三千万円の皿を割ったら、冷酷社長の「溺愛処刑」が待っていました

ALMA

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三千万円の皿を割ったら、冷酷社長の「処刑」が待っていました

 ここで一つ、墓場まで持っていく秘密を告白しよう。
 都内の大手IT企業で清掃員として働く私、天野瀬奈あまの せなは……筋金入りの『乙女ゲームオタク』である。

 三度の飯より二次元が好き。
 今、私が寝る間も惜しんで夢中になっているのは、『氷の騎士と乙女』というR18指定の大人向け乙女ゲームだ。
 ストーリーは、冷徹で残忍な「氷の騎士」に、敵国の捕虜となったヒロインが蹂躙されるというハードな内容なのだが……これがもう、たまらない。
 騎士様の「鳴け」「メス豚」といった罵倒ボイスを聞くたびに、私は画面の前で身悶えし、興奮のあまりベッドを転げ回っている。

 そう、知識だけは豊富なのだ。
 だが、現実リアルの私は、正真正銘の『処女』である。
 男性と手を繋いだことすらない。私の純潔は、すべて脳内の騎士様に捧げているからだ。

 そして――奇跡か、運命の悪戯か。
 この会社のトップ、鷹宮怜たかみや れい社長が、その推しキャラ「氷の騎士様」に瓜二つなのだ!
 銀縁メガネの奥の冷ややかな瞳。人をゴミのように見る視線。完璧なビジュアルと、全身から漂うサディスティックなオーラ。

(はぁぁ……尊い……! リアル氷の騎士様だわ……!)

 だから私は、廊下で彼を見かけるたびに、恐怖ではなく「萌え」でゾクっとしてしまう。
 あの目で睨まれるだけで、脳内で騎士様のボイスが再生され、未経験の子宮がキュンと疼いてしまうのだ。

 周りの社員が「社長怖い」「目が笑ってない」と震え上がっている横で、私だけが「ありがとうございます!」と心の中で合掌しているなんて、誰にも言えない秘密である。


 ◇

Side:鷹宮 怜

 『冷徹な氷の魔王』。……それが社内での俺の評価らしい。

 大企業のトップにして、恵まれたこの容姿、そしてジムで鍛え上げた強靭な肉体。客観的に見て、女にモテない要素など全くないはずだ。
 だが、俺には浮いた噂がひとつもない。
 社内ではおそらく、俺が女に興味がない「あっちの人」だと思われているだろう。
 ……心外だ。それは違う。むしろ俺は、人並み以上に女好きだ。

 だが、問題が一つだけある。付き合う女が誰一人として、俺の好み (欲求)を満たしてくれないのだ。
 ベッドの上で、俺なりの愛し方――少しばかり激しく、支配的なセックス――で接しようとすると、女たちは皆、恐怖に引きつった顔をする。

「ついていけない」「そんな男とは思わなかった」「優しくない」……そう罵られ、逃げられるのがオチだ。挙げ句の果てには「訴える」とまで言われたこともある。

(俺はただ、愛する女を徹底的に愛し抜きたいだけなんだが)

 手加減して愛するなんて、俺には無理だ。だから俺は、もう恋愛などしないと諦めかけていた。

 だが――見つけたのだ。俺の理想の女を。
 社内の廊下ですれ違うたび、ビクビクしながら俺の目をじっと見つめてくる、あの清掃員の女。
 他の社員は目を逸らすのに、彼女だけは、頬を紅潮させ、震えながらも熱っぽい視線で俺を見上げてくる。

(あの怯え方……ゾクゾクする。俺に蹂躙されるのを待っている目だ)

 彼女なら、俺のすべてを受け止めてくれるかもしれない。
 絶対にモノにしてやる。そう決めた矢先に、彼女が俺の部屋で皿を割ったのだ。
 ……運命としか言いようがないだろう?


 ◇

「天野さん、エグゼクティブフロアの担当になったんだって?」

 清掃員の休憩室でお茶を飲んでいると、年配のパートの先輩たちが、まるで死刑台へ送られる囚人でも見るかのような顔で私を取り囲んだ。
 なんでも、前任者が「社長がこわすぎる」と言って辞めていったらしく、その後釜として私に白羽の矢が立ったのだ。

「あの社長、ヤクザより怖いって噂よ。気に入らないことがあると、一発で即クビ」
「そうそう。前に会社の金を横領した社員なんて、ドラム缶に詰められて東京湾に沈められたって話じゃない」
「若くてイケメンなのに、残念よねぇ」

 先輩たちは口々に「かわいそうに」と私を励ましてくれる。私は殊勝な顔で「気をつけます」と頭を下げたが、内心では歓喜に震えていた。

(噂通りの冷血漢……! まさしく私の推し、『氷の騎士様』そのものじゃない……)

 ――そうして迎えた、異動初日の勤務中。
 私は朝の清掃で、張り切って社長室にお邪魔し、そして人生が終わるレベルの『やらかし』をしてしまったのだ。

 私が部屋に入ると、デスクに座っていた鷹宮社長がふと顔を上げ、鋭い瞳でこちらを一瞥した。すぐに興味なさげに顔を背けられたのだが、私はその冷淡な仕草に射抜かれてしまった。

(ああ、いいわ~……あのゴミを見るような目、ゾクゾクする……)

 仕事中だというのに、ウットリと見入ってしまったのがいけなかった。
 身悶えるように身体をくねらせた拍子に、手に持っていたモップの柄が、大きく弧を描く。
 その軌道の先、壁際の飾り棚の上には、見るからに古めかしい青磁の皿が飾られていて――。

 ガシャァァァン!!
 静寂な社長室に、破滅の音が響き渡った。
 モップの柄は見事に、その皿へクリティカルヒットしていた。

「き、貴様ぁぁ! なんてことを! そ、そそそれは、先日のオークションで落札されたばかりの……宋代の青磁皿だぞ! 三千万円はするんだぞおおぉぉぉ!」

 駆けつけた社長室長の絶叫に、私は凍りついた。
 さ、三千万……!? 一生かかっても払えない。

 恐る恐る社長のほうを見ると、鷹宮社長は眉一つ動かさず、冷淡な瞳でこちらを見ていた。言葉はない。けれど、それが雄弁に『死』を語っている。

(ドラム缶……東京湾……魚のエサ……コンクリート詰め……!)

 ああ、私は今日、東京湾の底に沈むんだ。
 まず謝罪だ。誠意を見せろ。ひれ伏して、命乞いをしないと――!
 私は弾かれたように床へ崩れ落ち、額を擦り付ける勢いで土下座をした。

「も、申し訳ございませんっ!! わ、わた、たわし、!」

 あまりの恐怖に「私」が「たわし」になってしまった。
 訂正する余裕もない。私の視界の端に、磨き上げられた黒い革靴が止まる。
 私は顔を上げることすらできず、ひたすら冷たい床に額を押し付けて謝罪の言葉を紡ぎ続けた。

「本当に、申し訳ありません! 払えるお金はありませんが、命だけは……! このお裁きは、いかようにもなさってください。な、何でもしますからぁ!」

 そう言ったのが、運の尽きだった。
 頭上からふっ、と空気が抜けるような音が聞こえた。恐る恐る顔を上げると――鷹宮社長が、片方だけ口角を上げて私を見ていた。それは、獲物を甚振いたぶる前に浮かべる、死刑宣告の笑み。

「ほう。何でもすると言ったな。その言葉に、二言はないな?」
「も、もちろんでござる、いや……ございますっ!!」

「……いいだろう」
 社長はメモ帳にさらさらと何かを書くと、それを私の頭上へ放った。

「今日の二十時に、ここへ来い」
 言い捨てて出ていく社長。残された紙切れには、流れるような筆記体でこう書かれていた。

『Hotel Celestia Tokyo Suite』

(こ、これは……私の処刑地……!)


 ◇

 そして、現在。
 私は指定された超高級ホテル『セレスティア東京』のスイートルームで、絶体絶命のピンチに追い詰められていた。

 目の前に立つ男、鷹宮怜社長が、ゆっくりとジャケットを脱ぎ捨てる。
 しなやかで無駄のない動きは洗練されていて、まるで映画のワンシーンのようだ。けれど、今の私にはそれが『処刑の準備』にしか見えなかった。

(終わった……。これから私は、コンクリートと一緒にこの東京湾の夜景の一部になるのね……)

 ……いや、待って。

(コンクリート詰めにされたら、お魚さんが私を食べられないじゃない! 食物連鎖の邪魔をするなんて、環境破壊だわ!)

 この期に及んでSDGsを心配する私。
 じゃあ、コンクリート無しで生身のまま沈められるの?
 社長の冷たい視線が、私の服装の上を滑る。
 私は、クローゼットの中で一番マシな、淡いピンク色の花柄ワンピースを着てきた。
 どうせ東京湾に沈められるなら、作業着なんかで死にたくない。せめて最期は可愛い格好で死にたい。それが私なりの死装束おしゃれだった。

「……ほう。わざわざ着替えて来たのか。殊勝な心がけだ。覚悟は出来ているということか」
 社長は鼻を鳴らし、面白そうに口角を上げた。

(あ、褒められた? 『処分しがいがある』ってこと!? キャー素敵♡)

「では、脱げ」
 非情な命令。私はハッとした。

(ああ、そうね! お魚さんのエサにするならね、消化に悪い化学繊維はNGだものね! やっぱり環境への配慮だわ!)

