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第一章 家庭教師と怪力貴公子
退屈しない人生
しおりを挟む離宮に戻ってから僕は、これまでの認識を改めた。
フォルテさまは、同性の伴侶を欲しているのだ。
「サフィはこれまで思い違いをしておりました」
「は?」
とある書物を、ぐいとフォルテさまの胸に突き出した。
タイトルは『当世花街美男案内』。つまり男娼が控えている店のガイドブックである。僕もようやく、フォルテさまの性的指向を理解できたと思う。
「これまでの無理解をお許しください。嫌な思いをさせましたよね。あ、あともう一冊。こちらの書物は性に関する技を説いた男性専用の内容です。潤滑油は品質の優れたものを引き出しに用意してありますので……」
「ちょっ、ちょっと待った! お、おまえ、なんか勘違いしてるぞ!?」
フォルテさまが焦ったように僕を遮った。
「……ご安心ください。何人か呼びますので、お好みの者を選べばよいのです」
「そうじゃねえって! 俺の相手は……おまえだよ、サフィ!」
「僕でいいのですか……? 分かりました」
表情をきりりと引き締めた僕を見て、フォルテさまは変な顔をした。
「お、おい……おま……ほんとに分かってんのか、怪しいんだけど……」
「僕の貧相なお尻でも、あなたが満足できるように、サフィは精進いたします!」
拳をぎゅっと握って、凛々しく宣言した。
途端にフォルテさまがしらけた顔になる。おまえなんか使えない、とでも思われているんだろうか。僕は慌てて、力強く言い募った。
「大丈夫です、サフィのほうが年上なんですから!」
「あー……もういいや。なんか違うし」
「え? で、ではやはり娼館の者を呼びま……」
「やめろって言ってんの! 俺は、おまえとシたいんだよ!」
不平を滲ませた声で、ぶうと拗ねる。
「俺が欲しいのは……っ!」
フォルテさまが強い力で僕の手首を引いた。
「サフィだ! サフィをぎゅってして、チューってして、入れて出して、またぎゅーっとして、一緒に寝ることだよ!」
それは……ま、まぐわいたいということだよな。分かる、それは分かってる。盛んなお年ごろだもの。
「いいから、おとなしく俺に捕まれ。そんで、恋人になれ」
「こ、恋人!?」
恋……? 恋ってなんだっけ、恋人ってなんだっけ。
僕は、ぶんぶんと首を振った。
「……んだよ。俺のこと嫌いだった? 俺が子供すぎてつまんない?」
そういうことじゃない。首を振る。
「……俺の体臭で吐きそうになるとか?」
ぶんぶんぶん。首をいっぱい振って否定する。
そんなことありません。フォルテさまは成長してからも良い匂いがするし、多少臭ったからって嫌いになんてなりません。
「じゃあ、なにが問題なんだよ!」
「僕は、あなたの家庭教師です!」
切羽詰まった口調で、まくしたてた。
「……だから?」
フォルテさまが拳で枕を叩いた。ぶわりと羽毛が舞う。
「家庭教師だから恋人にはなれない? 家庭教師だから俺と暮らしてる? じゃあ、家庭教師じゃなかったら? ……おまえ、役目がないと、俺と一緒にいてくんねえの!?」
フォルテさまの目元が赤く染まって、瞳が潤む。泣かせたくない。泣かせたくはないけれど。
「だ、だって……そうじゃなきゃ僕なんて……も、もやしですし……おじさんですし……」
「時間かけるのは、まどろっこしくて嫌いだ」
掴んだままの手首を引かれて、寝台に押し倒された。フォルテさまの唇が近づいてくる。顔を逸らしてそれを避けた。
「いっ、いやです! 接吻はしませんっ……!」
「だから、なんで嫌なんだよ! あのときだっておまえ、唇だけは許さなかった! 訳を教えろよ!!」
