだ遠い。
「じゃあ……お願いします」
「それなんですがね」
「はあ」
まだ何かあるのか。業者さんがさらに顔を曇らせる。貴広の脳内に不穏なBGMが鳴り響く。
言いにくそうな業者さんに、良平が横から助け船を出した。
「この幅に合う冷蔵庫って、今はないんだって」
「『ない』って?」
貴広は傍らの良平を振り返った。良平は補足した。
「このカウンターにそのままはめ込めるサイズのものって、今はもう作られてないんだって」
「ええっ? じゃあ、冷蔵庫を特注しなきゃいけないってこと?」
そんな金額は、商社員時代の貯金を全部はたいたって無理だ。
「いやあ、さすがに、冷蔵庫の特注……まではアレですが……」
業者さんがようやく口を開いた。
「やるとしたら、まあ、方法はふたつなんですよ。ひとつは、このカウンター内のものを全部引っ張り出して、現在の既存の冷蔵冷凍庫に合わせて、厨房機器も揃え直す」
息を呑む貴広に気の毒そうな視線を送り、業者さんはうなだれた。
「もうひとつはさっきおっしゃった、特注ですね。ただこちらは、チェーン展開されてる会社さんと違って『一点モノ』となりますから、費用はかなりかさむでしょう」
「ははは……はは。そうですよね」
だましだまし使っていた業務用の冷凍冷蔵庫。天板はカウンター内の作業台にもなっている。これをサイズの異なる別のものと入れ換えるとなると。
考えるだに怖ろしい。
厨房機器の全取っ替えってことだ。シンクも、奥のガステーブルも。新しいものを置き直して、幅が合わないなんてことになれば、表から見えてるカウンターそのものもいじらなきゃだし。
費用もかかるが、作業中は営業もできない。
ボックス席でコーヒーを飲み干したゆうこママが言った。
「あら~、タイヘンねえ。冷蔵庫はないままって訳にいかないものね」
ゆうこママはこの近くで小さなラウンジを経営している。飲料が主力商品であるところは、「喫茶トラジャ」と共通だ。
「ゆうこママ……」
貴広はゆうこママに泣きそうな目を向けた。背後では良平がシンクで洗いものをしている。ランチで使った食器を、冷蔵庫のせいでなかなか片付けられなかった。
カチャカチャと軽い音。ぶっきらぼうで愛想のない良平だが、実はとても丁寧な仕事をする。
貴広はこの音を聞くのが好きだ。安定感があって、どこか繊細で。この音がすると、貴広は自分もがんばらなきゃと毎回思う。自分の仕事を、自分の判断を、支えてくれる、受け止めてくれるようで安心する。
ずっと聞いていたい優しい音だが――。
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