世界は君の為にある

秋香犀

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第一部 jacta est alea.

episode.2

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 熱を帯びて吐き出されたため息に、ルートは眉を顰めて顔を引いた。少し長い爪先で本の背表紙を撫でるその背中は、哀愁と恋慕を背負っている。街を眺めるのに飽きたらしく、綺麗に並ぶ本のタイトルを一つ一つ読むようにゆっくりと歩いていた。
 造り物じみた綺麗な顔に浮かぶのは、恋する男の顔だ。驚くほどに情けない表情をしている。こんなのが自分の所有権を握っているだなんて、信じたくもないほどに。
 
 「次の姫はね、特別なんだよ」
 「はァ?」 

 何の脈絡もなく投げられた言葉に、問いかけのような声を返した。
 いつものように生々しいコイバナでも始まるのかと思えば、早々に次の姫君の話が出てくるとは。
 僅かに引いていた身を前のめりにさせて、次の言葉を待つ。
 その背中はルートの反応なんて気にせずに、愛しい人を撫でるような指先を背表紙に滑らせていた。
 不自然に蝋燭の明かりが揺れ始め、椅子や本棚の影が妖し気にぼやける。横目に見えていた街並みのオレンジも、星が塗りつぶされていくように消えていった。僅かばかりの夜更けを迎えようとしている。
 
 やがて本をなぞるように歩き続けていた背中が止まり、爪先で一冊の本を引っかけて取り出した。それを持ったまま、こちらへ振り向く。

 ナイフのようなカナリーイエローが、ヴァイオレットの瞳に向けられる。
 
 思わずルートは息をのんで、組んでいた足を解いてしまう。
 片手に持たれた黒革の本を開いたり閉じたりと弄びながら、それは幼気で妖艶な顔に完璧な笑顔を張り付けた。

 「金以外の事に興味がないのは君の性質だから仕方がない」
 
 一歩、本棚の影を踏みつけた。

 「でもねルート、金にならないからと言って姫を諦めて良い理由にはならないんだよ」
 
 開かれた本の、何も記されていないページが指先でなぞられればやがて文字が浮かび上がってくる。ルートは椅子に座ったまま、言葉と共に近づいてくる男を静かに見上げた。足は開かれたまま、少し硬い絨毯を踏みしめている。
 
 きちんと整えられていたはずの髪が、一束崩れて右目を隠すように落ちてきた。

 ぱたりと聞こえないはずの本を閉じる音が聞こえた気がする。顎先に触れる少し冷たい革の感覚と、僅かに上がった視線。恋に溺れ、愛に狂ったカナリーイエローとかち合った。
 
 「決して、お前が傷つけるな」
 
 地を這うような声に思い切り心臓を締められる。息苦しさと痛みが競りあがってきて、粗雑に何度も頷けば波のようにそれらは引いていった。
 その頷きと共に完璧な笑顔がふっと緩み、顎にあった感覚が消える。黒革の本はいつの間にかルートの膝上に置かれていた。
 はぁと一つため息を吐いて、大きく伸びをするその背中を睨みつける。

 「もし今回もこの場所に姫を招き入れる事ができなかったら、その時は――二度と力は戻ってこないと思いなよ」

●●●

 グローヴに包まれた指先が、黒革の表紙を叩く。とっちらかった執筆机の上で、幾つかの書類に片足を取られたまま傾く時計をちらりと眺めると、鮮やかなヴァイオレットに不機嫌が乗せられた。
 指定した集合時間より既に三十分は過ぎているというのに、ルートの執務室には誰一人姿を現していない。
  
 深いため息と共に不機嫌が彩っていたヴァイオレットを瞼の裏に隠す。
 
 「時は金なりって言葉を知らねぇのかテメェ」
 
 言葉を吐き捨てながら、ゆっくりと呆れと怒りを孕んだ動きで瞼を開いた。
 それを受け取った男は、謝罪どころか開き直った言葉を返して腕に抱いている幼い少女の頭を撫でる。
 少しばかり粗雑ででも温かみのある手を幼い少女は慈悲もなく叩き落として、子供らしい無垢な声音で告げた。
 
