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第4章

第66話

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 灼熱の炎が大地を瞬く間に溶解させマグマと化させる。
 真なる竜の放つ灼熱の吐息ブレスが、真面に受ければ人など一瞬で炭化させる劫火が荒れ狂い、地を、天を焼き尽くした。
 だがそんな地獄の様な場所に、黒髪を短く刈り揃えた童顔の少年エルは居るというのに、脅えた様子など欠片も無かった。
 それ所か竜の動向を冷静に観察し続け、虎視眈々と反撃の機会を窺っていた。
 闘いを続けるうちに増々燃え盛る闘志と氷の様な冷静な心を伴って……。

 美術品として見ても上等な部類に入るであろう深紅の武道着に身を包んだ少年は、神々の迷宮、太古に神々が創造したとされる果て無き神秘の迷宮の50階層で、火そのものを体現したかの様な真っ赤な鱗を持つ真なる竜、赤竜レッドドラゴンと相対していたのである。
 この竜は51階層の転移陣を護る3体の守護者の内の1体であり、下位冒険者が上位冒険者に昇格するのを阻む強大な壁にして、初めて出会う絶大な力を有する真なる竜として、冒険者なら誰でも知ってる程の有名な魔物だ。
 全身赤1色といった風で両翼の被膜までも赤く染まった竜は、真竜の名を、その名を冠する魔物の絶対なる恐怖を知らしめるために、遭遇した者達に苛烈な攻撃を仕掛けてくる。
 灼熱の吐息(ブレス)は勿論の事、独自の竜言語を駆使し当たれば破裂し周囲に火炎をばら撒く大量の火炎球や、鎧を貫通し骨さえ焼き砕く炎の槍、そして避ける事が非常に困難な広範囲に炎を振りまく豪炎陣など、多彩な魔法を繰り出してくる。更には炎の様な真っ赤な鱗にも自身の深紅の魔力で強化を施し、冒険者の武器など簡単に弾き返してしまうのだ。赤竜は、熟練の冒険者でさえ死する事すらある難敵なのだ。
 この真竜に挑み命を散らす冒険者は後を絶たない。攻防を高い水準で兼ね備えた守護者には、搦め手等も通用しない。元々竜族とは他種族では及びもつかない程の驚異的な体力と、毒や麻痺といった身体的異常に対する耐性が非常に高い種族である。亜竜でさえ麻痺させるのには多大な労力を要するのだから、その上の真竜では言わずもがなである。
 結局、この竜を倒すには正攻法で上回るしかない。下位の魔物達を倒し続ける事で鍛え上げた心身と仲間達との緻密な連携をもって、この真竜を越えなければならないのだ。
 しかし、何か少しでも竜を討伐するのに不足すれば、その代償は自分の命で贖わなければならない。
 それが弱肉強食の息衝く、力こそ全ての非情なる迷宮の理だ。
 それ程この竜の壁は厚く、上位冒険者への道は険しいのである。
 だがそんな強敵を前にして、エルは普段の戦闘を楽しむ様子は鳴りを潜めており、逆にどこか冷めた感があった。

 というのも、既にこの竜よりも強い真なる竜と闘い勝利しているからだ。
 餓竜スタービングドラゴンと呼ばれる見る者全てに襲い掛かり、その者が死ぬまで執拗に攻撃を繰り返す、残忍で狂猛なる竜とつい先日闘ったのである。しかも、ヴォリクスという名まで有する名持ちの魔物であり、通常の個体よりも遥かに強力であった。その力は、下手したら70階層の守護者にも匹敵する程だったのだ。
 はっきり言えば赤竜は餓竜よりも格下であり、そんな強敵を死闘の末に討伐したエルにとっては、油断さえしなければ負ける要素のない敵であった。
 本来なら上位冒険者への道を阻む難敵がである。
 灼熱のブレスや竜言語による強力な魔法でさえも、エルの全身を隈なく覆う物質化したとさえ思える様な見事な黒と白の2色が入り交じった気の鎧と、その上を更に覆う混沌の気に弾かれエルを傷付ける事ができないのだ。
 それに加えて気の力と少年が学ぶ武術、武神流の移動術によって竜の目をもってしても捉える事が難しいほど高速で動くので、攻撃を当てる事さえ至難の業であったのだ。
 レッドドラゴンとしたらたまったものではないだろう。

 だが反対に、エルからしたら肩透かしを食らった様な気分であった。真なる竜であり、スタービングドラゴン以来の強敵に出会えるだろうと喜び勇んで闘いに赴いたら、苦戦するほどの敵ではなかったのだ。強きものと闘う事を喜びとする、戦闘狂の気のある少年としたら期待していた分失望も大きく、憤懣やる方ないといった風である。
 守勢に回り魔物の攻撃方法もあらかた観察し終え、これ以上学ぶべき所がないと判断すると、まだ幼さの残る童顔の少年はあっさり決着をつける事にした。
 右手を貫手の形にし、その上から気を硬質化させて覆い槍と為したのだ。武神流の気を用いて肉体を武器化させる技である。加えて、その上から通常の気で覆い更に強化すると、真一文字に赤竜目掛けて疾駆した。
 少年の尋常ならざる様子に警戒を強めた真竜は、必殺のブレスで迎え撃ったが、それさえも気の鎧に身を包んだ少年の肉体を僅かに火傷させる程度の役にしか立たなかった。
 あっさりエルは足元まで到達すると、無防備な胸元に引き絞った右手を突き出した!!

 穿貫槍

 全てを貫くかのような華美た装飾の一切の無い、無骨ながら英雄譚にも登場する悪竜さえ滅ぼした屠竜槍トラログを真似、右手を1本の槍と化させて放つエルの猛烈な突きは、強固な竜鱗さえものともせず貫き通し肉を穿った。
 幾多の冒険者の武器や技を跳ね返してきた、赤竜レッドドラゴン自慢の鱗をも易々とだ。
 それほど修練によって鍛え上げられた技の冴えが凄まじかったという事であるが、生憎な事にエルの攻撃はここからが本番であった。
 竜鱗を越え強靭でしなやかな筋肉に手が触れると、そこから直接気を流し込み破壊を行ったのである。
 徹気拳と呼ばれる武神流の気を用いた技で、敵に自分の気を送り込み内部から破壊を行う荒技である。この赤竜の様に表面を気や魔力で覆い守りを固めると、互いに相殺し合い内部までこちらの気が届かないが、敵の内部から直接気を発すれば防げるものではない。
 エルは手から何度も何度も気を放つと、その度に竜は絶大なる苦痛から身を捩り悲鳴を上げた。だがそれでもなお少年の攻撃は止む事無く、全てを焦がす炎の如き烈火の攻めを行い肉や骨だけでなく内臓等の器官を悉く破壊し尽されれば、さしもの驚異的な生命力を誇る竜もついには力尽きた。
 自分の血と夥しい肉で作られた真っ赤な池に身を横たえると、あっさりと息絶えたのだ。
 エルが餓竜との死闘を終えてからわずか10日後のでき事であり、迷宮都市アドリウムを訪れて約7ヶ月で上位冒険者に昇格を果たすという快挙であった。