 深く納得して、私は震える手でワンピースのファスナーを下ろした。
 するりと布が落ち、少し奮発して買ったレースの下着姿だけになる。
 羞恥心で身体が震えるが、鷹宮社長は微動だにせず、ただ値踏みするような視線だけを向けている。

(ああ、ゾクゾクする。なんて冷ややかな目……素敵♡)
 
 どうせ殺されるなら、その目に射抜かれて死にたい。
 私は姿勢を正し、学校の朝礼のごとく「気をつけ」の姿勢でピンと立った。
 さあ、来い! 煮るなり焼くなり沈めるなり!
 あ、でも苦しむのは嫌だな……即死がいいな。

「しゃ、社長、あの……い、痛くしないで……くれますか?」
「…………」

 返事がない。徹底的な無視。ゴミを見るような目。

(無視もいいわ~♡ 私の言葉なんて聞く価値もないってことね!)

 すると、しばらく無言で私の全身を鑑賞していた彼が、顎でベッドをしゃくった。

「横になれ」

 私はぽん、と手を打った。

(そうよね、今、私「縦」だもの。立ったままだとりにくいですもんね)

 納得して、私はふかふかのキングサイズベッドへと移動し、仰向けに横たわった。

 気配が近づいてくる。
 チラリと見ると、社長が首元のネクタイに手をかけ、シュルリと緩めているところだった。

(――ヒッ! やっぱり!)

 あのブランド物のネクタイで、首を絞める気なんだわ!
 高級なシルクで絞殺されるなんて、清掃員冥利に尽きる。
 私は覚悟を決めて、ぎゅっと目を閉じて待った。
 ベッドが沈む感覚。
 ふわりと、高級なコロンの香りと、雄の匂いが鼻孔をくすぐる。
 心臓が早くなる。来る。絞められる――!

「……ん?」

 しかし、予想していた窒息感は訪れなかった。
 代わりに、私の両手首を、何かがきつく締め上げる。

「あ……?」

 目を開けると、社長が自分のネクタイで、私の両手首を頭上のヘッドボードに縛り上げているところだった。
 手際が良すぎる。あっという間に、私は両手を万歳した状態で固定されてしまった。

(こ、これは……騎士様に凌辱される敵国の乙女のシチュと同じ!!)

「こ……拘束、ですか? 暴れないように?」
「……うるさい口だ」

 社長は結び目をきつく締めると、冷たい指先で私の頬を撫で下ろした。

「三千万だ。……身体で払ってもらうと言ったはずだが?」

「は、はい! 臓器ですよね? 腎臓ひとつで足りなければ、角膜も……んっ!?」

 言いかけた私の唇が、社長の冷たい唇によって塞がれた。

 え? え? キス?
 これはまさか、呼吸を奪って窒息させるための高度なテクニック!?

 社長の顔が離れると、耳元で低く、鼓膜が痺れるような声が囁かれた。

「まずは、味見からだ」

 ゾクリ。
 背筋に戦慄が走る。
 なんだ、今の声は。

 普段の冷たい業務連絡の声とは違う。
 甘く艶めいた低音ボイスが、私の全身を揺さぶった。

「……ほう。なかなか上等なモノを持っているじゃないか」
 社長の視線が、私の胸元に注がれる。

 パチン、と軽い音を立ててフロントホックが外され、露わになった胸を、社長はまるで品定めをするかのように見下ろした。

「あっ、やっ……!」

 社長は躊躇なく顔を寄せ、熱い舌でそこを舐め上げた。
 ざらりとした舌の感触。

(カラダで払うって、そっちかあぁぁぁ――!!)

 二次元脳 (処女)の私に襲いかかるリアルの生々しい衝撃。
 私は反射的に逃げようと身をよじったが――動かない。
 そうだ、縛られているんだった。
 両手首に食い込むネクタイの感触。
 それが、「絶対に逃げられない」「彼にすべてを委ねるしかない」という絶望的な状況を突きつけてくる。

(ああっ、動けない……! 私、いま完全にこの人の「おもちゃ」にされているんだわ……!)

 自由を奪われ、無防備な姿を晒し、ただ彼に美味しく食べられるのを待つだけの存在。
 なんて惨めで、恥ずかしくて――最高に興奮するシチュエーションなんだろう。
 恐怖を感じるべきなのに、縛られているという事実だけで、下腹部がキュンキュンと疼いてしまう。

「……もっと鳴け」
 耳元に唇を寄せられ、吐息混じりに囁かれる。

「ひゃぅっ! み、耳っ……!」
「ここが弱いのか? ん?」

 社長は私の反応を楽しむように、わざと耳の縁を甘噛みし、さらに深く囁きかけてくる。

「どうした、そんなに震えて。……怖いのか? それとも、期待しているのか?」
「ち、ちがいます、こわい、です……っ!」
「嘘をつけ。……縛られて感じているのか? どうしようもない変態だな」

 図星を突かれた言葉に、私はビクリと背中を跳ねさせた。
 否定したいのに、濡れた秘所がひくついているのが答えになってしまっている。

「責任を取る、というのは……こういうことだ。俺が満足するまで、たっぷりと味わってやる」

(こ、これでは、処刑じゃなくてご褒美……!?)

 社長の「イケボ」と「拘束」という背徳的なスパイスに、私のM心は完全に火がついてしまった。
 抵抗できない手首が引っ張られるたびに、快感が増していく。

「あ、だめ、もう、きちゃ……っ!」
 絶頂の波が押し寄せた、その瞬間。
 ピタリ、と動きが止まった。

「へ……?」
 寸止め。
 私は涙目で社長を見上げた。
 焦らされた身体は熱を持て余し、私の秘部の奥からは、我慢できない蜜がじわりと溢れ出している。

「――まだ、イっていいとは言っていない」

 冷徹な響き。絶対者の命令。
 その無慈悲な言葉に、屈辱よりも先に子宮がキュンと疼いてしまう。

「あぅ……、しゃ、ちょお……」

 情けない喘ぎ声が漏れるのを我慢できない。
 両手はまだ頭上で、ネクタイによって完全に制圧されている。逃げ場なんてどこにもない。
 社長の整った指先が、這うように私の腹部を滑り降り、そして――熱く濡れた秘所へと到達した。

「……ひどい。ずいぶんと濡らしているな」

 社長が呆れたように、けれどどこか嬉しそうに囁く。
 拘束された手を見上げながら、彼は意地悪く笑った。

「口では嫌がっていても、身体は正直だ。……縛られるのが好きなのか? 淫乱な女だ」

「っ! そん、な……こと……っ」

 恥ずかしい言葉責め。
 けれど、その低音ボイスが鼓膜を震わせると、否定の言葉すら甘い吐息に変わってしまう。
 するりと下着を剥ぎ取ると、社長は私の太腿を強引に割り開き、そこへ顔を埋めた。

「ひゃっ……!」

 直接、秘肉に熱い舌が這う。
 けれど、社長はすぐにイかせてはくれなかった。
 まるで高級なデザートを味わうかのように、ゆっくりと、ねっとりと、花弁のひだを一枚一枚愛でるように舐め上げていく。

「ん、あ……っ、くすぐったい、ん……っ!」
「力を抜け。……まだ序の口だ」

 私の意思なんて関係ない。
 社長の舌は、まるで獲物の味を堪能するかのように、秘部を丁寧に、かつ執拗に割り開いていく。

「どうした。腰が浮いているぞ」
「ひっ、だ、だって、そこ……き、汚い……!」
「汚い場所だ。だが……蜜の味だけは上等だな」

 冷ややかな蔑みの言葉。けれど、その直後にジュルッ、と卑猥な水音が響く。
 社長は私の反応を楽しむように、私の最も敏感な部分を舌先で転がし、吸い上げ、そして弾いた。

「あ、あ、あーーっ! やっ……んん、ダメ、おかしくなるぅぅ!」

 社長のテクニックは、私の拙い妄想を遥かに超えていた。
 冷たい言葉とは裏腹に、その舌使いはあまりにも熱烈で、巧みすぎる。

「こら、逃げるな。……俺が『いい』と言うまで、そのままでいろ」

 私が腰をくねらせて逃れようとすると、大きな手が太腿をガシリと掴んで固定した。
 逃げ場のない状態で、最も感じるところを容赦なく責め立てられる。

「ひぃッ! そこ、だめぇっ、イっちゃう……っ!」
「まだだ。……お前の許容量キャパはそんなものか?」

 社長は私の懇願を無視し、さらに激しく舌を動かした。
 私の愛液と彼の唾液が混ざり合い、太腿を伝ってシーツを汚していく。

「やあぁぁんッ! もう、むりぃ――ッ!」

 限界まで膨れ上がった快楽が、彼の舌が与える執拗な刺激に耐えられなかった。
 私は恥も外聞もなく背中を反らせ、無様に達してしまった。

「はぁ、はぁ、っ……」

 目の前がチカチカする。
 脱力してぐったりする私を見下ろし、社長が濡れた口元を指で拭った。
 その瞳は、獲物を追い詰めた肉食獣のようにギラギラと光っている。

「……勝手にイクとはな。躾のなっていない身体だ」

 低く、重い声。
 怒られるのかと思って身を縮めると、彼は口角を吊り上げ、ゾクッとするほどセクシーな笑みを浮かべた。

「だが、悪くない。……次は、本番だ」

 社長はスラックスの前を開き、既に限界まで怒張したくさびを取り出した。
 凶暴な熱を帯びたそれが、私の太腿に触れる。

(ひっ……あんな大きなもの……凶器だわ……! やっぱり私を殺す気なのね……!)

