2 / 3
第二章
再会
しおりを挟む
足に力が入らず、私は壁にもたれたまま、しばらく呼吸を整えていた。
肺の奥に残っていた冷気が少しずつ溶け、温かい血が体の隅々に戻っていくのがわかる。とはいえ、腕も脚もまだ頼りない。震える指先で額の汗をぬぐった。
「立てる?」
目の前の男――アトムが、そっと手を差し出してくる。
その手は思いのほか温かく、しっかりとした力があった。私は少し戸惑いながらも、それを取った。
「なんとなく……まだ夢の中にいるようだ」
「まあ、30年も寝てれば、そうなるよ」
アトムはジャケットのポケットに手を入れ、何かを取り出した。
銀縁の眼鏡だった。
「ほら。これ、あったほうが見えるでしょ」
私は無言でそれを受け取り、ゆっくりとかける。
視界がぐっと鮮明になった。かすんでいた輪郭が形を取り、色が、陰影が、世界に戻ってくる。
「……そんな顔してたんだな。母さんに似たな。……でも、メガネはしてないのか? 私も母さんも目が悪かったのに」
アトムは少し笑って答えた。
「コンタクトだよ」
「……コンタクト?」
「目の中に入れるレンズ。透明で、メガネみたいに曇らないし、見た目も自然だよ。慣れれば快適」
私は目をしばたかせた。
本当に、自分は未来に来たのだと――ようやく実感が湧いてきた。
視界がはっきりしたことで、改めて周囲を見渡す。
部屋は、見覚えのあるようで、どこか違っていた。
壁の色が変わっている。カーテンは簡素で、素材も昔と違う。なにより――静かすぎた。
「ラジオの音がしないな。ラジオは?」
「今はもう、ラジオを流しっぱなしにする人なんてほとんどいないんじゃないかな?ニュースも、テレビが主流だよ。あとはケータイかな?」
「……ケータイ?」
「これのこと」
アトムはズボンのポケットから、小さく折りたたまれた端末を取り出した。
開くと、画面と数字のキーが並んでいた。
「電話もメールもできる。カメラも付いてる。最近の機種はちょっとしたゲームもできるよ。ポケットに入るコンピューターって感じ」
「……すごいな」
言葉だけでは追いつかない現実が、じわじわと押し寄せてくる。
だが、それでも私は訊かずにはいられなかった。
「それで……ロボットは? 空を飛ぶクルマは? 学校で教えてるのは人間か?」
アトムは一瞬、視線を伏せた。
それから、意識的に明るい調子で言った。
「……あるよー!」
彼が机の下から取り出したのは、小さな白い犬型ロボットだった。
つぶらな目が光り、のそのそと頭を動かしてこちらを見上げてくる。
「……これは……ロボ犬か?」
「まあ、そうだね。家族用ロボット。人工知能が搭載されてて、呼べば近づいてくるし、名前も覚える。犬のふりができる機械、って感じかな」
私はしばらく見つめていたが――ふいに、口元から力が抜けた。
「……拍子抜け、だな……」
「……そうかもね」
私は目を閉じた。
それでも、私はもう少し希望を手繰り寄せたかった。
「動く歩道は……? 空港だけか……。リニアモーターカーはどうだ?」
「まだ試験中。東京と名古屋で実験線があるけど、営業運転はもうちょっと先だね」
「じゃあ……空飛ぶ車は?」
アトムは苦笑した。
「うーん、アニメの中かな。試作機はあるけど、空はまだ自由じゃない。法整備も技術も追いついてないからね」
私は、深く息を吐いた。
夢に見ていた未来は、もっと眩しく、もっと劇的だった。
機械の体に人間の心が宿り、人とロボットが手を取り合って空を飛び、誰もが科学の恩恵を受けて生きている――そんな時代が来ると、疑っていなかった。
それが、これか。
「……アトムは、いないんだな……」
「……ごめん」
アトムの声には、わずかに熱があった。
肺の奥に残っていた冷気が少しずつ溶け、温かい血が体の隅々に戻っていくのがわかる。とはいえ、腕も脚もまだ頼りない。震える指先で額の汗をぬぐった。
「立てる?」
目の前の男――アトムが、そっと手を差し出してくる。
その手は思いのほか温かく、しっかりとした力があった。私は少し戸惑いながらも、それを取った。
「なんとなく……まだ夢の中にいるようだ」
「まあ、30年も寝てれば、そうなるよ」
アトムはジャケットのポケットに手を入れ、何かを取り出した。
銀縁の眼鏡だった。
「ほら。これ、あったほうが見えるでしょ」
私は無言でそれを受け取り、ゆっくりとかける。
視界がぐっと鮮明になった。かすんでいた輪郭が形を取り、色が、陰影が、世界に戻ってくる。
「……そんな顔してたんだな。母さんに似たな。……でも、メガネはしてないのか? 私も母さんも目が悪かったのに」
アトムは少し笑って答えた。
「コンタクトだよ」
「……コンタクト?」
「目の中に入れるレンズ。透明で、メガネみたいに曇らないし、見た目も自然だよ。慣れれば快適」
私は目をしばたかせた。
本当に、自分は未来に来たのだと――ようやく実感が湧いてきた。
視界がはっきりしたことで、改めて周囲を見渡す。
部屋は、見覚えのあるようで、どこか違っていた。
壁の色が変わっている。カーテンは簡素で、素材も昔と違う。なにより――静かすぎた。
「ラジオの音がしないな。ラジオは?」
「今はもう、ラジオを流しっぱなしにする人なんてほとんどいないんじゃないかな?ニュースも、テレビが主流だよ。あとはケータイかな?」
