『神託』なんて、お呼びじゃない!

温風

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 補佐官のポストをもらって以来、ゼノンは幽鬼のように徹夜を重ねてきた。
 おのれの体に鞭打って働くことが、ゼノンにできる唯一の罪滅ぼしだった。

 日に焼けて剥けた肌。
 傷だらけの体と、ぼろぼろの素足。
 彼らは訓練された兵士ではなかった。領民とは到底呼べない、奴隷のような身なりだった。
 だからこそ、ゼノンは捕虜の毒死に疑問を持った。

『自分は、自分たちは、無辜の民に刃を向けたのではないか?』

 幼い子供までもが毒死したと聞いて、ゼノンの髪は驚愕と絶望で真っ白になった。

『人を守るために騎士になったはずなのに……私がしてきたことは何だったのか』

 調査を願い出るも、領主である伯爵の意向で却下され、帰還を命じられた。ゼノンにできたのは王都に戻ってから人目を忍び、独自に調査を開始することだけだった。
 数ヶ月後、ゼノンは宰相ランドール卿に召喚される。宰相も海洋伯の税収に疑念を抱いており、同じ問題を調査するゼノンに目を留めた。そして自らの補佐官に引き立てると、独自の権限を与えて特別調査隊を組織させたのだった。
 ちなみにヨナシュの件の報告書には、制圧の場にいなかったはずのガブリエルの名前も載っている。
 ゼノンの特別調査任務には、ガブリエルも一枚噛んでいた。
 ガブリエルは正真正銘の文官だが、優秀さを見込まれて、秘密裏にゼノンの補佐に付けられた。元奴隷たちの苦役で発展した産業を、ヨナシュの国に還元できるよう提言したのはガブリエルだ。宰相補佐官様の真の補佐は、実はパヴェルではなく、ガブリエルだった。


「……というわけだ。私が文官に転向したのは形だけで、籍はまだ軍にある。今回の一件が落ち着いたら、補佐官は引退するつもりだ」

 そこまでひと息に話して、ゼノンは様々な思いを飲み込むようにうつむいた。

「巻き込んで、すまなかった。聖堂で初めて会った時もひどい態度をとったが、あの時の私は……伴侶について考えるような精神的な余裕がなくて……おまえに八つ当たりした」

 あまりに真摯な面持ちで謝罪するので、パヴェルは自分が幻覚でも見てるのかと半信半疑になった。

(こいつ、補佐官の偽物なのでは?)

 頬をつねってみたが普通に痛い。この男に頭を下げられる日がくるとは、生きていてよかったとしみじみ実感した。

「誓って言うが、おまえを危険な目に遭わせるつもりはなかった」
「へー、補佐官様も人に謝罪できるんすね。明日は槍でも降るんじゃないの?」
「口の減らない男だな……。自分の非を認める度量くらい持ち合わせている」
「ふーん。じゃあさ、またあのご褒美の飴くださいよ」

 しばしの沈黙ののち、ゼノンがふっと息を漏らした。思いがけず柔らかい笑顔を見せた男に、パヴェルもまた笑い返した。


 *


 王城の裏手には広大な風景式庭園が広がっている。植栽に囲まれた小高い丘には神殿風のガゼボが建っており、パヴェルはそこである人物と対面していた。

「ああ、かしこまらないでくれ。挨拶が遅れてすまなかった。君がパヴェルだね?」
「はい、ランドール閣下。おじょ、ええと、アリス様とセシル様の子守りをしております」

 卓を挟んで前方にランドールは腰を下ろし、パヴェルを見つめる。

「子供たちの相手を任せてしまって悪かった。本来なら私があの子たちのいちばん近くに付いていてあげたかったんだが……うまくいかないものだね。あの子たちにずいぶん我慢させてしまったよ」

 親子らしく過ごせる時間を、宰相の地位と引き換えに差し出したようなものだ。四十手前のランドールは物憂げに吐露する。

「しかし、君、うちの娘の好みだなぁ」
「へ?」
「う~む。これはゼノンに注意喚起しておくべきだね。アリスちゃんには悪いけど、パパにはどうにもできないしなぁ」

 宰相は何の話をしているのか。いや、それよりも気になるのは。

(お嬢のこと、アリスちゃんって呼ぶんすね……)

 知りたくなかった。忙しすぎて疲れちゃった人の独り言だと思えばいいか。パヴェルは話を聞き流すことにした。
 事後処理やなんだで、アリスにもセシルにもしばらく会えていない。アリスを巻き込んだことは、パヴェルの責任を追求されてもしようのない事件だった。

「……アリス様、お元気ですか?」
「とっても元気だよ。アリスちゃんの美貌は妻譲り、打たれ強いのは私譲りなんだ!」

 宰相は聞いていないことまで気前よく話してくれる。

「セシルくんもね、また最強のカタツムリを描いてほしいって言ってたよ。あの子は僕が会いに行くといつも緊張して、ちっとも口をきけなかったんだ。だけどね、君の絵を嬉しそうに見せてくれて、たくさんお話ししてくれた」
「そうですか」

 喜ぶセシルの顔を思い浮かべたら、ちょっとだけ瞳が潤んだ。木々の梢を渡る風がさやさやと優しげな音を奏でている。

 ヨナシュの一件以来、パヴェルは絵を描くのが怖くなった。
 また絵筆を執って、いいのだろうか?
 紙にさらさらと線を踊らせて、赦されるのか?

 画材を仕舞い込み触らずにいたが、無意識に、指で宙に絵を描いている自分に気づいた。やっぱり絵の道は捨てられない。恐怖も後悔も消えないが、アリスやセシルの喜ぶ顔がパヴェルの背を押してくれる。責めも業も丸ごと背負って、自分の絵の道を進み続けようと思えた。

 ところでとランドールが卓に肘をつき、上体を乗り出す。内緒話でも持ちかけるような体勢だ。

「君、子守り以外だと、どんな仕事に就きたい? 実はね、推薦したい部署があるんだけど」

 私的な呼び出しに何も期待していなかったといえば嘘になる。だが、宰相からの提案に、パヴェルはあんぐりと口を開けた。

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