一匹狼と、たったひとりのラナ

揺木しっぽ

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2話 森の隠れ家、お礼の魚パイ

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翌朝――ラナはいつもよりだいぶ早い、夜が明ける前に起きた。肌寒くて毛布に包まっていたい。だが今日は大事な用事がある。ラナは気合を入れて起き上がり、外の共同の浴場に向かう。外はまだ暗いが、早起きの同じアパートのアライグマの住人は、既に冬の洗濯用に窯に火を起こして鍋に湯を沸かし、そのお湯で洗濯をしていた。

「おはようございます、夫人。あの、お湯分けてもらってもいいですか」
「ラナちゃんおはよう。勿論いいよ。今日は早起きだねえ」

アライグマの夫人は快く、大鍋からたらい一杯分の湯を分けてくれた。彼女はここで質素に一人暮らしをしているラナにいつも親切にしてくれている。
ラナはそのままでは熱すぎる湯に少し水を足して適温にした。湯あみ用に薄い壁で仕切られたブースに入ると、服を脱いでタオルを湯に浸して顔と体を拭く。夜の間に冷え切った指先や皮膚に体温が戻ってくる。体中くまなく拭き上げて、さっきまで着ていた服を着て部屋に戻り、外へ行くための服に着替えた。

体を拭いている時に、昨日インキュバスに捕まれた部分が青く内出血して痣になっていることに気付く。今が肌寒く、長袖を着る季節で助かった。夏だと半袖で痣を隠すにも包帯を巻いたら目立ってしまう。

ラナはバスケットを持って日が昇り始めた街へ出る。民家はまだ寝静まっている家も多いが、朝の早い市場はもう店を開けているだろう。新鮮な魚と玉ねぎ、ハーブを買って仕事への出勤前にリゲルへのパイを作ってしまうためだ。
市場に着いたラナは奮発して沢山の材料を買うと、急いで家に戻った。

台所に買ったものを広げ、玉ねぎを刻んで炒める。その熱を冷ましている間に、小麦粉と卵をこねてパイ生地を作った。
パイ生地が出来たら型に敷く。そこに玉ねぎと市場で三枚に下してもらった魚の身を敷き詰めて、またパイ生地で網目模様のように蓋をする。取り分けておいた卵液を表面に塗って、火を起こした炭を入れて温めていたオーブンに入れた。後は焼き上がりを待つだけだ。

朝からハードな仕事を終えたが、この後は仕事に行かなければならない。ラナは休む暇もなく自らの朝食を用意にとりかかる。
朝食と言っても、いつも簡単なものだ。柔らかい白いチーズと少しのラム酒で戻した保存用のレーズンをさっき市場でついでに買ってきた白パンに挟む。いつもは日持ちする固いパンしか買えないが、今日はすぐに食べるため柔らかいパンを買ってみた。
いつもの固いパンと違って噛むのに疲れることもなく、ふかふかだ。それを砂糖を少し入れた熱い紅茶で流し込むと元気が湧いてくる。四つ、白パンサンドを作ったが、全部食べることはせずに二つの白パンサンドを昼食用に包む。
食事を終えると焼き上がったパイをオーブンから取り出してみる。こんがりと狐の毛皮色に焼きあがっていて、とても美味しそうだ。今すぐに食べたい衝動に駆られるが、これはお礼用なので我慢だ。仕事が終わって戻ってきたら、これを持ってリゲルの家に行こう。

ラナはいつもより少し軽い足取りで職場である図書館へ向かった。仕事は図書館の本の整理や貸出の対応であった。有閑的な誰にでも出来る仕事と思われているため、あまり給料は高くなく、ラナが一人で生きていくのでギリギリくらいだ。それでも身体的特徴のないラナは自分に向いている仕事だと思ったし、何より本が好きだから続けていた。

「今日もお疲れ様」
「ありがとうございます。お先に失礼します」

四時に仕事が終わると、ラナは小走りで図書館を出た。早く帰ってリゲルの家に向かわないと日が暮れてしまう。家に帰り着くとバスケットに朝焼いた魚のパイとブドウジュースの瓶を入れ、リゲルの家へ向かうためにまた急いで家を出た。
小走りで街の中を進む。しばらく進むと街の終わりの柵が見えた。森との境界だ。襲われずになんとか街を抜けることが出来て安堵する。街さえ抜けてしまえば人も居らず、いつもの理由で襲われることもないだろう。普通の不審者や獣は居るかもしれないが。ラナはリゲルに書いてもらった地図をポケットから取り出して道を確認する。街からの出口はここで合っている。あとは目の前の森を進むだけだ。ラナは地図を片手に森へ踏み出した。

