黒薔薇の刻印 ~死ぬほど愛される、重すぎる愛の逆ハーレム~【ダークファンタジー】

ALMA

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第3部:紺闇の魔王の檻

第29話:さらば、愛しき人よ

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 サイラスが寝室を出て行ってから、数分が過ぎた。
 私は一人、部屋に残されていたが――いても立ってもいられなかった。

(ここで待っているだけなんて、とてもできない)

 私は黒曜石の指輪を撫で、部屋を出た。
 城内は騒然としていた。遠くから断続的に響く爆発音と、悲鳴に近い怒号。
 私は騒ぎの中心地である、城のエントランス――「氷の大広間」へと向かった。

 そこは、正面玄関から続く広大な吹き抜けの空間だ。
 高い天井には、輝く巨大なシャンデリアが吊るされ、二階と三階部分には広間を見下ろせる回廊が張り巡らされている。私は広間へ続く大階段の踊り場で、眼下の階段途中に佇む魔王に呼びかけた。

「サイラス――!」
「ロゼノア、来るな!」

 ズドオオオーン!!

 正面玄関の扉が壁もろとも吹き飛び、土煙の中から一つの影が飛び込んできた。
 銀色の長い髪に、獣のように鋭い黄金きんの瞳。
 狂王、アルカディアスだ。

 だが――その背後に、続く兵の姿はない。

「はぁ、はぁ……ッ!」

 彼の肩は激しく上下し、全身から立ち昇る魔力は揺らいでいる。
 それも当然だ。彼はやる心で、味方の進軍すら待てず、単独で突っ込んできたのだ。
 国境の「絶対氷壁」を砕き、城門を突破するために、規格外の魔力を使い果たしていた。今はもう、立っているのが不思議なほどの枯渇状態だった。

「ロゼノア……ッ!!」

 彼は広間の中央――大階段の踊り場にいる私を見つけ、叫んだ。
 彼は剣を抜いて床を蹴り、向かってくる敵兵を薙ぎ倒しながら、広間に入ってくる。

「……無茶な男だ。単騎で乗り込んでくるとはな」

 階段の途中で、サイラスが舌打ちをした。
 彼は眼帯を乱暴に引き剥がし、隠されていた「右目」を露わにする。

 カッ!!!!

 鮮血のように赤い光が、サイラスの方へ向かおうとする、アルカディアスを射抜く。
 対象の自由を強制的に奪う、サイラスの切り札「拘束の魔眼」だ。

「ぐ、ぅ……ッ!?」

 アルカディアスの足が縫い止められたように硬直した。広間の中央に釘付けにされる。

「そこがお前の限界だ、アルカディアス。ロゼノアは渡さん!」

 サイラスが勝利を確信した、その瞬間だった。

 ヒュッ――グシャリ。
 風切り音と同時に、湿った肉の潰れる音が響いた。

「――が、ぁッ!?」

 サイラスの顔が跳ね上げられる。
 その右目には、一本の銀の矢が深々と突き刺さっていた。
 暴走する王にかろうじて追いついたユリウスが、主君の危機を救うために放った必殺の一撃だった。

「ロゼノアさまぁぁッ!!」
 ユリウスの絶叫。

(ユリウス……! 生きていたのね)

 だが、シルヴィアの呪魔法を練り込んだ矢先が、魔眼を射抜いた。拘束の術が強制解除される。
 サイラスが激痛に屈み込み、アルカディアスが自由を取り戻した――まさにその刹那。

 ミシッ、パキィィィンッ!!
 私の頭上で、破滅の音がした。
 遥か上空、3階の回廊から、皇后ノーチェが複数の氷の槍を放ち、踊り場真上のシャンデリアの鎖を断ち切ったのだ。
 その場の誰もが息を呑んだ。

「死になさい……ロゼノアァァァッ!!」

 ひび割れた天井ごと、数トンもの圧倒的な重量が、私を狙って落下してくる。
 アルカディアスはまだ長い階段の下。
 サイラスは階段の途中で目を射抜かれ、平衡感覚を失ってよろめいている。
 
 (あ、死ぬ――)

 逃げ場のない踊り場で、私が死を覚悟したその瞬間。
 血まみれの魔王が、えた。

「……させ、るかァァァッ!!」

 サイラスは眼球を貫かれた激痛に耐え、階段を駆け上がり、両手を頭上へ突き上げた。
 全身の魔力を暴走させ、物理法則をねじ曲げる。

 ドゴォォォォォォンッ!!!!
 凄まじい轟音が響き、城が揺れた。

 ……私は潰されていなかった。
 けれど、恐る恐る目を開けると、そこには信じがたい光景があった。
 私の周囲に、太い氷の柱が何本も突き出し、落下してきた巨大なシャンデリアをギリギリの高さで受け止めていたのだ。
 まるで、氷のおりが私を守っているかのように。
 だが、その代償はあまりに大きかった。

