夜行性の暴君

恩陀ドラック

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狼の章

恵を廻る男たちⅠ

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「ああ、あの家ね。覚えてるよ。苗字は大橋おおはし。年寄の夫婦と一人娘が住んでる。娘って言っても絢次が気に入るようなのだから……わかるでしょ?」


 ここはメゾン・サングラントの最上階。明日紀は夜の街を一望できるルーフバルコニーの柵に寄りかかり、絢次と二人で潜伏していた家について話した。横で話を聞く昢覧の眉間には皺が寄っている。


「一緒に風呂に入って、食べ物を口に入れさせて、毎日セックスして、最後の方はママって呼んでずいぶん甘えてた」

「なんで俺がそんなとこに行かなきゃなんないんだよ、くそ絢次め……」


 最近絢次がそこに連れて行けとうるさい。恵という女が気に入ったのは聞いていたが、ママと呼ぶほどだったとは聞いていない。


「いつもの散歩と同じだろ。何がそんなに嫌なわけ?」

「俺というものがありながら他所のババアに会いたがってるんだぞ。あの恩知らず!  ムカつく!」


 手摺を叩いて苛立ちを吐き出した。日頃可愛がってやっている飼い主を差し置いて、と昢覧は言いたい。しかしセックスは他所でやれと命じたのはどこの誰だったか。不特定多数は良くても特定の個人はダメなんて浮気の定義じゃあるまいし、明日紀には痴話喧嘩としかとれなかった。


「絢次に振られたら俺が慰めてあげるから」

「はあ!?  俺は人間のババアなんかに負けないし!」

「んふっげほげほっ……そうだね。絢次が一番好きなのは昢覧だと思うよ」


 思わず失笑してしまったのを咳で誤魔化した。明日紀は今回のことは絢次の企みだと思っている。焼きもちを焼かせて恩着せがましく譲歩して見返りを求める。単純な手口だ。


「うん……やっぱり絢次の一番は俺だよな?」

「んっふ」


 そろそろ明日紀の忍耐も限界に近かった。昢覧に背中を向けて、表情筋が制御を失いつつある顔面を両手で覆う。


「明日紀?」

「なんでもない。ただ俺の昢覧が……」

「お、俺は明日紀が一番好きだから」

「ははははは!  は、ははは!」


 昢覧ほど美しく残酷な吸血鬼はそういない。他者に対する彼の情けの無さと言ったら、本当に元は人間だったのかと疑うくらいだ。それなのに、どうして身内相手だと途端にポンコツになってしまうのか。今も明日紀が大笑いしている理由が解らなくて、きょとんとした顔をしている。こんなに面白い男だとは思ってなかった。


「はは、はぁ。ありがとう昢覧」


 明日紀に抱きつかれ、訳も分からず昢覧もそっと腕を回す。少し首を傾ければ唇が触れ合う距離で見詰め合えば、昢覧の瞳が戸惑いに揺れた。理性と欲望のせめぎ合いが明日紀を飽きさせない。


「こっちこそありがとう。明日紀のおかげで決心がついた。俺、絢次を連れて、その女の家に乗り込んでやるよ」


 昢覧はそう言って部屋を出て行った。


「ふふ。おもしろ」








 夜の十二時前。大橋家の人々は大きな音で目を覚ました。三人で寄り集まって、寝室のある二階から恐る恐る階段を降りる。すると戸締りしたはずの玄関から街灯の明かりが差していた。何者かによって玄関扉が破壊されている。


「こんばんは。恵を出せ」


 居間の照明が灯されるのを合図に、外で待っていた男が大橋家に侵入した。二人目の侵入者である彼は迷いの無い足取りで居間に行き、隣接するダイニングのテーブルにつく年配の夫婦と中年の女、それに一人の吸血鬼を見つけた。


「絢次、この女が恵で間違いない?」


 絢次が頷くと昢覧は何か納得したようだった。行きの車中では不機嫌全開だったのに、今は目を細めて口角を上げている。この短時間に何があったのかと絢次は訝しんだ。


「恵ちゃん妊娠してるんだってさ。すげー腹だなぁって思ったけど妊婦さんだったとはね。せっかく来たのに、これじゃ何もできないね。という訳で帰るぞ絢次。恵はもう寝なさい。健康に気をつけるように!」








 昢覧は機嫌よく帰りの車のハンドルを握った。


「男かな、女かな。名前も考えなくちゃ」

「なんで昢覧がそんなこと考えるの」

「だって絢次の子だろ?」

「他の男かも知れない」


 たしかに滞在中は中出ししまくったが、その前後にどういう生活をしていたのか知らないのだから絢次の意見はもっともだ。でも昢覧はもう人狼の子を育てるつもりでいる。


「あんな冴えないおばちゃんを孕ませるのは絢次くらいだって!  可愛いからって子供を甘やかすなよ。おまえみたいになったら困るからな。ははは!」


 それから十日に一回、昢覧は恵の様子を見に大橋家を訪れるようになった。多頭飼いを夢見てほくほくしている。

 絢次は昢覧に焼きもちを焼かせて、恵を諦める代わりにフェラチオをしてもらうか挿入させてもらうつもりだった。恵の妊娠で計画は全部台無しだ。それどころか今ある地位まで脅かされる事態となってしまった。昢覧に絢次を蔑ろにするつもりはないのだが、昢覧が浮かれるほど絢次の不安は増す。もし子が人狼だったら、その子が雌だったら……そう考えると気が気でない。

 もともとべったりだったのが更に輪をかけてべったべたの甘えん坊になった。もう我儘は言わない。なるべく狼型でいて、許されている以上の行為は求めないようにした。気に入られようと必死だ。きゅんきゅん鼻を鳴らして甘える絢次と、デレデレして甘やかす昢覧。昢覧が育てた人狼は絢次以上の甘えん坊になる。二人の様子を傍で見ていた明日紀たちは、そう確信したのだった。







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