「安心しろ。死ぬほど気持ち良くしてやる」

 社長は私の腰を掴むと、まだひくついて濡れそぼった秘裂に彼の先端をあてがい、強引に腰を沈めた。

「んっ……!」

 ジュプ、と湿った音がしたのも束の間。
 太い杭が入り口を無理やり押し広げようとして、何かに阻まれたように止まった。
 異物が侵入する圧迫感。そして――ピリッとした引き裂かれるような痛みが走った。

「ぐ、っ……!」
「……ッ、なんだ。奥がつかえている……?」

 社長の動きが止まる。
 苦痛に涙を溜めて見上げると、彼は驚いたように目を見開き、そしてすぐに――酷薄な笑みを浮かべた。

「処女、だったのか。……あんな淫らな声で鳴いておきながら?」
「う、あ……ごめんなさ、い……」
「謝るな。……そそる身体だ」

 社長の瞳に、明らかな『嗜虐心』と『興奮』の色が宿る。
 彼は容赦なく、私を貫いてくる。

「あ、がっ……! い、たい……っ!」
「力を抜け。……キツいな。締め付けすぎて千切れそうだ」

 耳元で囁かれる吐息混じりの美低音。
 その声だけで、痛みが快感にすり替わっていくような錯覚に陥る。

「ほら、どうした。痛いなら止めてほしいと言ってみろ」
「と、とめて、くださいっ……しんじゃうっ!」
「嘘をつけ。中はこんなに熱く吸い付いているぞ。……本当に淫乱な女だ」

 社長の低音ボイスが、耳元で脳を溶かす。
 ズン、ズン、と彼の楔が押し入ってくるたびに、私は言葉にならない声をあげた。

「こら、逃げるな。俺を見ろ」
「あッ、はい、ひぃッ!」

 顔を背けようとすると、顎を掴まれて無理やり視線を合わされる。
 その瞳は、借金の取り立てなんかじゃない。もっとくらく、重い、独占欲に満ちた熱量で私を射抜いていた。
 そして何より、私の理性を破壊しているのは、この男の「声」だ。

「鳴け。もっと声を上げろ。……お前の初めては、すべて俺が貰う」

 ゾクゥッ……!
 耳元で囁かれた瞬間、脊髄に直接電流を流されたような衝撃が走った。
 チェロの音色のように深みのある、まとわりつくような甘い低音。

(う、嘘……! このセリフ、ゲームの『氷の騎士様』の名台詞そのまんまじゃない……っ!)

 一字一句違わない。
 しかも、騎士様の声優を遥かに上回る、極上のイケメンボイス。恐るべし、三次元の破壊力。

(耳が、妊娠するぅ――)

「……ほう? また一段と濡れたな。俺の声で感じているのか?」

 社長は私の反応を敏感に察知したようだ。
 彼はサディスティックに口角を上げると、わざと私の耳殻を甘噛みし、さらに深く、低く囁きかけてきた。

「どうしようもない変態だな。……そんなにこの声が好きか?」
「あ、あっ、やっ……! ちかくで、しゃべらないでぇ……っ!」

(だめ、その『変態』のイントネーションも、ドラマCDのトラック3と同じ……っ!)

 フェロモン溢れる官能ボイス。
 私の鼓膜を震わせ、脳髄を痺れさせるその響きだけで、恥ずかしいくらいに愛液が溢れ出してくる。
 現実リアルの社長が、私の妄想の中の騎士様を、軽々と超えていく。

「嫌だ。……たっぷりと聞かせてやる」

 社長の唇が、私の耳の穴を塞ぐように押し当てられる。
 逃げ場のない密室状態になった耳道に、吐息混じりのハスキーな声が直接注ぎ込まれた。

「いいザマだ、瀬奈。……清掃員の制服の下に、こんな淫らな雌の顔を隠していたとはな」

「いやぁ、そんなこと言わないでぇ……ッ!」

 恥ずかしい言葉攻め。けれど、それがゾクゾクするほど気持ちいい。
 社長は私の反応を楽しむように、わざと一番感じる場所をグリグリと抉ってくる。

「これは……どうだ?」
「ひぃぃんッ! 耳っ、耳がぁ……っ!」

 ドプン、ドプン!
 下半身を激しく突き上げられながら、耳元では脳が溶けるような甘い毒美声を注がれる。
 上からも下からも責められ、私のキャパシティはとっくに限界を超えていた。

「ここか? ん? ここを突き上げられるのが好きなのか?」
「あっ、そこ、そこは……っ!」
「素直じゃないな。身体はこんなに喜んで吸い付いているぞ」

(ひっ……! 責めるポイントまで騎士様と一緒……!?)

 この人、まさか前世は氷の騎士だったの!?
 それとも私が開発されすぎているの!?

「お前の身体に……俺を刻み込んでやる。二度と忘れられないようにな」

 トドメのように放たれた、掠れたセクシーな低音。
 その響きが引き金となり、私の目の前が真っ白に弾けた。

「あ、あぁっ! しゃちょうッ……。もう、声が、声だけでイっちゃうううぅぅぅ!」

 ネクタイで縛られた手が引っ張られ、胸が大きく反らされる。
 鼓膜から侵入した彼の声が全身を駆け巡り、私は彼の楔に貫かれたまま、音と快楽の波に溺れて絶頂を迎えた。


 ◇

Side:鷹宮 怜

 嵐のような情事が終わり、スイートルームには静寂が戻っていた。
 俺の腕の中では、気絶するように眠りに落ちた天野瀬奈が、規則正しい寝息を立てている。

 汗で額に張り付いた髪を、指先で優しく払ってやる。
 先ほどまでの激情に染まった顔とは違う、無防備であどけない寝顔。
 泣き腫らした目元や、キスマークだらけの白い肌を見ると、少しやりすぎたかもしれないという罪悪感と、それ以上の征服感が胸を満たす。

(……可愛いな)

 普段は清掃服に身を包み、地味に振る舞っている彼女が、こんなにも愛らしい素顔を持っていたとは。
 やはり、俺の目に狂いはなかった。
 処女だったことも驚きだが、何より相性が抜群だった。俺の歪んだ性癖も、激しい愛撫も、彼女はすべて受け入れ、最後には俺を呼んでイッてくれた。

(これで、お前は俺のものだ)

 もう二度と逃がさない。借金なんて口実はどうでもいい。
 明日からは俺の秘書にでもして、四六時中そばに置いておこうか。
 そんな甘い計画を練りながら、俺は愛おしさを込めて彼女の頬にキスを落とした。
 その時だった。
 瀬奈の愛らしい唇が動き、甘ったるい寝言が漏れた。

「んぅ……きし、さまぁ……♡」

 ピクリ、と俺の指が止まる。
 ……きし?

「……騎士、様……すきぃ……♡ もっとぉ……」

 とろけるような、幸せそうな声。
 さっき俺の下で喘いでいた時よりも、数倍デレた声色だ。
 俺の脳内で、瞬時に検索がかかる。
 キシ。きし。……岸?

(まさか……営業三課の、岸蓮次郎きし れんじろうのことか!?)

 俺の眉間に、深い皺が刻まれた。

 岸蓮次郎。
 入社三年目にして営業成績トップを独走する、社内の若手エースだ。
 仕事ができるだけではない。爽やかなルックス、人当たりの良い性格、そして誰にでも優しい男として有名だ。
 噂では、女子社員はおろか、清掃パートのおばちゃんたちにまで「岸くん、岸くん」とアイドル並みにモテていると聞く。

(そういえば、瀬奈は清掃員だ。廊下で岸と顔を合わせる機会も多いはず……)

 まさか、あの爽やか笑顔にたぶらかされたのか?
 俺との行為の直後に、夢に見るほどアイツのことが好きなのか?
 いや、待て。「もっとぉ」と言ったな?
 ということは、アイツともうそういう関係なのか? いや、処女だったはずだ。
 だとすれば、瀬奈は一方的に岸に恋焦がれていて、俺に抱かれながらも、心の中では岸を思っていたということか――!?

 ギリ、と奥歯が鳴った。
 腹の底から、どす黒い嫉妬の炎が燃え上がる。

「……いい度胸だ、瀬奈」
 俺は眠る彼女の顎を掴み、低い声で唸った。

「俺に抱かれながら他の男の名を呼ぶとは……。いいだろう、上等だ」

 あの爽やか営業マンが好みか。
 優しくて、気が利いて、笑顔が素敵な男がいいのか。
 あいにくだが、俺はそんな甘い男じゃない。

「あの優男のことは忘れさせてやる。……お前の頭の中を、俺でいっぱいにしてやるから覚悟しろ」

 俺は嫉妬に任せて、彼女の柔らかな胸に顔を埋めた。
 いっそ人事異動で飛ばしてやるか、岸蓮次郎。
 そして天野瀬奈……お前には、たっぷりとわからせてやる。

 この勘違いが、俺たちの関係をさらにややこしく、そして深く泥沼化させていくことを、この時の俺はまだ知らなかった。


 ◇

 あの一夜から、数日が経った。
 私は相変わらず、清掃員として社長室の掃除に励んでいる。

「失礼いたします……」

 静寂に包まれた社長執務室。
 デスクの奥には、今日も麗しの『氷の騎士様』こと、鷹宮社長が鎮座している。
 銀縁メガネの奥の瞳は、書類に落とされたまま微動だにしない。私が部屋に入っても、空気か埃のように完全に無視されている。

(はぁぁ……今日も素敵……♡)

 私はデスクの脚を拭きながら、熱っぽい視線を彼に送った。
 普通なら「無視されて悲しい」と思うところだろう。だが、私は違う。
 あの夜、ホテルであんなにも激しく、獣のように私を貪った男が、会社ではこの「冷徹な仮面」を被っている。
 そのギャップがたまらないのだ。

(あんなに冷たい顔をしてるけど……この指が私の中を掻き回したのよね。この唇が、私の耳元であんな淫らな言葉を……)

 思い出すだけで、掃除中の身体がカッと熱くなる。
 私の下半身は、彼に開発されてすっかり彼仕様になってしまったようだ。
 チラリ、と社長がこちらを見た。ゴミを見るような、凍りつくような視線。

「……手が止まっているぞ。さっさと終わらせろ」
「は、はいっ! 申し訳ありません!」

 冷たい! ぞんざいな扱い! 最高!
 私は心の中でガッツポーズをしながら、喜び勇んで床磨きに戻った。

 私、完全に調教されているわ……。
 掃除を終え、私はモップを持って廊下に出た。
 給湯室の奥にある用具入れに向かおうと、角を曲がったその時だ。

「おっと」

 向こうから歩いてきた男性と、ばったり出くわした。
 仕立ての良い紺色のスーツ。爽やかに整えられた短髪。そして、芸能人のように整った甘いマスク。
 営業部のエース、岸蓮次郎さんだ。

(うわ、岸さんだ。眩しい……!)

