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第1章

第4話

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 窓から差し込む光を浴びて、エルは眠りから覚めた。
 昨日激しい戦いを繰り返したはずなのに、どこにも疲労が溜まっていない。実に爽快な気分だ。大きく伸びをしてゆっくりとベッドから抜け出す。
 お腹も空いたことだし朝食を食べようと、部屋を出て1階の酒場に向かう。

 酒場には既に人がおり朝食を取っている。皆冒険者なのだろう。各々が一応に鍛え抜かれた身体をしており、傍に剣や槍や槌矛メイスなどの武器を置いているのが見える。
 昨日世話になった少女ではなく、この宿の主と思しき無精髭を生やした壮年の男性が話し掛けてきた。

「お客さん、朝食はどうする?」
「ええと、昨日渡したホワイトミートを使った料理をお願いしたいのですが……」
「ああ、あの肉を持ってきてくれた冒険者か。
 料理を作って持ってくるから、ちょっと待っててくれ」
「わかりました」

 しばらく待っていると料理が運ばれてくる。白肉ホワイトミートを薄切りにして焼き上げ、タレ付した後に葉野菜で包み込んだサンドイッチに、数種の野菜が盛り付けられたサラダだ。料理をテーブルに置くと、宿主がエルに問い掛ける。

「昼用の携帯食も必要なら、これと似たような品を作るがどうする?」

 今日の予定を考えてみる。朝に協会で講習を受けた後は特に予定はないが、迷宮にもぐるとしたら携帯食は必要だろう。宿主の提案は渡りに船なので了承することにする。

「ええ、お願いします」
「料金は全部で銅貨4枚だ。
 携帯食は準備しておくから出がけに受け取りに来てくれ」
「わかりました。
 はい、お金です」
「毎度あり。
 それじゃあ、ゆっくり食べてくれ」

 早速サンドイッチに手を伸ばして食べ始める。昨日の辛めのソースも美味かったが、この甘めのタレもわるくないと感じる。肉だけでなく、パンや野菜によく合っている。新鮮な野菜を使ったサラダには、朝食なのを考慮した淡泊で控え目な味付けのドレッシングが掛けてあり、食事が進む。昨日も思ったが、この宿は料理が上手い。料理が評判の宿と教えてもらったが納得の味だ。 
 満足のいく朝食を食べ終わり悠々と部屋に戻る。
 身支度を整えて下に降り、携帯食を受け取ると宿を出て協会に向かって歩き出した。大通りを歩いていると、黄桜(ヴァリー)の花が目に留まる。春に白色に近い薄黄色の小さく可憐な花を咲かせる、この地方ではよく見かけられる木だ。しばし立ち止まって花を観賞する。ちょうど今が見頃の満開に咲き誇る花々を見ると、やる気が独りでに溢れてくる。
 エルは自分も奮励しなければならないなと気合を入れ直し、協会に向かうのだった。
 
 協会の訓練所に行って自分の名を告げると、小さな個室に通された。
 テーブルに備え付けられている椅子に腰かけていると、ほどなくして教官と思しき人物が入ってきた。老齢に差し掛かっていると思われるが、するどい眼光に細身ながら鍛え込まれた肉体が印象深い人物だ。元は冒険者だったのかもしれないと思惟される。

「君がエル君だね。
 私が今回の講習を務める教官のダンだ」
「はい、よろしくお願いします」

 椅子から立ち上がり、頭を下げる。

「では、講習を始めよう。
 座ってくれて構わんよ」

 エルは椅子に座り直し、聞き漏らさないよう真剣にダンの話に耳を傾けた。

「まず、迷宮の常識について説明しよう。
 迷宮の魔物は魔素で造られており、死ぬと迷宮に吸収されて消えて無くなる。
 迷宮以外で同じ魔物を倒しても消えないし、倒した後に魔石などの戦利品が出ることもないので注意するように」

 魔物との戦闘後に、魔物が消失したさまを見て驚いたのを思い出す。先に見聞きしたとしても、実際に見ると仰天しただろう。

「また、魔物の戦利品は複数ある。
 魔石は必ず得られるが、その他の通常の戦利品ノーマルドロップ希少な戦利品レアドロップは確率に依存することがわかっている。
 さらに、極希にだが戦闘後に神様の贈り物フォーチュンギフトと呼ばれるものが手に入ることがある。
 神様の贈り物フォーチュンギフトは魔物によって戦利品が決まるわけではなく、何が出るかわからない。
 数階層下の魔物の戦利品が出たこともあるし、武器や防具、あるいは魔法書や真魔法の道具なども出たことがあるので、手に入れてみないとわからない。
 神様の贈り物フォーチュンギフトを手に入れた時の情報を調査すると、苦戦した場合や連戦した場合に得られることが多いようだ。
 迷宮での戦闘を神々が見ていて、冒険者の闘いが気に入ったら褒美として与えてくれるのではないかという説もあるが、本当かどうかはわからない」

 芋虫ワーム甲虫ビートルを倒した後に、複数の戦利品を手に入れたの思い越し相槌をうつ。神様の贈り物フォーチュンギフトについてはいつか手に入れてみたい。どんなものが出るか想像するだけで胸が高鳴る。

「魔物を倒した際に、冒険者もいくらか魔素を吸収し肉体や精神が強化されることがわかっている。
 深層の強い魔物や珍しい魔物ほど魔素を多く持っており、魔素の吸収も高くなる。
 さらに、迷宮産の食べ物を食べると強化率が上がることがわかっている。
 ただし、迷宮で魔物を倒して魔素を吸収しないと効果が出ない。
 一般市民や引退した冒険者が食べても効果が出ないことが実験的にわかっていて、迷宮産の食べ物は魔素の吸収効率を促進する効能があると考えられている。
 こちらについても、深層で得られたものほど効能が高い」

