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狼の章
まほろば1
しおりを挟む話に聞いただけで野本知悠は昢覧が嫌いになった。人狼好きで、常に一人の人狼を従えているという。田坂を思い出して不快だ。自由を奪われ飼い馴らされる屈辱を知っている野本はその人狼に同情した。
人間の中には不思議な力を使う魔術師と呼ばれる者共がおり、田坂もその一人である。誘拐されて田坂の家に来た野本がまずされたのは人狼化の儀式だった。人狼は魔術師が呪いによって作り出している。まだ幼く恐怖で混乱していたが、蝋燭が灯された祭壇や生臭さ、見下ろす大人たちの不気味さはよく覚えている。呪文が唱えられると全身に虫酸が走り、激しい痛みに襲われた。
気付くと自室としてあてがわれた小さな部屋に寝かされていた。窓には格子が嵌められ、ドアには外から鍵が掛かる独房のような部屋。野本は食事を与えられ、身の回りのことは基本的に全部自分でやらされた。田坂の部下が最低限の世話だけする。つい昨日まで親元で普通に暮らしていた五歳の子供には、これだけで過分な絶望を味わうことができた。野本はその家で勉強や運動をさせられたり、行儀作法の躾を受けたりした。注意の仕方は暴力だった。酷い怪我こそさせられなかったが、いつもどこかに青痣を作っていた。一年も経たず感情を表に出さない子供になった。
七歳の時、車に乗せられて遠くまで連れて行かれた。田畑と一軒家が混在する長閑な一帯。小さな小さな丘の上に建立されたお稲荷さんの境内から、田坂はとある家を指し示した。
「あの家の庭で一人で遊んでいる子供が居る。それを山に引き摺り込め」
どういうことなのか理解できない野本に、田坂は指示を続けた。
「獣の姿ならそれくらいできるはずだ。用水路の向こうの山の中に吉田が待っている。そこまで行け。失敗したり逃げようとしたりしたら、お前をぶつ。お前の家族も酷い目に遭わす」
小さな狼は何も考えないようにして走り出した。庭に入ると田坂が言った通り、三、四歳の子供が一人で庭で土をいじって遊んでいた。どうすればいいのか分からずにうろうろする野本を見つけた子供が、自ら敷地を出てくれた。犬が好きなようで、野本に触ろうと手を伸ばしてくる。それを利用して裏山のすぐ近くまで誘導した。だがどうやっても山の中までは付いてきてくれない。
「ママと、おじいちゃんが、お山には入っちゃダメってゆってた。わんちゃんも入ったら、きっとおこられちゃうよ」
野本は憮然として子供を見た。きちんと洗濯された服を着て、履いてる靴も新しい。頬は血色が良く、困ったように野本を見る目には邪気がない。理不尽な暴力など知らず、大事に育てられている子供。心がぐちゃぐちゃになった野本は子供の腕に噛みついて山に引き摺り込んだ。当時の野本の体重は約二十五キロ。犬に例えるとシベリアンハスキーと同じくらいのサイズだ。十キロそこそこの子供では敵わない。奥で待っていた吉田は更に残酷な命令をした。
「殺せ」
殺したのか、失敗して折檻されたのか。結末は思い出せない。田坂は専属の暗殺者とするために野本を人狼にした。これが最初の仕事であり、今に繋がる絶えない憎しみの始まりでもある。
あるとき隙を見て逃げ出して自由の身となった。当初は生きていくのに精いっぱいで復讐は二の次だった。心を取り戻したあとは余計に田坂が憎くなった。どうして幼い子供にあんな酷い行いができたのか。五歳から十六歳までの地獄の日々は忘れたくても忘れられない。
家族には会っていない。自分のせいで酷い目に、最悪殺されていたらと思うと怖くて捜す気にもならなかった。もし生きていたとしても、変わり果てた姿を見られるくらいなら会わない方がいい。優しい両親。楽しい食卓。暖かい寝床。会えばそれらが穢されてしまう気がした。
グールのネットワークの広さを知っていた野本にとって、今回の話は渡りに船だった。いつか果たしたいと願っていた復讐の好機だ。植え付けられた恐怖も今はない。あるのは怒りと憎しみ。野本は現在十九歳。世間を知り、殺しの腕にも磨きをかけた。田坂は生きていれば四十代中頃。体力的にも圧倒的に有利だ。
自宅から散歩に出た吸血鬼と人狼の後をつけた。吸血鬼は通常他の人外を側に置きたがらない。同族であっても身内に限られると聞く。だから二人が歩きながらお喋りを楽しみ笑っている様子が茶番劇に見えるのは、野本が憎悪で判断を鈍らせているせいだけではない。
やがて人狼が一人の太った中年女性を伴ってホテルへ消えた。大橋恵といい、ああいう女の何がいいのか野本には理解できなかった。また一人でぶらつき始めた吸血鬼を尾行する。その足は少しずつ人気のない方へ。誘い込まれている。細心の注意をもって臨んでいたつもりの野本に緊張が走った。下手な動きはしないで大人しく後についていく。向こうから興味を持ってくれたなら話が早い。
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