 彼は社内のアイドル的存在だ。
 成績優秀、容姿端麗、そして何より「性格が良い」ことで知られている。
 鷹宮社長が「氷の魔王」なら、彼は間違いなく「陽だまりの王子様」だろう。

 私は壁際に身を寄せ、一清掃員としての社交辞令を口にした。
「お、お疲れ様です……」
 どうせ私の顔なんて覚えていないだろうから、適当に会釈して通り過ぎようとした、その時。

「やあ、天野さん。お疲れ様」

 キラキラとした笑顔と共に、私の名前が呼ばれた。
 えっ?
 私は驚いて足を止めた。

「え……あ、あの、私の名前……?」
「うん? 天野瀬奈さんだよね。いつも丁寧に掃除してくれてありがとう。君のおかげで気持ちよく仕事ができているよ」

 岸さんは足を止め、私に向かってにっこりと微笑んだ。
 衝撃だった。
 全社員の顔と名前を覚えているとは聞いていたけれど、まさか下請けの清掃員のフルネームまで把握しているなんて!
 なんて完璧な営業マンなの!

「あ、ありがとうございます……! き、恐縮です!」

 あまりの驚きと恐縮で、私は慌てて振り返り、深々と頭を下げようとした。
 その拍子に、自分の足とモップの柄が絡まった。

「あっ――」
 バランスが崩れる。
 世界が傾く。転ぶ!
「――危ない!」
 岸さんの手が伸びた。
 ガシッ、と力強い腕が私の肩と腰を支える。
 私は床に叩きつけられる代わりに、岸さんの胸の中にすっぽりと抱きとめられていた。

「だ、大丈夫? 怪我はない?」
「は、はい……! す、すみません、ありがとうございます……!」

 至近距離にある岸さんの顔。
 ふわりと漂う、爽やかなシトラス系のコロン。
 端から見れば、完全に情熱的に抱き合っているような体勢だ。

(び、びっくりした……。岸さん、運動神経もいいんだ……)

 私が安堵の息をつこうとした、その瞬間だった。
 廊下の空気が、ピキリと凍りついた。

「…………」

 背筋に走る、強烈な悪寒。
 恐る恐る視線を上げると、岸さんの背中越し、廊下の向こうに――魔王が立っていた。

 鷹宮社長だ。
 上階の社長室から降りてきたのだろうか。
 彼はポケットに片手を突っ込んだまま、抱き合う私たちをじっと見据えていた。
 表情は、ない。
 能面のように無表情だ。
 けれど、その眼鏡の奥の瞳には、東京湾の底よりも深く、暗く、ドス黒い炎が渦巻いていた。

(ひっ……!? しゃ、社長!?)

 なぜそんなに怒っているの?
 サボっていたから? それとも社内恋愛 (に見える行為)が禁止だから?
 違う。あの目は、そんな生易しいものじゃない。
 まるで、自分の所有物に手を出された猛獣の目だ。

 ――この時の私はまだ知らなかった。
 自分の寝言のせいで、社長が「岸さんこそが私の想い人 (=恋敵)」だと盛大に勘違いしていることを。
 そしてこのハプニングが、その勘違いを「確信」へと変えてしまったことを。

「…………」

 カツ、カツ、カツ。
 死刑執行人の足音が近づいてくる。
 社長が無言で歩み寄ってくるその一歩ごとに、廊下の気温が一度ずつ下がっていくようだ。

「あ、天野さん、大丈夫?」

 岸さんは、背後の殺気に気づいているのかいないのか (鈍感なのか大物なのか)、まだ私を支えたままだ。
 私は慌てて岸さんの腕から飛び退いた。

「だ、だだだ大丈夫です! すみません岸さん、離れてください! これ以上は命に関わります!」

岸さんはハッとして、ガタガタと震える私を見下ろした。

「……まるで蛇に睨まれた小動物みたいに震えている。俺が守らないと……」
 岸さんが何か小声でブツブツと呟いている。
 その瞳が、勝手に「か弱い君を救う」という使命感に燃え上がっていくのかのようだった。

「……勤務中に、何をしている」

 ヒィッ!
 頭上から降ってきたのは、絶対零度の低音ボイス。
 恐る恐る顔を上げると、社長が私の目の前に仁王立ちしていた。
 近い。そして怖い。
 眼鏡の奥の瞳は、岸さんを完全に「敵」として認識し、ロックオンしている。

「お疲れ様です、社長」

 岸さんが爽やかな笑顔で挨拶をした。さすが営業のエース、この殺気にも動じないなんて!
 
「彼女が転びそうになったので、支えていただけですよ。清掃員の方にもキチンと・・・・接するのは、社員としての嗜みですからね」

「……ほう」

 社長の眉がピクリと跳ねた。
 岸さんの「キチンと接する」という言葉が、社長の地雷 (勘違いスイッチ)を全力で踏み抜いたのだ。

(ああっ、岸さんダメ! それは「僕たち親しいんですアピール」に聞こえちゃう!)

 社長は氷のような笑みを浮かべ、ゆっくりと岸さんを見下ろした。

「ずいぶんと……余裕があるようだな、岸。清掃員にちょっかい出している暇があるなら、来期の営業目標の上乗せについて考えたらどうだ?」

「おや、厳しいですね。ですが、余裕こそが良い仕事を生むんですよ」

 バチバチバチッ!
 二人の間に火花が見える。

 「氷の魔王」VS「陽だまりの王子」。

 本来なら会社を背負うトップ同士の会話のはずなのに、なぜか漂う空気は「昼ドラの三角関係」だ。
 だが社長はすぐに視線を私に向けて命じた。

「……行くぞ」
「え?」

「社長室の掃除に不備があった。……やり直しだ」
「ふ、不備!? そんなはずは……あッ!」

 反論しようとした私の腕を、社長の大きな手がガシリと掴んだ。
 痛いほど強い力。
 それは「上司が部下を連れて行く」強さではない。「オスが自分のメスを巣に引きずり込む」強さだ。

「すぐ来い。……徹底的に『再教育』してやる」
 ゾクゥッ……!

 「再教育」という単語の響きが、あの夜の「お仕置き」と重なる。
 社長の指先が、私の二の腕に食い込む。その痛みすら、今の私には甘美な予感に変換されてしまう。

「は、はい……! し、失礼します、岸さん!」

 私は岸さんにペコペコと頭を下げながら、社長にずるずると連行されていった。

「お疲れ様、天野さん。あまり無理しないでね。何かあったら相談に乗るよ」

 背後から聞こえる岸さんの優しい声。
 その声を聞いた瞬間、私の腕を引く社長の力が、ギリリと強まったのを私は見逃さなかった。

(ああ……社長、すっごく怒ってる……)

 これは、ただの説教じゃ済まない。
 社長室という密室で、何をされるのか。
 東京湾に沈められる恐怖と、微かな期待に胸を高鳴らせながら、私は魔王の城社長室へと引きずられていった。


 ◇

 バタンッ!
 背後で容赦なくドアが閉まり、ガチャリと鍵がかかる音が響いた。
 ここは社長室。一般社員が立ち入ることの許されない、まさに魔王の城の最深部だ。

「ひっ……!」

 鍵の音は、私にとっては退路が断たれた合図だ。
 私の腕を掴んでいた社長の手が離れたかと思うと、次の瞬間、ドンッ! という音と共に、私はドアに押し付けられていた。

「……答えろ」

 至近距離。
 目の前には、怒りに燃える氷の瞳。
 社長の両腕が私の顔の横のドアにつき刺さり、私は完全に逃げ場を失った。いわゆる「壁ドン (ドアドン)」だ。

(ち、近い! 怒ってる顔も素敵すぎる……! これ、ゲームのスチルで見たやつだわ!)

 恐怖で震えているのに、脳内の乙女回路は歓喜の悲鳴をあげている。
 しかし、社長の問いかけは、私の予想の斜め上を行っていた。

「あの男の腕の中は、そんなに居心地が良かったか?」
「え……? あの男、って……岸さんのことですか?」

「俺の前で、他の男の名前を呼ぶな!」

 ドォン!
 社長が再びドアを叩く。その振動が背中に伝わり、私はビクリと跳ねた。

「わ、わざとじゃありません! 転びそうになったところを助けてもらっただけで……」

「触られたんだろう? 肩と、腰を」

 社長の冷たい指先が、岸さんに触れられた私の肩と腰を、なぞるように撫でた。
 ゾワゾワと鳥肌が立つ。
 それは優しい愛撫じゃない。自分の所有物に付いた、他人の痕跡を確認する、独占欲に満ちた手つきだ。

「あ……の、その……」

「にやけていたな、お前。あの優男に名前を呼ばれて、嬉しかったのか?」

(えええ!? もしかして社長、岸さんが私に優しくしたことに怒ってるの!?)