「が、はッ……!」

 ドサッ。
 私の足元に、重い体が崩れ落ちた。
 サイラス――。

 彼は柱を作るのと同時に、私に覆いかぶさって氷の槍と砕け散る破片を防いでいたのだ。
 その背中には、防ぎきれなかった鋭利な氷の刃が深々と突き刺さり、心臓の位置を貫通していた。

「サイラス……ッ!!」

 私は慌てて、崩れ落ちた彼の体を抱き留めた。
 ずっしりと重い。
 右目には矢が刺さり、口からは溢れ出した鮮血が私のドレスを赤く染めていく。

「……無事か、ロゼノア」

 彼は、薄れゆく意識の中で、私の顔を見てふわりと笑った。
 頭上では、彼が作った氷の柱がミシミシと悲鳴を上げ、数トンの質量を完全に支え続けている。

「どうして……! こんな、馬鹿なことを!」
「……お前は、私のものだ。……潰させはしない」

 私は必死で右手をかざし、聖女の治癒魔法を放射する。だが、その光はサイラスを素通りしていく。

「無駄だ……ロゼノア」

 血に濡れた手が、私の頬に伸びる。
 彼はその命と引き換えにねじ伏せたのだ。

「馬鹿な人……。私なんかのために……」
「ああ。……だが、お前を守れて……本望だ」

 サイラスは残った左目で、氷の柱の外で呆然と立ち尽くすアルカディアスを見やった。
 
「……見ろ、アルカディアス。彼女が今、抱いているのは私だ」
「貴様……ッ」

 アルカディアスは唇を噛み締め、剣を下ろした。
 敵である魔王の、あまりに鮮烈な愛と執念を前に、言葉を失っていた。

「ノーチェ……あいつの嫉妬ごときで、私の聖女を失うわけにはいかない」

 サイラスの瞳から、光が失われていく。
 彼の体が、指先からサラサラと、美しいダイヤモンドダストとなって崩れ始めた。
 魔力の核が砕け、もう肉体を維持できないのだ。

「……温かいな。お前の腕の中は」

 その瞳から、傲慢な魔王の色は消え失せ、ただ愛を乞う男の、穏やかで切ない光だけが残っていた。
 サイラスは最期に残った手で、私の頬に触れた。

「愛している、ロゼノア。……どうか、幸せに」

 パリン……
 澄んだ音が響き、サイラスの体は私の腕の中で完全に砕け散った。
 後に残ったのは、虚空を舞う光の粒子と、私の腕に残った彼の感触。
 そして、彼が最期に残した氷の柱だけが、墓標のようにシャンデリアを支え続けていた。

「……うあぁぁ……!」
 
 頭上のバルコニーから、引きつった悲鳴が聞こえた。
 ノーチェだ。
 彼女は自分の手で夫を殺してしまった現実に耐えきれず、髪をかきむしりながら闇へと消えた。

 私は、サイラスだった美しい光が消えていくのを、呆然と見つめていた。
 左腕の黒薔薇の刻印が、ドクン、と熱く脈打つ。

(……ああ、そうか)

 私は震える手を、光の粒子へと伸ばした。
 けれど、指先は何一つ掴めない。
 彼だったものは、サラサラと指の隙間から零れ落ち、空気に溶けていく。

(……意地悪な人)

 唇を噛み締める。
 私の能力は「死者蘇生」。
 けれど、それは「肉体」という器があって初めて成立する。
 彼は死体さえ残してくれなかった。これでは、決して生き返らせることはできない。

 完全な喪失。
 二度と会えないという絶対的な事実が、私の心を冷たく塗り潰していく。

「――ロゼノア、無事か」
 アルカディアスが静かに呼びかけた。

「逃がすな!! 皇帝陛下の仇だ!!」
「あの女と、侵略者を殺せ!!」

 城の奥から、無数の帝国騎士たちが現れた。
 城の外も囲まれている。
 アルカディアスとユリウスが剣を構えるが、多勢に無勢だ。

 私はゆっくりと立ち上がり、頬に残った涙を指先で拭い去った。
 悲しむのは終わり。……サイラスは死んだ。ならば、彼の遺産はすべて、私が有効に使わせてもらう。

「……うるさいわね」

 私は左腕を掲げた。地下墓地に刻んだ「黒薔薇の刻印」が熱く脈動している。

「いつまで寝ているの? ……起きなさい」

 私は指を鳴らした。 パチンッ。

 地鳴りと共に、大広間の床が内側から砕かれた。
 北の塔から続くこの地下には、氷の墓標がある。
 這い出してきたのは、氷漬けにされていた歴代の英雄や兵士たち。
 その数、数千。彼らの体には、私の刻印と同じ、妖しい黒薔薇の光が灯っている。

「ひっ……! し、死体が動き出したぞ!?」
「バケモノだ!!」

 帝国兵たちが悲鳴を上げて後退あとずさる。
 私は冷徹な瞳で彼らを見渡して左手を掲げ、静かに命じた。

「お掃除の時間よ。……私に剣を向ける無礼者たちを、排除なさい」

 オオオオオオオ……ッ!!

 私の命令一下。死者の軍団デス・レギオンは雪崩のように帝国兵へと襲いかかった。
 不死の兵士たちは痛みを感じず、心を持たず、ただ私の敵を排除するためだけに動く殺戮兵器だ。

 そして、瞬く間に静寂が訪れた。

 死者の軍団は、敵を殲滅すると、一斉に私の方向を向き――ザッ、と音を立てて跪いた。
 勝利の雄叫びも、苦痛の呻き声もない。
 ただ、雪原のような「無音」が広がるだけだ。

 その場に立っているのは、私とアルカディアス、そしてユリウスだけ。

「……ロゼノア」

 アルカディアスが、剣を下ろし、熱っぽい瞳で私を見つめていた。

「……おい。聞こえているか?」

 ユリウスが剣を下げ、近くにいたアンデッド兵士の肩を掴んだ。
 だが、青白い顔の兵士は瞬き一つせず、虚空を見つめたまま微動だにしない。

「反応がない……。まるで精巧な自動人形オートマタだ。自我というものを感じない」

 ユリウスの困惑に、私は低い声で言った。

「ユリウス……無事でよかったわ。本当に……」

 ユリウスの黒い瞳が微かに揺らいだ気がした。
 そして彼の疑問に答えた。

「彼らは氷の中で数百年眠り続けていた。……魂も未練も、とうに風化して消え失せているのよ。残っているのは、肉体に染み付いた『闘争本能』だけ」

(そう、これが黒薔薇の呪いの力……)

 死んで間もない死体なら、生への執着や自我が残り、時に命令に背くこともある。
 だが、この古い氷の器たちは違う。
 痛みも恐怖も、反逆心も何もない。私の魔力に反応して動く、純粋な兵器だった。

(……虚しいわね)

 私が歩き出そうとすると、軍団の中から、ひと際大きな黒い全身鎧の騎士が進み出た。
 その兜の奥に光る瞳が、私を捉える。

 ザッ。
 黒騎士は私の目の前で、無言のまま泥濘ぬかるみに片膝をつき、平伏した。
 そして、その広い背中を差し出す。
 言葉はない。だが、その恭しい仕草は雄弁だった。
 『女王よ、私の背を踏み台にしてお通りください』と。

「……あら」

 私は少しだけ目を細めた。
 魂はなくとも、生前に染み付いた「高貴な者へのかしずき」だけは、本能として残っているらしい。
 
「いい心がけね」

 私は遠慮なく黒騎士の背中を踏みつけ、優雅に瓦礫の向こうへと降り立った。
 黒騎士は微動だにせず私の体重を支え、私が降りると音もなく背後に控えた。

「……さすがは俺のロゼノアだ!」

 アルカディアスが、目を輝かせて駆け寄ってくる。
いにしえの英霊さえも、お前の美しさと気高さにはひれ伏すしかないのか……」

「アルカディアス……」

 私は寂しく微笑んで、彼の手を取った。
 アルカディアスの手は温かい。生きている人間の体温だ。

 けれど、ふと――
 先ほど腕の中から消えていった、あの氷の冷たさを思い出した。

(……温かいな。お前の腕の中は)

 最期にそう言って微笑んだ、孤独な魔王の顔が脳裏をよぎる。

 私は足を止め、一度だけ後ろを振り返った。
 そこにはもう、光の粒一つ残っていない。
 ただ、彼が最期に残した巨大な氷の柱だけが、シャンデリアを支え、墓標のように静かに佇んでいた。

(……どうか、安らかに眠って。私の、優しい魔王さま)

 私は誰にも聞こえない声で呟き、彼への手向けとした。
 そして前を向き、アルカディアスの胸に自分の体を預けた。

「さあ、帰りましょうか。私たちの王国へ」

 私は黒騎士を背後に従え、数千の「沈黙の軍団」を引き連れて、凍てつく帝国を後にした。




――第3部 完――
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