・・・
・・




 神々の迷宮から転移陣によって迷宮都市に帰還したエルは、早々に冒険者相互補助協会、通称協会で今日の戦果を清算し昇格を行ってもらおうと、さっさと手続きをするために受付に向かった。
 まだ時間も早いという事もあって、何時もは冒険者でごった返し溢れかえる室内も人が疎らである。いつもお世話になっている受付嬢のセレーナに本日も諸々の手続きお願いし今日の成果を報告したが、エルの話を聞くうちに何処となく表情が硬くなり不自然な挙動が目立ち始めた。
 エルとしたら何か調子が悪いのだろうかと彼女の体調を心配し言葉を掛けたが、逆に呆れ返られてしまい何が何だか分からず仕舞いである。
 それもそのはず、彼女が変調を来した原因はこの純朴そうで、大人しくしている分には人畜無害そうな少年にあったのだ。
 まずは4つ星に昇格してから僅か10日で5つ星、上位冒険者への資格を満たすという驚異的なスピードでの攻略だ。驚くなという方が無理があるだろう。それも強敵と名高い赤竜を単独でありながらほぼ無傷で討伐してのけるという余裕振りで、あまつさえ歯ごたえが無かったと不満を零す始末である。
 開いた口が塞がらないとはまさにこの事であろう。
 更には、協会に冒険者登録をしてから7ヶ月という短期間の間に上位冒険者に昇り詰めるという壮挙を成し遂げたのだ。上位に上がれる資質を持つ冒険者が真面目に迷宮攻略を行ったとしても、新人から上位に昇格するまでには5年以上の歳月が必要なのだ。優秀な者達でも2、3年は優に掛かる。長い協会の歴史の中でも、エルの記憶を越える者は数えられる程度しかいない。直近の数十年の間では最も早い記録に違いない。まさに近年稀に見る一大快挙なのである。
 そうであるにも関わらずこの少年は自分の為した事の意味を全く理解しておらず、もっと闘い甲斐のある敵がよかった等と不平を漏らす始末である。少年に掛ける言葉がどうしても見つからず、セレーナは頭が痛くなったというのが先程の真相であった。
 とりあえずセレーナは迷宮での戦利品の買取と昇格の手続きを済すと、後日注意事項を説明するから必ず来るようにと何度も念を押し、きょとんとしているエルを送り出したのだった。
 エルとしては、帰っていいと言われたのだから大丈夫だろうと楽観的に物事を判断すると、さっさと帰途に着く事にした。我が事のはずなのに、何とも適当極まりない対応であった。まあこの少年は強くなる事、強敵と闘う事に夢中であり、その他の事への対応はいつもぞんざいな事が往々にしてあり、友人等に注意されるのもしばしばであったが……。
 協会から外の大通りに出ると季節はすっかり秋といった風情で、街路樹もちらほらと色づき始めているものが散見して見受けられた。日の入りも早まり夜も長くなり始めていたが、あっさり50階層を攻略し守護者も倒したので普段の様に夜中という事もなく、まだ陽が落ちきっていない夕暮れ時であった。何処からか涼やかな虫の音も聞こえてくる。田舎の故郷に住んでいた時の事を思い出すようで、何だか心が安らぐ。虫の音に耳を傾けながら、少年はゆっくりとした歩調で自分の根倉たる金の雄羊亭に帰るのだった。




「お帰りなさいっ、今日は早いのね」

 エルが金の雄羊亭に戻ると、1回の酒場の清掃をしていたこの宿の看板娘、リリが花咲く様な笑顔と元気な声で出迎えてくれた。彼女はエルよりも年下であるが、年も近いせいもあってすぐに打ち解け、今では大の親友である。
 また、リリは両親の経営する宿を助け働くしっかり者なので、戦闘や修行以外、自分の興味がある事以外はいい加減なエルに対しあれこれと助言や注意をしたり、何くれと世話を焼いてくれたりしてくれる面倒見の良い女の子だ。
 年上ぶって精一杯背伸びして忠告する姿は微笑ましいの一言だが、その言葉の中身は耳を傾けるに値する内容であり、幼い頃から多くの大人達と接してきた故に身に付けた含蓄のあるもので、色々と知識不足の所がある少年からしたら大変ためになる話が多かった。まあ、大抵お小言や注意を受けるのはエルがだらしなかったり、無茶した時ぐらいであったが……。
 普段は他愛無い話に興じたり、エルの迷宮での冒険や修行の話等に花を咲かせたりしている。リリは実に聞き上手で相手を褒める事が上手いので、口下手な少年でも臆せずに色んな事を話せた事が、2人の中を深めた要因であろう。

「それで今日の探索はどうだったの?50階層の守護者に挑戦するって言ってたけど大丈夫だった? ひどい怪我はしなかった?」
「もちろん何ともなかったさ。ほら何処にも怪我なんてしてないだろう? それに、この冒険者カード見てよ。星が5つになってるだろう?」
「すごいっ、上位冒険者に昇格したのね!? おめでとう!!」

 得意満面に冒険者カードを見せびらかすエルに、リリは心からの祝福で応えた。エルも満更でないのか顔をやや赤らめると、嬉しそうに相好を崩した。

「それじゃあ、今日はお祝いにしなくっちゃね。父さんに話してくるわ」
「それなんだけど、この間4つ星への昇格祝いをやってもらったばかりだし、今日は親しい人達だけの簡単なものにしたいんだけどいいかな?」
「エルがそうしたいのなら、いいんじゃないかしら。それじゃあライネルさん達と……、アリーシャさんやカイくん達も来るのかな?」
「それが一気に攻略しちゃったから、今日の事は言ってないんだよ。アリーシャさん達は猫みたいなものだから気が向いたら来ると思うけど、カイ達は……どうだろう?」
「どうだろうって、エルがわからなければ、私がわかる筈ないじゃない」