街の外は街道の他は鬱蒼とした森がどこまでも広がっている。ラナは襲われる危険があるため、家と図書館と市場の往復の毎日だ。知らない所へはほとんど行かない。ましてやこの森に足を踏み入れるなんて初めてのことだ。バスケット片手に狼男のいる家へ向かうだなんて、童話の赤ずきんのようで少しおかしい。赤ずきんちゃんというような少女のような歳ではないし、そんなに可愛いわけでもないが――とラナは自嘲した。
森へ入って暫く歩くと、少し立派な小屋があった。どうやらここがリゲルの住む家のようだ。ラナはコンコンとドアをノックした。

「リゲルさ~ん、昨日お世話になったラナです~」
「今開ける」

中から声がし、ドアが開かれる。そこに居たのは犬のようにマズルが長く、全身体毛に覆われた二足歩行の狼だった。予想外の様相にびっくりしてラナは「わっ!?」と声を上げてしまった。その様子にリゲルも自分の姿を初めて自覚したのか、焦ったようにドアを閉めた。

「あ、わりぃ。ちょっと待って」

バタン、と閉じられたドアに、ラナはその場に立ち尽くす。一分と経たずにまたドアが開けられた。今度は昨日と変わらない耳と尻尾しか特徴のないリゲルの姿だった。

「ごめん、びっくりさせたよな。大丈夫……?」
「あ、はい。ちょっとびっくりしただけです」

ラナは狼男なのだから姿が変わって当たり前なのだと思い出す。知識としては知っていたが、完全に狼化している狼男を見たのが初めてで驚いてしまった。
どうぞ、とリゲルに促され中に入る。物の少ない小綺麗にされている部屋だった。右の壁の中心に暖炉があり、その奥の角にはベッドがあった。

「ごめんな、寝てる間に戻ってたみたいだな。昼夜逆転だからさっきまで寝てたんだ」
リゲルは欠伸をしながら話す。

「そうなんですね。これ、お約束のパイです。それとブドウジュースでよければ」
「お~、ありがと。一緒に食わねぇ?」
「あの、リゲルさんってもしかして独身……?」

ラナは家の中に他の人物がいないことに気付く。

「ん? そうだけど」
「だったら、私もうこれをお渡しして帰ろうかな、とか……」

ラナはてっきり美丈夫のリゲルのことだから恋人や伴侶がいるものと思い、のこのこと家まで訪ねて来てしまった。男に襲われがちだというのに、自らの確認不足と迂闊さに顔が赤くなる。折角中に入れてもらったが帰ろうとドアの方まで後退る。

「別になんもしねぇよ。それにラナちゃん、腹空いてんじゃないの?」
「うっ……」

ぐぅ~と丁度良くラナのお腹が鳴ってしまう。貧乏で日頃粗食なため、常にお腹は空いている。今日は朝からちゃんとした物を食べた方だが、昼食が小さな白パンサンドを二つでは全然足りない。

「オレ鼻がいいから相手の体調とか匂いで結構わかっちゃうんだよな。ほら、寒いだろ。中に入りな」
「うう……お邪魔します……」

観念したラナは、言われるがままリゲルの家の中に戻る。
リゲルは暖炉の火を起こし、脚の付いた網を置いてラナが渡したパイを乗せた。
暫く待つと温まった魚のパイから食欲をそそる香りが立ち込め始める。それを皿に移し、ナイフとフォークで切り分けた。

「いただきます。うん、美味い! ラナちゃんは料理が上手なんだな」
「お口にあって良かった。ブドウジュースもどうぞ」
「ありがと」

リゲルの食べっぷりはラナの想像を超えていた。驚いて目を見開いて見つめるラナの前でリゲルは魚のパイの四分の三をぺろりと平らげた。ラナは切り分けてもらった四分の一個で十分だというのに。

「あ~美味かった。ありがとな。もし良ければまた作ってきてくれると嬉しいな」
「私ので良ければ喜んで……」

ラナはそう言って貰えたことが嬉しく、照れたように声が小さくなる。

「ラナちゃんが作ったのがいいの」

そんなラナの頬をリゲルが手を伸ばして撫でる。まるでオレを見ろと言わんばかりだ。

「は、はい……」

見たこともないような美丈夫に見つめられ、ラナは頬を赤く染めて目を泳がせる。その様子が愛らしくて、リゲルは大きな口を開けて笑った。

「ははは。ラナちゃんは可愛いな。オレに何かお礼できることある?」

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