 まさか。天下の鷹宮社長が、たかが清掃員への態度一つで、エリート営業マンに嫉妬?
 ありえない。自意識過剰だわ私。
 きっと、「仕事中にイチャイチャするな」という風紀的な怒りに違いない。

「ち、違います! 岸さんは誰にでも優しいだけで、私みたいな清掃員にも平等に接してくれる素晴らしい方で……ひぃッ!」

 私が岸さんを褒めれば褒めるほど、社長の周りの温度が下がっていく。
 まずい。地雷を踏み抜いている気がする。

「……そうか。そんなに素晴らしい男か」

 社長が低く笑った。背筋が凍るほど美しい、魔王の笑みだ。

「誰にでも優しい男が好みか。……あいにくだが、俺はそんな甘い男じゃないぞ」

 社長の手が、私の清掃服のジッパーにかけられた。
 ジジジ、と鈍い音を立てて、ジッパーが引き下ろされていく。

「しゃ、社長!? ここ、会社です! 神聖な社長室です!」
「だからどうした。ここは俺の城だ。ルールは俺が決める」

 魔王様が絶対的な宣言をする。そして私の腕を引っ張り、観葉植物の影に隠れた簡素な扉を開け、中に放り込んだ。
 簡易ベッドが置かれた仮眠室。
 私の鎖骨に、社長は噛み付くように熱い口づけをした。

「んぁっ……!」
「……あの男の匂いがする。不愉快だ」

 岸さんの爽やかなコロンの残り香が、社長の逆鱗に触れたようだ。
 社長は私の首筋に顔を埋め、まるでマーキングするように深く、強く吸い付けた。

「上書きしてやる。……お前は誰の所有物モノか、身体に直接教えてやる」

(嘘……ここで!? この後すぐに会議があるんじゃ……!?)

 背徳感と恐怖、そしてそれを上回る興奮で、私の頭は真っ白になった。

「こ、困ります社長! 誰かが入ってきたら……!」
「鍵はかけた。……それに、文句を言える立場か?」
「んぐッ……」
 社長は私の反論を唇で封じると、さらに暴挙に出た。

「……動くな。まだ匂いが残っている」
 不機嫌そうに鼻を鳴らすと、私の制服のブラウスを強引に左右に引き裂いた。
 ブチブチッ、とボタンが飛ぶ音が静寂に響く。
 もったいない! 会社支給なのに!

「あ、あの……優しく……」
「黙れ。……消毒だ」

 社長の唇が、私の右肩――さっき岸さんが触れた場所――に吸い付いた。
 チュッ、ジュルッ……。
 甘いキスじゃない。皮膚を吸い上げ、鬱血させるような強い吸引。

「いっ、ぁ……! あ、跡がついちゃう……っ!」
「つけてるんだ。……誰の女か、一目でわかるようにな」

 社長は冷酷な目で私を見下ろしながら、執拗に肩、鎖骨、そして胸元へと、赤い花びらのようなキスマークを咲かせていく。

「これで、もうあの優男も手出しはできないだろう」
「そ、そんな……こんな体じゃ、みんなでお風呂に入れないじゃないですかぁ……」
「入るな。俺とだけ入れ」

 理不尽すぎる!
 けれど、一つ一つのマークが刻まれるたびに、「私はこの人のものだ」という実感が身体の奥底に染み込んでいく。
 痛みと熱さが混ざり合い、下腹部がキュンと収縮した。

「……まだだ。匂いは元から絶たないとな」

 社長の指が、私の作業ズボンの中に侵入する。
 ウエストのゴムを強引に広げられ、下着の布地越しに、蜜で濡れた秘部を指でなぞられた。

「ひゃうっ!」
「ほう……。こんな場所で、もう濡らしているのか。変態め」

 蔑むような言葉とは裏腹に、社長の瞳は情欲で濁っている。

「清掃員としての業務は終わりだ。……これからは、俺専用の玩具として働け」

 社長は自身のズボンのベルトに手をかけた。
 カチャリ、という金属音が、開戦の合図のように響く。
 窓の外には、午後の明るい太陽。
 廊下の向こうには、社員たちが働いている気配。
 そんな日常のすぐ隣で、私は今から、魔王様による徹底的な「上書き保存」をされようとしている。

「あ、あっ、社長……激し、すぎっ……!」

 私の懇願など、社長の耳には届かない。
 大きく股を開かされ、社長の凶暴な楔が、容赦なく私の中を突き上げている。
 目の前には、乱れた前髪の隙間から、冷徹な瞳で私を見下ろす社長の顔。

(ああ……この冷たい目……蔑むような視線……)

 それはまさに、私が毎晩画面の中で愛でている『氷の騎士』そのものだった。
 私の脳内と現実が、快感のあまり完全にリンクしてしまう。

(尊い……! 私の騎士様が、現実で私を蹂躙してくれている……!)

 極限の興奮状態。
 理性のタガが外れた私は、あろうことか、脳内の推しの名前を口走ってしまったのだ。

「ああんッ……わたしの、きし (騎士)さまぁ~……♡」

 ピタリ。
 その瞬間。
 激しく動いていた社長の腰が、嘘のように停止した。

「……は?」

 頭上から降ってきたのは、永久凍土を通り越して、もはや殺気すら帯びた冷たい低い声だった。
 私がハッとして目を開けると、社長が信じられないものを見るような目で、私を凝視していた。

「お前……今、なんと言った?」
「え……? あ、あの……」

(やばい! つい脳内設定が口から漏れちゃった! オタクだってバレる!)

 私が必死に言い訳を考えている間に、社長の表情がみるみると歪んでいく。
 憤怒。屈辱。そして、煮えたぎるような嫉妬。

「……『岸』様、だと?」
 社長の声が震えている。

「俺に抱かれながら……この俺を受け入れている最中に……また、あの男の名を呼ぶのか?」

(え?)

 一瞬、思考が止まる。
 きし? 岸?
 ……ああっ! 営業の岸蓮次郎さんのこと!?
 違う! 私は「騎士 (Knight)」って言ったの!
 発音は同じだけど、漢字が違うの!

「ち、違います! 誤解です! 私が言ったのは、あの……!」
「黙れ」

 弁解しようとした口を、社長の熱い唇が乱暴に塞いだ。
 ガブッ、と下唇を甘噛みされる。痛い、けど甘い。

「『様』付けだと? ……ハッ、傑作だな。あの優男をそこまで崇拝しているとは」

 社長が離れ、ギラリと光る瞳で私を射抜いた。

「俺はただの『社長』で、あの男は『岸様』か。……いい度胸だ、天野瀬奈」

 ズチュウウウゥン!!

「ひぎゃああぁぁっ!?」

 社長が怒りに任せて、今までで一番深く、根本まで一気に腰を打ち付けた。
 子宮が突き上げられる衝撃に、私の背中が海老反りになる。

「そんなに『岸様』がいいか? ん? あの男はこんなに激しく突いてくれるか?」
「ちが、あ、あッ! 岸さんとは、そんな、関係じゃっ、ひぐぅッ!」
「嘘をつくな! 身体はこんなに喜んで締めているじゃないか!」

 社長のピストンが、倍速になった。
 もはや愛撫ではない。完全なる罰。嫉妬に狂った雄の暴力的なセックスだ。

「わからせてやる……。お前が『様』をつけて呼ぶべき相手は、あの男じゃない」
「あ、あ、ああーッ!」
「俺だ。……俺だけを見て、俺の名前を呼んでイけ!」

 グチャグチャとかき回される快感に、私は簡易ベッドの縁を掴んだまま、涙目で首を振った。
 誤解だ。完全に誤解だ。
 でも、嫉妬に狂って理性を失った社長が……今までで一番、エロくて格好いい!

(騎士様ぁぁ! じゃなくて、社長ぉぉ! 最高ですぅぅ!)

 私の心の声など届くはずもなく、その日、私は「岸さんの幻影」と戦う社長によって、何度も何度も絶頂へ沈められることになったのだった。


 ◇

 あれから数日。
 私は社長室での「再教育」ですっかり身体を開発され、社長の顔を見るだけで条件反射で濡れてしまうほどになっていた。
 ……けれど、現実はゲームのように甘くはない。

「ちょっと、聞いた? 鷹宮社長の話」

 午後の休憩室。
 お茶を啜りながら、パートの先輩たちが声を潜めて話し始めた。
 ここの情報網はCIAより早い。私はせんべいを齧りながら耳をそばだてた。

「聞いたわよー! ついにお見合いするんですってね?」

 ガリッ。
 私が噛んだせんべいが、鈍い音を立てて割れた。
 え……? お見合い?

「ウッソー、あの冷徹仮面が!? 女嫌いで有名なのに?」
「それがね、お相手はあの『松山グループ』のご令嬢らしいのよ。創業家の孫娘で、大学院卒の才色兼備。モデルみたいに綺麗な人なんだって」
「へぇ~! さすがはお金持ち同士、釣り合いが取れてるわねぇ。社長もお年頃だし、そろそろ身を固める気になったのかしら」

 先輩たちの楽しげな声が、遠くの方で聞こえる。
 私の心臓は、早鐘を打つのを止めて、スウッと冷たくなっていた。

(お見合い……。ご令嬢……)

 頭をハンマーで殴られたような衝撃だった。
 でも、すぐに冷ややかな納得が押し寄せてくる。

(……そうよね。当然よね)

 彼は日本を代表する企業のトップ。
 隣に立つのは、家柄も教養も容姿も完璧な、お姫様のような女性であるべきだ。
 私みたいな、皿を割った借金の代わりに身体を差し出しているだけの、冴えない清掃員なんかじゃない。

(馬鹿みたい……。私、なに期待してたんだろ)

 あの執務室での激しい抱擁も、嫉妬してくれたように見えたあの態度も。
 すべては、暇つぶしの「ゲーム」だったんだ。
 結婚前のちょっとした火遊び。
 あるいは、私が「騎士様」なんて変なことを言う面白いおもちゃだから、壊れるまで遊んでやろうと思っただけ。

『……俺だけを見て、俺の名前を呼んでイけ』

 耳に残るあの熱い命令も、今は嘘のように虚しく響く。

(お相手が決まれば、私はもう用済みね……)

 三千万円の借金はどうなるんだろう。
 いや、そんなことより。
 もう二度と、あの冷たい瞳に見つめられることも、熱い腕に抱かれることもなくなるのだと思うと――胸が張り裂けそうで、息ができなかった。

「天野さん? どうしたの、顔色が悪いわよ?」
「あ、い、いえ! ちょっと貧血気味で……!」

 私は逃げるように席を立った。
 これ以上ここにいたら、惨めさで泣き出してしまいそうだったから。


 ◇

 噂を聞いてからというもの、私は上の空で仕事をしていた。
 けれど、悲劇というのは得てして、予期せぬタイミングで向こうからやってくるものだ。

 その日、私はいつものように社長室の清掃に入っていた。
 社長は会議で不在。その隙に、埃一つない状態に仕上げようと、マホガニーのデスクを磨き上げていた時だった。

 ガチャリ。
 ノックもなく、重々しい扉が開いた。

「あら、ここが怜様の執務室?」

 鈴を転がすような、品のある高い声。
 私が驚いて顔を上げると、そこには、まばゆいばかりの「光」が立っていた。
 艶やかな巻き髪。透明な白い肌。
 身に纏っているのは、一目でわかるブランド物のツイードセットアップ。
 腕には宝石が散りばめられた超高級腕時計。首元には、最高級の輝きを放つ大粒ダイヤモンド。

(……きれい。お人形さんみたい)

 それが、噂の「松山グループのご令嬢」であることは、誰に言われなくても直感で理解できた。
 私とは、生物としての「格」が違う。

「……勝手に入るなと言ったはずだが」

 彼女の背後から、低い声が響いた。
 鷹宮社長だ。
 彼は眉間にわずかな皺を寄せ、いつもの不機嫌そうな「氷の仮面」を被って立っていた。
 けれど、その腕には――彼女の手が、しっかりと絡め取られていた。

「いいじゃない、減るもんじゃなし。……あら?」

 ご令嬢が、部屋の隅で固まっている私に気づいた。
 彼女の美しい瞳が、私の薄汚れた作業着、手にした雑巾、そしてすっぴんの顔を、上から下まで一瞬でスキャンする。

「……お掃除の方?」
「あ、は、はい……! 清掃担当の天野です……! し、失礼いたしました!」

 私は反射的に最敬礼をして、その場を辞そうとした。
 ここにいてはいけない。
 ダイヤモンドの隣に、汚れた雑巾があっていいはずがないのだ。

「待て」

 すれ違いざま、社長が私を呼び止めた。
 ビクリと肩が震える。
 恐る恐る顔を上げると、社長は私を見ているようで見ていない、あの冷徹な瞳で言った。

「そこ、まだ拭き終わっていないぞ」
 社長の視線が、デスクの端を指す。

「あ……も、申し訳ありません……!」
「出ていくなら、完璧に終わらせてからにしろ」
「は、はいっ! ただちに!」

 私は逃げ出したいのをこらえ、震える手でデスクの残りを拭き上げた。
 その間、背後では二人の会話が聞こえてくる。

「怜様ってば、使用人にも厳しいのね。フフ、完璧主義なんだから」
「……仕事だ。妥協はしない」
「そういうストイックなところ、嫌いじゃないわよ。お父様も気に入るはずだわ」

 親しげな会話。
 社長は相変わらず冷たいけれど、彼女の腕を振りほどこうとはしない。
 並んで立つ二人の姿は、一枚の絵画のように完璧だった。
 ダークスーツを着こなす美貌の魔王と、華やかな王女様。

(……お似合いだわ)

 悔しいけれど、認めざるを得ない。
 二人の間には、私には決して踏み込めない「上流階級」という共通言語がある。
 私が身体を使って借金を返している間に、彼はこうして、本来あるべき未来へと歩を進めていたのだ。

「終わりました……。し、失礼いたします」

 私は逃げるように頭を下げ、部屋を飛び出した。
 背中でドアが閉まる音が、まるで「お前の居場所はここじゃない」という断絶の音に聞こえた。
 廊下に出た瞬間、堪えていた涙がじわりと滲んだ。

(馬鹿だなぁ、私。……最初から、わかってたことじゃない)

 私はただの清掃員。彼は雲の上の社長。
 物語ゲームなら奇跡も起きるけれど、現実の身分差パラメーターは、どんなにレベルを上げても埋まらないのだ。


 ◇

 涙を必死にこらえながら、私は廊下を早足で歩いていた。
 視界が滲んで、足元がおぼつかない。
 早く、誰もいない用具室に隠れて泣きたい。そう思って角を曲がった瞬間だった。

「……おや? 天野さん?」

 爽やかな声に呼び止められ、私はビクリと足を止めた。
 視界の端に、紺色のスーツが映る。
 営業の岸蓮次郎さんだ。彼は心配そうに眉を下げ、私の顔を覗き込んだ。

「どうしたの? そんなに目を赤くして……」
「あ、いえ……なんでも、ないです……」

 慌てて俯いて涙を隠そうとするが、岸さんの優しい視線からは逃げられない。
 彼はふと、私の来た方角――社長室の方を見やり、何かを察したように小さく息を吐いた。

「……あのご令嬢と、会っちゃった?」
「えっ」
「社内でも持ちきりだよ。松山グループのお姫様が、ついに社長を落としに来たってね」

 岸さんは苦笑しながら、ポケットから清潔なハンカチを取り出し、私の目元にそっと差し出した。

「辛かったね。……社長、ああ見えて口が悪いし、君にまた無理難題を言ったんじゃない?」
「い、いえ……社長は、仕事熱心なだけで……」
「優しいなぁ、天野さんは」

 岸さんの温かい指先が、私の涙を拭う。
 その体温は、社長のあの火傷しそうなほど冷たくて熱い手とは違う。日向のような、穏やかで安心できる温もりだ。

(ああ……普通は、こうなんだよね。優しくされるって、こういうことなんだ……)

 社長との歪んだ関係に麻痺していた心が、岸さんの「真っ当な優しさ」に触れて、逆に惨めさを増幅させる。

「僕でよければ、話聞くよ? ちょうど休憩に入ろうと思ってたんだ。美味しいコーヒー、奢るよ」
「え……でも、私なんかと……」
「『君』がいいんだよ」

 岸さんがふわりと微笑み、私の肩に手を置いた。
 その笑顔があまりに眩しくて、弱りきった私の心は、ついその優しさに縋りそうになった。

 ――その時だ。

 ゴオオオッ……!
 廊下の空気が、一瞬にしてブリザードに変わった。
 背筋が凍てつくほどの殺気。

「……俺のモノに、気安く触るな」

 恐る恐る振り返ると、そこには――般若のような形相の鷹宮社長が立っていた。

「しゃ、社長……!?」

 どうして? ご令嬢と一緒だったはずじゃ?
 社長は肩で息をしながら、恐ろしいスピードで私たちに歩み寄ってきた。
 その目は、岸さんが私の肩に置いている手に釘付けになっている。

「仕事はどうした。油を売っている暇があるなら、クライアントの所へでも行ってこい」

 氷のような業務命令。
 けれど、岸さんは動じない。それどころか、いつもの柔和な笑顔をスッと収め、真剣な眼差しで社長を見据えた。

「おや、社長。休憩中の職員を労うのも、上司の務めですよ」
「……口答えをするな」
「それに」

 岸さんは社長の威圧に一歩も引かず、静かに続けた。

「彼女たちの毎日の丁寧な清掃のおかげで、僕たちは気持ちよく営業活動ができている。――裏方のプロへの敬意を欠いて、何がトップですか」

「……くっ」

 社長が言葉に詰まる。
 数字や成果だけでなく、働く「人」を大切にする岸さんの正論。それは、独占欲だけで動いている今の社長には痛いほど刺さったはずだ。
 岸さんはさらに、私を庇うように一歩前に出た。

「それに、天野さんは泣いていましたよ。……彼女を泣かせるような真似をしたのは、社長でしょう?」

「……貴様」

 社長のこめかみに青筋が浮かぶ。
 図星を突かれた怒りと、恋敵への嫉妬が混ざり合い、空気がバチバチと爆ぜる。
 一触即発。
 まずい。よくわからないけど、私のせいで、二人が殴り合いを始めてしまう!

「や、やめてください!」
 私は慌てて二人の間に割って入った。
「社長、戻ってください! あの方をお待たせしているんでしょう!?」
「あの方……?」
「松山様です! あんな素敵な方を放置して、こんなところで何をしてるんですか!」

 私は泣きながら叫んでしまった。
 社長は虚を突かれたように目を見開き、それから眉をひそめた。

「……お前、何を勘違いしている」

「勘違いなんかじゃありません! 見ましたもん! お似合いでした! 私なんかよりずっと、社長にふさわしいです!」

「は?」

「私はただの清掃員で、借金のカタです……! 用が済んだなら、もう構わないでください! 岸さんのご迷惑にもなりますから!」

 言ってしまった。
 もう、あの屈辱的で甘美な関係は終わりにしよう。
 私は岸さんの背中に隠れるようにして、社長を拒絶した。

 ――その瞬間。
 社長の中で、何かの線がブチリと切れる音が聞こえた気がした。

「……そうか。俺より、その優男がいいか」

 社長の声から、感情が消えた。
 底知れない、虚無のような冷たさ。
 彼はゆっくりと眼鏡の位置を直すと、岸さんを一瞥し、そして私を見た。

「迷惑? ……いいだろう。なら、とことん迷惑をかけてやる」

「えっ……きゃあっ!?」

 次の瞬間、私は宙に浮いていた。
 社長が私を米俵のように肩に担ぎ上げたのだ!