「だ、だから……チューまでしちゃったら……!」
いつか、僕ではないちゃんとした恋人のために取っておいたら良い。
そう、そう思って僕は……だけど、それだけじゃない。もっと、心の奥には……。
「こわい、から」
「サフィは……キスが、こわいのか?」
「だ、だって……キスまで許したらっ……飽きて捨てられそうで……こわいんですっ!」
キスしたら、恋人みたいだ。恋人になったら、捨てられるのが嫌だ。去られるのが嫌だ。
失うかもしれない恐れに怯えるくらいなら、今の関係を変えたくなんてない。
フォルテさまは思いがけないことを言われたらしくて、一瞬目を大きく瞠った。それから、仰反るようにして笑った。
「飽きられそうでこわいって……それ、俺のこと大好きってことじゃん」
「だっ、誰もそんなこと言ってませんよ!」
「言ってるのと同じだぜ?」
寝台に膝をつき、フォルテさまが僕の上にのしかかる。
「……俺を信じてくれないのか。だったら、死ぬまで一緒にいればいい。一生かけて証明してやる。サフィには、俺の心を見届てもらうからな」
「死ぬまでって……そんな簡単に言わないでください」
見届けろって。
どうしたらそんな発想になるんだ?
「あなたと比べたら、僕はおじさんです。しかも、ただのおじさんじゃなくて、虚弱なおじさんなんです。あなたの気持ちを見届ける前に、ぽっくり死んじゃいますよ」
「は? どこがおじさんだよ。出会った時からあんまり変わってないけど?」
「あ、出会ったころのほうがおじさんだったかもですね……引きこもりだったし」
フォルテさまと出会ったころ、僕の心は老人だった。フォルテさまと一緒に過ごすようになって、だんだん若返ってきた気がする。そう思ったら、自分でも意外なほど腑に落ちた。
一人で「そうだ、そうだよ」頷いていたら、フォルテさまがぷんぷんと怒り出した。
「だーかーらー! サフィはおじさんじゃねえってば!」
「本人がおじさんだっつってんじゃないですか! 僕がおじさんって言えば、おじさんなんです!」
「なんだよその暴論は! ヒゲだって生えねえくせに!」
「生えますよヒゲくらい! 薄いけどちゃんと毎日生えますし、毎日剃ってます~!!」
「嘘だね! だって俺見たことねーし!」
くだらない言い争いを繰り返し、ぜいぜいと二人とも肩で息をした。
「くっそ……しぶといな!」
「年の功と言ってほしいですね!」
互いの瞳が、生存競争中の野生動物のように、ぎらぎらしている。
しばらく見つめあっていたら、出し抜けにフォルテさまが身を乗り出した。
「あぅっ……」
手首を押さえつけられる。顔を横に向けようとしたとき、唇をやわらかいもので覆われた。
はむ、と軽く歯を立てられて、そのやわらかなものがフォルテさまの唇だと分かった。赤いまつ毛が音もなく震えていた。
舌が唇を割り開き、口腔に侵入した。歯列をなぞり、舌先が上顎をなぞる。
くすぐったくて吐息が漏れた。
「んっ……ふっ、んン~……っ!」
何度も吸い付いて啄まれたあと、ようやく唇を離される。フォルテさまの息が弾んだ。
「……可愛いよ、サフィ」
フォルテさまの指が、僕の火照った頬を撫でる。
「あっ……ぅん」
背筋がぞくぞくして、心臓がばくばく飛び跳ねた。
媚薬を飲んで以来、ずっとおかしい。フォルテさまに触れるだけで体がカッと熱くなる。お側に近づけば近づくほど、胸が引き絞られるみたいに痛んで、毎日こんなふうに押し倒されていたら……苦しくって、身が保たない。
「……フォルテさまといると、心臓がいくつあっても足りません」
「でも、退屈しないだろ?」
フォルテさまは愛らしく微笑んだ。
(第一章・完)
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