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第5章

第102話

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 迷宮での闘いを終えたエルは足早に自分の塒に向かっていた。
 心なしか顔が紅潮し、吐く息さえ弾んでいるようにさえ見える。
 非常時以外は許されていないが、もし可能ならば空を翔けていきそうな程の勢いだ。

 少年が息せき切って駆け込んだ先は、金の雄羊亭。
 エルが迷宮都市に来て以来ずっと寝泊まりしている冒険者用宿屋だ。
 
 1階の酒場には既に多くの冒険者達がおり、銘々に酒盛りに興じている。
 金の雄羊亭はあの戦争・・・・・・、迷宮都市自体が戦場と化した悲惨な戦いの中で戦火を免れた数少ない家屋の1つであった。
 エルが呼吸を整えつつ、ゆっくりとした歩調で酒場に向かうとすぐに声が掛けられる。

「おぅおぅ、稼ぎ頭のご帰還かよ」
「ボリーさん。どうも今帰りました」
「おいおい、よしてくれよ! 8つ星の上級冒険者様ともあろうものが、俺みたいな下級冒険者に謙らないでくれ! いつも言ってるだろうが、お前さんはもっと堂々とすべきなんだよ」
「そうでしょうか。どうも慣れなくて……」
「かー! お前さんはあの最上級冒険者、集い英雄達ギャザリング・ザ・ヒーローズにさえ認められた先の戦争の英雄だろうが! もっとしゃんとしろよ!」
闘鬼ラクシャスの2つ名を持ち、戦場じゃその名を聞いただけで震え上がるって話なのに、普段がこれじゃあなあ……」
「ははっ、どうっもすいません」

 口々に突っ込まれ、どうにも居た堪れなくなって少年は頬を欠いた。
 もっとも周りの冒険者とて責めているわけではない。
 エルは先の戦にて、紛れもなく英雄と呼べる程の活躍をしたのだ。 
 それもこの都市を守るためにだ。
 この宿が無事なのも、逸早く駆け付けた少年が悪漢共の魔の手を退けたからこそ、彼等も笑っていられるのだ。
 その事を冒険者達は当然弁えているし、感謝の気持ちを忘れていない。
 だからこれは、一種の掛け合いのようなものなのだ。
 当然困ったエルに助けが現れる。

「はいはい、そこまで。皆してエルを構わないの」
「リリ!」
「お帰りなさい、エル。ちょうど帰る頃だろうと、父さんがエル用のディナーを準備しておいたわ」
「ありがとう! どうなものだろう? 楽しみだな~」
「おいおい、宿側が贔屓していいのかよ?」
「「「そうだ、そうだ~」」」
「うるさいっ! この宿が無事なのも、あたし達の命があるのもエルのおかげなんだから、少しぐらい贔屓してもいいじゃない! それに、あんた達も恩恵に預かってるでしょ?」
「がはははっ! エルには足を向けて眠れませんっ、ってか?」
「エルの取ってくる高級食材を、試作として俺達でも手の出る値段で提供してもらえるんだからな」
「それに何より、あの地獄な様な戦争を終結させてくれた。それ以上の恩はねぇよな」
「よっ、エル先生! お肩をお揉みしましょうか?」
「「「はははっ!!」」」

 毎度お馴染み、この宿の看板娘リリと冒険者達のやり取りだ。
 笑顔や笑い声が絶えない。
 ただ、エル自身は褒められる過ぎて恥ずかしくてたまらない。
 ただ身近な人を守るために立ち上がり、偶々敵将を討つ事になっただけなのだ。
 この賞賛は自分には不相応だ。
 そう思うと身が縮こまりそうなお思いだが、そんな少年のお腹が盛大に鳴った。
 それを機に、リリがこのやり取りに終止符を打った。

「はいはい、今日はここまで! あんた達と遊んでたら何時まで経ってもエルが食べれないじゃない!」
「がはははっ、そりゃいけねえな!」
「ははっ、我等が英雄殿にお腹を空かせたままにさせるとは、それはいかんな!」
「腹いっぱい食べてくれや!」
「ほらっ、エル」
「ははっ、それじゃあ失礼します」
「ひゅー! 羨ましいぜ!」
「リリちゃん、今度は俺もエスコートしてくれよ!」
「うるさいっ! 余計なこと言わないの!!」
「「「はははっ」」」
  
 冒険者達に囃し立てられつつも、顔を紅潮させたリリの手に引かれ指定席に案内される。
 少年が主張した事は無いのだが、いつの間にか酒場の最奥が、エルと仲間達の指摘席になってしまっていた。
 茶々を入れたり揶揄ったりはするものの、冒険者達なりにこの少年に畏敬の念を払っているのだ。
   
 そしてエルが席に座ると、見計らった様にシェーバが料理を持ってきた。
 それは人よりも巨大な魚を丸ごと1匹を、贅沢にもエルのためだけに蒸し焼きにしたものだった。

「うはー! 闘牙魚ランブルフィッシュじゃないですか!」
「色々試してみたんだが、この魚の魅力を伝えるにはこれが一番だと思ってな。まっ食べてみてくれ」
「はいっ! ありがとうございます!」

 81階層の砂漠地帯に現れる、砂の中を泳ぐ大魚。
 優美なその姿から砂漠の宝刀とも称されるが、そのヒレや牙は宝刀もかくやという恐ろしい切れ味を有している魔物だ。
 エル自身も初戦では、巨体に似合わぬ速さと下方からの攻撃に苦戦させられた強敵だ。
 それが今では調理され、エルの前にご馳走として並んでいる。
 少年は感謝の気持ちを抱きつつ巨大魚を口に運んだ。
 すると、たちまち口内に芳醇な香りと共に旨味の洪水が広がった。

「!? これは、すごく美味しいですっ!!」
「強い魔物ほど美味いからな! だがこいつはかなり淡白でな。身そのものの旨味を味わってもらうために、一苦労だったぜ」
「さすがシェーバさん! 本当に美味しいです!!」
「はははっ!!」

 こちらの説明も漫ろで、すっかり蒸し焼きになっている少年に対しシェーバは目を細めた。
 相変わらず惚れ惚れする喰いっぷりだ。
 シェーバよりも大きな塊が見る間に減っていく。
 小難しい調理法に納得するより、実物を食べ心から楽しむ。
 少年のそんな姿にシェーバは頬を綻ばせた。
 そして静かに娘に顔を向け目で会話すると、調理場に戻っていった。
 更に食べるであろうエルのために、次の仕込みに向かうのだった。





 そうしてしばし、すっかり満腹となりようやく落ち着きを取り戻した少年に対し、静かに見守っていたがリリが声を掛けた。

「ねえ、エル。明日は大丈夫?」
「もちろん! 義兄にいさんやアリーシャさん達にも散々言われてるから、明日休養日さ」

 本来迷宮の探索を行ったら休養日を挟むのが、冒険者の鉄則だ。
 疲れを癒し、次なる冒険への英気を養うのは当然の事だろう。
 だがこの少年には当てはまらない。
 闘いそのものが好きで、死と隣り合わせの探検で心が疲弊しない稀有な心の持ち主であり、身体も特に頑丈で回復や成長凄まじく、休まず連戦してもちっともこたえない。

 そんな特別な人間であるエルでも、僅かずつとはいえ疲労は蓄積する。
 だからこそある程度の割合で休養日を設けるよう、兄貴分や姉貴分から要請されたのだ。

 そうでなくともエルは唯1人のみで探索を行う冒険者だ。
 自分自身の失敗が即生死に繋がり兼ねない。
 それを心配するが故の要請である。
 エル自身前科持ちで、無茶して心配を掛けた事があるので神妙な面持ちで従っているといった所だ。

「それじゃあ、明日は予定通りでいいのね?」
「うん、お願い。迷宮以外あまり出歩かないから、未だに街に詳しくないんだ」
「しょうがないなー。ここはリリお姉さんに任せておきなさい!」
「ははっ、お願いします」
 
 喜々としてお姉さん振るリリを見ていて微笑ましかったが、口には出さなかった。
 そんなことしたらどうなるかは一目瞭然だからだ。
 それに、機嫌の良いリリを見ていると、こちらも自然とうれしくなる。
 久しぶりにリリと出掛けるのは、エルにとっても楽しい時間だ。
 明日が楽しみで、勝手に頬が緩むのだった。






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