 迷宮の魔物を倒して自分を強化し、戦利品で出た食材を食べればさらに強化されるという好循環が起きるようだ。近隣諸国がわざわざ迷宮に騎士団を派遣するのも頷ける。迷宮以外で鍛えた場合とは雲泥の差が出るだろうと容易に想像できる。
 教官が一端話を止め、咳払いをしてエルの注意を引く。重要な話に入るのだろう。

「さて、ここからは今回の講習の胆の部分だ。
 魔物は迷宮から生まれ、生まれたてはどこにも傷のない綺麗な姿をしている。
 冒険者を倒したり撃退した魔物は成長し、どんどん強くなっていく。
 我々は、成長した魔物を傷ついた姿にちなんで傷物スカーと呼んでいる。
 さらに、幾多の冒険者を打ち倒して成長した凶悪な魔物は名持ちネームドと呼び、懸賞金をかけて討伐するようにしている。
 傷物スカー名持ちネームドは生まれたての個体に比べてはるかに強力だ。
 生まれたてと闘って苦戦するようなら、絶対に傷物スカー名持ちネームドには挑まずに逃げなさい。
 また、生まれたての魔物についても強い個体が存在する。
 変異種と呼ぶ個体で、通常の個体より巨体だったり見た目が異なるのですぐわかるだろう。
 変異種は傷物スカーなどになりやすいから注意が必要だ」

 昨日は生まれたての魔物以外には出会わなかったことになる。初心者用の階層の魔物は弱いので、冒険者に倒され生き延びることが少ないのだと推考できる。低階層では生まれたてでも強い変異種に注意しなければならないなと留意しておく。

「魔物以外についてだが、迷宮では宝箱も自然発生する。
 宝箱の中身を回収すると魔物と同じように消滅する。
 また、迷宮では魔鉱と呼ばれる鉱物や貴重な薬草類も手に入る。
 こちらについても自然発生するので、手に入れば収入源になるだろう」

 魔物の戦利品以外にも様々な恩恵が得られるということだ。これだけの恵みが得られるのだから、誰しもが迷宮を目指すのは当然のことだ。各国が迷宮のために争ったのは歴史の必然だったのだろう。

「最後に冒険者の階級についてだ。
 冒険者は大きく分けて3つの区分がある。
 下位冒険者に上位冒険者、そして最上位冒険者だ。
 5階層を踏破できない冒険者は新人ルーキーと呼び、協会としては冒険者として勘定していない。そのため納税の義務はないが、都市内での冒険者優遇制度は受けられない。
 5階層を踏破した冒険者は、晴れて下位冒険者として登録される。冒険者登録を維持するために毎年の納税の義務は発生するが、宿泊や買い物などの割引して買えるようになるし、オークション会場の一般会場以外の特別会場の入場も可能になるなどの幾つもの特権が得られる。
 50階層に到達すれば上位冒険者、100階層到達で最上位冒険者だ。
 また、さらに細かく区分するために階級制度もある。
 星呼びという制度で、10階層を踏破したら1つ星で、それから10階層上がるごとに2つ星、3つ星と星が増える。
 星が増えるたびに納税額は上がるが、得られる特権は増えていく。
 冒険者の間では、星呼びで相手を呼ぶことが一般的だ」

 この階級制度によれば自分は新人ルーキーで、冒険者としては認められていないことになる。早急に下位冒険者となって、冒険者として認められなくてはと目標を新たにした。

「これで今回の講習は終わりだ。
 さて、講習は終わりだが、こちらに1階層から5階層までの魔物の情報や手に入る財宝が書かれた情報誌がある。
 1部銀貨1枚だが購入するか?」 

 協会は中々商売上手なようだ。基本情報はただで教えるが、その後の迷宮探索に絶対に必要な情報はお金を取るというわけだ。買わないという選択肢を取るには自分は無知すぎる。買うしかないだろう。

「買わせて頂きます。
 はい、代金です」
「銀貨1枚確かに頂いた。
 これが情報誌だ」

 情報誌を受け取りバッグに入れる。
 講習の礼を言い立ち上がったエルに、教官が声を掛ける。

「これはサービスだが、初心者の関門は3階層だ。
 ここを踏破できるかで、下位冒険者になれるかどうかが決まると言っても過言ではない。
 協会では有料で訓練も行っているので、3階層で躓いたり2階層辺りで魔物が手強いと感じたら、素直に訓練を受けた方がいいぞ」
「ありがとうございます。
 厳しいと感じたら訓練を受けるようにします」
「うむ。では、迷宮探索に励んでくれ」

 頭を下げて個室を辞し、回復薬が残り少ないので道具屋に向かった。
 恰幅の良い女性が昨日と同様に大声で声を掛けてくる。

「やあ、新人ルーキーさん。
 何が欲しんだい?」
「回復薬が欲しいのですが」
「回復薬なら1つ銅貨5枚だよ。
 いくつ欲しいんだい?」

 女性に問われてエルはどのくらい必要だろうかと考える。昨日はお昼過ぎから探索したが回復薬を3つ消費したので、少なくとも倍以上はいるだろうと当たりを付ける。

「では、10個ください。
 代金の銅貨50枚です」
「あいよ。
 ちょうど頂くよ。
 気を付けて探索してきなよ」

 回復薬を受け取りバッグにしまい、女性に挨拶をして道具屋を離れる。
 協会の建物を出て空を眺めると、未だに太陽は東の空にある。あまり時間が経っていないのだろう。
 今日は充実した一日になりそうだと笑みを浮かべながら、迷宮探索に向かうのだった。  
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