 「俺が時間通りに来ないのはいつも通りだ。ルートが慣れればいいだろ」
 「ごめんなさい、ルートさま。わたしがスレイのこと起こすの時間かかっちゃったからおそくなっちゃったの」
 
 全く悪びれもしない男を殺したくなったが、今後に詰まった予定を考えるとそんな事をしている暇はない。ただでさえ遅刻されて時間が押しているのだ、話をさっさと終わらせて帰らせるのが一番。
 ルートは意識を切り替えるように立ち上がり、指先で二人を操るようにしてソファに座らせた。
 雑多に広がった書類を下敷きにしていた黒革の本を片手に、二人と向かい合うようにソファへ腰を下ろした。適当に茶とお菓子を出して、話を始める。

 「他の二人を待たなくていいのか?」
 「待ってたら時間の無駄だ、他の奴らには適当に伝達しておく。今回呼び出したのは、次の姫君のことだ」
 
 狭間に置かれたテーブルの上に、黒革の本を置く。
 四つの目がそれに注がれた。
 
 「これ、姫君の書じゃねぇか。なんでルートがこれ持ってるんだ?」
 「俺が次のオヒメサマのエスコート役になったからだよバカが」
 「姫君の書ってなんですか?」

 小さな両手でお菓子を持っていたシュガーが、こてりと小首を傾げて問う。
 あまりにも初歩的な問いかけに話の腰を折られたルートが、不愉快を乗せた声をシュガーに贈った。びくりと肩を震わせて、目を大きく見開いた分かりやすい怯えに気分を良くしたのか、ルートはははっと笑って今度は答えを紡いだ。
 
 「姫君の書は、デルハイトが愛する姫に贈る一番最初の贈り物だ。これを開けるのはこれを作ったデルハイト自身といつか持ち主となる姫、それから姫のエスコート役に任命されたヤツだけ」
 「デルハイトさまと姫さま、ルートさま以外が開くとどうなるのですか?」
 「触ってみるか?」
 
 テーブルの上を滑ってシュガーの前にやってきた黒革の本を観察するように見つめる。上質な蛇の革を使った本は、タイトルも執筆者も書かれていないシンプルなものだった。ごくりと好奇心を飲み込んで、甘いお菓子を膝上に落とし恐る恐るといったように右手を本へ伸ばす。
 その光景をルートはにやにやと意地の悪い笑みを浮かべて、ただ眺めていた。

 あともう少し、体を僅かに前に傾けるだけで本に指先が触れる。
 
 その時。

 「やめとけ」
 
 小枝のように細く頼りない腕を、日に焼けた骨ばった手が止めた。その腕を追いかけるようにして視線を上げれば、咎めるような透き通る薄い紫の瞳がシュガーを見ていた。
 
 「命拾いしたな、スレイが止めてなかったらテメェ死んでたぞ?」
 「え……」
 
 とろけるような蜂蜜に似た美貌を持ったそれは、悔しがる様子もなくただ舞台を観劇する観客のような瞳でシュガーを見下ろす。シュガーが触れなかったことでさえも楽しんでいたルートは、弾むような声音でそう教えた。
 
 批難するようなスレイの瞳だけが、シュガーの味方だった。
 
 「これはな、認められたヤツ以外が開くと死ぬように出来てる。この本が少しでも開かれれば、その瞬間に静かに命を奪われる」
 「そ、そんなあぶないものをなぜ、デルハイトさまは姫さまに贈るのですか……?」 
 
 自分の腕を掴むスレイに縋るように身を寄せたシュガーが、そう聞きながらルートを見上げる。
 怯えの混じった言葉を鼻で笑って、本を自分の方へ引き寄せた。大きく背もたれに体を預けたルートは、窓の外に視線を投げやる。

 「愛だろ」

 愛を言うには、あまりにも淡泊な声だった。
 
 
 
 
 
  
  
 
 
 
 
 
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