「ちょ、社長!? 離して! 下ろして!」

「暴れるな。……借金の返済期限はまだ残っている。身体で払うと言ったのはお前だぞ」

 その言葉を聞いた瞬間、岸さんの動きがピタリと止まった。

「え……?」

 岸さんは驚いて目を見開き、私と社長を交互に見た。

「身体で払う……? 借金……?」

 彼の視線が、私の真っ赤になった顔(※興奮と恥ずかしさ)に注がれる。
 私の表情を見た岸さんは、ハッと息を呑み――そして、ふっと力を抜いて苦笑した。

「そうか……。ただのパワハラじゃ、なかったんですね」

 岸さんの伸ばしかけた手が、スッと下ろされる。

「そんなに顔を赤くして……。二人の間には、僕なんかじゃ踏み込めない事情あいがあるってことか」

 彼はいつもの爽やかな笑顔に戻り、けれど少しだけ寂しそうに私を見つめた。

「ごめんね、天野さん。どうやら僕は、野暮なお邪魔虫だったみたいだ」

(ち、違います岸さん! これ、ただの犯罪スレスレの契約です!)

 誤解を解きたいけれど、今の私には社長という拘束具がついている。
 岸さんは「お幸せに」と言わんばかりに一歩下がり、道を譲ってしまった。
 完全に、「愛し合う二人の邪魔はしない」という紳士的な対応だ。

「……ふん」

 社長は勝利を確信して鼻を鳴らすと、私を担いだまま、堂々と大股で歩き出した。

「い、嫌ぁぁ! どこに行くんですかぁ!?」

「決まっているだろう。……ご令嬢も、優男も、二度と視界に入らない場所へ監禁してやる」

 魔王様が、完全に暴走した。
 すれ違う社員たちが「ひっ!」と悲鳴を上げて道を開ける中、私は恥ずかしさと恐怖 (と、ときめき)で真っ赤になりながら、再び魔王の城へと連れ去られていくのだった。


 ◇

 私が連れ込まれたのは、都内を一望できるタワーマンションの最上階だった。
 専用エレベーターを降りると、そこはもう異次元の空間。
 広すぎるリビング、足が沈む絨毯、そして壁一面の窓から見える東京の景色。

 ドンッ!
 私はイタリア製の高級ソファに投げ出された。

「い、痛ぁ……」
「ここなら、あの優男も、会社の人間も誰も来ない」

 社長がジャケットを脱ぎ捨て、ネクタイを乱暴に緩めながら私を見下ろす。
 背後の窓から眩い陽射しが差し込んでいる。
 けれど、逆光で表情が見えない彼の姿は、完全にホラー映画の殺人鬼 (または監禁犯)だった。

「一生ここから出さない。……本気だぞ」

「そ、そんな横暴な! 会社はどうするんですか! 私の清掃業務は!?」

「辞めさせたと伝えてある。借金は俺が肩代わりする。お前は今日から、俺だけの専属だ」

 完全に常軌を逸している。
 普段の冷徹で理知的な社長はどこへ行ったの?
 これじゃあまるで、愛に狂ったヤンデレ魔王じゃない!

「ど、どうして私なんですか……っ!」
 私は恐怖と混乱で、涙ながらに訴えた。

「私なんかより、あのご令嬢の方がずっといいじゃないですか! あんなに綺麗で、お金持ちで、社長とお似合いなのに!」

「……松山のことか?」
 社長が心底うんざりしたように鼻を鳴らした。

「あいつは駄目だ」

「えっ?」

「あいつは、自分が世界の中心だと思っている『お姫様』だ。男は自分にかしずき、チヤホヤし、奉仕して当然だと思っている」

 社長は私の顎を指でくい、と持ち上げ、冷酷な笑みを浮かべた。

「あいにくだが、俺は女の機嫌を取って『おままごと』をする趣味はない。……俺が欲しいのは、お姫様プリンセスじゃないんだ」

「じゃ、じゃあ、なんなんですか……」

「俺の玩具オモチャだ」

 ゾクッ。
 その単語の響きに、私の身体が反射的に跳ねた。

「俺に支配され、俺に翻弄され、俺の下で無様に泣き叫ぶ女……。俺のこの歪んだ性癖を満たせるのは、あんな気位の高いお姫様じゃない」

 社長の指が、私の唇をなぞる。

「お前だ、瀬奈。……お前のような、虐めがいのある女だけだ」

(ひぇぇ……! なんて最悪な理由!)

 普通なら「最低!」とビンタするところだ。
 でも、悲しいかな。私は筋金入りのドMオタク。
 「お姫様じゃなくて、玩具のお前がいい」という言葉が、どんな愛の言葉よりも胸に (そして下半身に)刺さってしまった。

「……でも、それじゃあ、ただの身体目当てじゃないですか」
「そうだと言ったら?」
「っ……!」

 やっぱり。
 心がズキリと痛む。
 結局、彼は私の身体と反応が気に入っているだけ。心なんてどうでもいいんだ。

「……だが、それでもいい」
 社長の表情が、ふっと苦しげに歪んだ。

「心が誰にあろうと関係ない。……たとえお前が、あの『岸』とかいう優男に惚れていようと、俺はもうお前を手放す気はない」

「へ……?」

 今、なんて言った?
 岸……?

「あの男は優しいからな。お前を人間として、レディとして扱ってくれるだろう。俺のような鬼畜とは違う」

 社長が自嘲気味に笑い、私のブラウスのボタンに手をかけた。

「だが、残念だったな。お前を抱くのは俺だ。……あの男の名前を呼ぶ口も、他の男を想うその頭の中も、全部俺が塗り潰してやる」

(えっ、ちょっと待って)

 社長の言っていることが、おかしい。
 私が岸さんを好き?
 だから嫉妬して、こんな強硬手段に出たの?

 ――まさか。
 あの時、私が言った「騎士様」を、「岸様」だとまだ思い込んでいるの!?

「待ってください社長! 誤解です!」
「問答無用だ」

「違います! 私が好きなのは岸さんじゃありません! そもそも『きし』の漢字が違うんです!」

 私は押し倒されそうになるのを必死で耐え、カバンをひっくり返した。
 ガラガラッ!
 中から転がり出たのは、私の命よりも大事な『聖典』。

 ――R18乙女ゲーム『氷の騎士と乙女』のパッケージだ。

「これです! これを見てください!」

 私はパッケージを社長の目の前に突きつけた。
 そこには、社長に瓜二つの銀縁メガネのキャラクターが描かれ、デカデカとタイトルロゴが書かれている。

『氷の騎士(ナイト)と乙女』

「……は?」
 社長の動きが止まった。
 彼はパッケージと、私の顔と、そして再びパッケージを交互に見比べた。
「……騎士きし?」

「はい! 私が『好きぃ』とか『様』付けで呼んでいたのは、このゲームのキャラクターの『騎士様』です! 営業の岸さんじゃありません!」
 時が止まった。

 タワーマンションの最上階に、気まずい沈黙が流れる。
 社長は私の手からパッケージをひったくると、目を細めて裏面のあらすじ(※過激なR18文言入り)を凝視し始めた。

「ゲーム……だと? なになに……」

 やめて。読まないで。
 私の祈りも虚しく、社長はあの無駄にセクシーな低音ボイスで、一言一句ハッキリと読み上げ始めた。

「『“絶対零度”の騎士団長 × 生贄の乙女』……ふむ」
「『ダミーヘッドマイク《収録》……粘膜まで響く、密着囁きボイス』……?」
「『初回特典・騎士様の罵倒ボイスCD付』」

「…………」
「…………」

 社長がゆっくりと顔を上げ、私を呆れ返った目で見下ろす。

「……変態め」

(んあっ……! その冷たい目……本物の騎士様よりステキ……ッ♡)

 ゾクゾクしている私を横目に見ながら、社長はふんと鼻を鳴らしてパッケージをテーブルに放り投げた。
 生身の男岸さんへの浮気ではないと分かり、空気が少し緩む。
 そして、次の瞬間――社長の声が一段低くなった。

「……だが、気に食わんな。俺に抱かれながら呼んでいたのは……この、絵か?」

 冷ややかな嫉妬を含んだ瞳が、私を射抜く。
 私は顔を真っ赤にして、蚊の鳴くような声で白状した。

「うっ……そ、それは……ちがくて……っ」
「違わないだろう。現にそう呼んでいた」

「だって……! 社長が、あまりにもこの『騎士様』に似ていて……っ!」
 私は涙目で、必死に訴えた。
「その……理想通りで、素敵だったから……つい、脳内で重ねてしまって……ごめんなさい……」

「…………」

 私の告白に、社長が虚を突かれたように目を見開く。
 一瞬の沈黙の後。
 彼は口元を手で覆い、隠しきれない笑みを漏らした。
「……そうか。理想通り、か」

 機嫌、直ったーー!!

「……は、ハハッ……」
 社長が片手を額に当て、肩を震わせて笑っている。
「なんだそれは……。俺は、こんなデータの塊に嫉妬して……お前を監禁までしたのか……?」

「す、すみません……」
「馬鹿馬鹿しい。……傑作だ」

 社長はひとしきり笑うと、眼鏡を外して私をじっと見つめた。
 その瞳からは、先ほどまでの殺気が消え、代わりに見たこともないような「甘い熱」が宿っていた。

「……つまり、お前はあの優男が好きなわけじゃない。俺の見た目に惚れている、ということでいいんだな?」

「は、はい……見た目だけじゃなくて、その、冷たい目とか、罵ってくれるところとかも、全部好きです……」

「……どうしようもない変態だな」

 社長は愛おしそうに私を抱き寄せると、耳元で囁いた。

「いいだろう。……なら、ゲームなんかよりずっと気持ちよくしてやる。二次元には不可能な愛し方でな」

 すべての誤解が解けた今、私たちは広いベッドの上で再び重なり合っていた。
 社長の手が私の腰を這い、甘い雰囲気で「再開」しようとした、その時だった。

 ブーッ、ブーッ!
 サイドテーブルに置かれた社長のスマホが、無粋な振動音を立てた。

「……チッ。誰だ、こんな時に」

 社長は舌打ちをすると、不機嫌そうにスマホを掴んだ。
 画面を見て眉をひそめる。

「室長か。……なんだ、緊急か?」

 社長はタップして通話に出たが、操作を誤ったのか、スピーカーモードになってしまった。
 静かな部屋に、室長さんの興奮した大声が響き渡る。

『社長! 朗報です! 鑑定結果が出ました!』

「鑑定? なんの話だ」

『例の、天野さんが割ってしまった宋代の青磁皿ですよ! 破片を専門機関に回していたんですが……なんとあれ、真っ赤な偽物でした!』

「……は?」
「え?」
 私と社長の声が重なった。

『精巧なレプリカだったようです。オークションハウス側のミスで、全額返金されることになりました! ですから、三千万円の損害はゼロです! いやぁ、よかったですねぇ!』

 室長さんの明るい声が、やけに遠く聞こえる。
 通話が切れた後、部屋には重苦しい沈黙が流れた。

「……偽物、だったんですか?」
「……そうみたいだな」

 社長がスマホを放り出し、深い深いため息をついた。
 さっきまでの魔王の覇気はどこへやら、ガクリと項垂れていた。

「……終わったな」
「えっ?」
「借金はなくなった。……俺にはもう、お前をここに縛り付ける大義名分がない」

 社長が自嘲気味に笑い、私から視線を逸らした。

「お前は自由だ。……あんな契約も、俺の玩具という立場も、もう無効だ。……帰っていいぞ」

(社長……)

 なんて不器用な人なんだろう。
 借金なんてなくても、私がもうとっくに社長に惚れ込んでいることなんて、言葉にしなくても伝わっているはずなのに。
 強引な手段でしか人を繋ぎ止められないと思い込んでいる、臆病な私の騎士様。
 私はベッドから降りようとする社長の袖を、ギュッと掴んだ。

「……帰りませんよ」
「瀬奈?」
「だって、まだ何も始まってないじゃないですか」

 私が真っ直ぐに見つめると、社長は驚いたように目を見開き、それから……困ったように眉を下げた。

「……いいのか? 俺は、お前が思っているような立派な『騎士』じゃないぞ。嫉妬深くて、傲慢で……面倒くさい男だ」

「知ってます。あと、独占欲の塊だっていうことも」
「……ふっ、違いない」
 社長が小さく笑い、私の頬を優しく愛おしげに撫でた。

「借金はもうない。……だが、俺はお前を帰したくない」
 社長の腕が、私の腰を強く引き寄せた。

「これからは……そ、その……俺の恋人として、ずっと俺のそばにいろ」

 ドキン、と心臓が飛び跳ねた。
 恋人。ずっとそばに。
 それは、どんなゲームの台詞よりも甘く、私の胸に響いた。

「……それって、プロポーズみたいですよ?」
「好きに解釈しろ。……もう二度と、逃がさないからな」

 社長が私の唇に、誓いのキスを落とす。
 甘い。とろけるように幸せだ。
 これで晴れて、私たちは両想いのハッピーエンド――。

(……と、普通ならここで終わるところだけど)

 私はキスの合間に、ニヤリと口角を上げた。
 相手は魔王様だ。普通のハッピーエンドじゃ物足りない。
 私は隙を見て、床に落ちていたネクタイを素早く拾い上げ、両手で左右にピシッと引っ張った。

「……ん? 瀬奈、何を……」
「社長。私、恋人になれてすっごく嬉しいです」
 私は甘い声で囁きながら、社長の手首を掴んだ。

「ですから……恋人特典、さっそく行使させてもらいますね?」
「は?」
「えいっ!」

 くるり、キュッ!
 私は社長の両手首を、ネクタイで手早く縛り上げた。
 あっという間に形勢逆転。

「なっ、瀬奈!?」

「だーめです♡ 恋人同士なら、対等ですよね? 今日は私の番です、騎士様」

 私は彼の胸に手をつき、悪戯っぽく微笑んだ。

「実はですね、私のプレイしていたゲームには、隠しルートの『逆蹂躙エンド』というものがありまして……」

「ぎゃ、逆蹂躙……!?」

「はい。愛が深まりすぎて闇落ちしたヒロインが、騎士様を縛り上げ、手や舌を使って虐め抜いて屈服させる……という、マニア垂涎の神エンドです」

 私はニヤリと笑い、社長の耳元に唇を寄せた。

「私のオタク知識、ナメないでくださいね? ……二次元で予習したテクニックで、たっぷりと可愛がって差し上げます」

「ま、待て! 俺は攻める方専門で、受け身の経験など……っ!」

 社長の抗議を無視して、私は彼が私にしてきたように、その鍛え上げられた胸の乳首に舌を這わせた。
 ペロリ、と舐め上げると、社長の身体がビクンと跳ねる。

「ひぅっ……!」

「……さて、騎士様。ここからが本番ですよ」

 私は社長のズボンを下ろし、既に期待で大きくなり始めた剛直を露わにした。
 熱くたかぶる最先端に、ちゅ、と音を立ててキスをする。

「ぐ、ぅ……ッ! やめ……屈辱……ッ!」

 社長は必死に唇を噛み締め、声を押し殺そうとしている。
 けれど、私が熱い吐息を吹きかけ、ゆっくりと愛しむように口づけるたびに、彼の喉からは隠しきれない甘い吐息が漏れ出していた。

(なんていい声……。魔王様が、こんなに感じてる)

 私は彼を見上げた。
 いつもは冷徹な鉄仮面の社長が、今は耳まで真っ赤に染め、苦悶と快楽がないまぜになった表情で、必死に耐えている。
 その無防備な姿が、たまらなく愛おしい。

「っ、はぁ、ぁ……ッ! だめだ、瀬奈……おかしく、なる……ッ!」

 縛られた両手の拳がぎゅっと握りしめられる。
 私は彼の我慢を溶かすように、優しく、けれど執拗に彼自身を口内に招き入れた。

「ひ、グぅッ――!? あ、あぁっ……! は、あ……んッ!」

 その瞬間、ついに社長の理性が決壊した。
 我慢していた低い唸り声が、とろけるような甘い喘ぎ声に変わる。

「ふふ、すごい。魔王様が、そんな可愛い声で鳴いてる……♡」
「うる、さ……っ、あぅッ! もう、だめだ……ッ!」

 逃れたいのに、もっと欲しい。
 そんな矛盾したように腰をくねらせる彼に合わせて、私は慣れない手つきで根元をしごき上げ、愛を込めて深く吸い上げた。
 テクニックなんて関係ない。ただ、彼を喜ばせたい、彼と一つになりたいという一心で。

「はぁ、っ! 瀬奈、もう、限界だ……ッ!」
「はい……。全部ください、社長」
「っ、この……ド変態が……ッ!」

 社長は縛られた両手で私の頭を抱き寄せ、腰を強く突き上げた。

「う、く……っ! あ、あ、がぁあぁーーッ!!」
「んぐっ……!」

 最後は言葉にならない、獣のような絶叫。
 ドクンッ、ドクンッ……!

 イケボな咆哮と共に、彼の愛のすべてが、私の喉奥へと注ぎ込まれた。
 熱い。
 体の中が、彼の熱で満たされていく。
 私はその温もりを抱きしめるように、彼のすべてを受け入れた。

「……んっ。大好きです。私の騎士様」

 私が口元を拭って照れくさそうに笑うと、社長は魂が抜けたようにベッドに沈み込み、荒い息を繰り返していた。

「はぁ、はぁ……、ぐ……。信じられん……。お前、本当に処女だったのか……?」
「ふふ、知識 (座学)だけは主席ですので」

 脱力している社長の拘束を解いてあげると、彼は乱暴に、けれどどこか照れくさそうに私を抱き寄せた。

「……くそっ、完敗だ。とんだ『乙女』を恋人にしてしまったな」
「ふふ、クーリングオフは受け付けませんよ?」

「ああ。……一生、俺が飼いならしてやる」
「はい、社長」
 私が素直に頷くと、彼はふと眉をひそめ、私の首筋に顔を埋めたまま動きを止めた。

「……あと、その呼び方も禁止だ」
「え?」

「……名前で呼べ」
 彼は私の肩にグリグリと額を押し付け、蚊の鳴くような声でボソリと呟いた。

「社長じゃなくて……下の名前で呼べ」

 見ると、彼の耳は茹で上がったように真っ赤になっている。
 私の恋人は、とんだ照れ屋な騎士様だったようだ。

(な、名前……っ!?)

 急に突きつけられた「恋人」の実感に、今度は私の方がカァッと熱くなった。
 あれだけ大胆なことをした後なのに、名前を呼ぶだけの方が、何倍も恥ずかしい。

「……え、あ……」
「……早くしろ」
「うぅ……」

 私は心臓のバクバクを抑えながら、おずおずと口を開いた。

「れ、……れい、さん……っ?」

 裏返りそうな声でそう呼ぶと、彼はそっと、私の背中に腕を回し、ぎゅうっと強く抱きしめた。

 偽物の皿から始まった、この奇妙な関係。
 けれど、ここで結ばれた契約だけは、永遠に解けることのない本物の愛だった。



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