 ちょっと呆れた風にリリに言われて、それもそうだよねとエルは苦笑いをして誤魔化した。そして取り繕った後、直ちにカイ達と最近会った時の事を思い出そうと、懸命に記憶を呼び起こした。

「そうだ、この間はこっちに来てもらったから、今度は僕がカイ達の宿に行くよって約束してたんだった」
「あのね、エル。大事な約束なんだから忘れちゃだめじゃない」
「いやっ、ちょっと時間が経ってたから思い出すのに少し時間が掛かっただけさっ。本当だよ?」
「はいはい、全くしょうがないんだから。今度からは気を付けてね。それじゃあ、父さんに言ってくるから座って待ってて。ライネルさん達はまだ帰ってきてないみたいけど何時もならもうすぐ戻る頃だから、今から料理を準備すればちょうどいいと思うわ」
「あっ、待ってリリ。僕も付いて行くよ。ついでにこれで、シェーバさんに何か作ってくれるようにお願いしようと思ってたんだ?」
「ずいぶん大きいのね。それは何?」
「今日の戦果、赤竜レッドドラゴンの尻尾さ」

 エルが魔法の小袋マジックポーチから取り出したのは、エルよりも大きい長身の大人数人分はあろうかという、長大な竜の尻尾であった。
 エルの鍛え上げられた剛力によって、一見簡単に持ち上げられている風に見えるが、鱗や棘の付いた尻尾の重量はかなりのもので、とてもリリやシェーバでは持つ事などできはしない。
 エルもさすがにその事は承知していたのか、尻尾を持ってリリと一緒に厨房まで歩いていったというわけである。
 厨房ではこの宿の主シェーバと妻のマリナが忙しなく動き、お腹を空かして帰ってくるであろう冒険者達のために夕食の準備をしていた。
 リリと巨大な尻尾を担いだエルが近付いてくると、手を休め威勢の良い声で出迎えてくれた。

「おかえり!? エル、こりゃまた大物だな」
「50階層の守護者、レッドドラゴンの尻尾です。今日はこれで料理を作って貰えませんか?」
「こいつが真竜の尻尾か……」

 とりあえず何もない台にエルが尻尾を降ろすと、シェーバが近寄って来て興味深そうに眺めて出した。それもそのはず、この宿はシェーバの方針で新人から下位冒険者が負担少なく泊まれるようにと良心的な価格を心掛けているので、真竜の肉等といった高級食材は扱った事がなかったのだ。
 妻のマリナ、リリに良く似た亜麻色の髪で優しい笑顔の印象的な細身女性も寄って来て、エルの戦利品を覗き込んでいる。そして徐に顔を上げると、エルに話し掛けてきた。

「エルくん、お帰りなさい。でもこれ料理にしちゃってよかったの?鱗とか棘とか、中の骨なんかも十分武具の素材に使えると思うけど?」
「!? そうだ。エル、こいつはきちんと扱える所に持って行けば、上等な武器や防具になるはずだぞ」
「防具ならもうこの道着がありますし、それに籠手と靴もこの間注文した所なんですよ。武器は元々使わないので、そうすると後は売る事になるんですけど、折角食べられる所が沢山あるのに売るなんて勿体無いじゃないですか」
「……」

 あっけらかんと言い放つエルの物言いに、普段あまり表情を変えないシェーバが驚きで目を見開いた。赤竜の鱗で造った鎧といったら冒険者の憧れの的だ。強固な鱗は生半可な武器など通用せず、かつ魔法に対しても高い耐性を有するから、鎧等の材料に用いれば非常に優秀な防具になるのだ。武器として加工しても、素材の性能の高さからいってかなり期待できるだろうし、あるいは売ったとしても大金が手に入るだろう。もっとも、エルは武神流の格闘術を学んでいるので、武器は必要ない。
 そんな品をもう防具は手配してあるから要らないし、売るより食べようと言い切るのだから大したものだ。迷宮の食材は冒険者の成長を促進してくれる働きがあるので、その選択もある意味間違ってはいないのだが、この見た目に反して大食漢な少年はおそらく何も考えずに美味しそうだから食べたいと言ったに違いない。
 豪気というかなんというか……。
 まあそれでも、本人がこの選択に悔いがないのなら良いかと気を取り直すと、シェーバは目の前の黒髪の少年に最終確認を行った。