「……ケータイ?」
「これのこと」
アトムはズボンのポケットから、小さく折りたたまれた端末を取り出した。
開くと、画面と数字のキーが並んでいた。
「電話もメールもできる。カメラも付いてる。最近の機種はちょっとしたゲームもできるよ。ポケットに入るコンピューターって感じ」
「……すごいな」
言葉だけでは追いつかない現実が、じわじわと押し寄せてくる。
だが、それでも私は訊かずにはいられなかった。
「それで……ロボットは? 空を飛ぶクルマは? 学校で教えてるのは人間か?」
アトムは一瞬、視線を伏せた。
それから、意識的に明るい調子で言った。
「……あるよー!」
彼が机の下から取り出したのは、小さな白い犬型ロボットだった。
つぶらな目が光り、のそのそと頭を動かしてこちらを見上げてくる。
「……これは……ロボ犬か?」
「まあ、そうだね。家族用ロボット。人工知能が搭載されてて、呼べば近づいてくるし、名前も覚える。犬のふりができる機械、って感じかな」
私はしばらく見つめていたが――ふいに、口元から力が抜けた。
「……拍子抜け、だな……」
「……そうかもね」
私は目を閉じた。
それでも、私はもう少し希望を手繰り寄せたかった。
「動く歩道は……? 空港だけか……。リニアモーターカーはどうだ?」
「まだ試験中。東京と名古屋で実験線があるけど、営業運転はもうちょっと先だね」
「じゃあ……空飛ぶ車は?」
アトムは苦笑した。
「うーん、アニメの中かな。試作機はあるけど、空はまだ自由じゃない。法整備も技術も追いついてないからね」
私は、深く息を吐いた。
夢に見ていた未来は、もっと眩しく、もっと劇的だった。
機械の体に人間の心が宿り、人とロボットが手を取り合って空を飛び、誰もが科学の恩恵を受けて生きている――そんな時代が来ると、疑っていなかった。
それが、これか。
「……アトムは、いないんだな……」
「……ごめん」
アトムの声には、わずかに熱があった。
0
あなたにおすすめの小説
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
母の下着 タンスと洗濯籠の秘密
MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。
颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。
物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。
しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。
センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。
これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。
どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。
サレ妻の娘なので、母の敵にざまぁします
二階堂まりい
大衆娯楽
大衆娯楽部門最高記録1位!
※この物語はフィクションです
流行のサレ妻ものを眺めていて、私ならどうする? と思ったので、短編でしたためてみました。
当方未婚なので、妻目線ではなく娘目線で失礼します。
同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。
ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。
真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。
引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。
偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。
ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。
優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。
大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。
冤罪で辺境に幽閉された第4王子
satomi
恋愛
主人公・アンドリュート=ラルラは冤罪で辺境に幽閉されることになったわけだが…。
「辺境に幽閉とは、辺境で生きている人間を何だと思っているんだ!辺境は不要な人間を送る場所じゃない!」と、辺境伯は怒っているし当然のことだろう。元から辺境で暮している方々は決して不要な方ではないし、‘辺境に幽閉’というのはなんとも辺境に暮らしている方々にしてみれば、喧嘩売ってんの?となる。
辺境伯の娘さんと婚約という話だから辺境伯の主人公へのあたりも結構なものだけど、娘さんは美人だから万事OK。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる