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第一章 家庭教師と怪力貴公子

【一章完結記念・番外SS】困った王子さま

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***フォルテさま8歳、サフィアと出会ってすぐの話***



「困った王子さまですね」

 よく晴れた日の離宮の庭。泥で汚れたシーツを手に、ため息まじりにつぶやいたのは、おれの家庭教師とかいうやつだ。
 ラウィニアっていう世話焼き貴族が押しつけてきた自慢の息子。
 ……まだよく知らねえけど、ひょろひょろしてて女みたいに髪を伸ばしてる、きれいな顔の男だ。

「おれ王子じゃないよ。庶子ってやつなんだって」

 そう教えてやったら、サフィアは悲しそうな顔をした。なんでこいつが傷ついた顔するんだよ。意味わかんない。
 サフィアはわざわざ屈んで、おれと目の位置を合わせた。
 ──怒られる。
 そう思って、体にぴりっと緊張が走った。だけど……。

「今度から気をつけてくださいね」

 目を見つめて注意し、頭ごなしに怒ったりはしなかった。

「……怒んねえの?」
「思いっきり遊ぶのは、フォルテさまのお仕事みたいなものでしょう」

 思ってた反応とちがう。もっとキーキー喚いたり、泣いたりするかと思った。
 こいつが泣きべそ浮かべたらどんなふうになるんだろう、って、すごく興味あったんだけどな。
 サフィアはシーツに目を落として、「見事に泥だらけですねえ……どうしましょうか」と困ったように首を傾げた。

「お洗濯の人、まだいるかなぁ……今から洗い直したとして、夜までに乾くといいんですけど」

 泥でつくったかたまりを遠くまで投げる遊びをしてたら、サフィアのベッドシーツに思いっきりぶつけてしまったのだ。白いシーツがどろどろの泥まみれだ。
 洗濯物を干してる場所で汚れるような遊びをしてたのは、わざとだった。これはおれの作戦なのだ。
 シーツを汚しちゃえばサフィアは、おれといっしょに寝てくれんじゃないのかな、って。

 シーツを見つめたまま、しょっぱい顔をして悩んでいるサフィアの袖を、なあなあと引いた。
 不思議そうにおれに目を移したサフィアに、「えへん」と咳払いして胸を張った。

「今夜は、おれといっしょに寝ていいぞ」

 せいいっぱい、威厳のある態度を見せつけてやる。

「……では、そうさせてもらいましょうか」

 サフィアは長いまつ毛に囲まれた目をぱちぱち瞬きさせると、長いきれいな髪を揺らして優しく笑った。


 夜になって、おれはサフィアを迎えにいった。

「おい。そろそろ寝るぞ」
「はーい」

 書物机に向かっていたサフィアの服の袖をつかんで、ずるずるとおれの部屋まで引っ張っていく。

「ランプ消しますよ。もうお布団は掛けましたか?」
「うん。サフィも早くこいよ」
「では遠慮なく」

 もそもそとベッドにもぐりこんできたけど、「遠慮なく」なんて言ったくせに遠慮して、ベッドの端っこで体を丸めている。

「もっと近くにこいよ」
「フォルテさまを潰しちゃうかもしれませんよ」
「おまえみたいなやつにおれを潰せるわけないから」
「ええー……でも、ほんとに……」
「おれがいいって言ってんのに」

 むっとして拗ねたように言い捨てると、まだ少し迷ってたみたいだったが、ぎしぎしとベッドを軋ませて距離を詰めてきた。

「……窮屈ではないですか?」
「へーき」

 ごろりと横を向いて、サフィアの腕にくっ付いた。胸元からせっけんみたいな、いい匂いがする。
 サフィアは固まったように動かずにいたけど、少ししてから、おれがくっ付いたのとは反対側の手で頭を撫ではじめた。さらさらと、優しく髪を指で梳いてくれる。
 なんだか照れくさくて、おれはぐりぐりとおでこをサフィの腕に押し付けた。
 ふふっ、と微かに笑った声がする。

 母ちゃんがいたら、こんな感じなのかな……。

 おれは母親の匂いを覚えていない。匂いどころか顔すらも、ほとんどなにも記憶がない。
 ただなんとなく覚えてるのは、臭くて狭いところで暮らしてたら、いきなり偉そうなやつらがやってきて、おれを王宮に連れて行ったことだけ。
 おとなってのは嘘つきばかりだ。
 とくにひどかったのは王宮。あそこにいるやつらは顔は笑ってるけど、腹のなかじゃ意地悪でクソみたいなことばっかり考えて、他人をバカにして暮らしてる。
「七番目の王子さま」ってにやにや笑いながら媚びてくるくせに、おれから隠れると「馬小屋から拾ってきたんだろ」とか言ってる。
 だけど、こいつ……サフィアってやつは、どこかちがう気がした。

「ねえ、フォルテさま」
「おれもう寝たから」

 サフィアの腕にほっぺをすりよせながら言った。

「起きてるじゃないですか」

 呆れたような声が、すぐ近くから響いてくる。

「いいから聞いてください。あんな悪戯しなくても、僕はいつだって、フォルテさまが呼べば一緒に寝ます。さびしいときや、眠れないとき、誰かと話がしたいとき……いろいろありますからね」

 あんないたずら、って。くそ、バレてたのか。おれがわざと泥だんごを投げたこと。

「だから、いつでも言ってください。ね?」
「……ほんと?」
「本当です」
「ほんとにほんとだな?」
「はい。フォルテさまに嘘はつきません」



******

 それから十年後。

「って言ってたのに、精通が来たら『もう一緒に寝ません、ダメですー』って拒否られて、俺すげーショックだったんだからな!」

 午後のお茶の時間。紅茶を美味しそうに啜るサフィに、俺は積年のモヤモヤをぶつけた。
「わかってんのか?」と訊くと、彼はなんだか嬉しそうに頬をゆるめて、ふふふと可笑しそうに笑った。

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