「エル、それで本当に後悔しないか?」
「ええ大丈夫です。今日の夕食は期待してますからね?」
「わかったわかった。初めての食材だが亜竜は何度も扱った事がある。まあ何とかなるだろう。しかし問題はこの鱗だな。こいつ相手だと、包丁の方が欠けてしまいそうだ」

 とりあえず真竜の尻尾を食材とする事は決定したが、表面を覆う固い鱗が曲者であった。見るからに固く、触って確かめてみたがとても自分の持っている調理道具では歯が立ちそうになかった。

「えーと、とりあえず僕と義兄さん達の分。それともしアリーシャさん達が来た時の事を考えて多めに使うとしてどの程度要りますか?」
「そうだな、とりあえずこのぐらいあればいいだろう。しかし、それを聞いてどうする気だ……!?」

 なんと、答えを聞くや否やエルは赤竜の尻尾に近付き右手を振り上げると、ただの素手でシェーバの指示した位置に合わせて一瞬で両断してしまったのだ!!
 これにはシャーバだけでなく、傍で見ていたマリナやリリもびっくりである。
 しかも、エルは一部の鱗を切り裂くとそこを足掛かりに次々と鱗を引っぺがしてしまうではないか。
 どうして素手でそんな事が可能なのかシェーバ達では到底理解できなかったが、これも優秀な冒険者なら可能なのだろうと無理やり納得する事にした。
 あっという間に尻尾を鱗と肉塊に別け終え、一仕事終えたと良い顔をしているエルに、リリが疑問を口にしてみた。

「エル、そんな事して手が痛くならないの? 赤竜の鱗って包丁よりも固いんでしょ?」
「全然平気だよ。武神流には自分の手を気の力で武器化させる技があるんだ。ほら、これさ。さっきはこれで鱗を切ったんだよ」

 リリ達に分かるように上にかざしたエルの右手には白と黒の気が集まり、見る間に剣の様な形を為した。武器の素人であるリリ達が見た感じでは、本物の剣と遜色ない様に思えた。もっとも実際の切れ味は先程見た通りであり、本物の剣でもエルの手刀に勝てるのは難しいだろうが……。

「へえー、冒険者ってすごいのね。そんな事もできるんだ。父さん、これで後は大丈夫?もうエルの力は必要ないよね?」
「後は肉を切るだけだから何とかなるだろう。エル、すまないな。ありがとう」
「いえ、僕が食べたいって無理言ってお願いしたものですから、お礼何ていりませんよ」
「ふふふっ、そんなに畏まらないで。エルくんのおかげで料理できるのは本当なんだから。他人に感謝したなら、お礼を言うのは当然の事なのよ。それに言われるとうれしくなるでしょ?お礼を言って気持ち良い。言われてうれしいなら、口に出した方がいいのよ」
「そうだな、マリナの言う通りだ。だからエルも気にせず受け止めてくれ」
「わかりました。確かに言われるとうれしいですしね」
「うふふ、そうでしょう?」

 ほんわかしかマリナの言葉を聞き、シェーバのお礼を受け取ると自然とエルの心も温かくなった。リリも笑顔だ。
 和やかな雰囲気に包まれたが、はっとシェーバがいち早く我に返る。

「いかん、もうすぐ大勢お客が帰ってくるから、夕食の準備を急がないと間に合わなくなるぞ!!」
「あらあら、それじゃあ頑張らなくちゃね。エルくんは座って待ってて。すぐに料理を持って行くから」
「わかりました。でもそんなに急がなくていいですよ。義兄さん達がまだ帰って来てないので、むしろ後回しにしてもらった方がありがたいです」
「任せておけ。エルの上位冒険者への昇格祝いだし、腕によりをかけて作るさ」
「ありがとうございます。楽しみにしてますね」
「私も父さん達を手伝うから、ちょっと待っててね」
「わかったよ。それじゃあよろしくお願いします」

 リリ達3人にお願いするとエルは厨房を離れ、食堂に向かった。
 初めて食べる真なる竜を食材とした料理に胸を膨らませ、心弾ませながらちらほらと帰ってきた冒険者達によって込みだ始めた食堂の片隅で、少年は期待の笑みを浮かべるのだった。




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