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02.現代の叡智(ウェイン視点)
♤・03-11・♤
しおりを挟む丁寧に前戯をしてとろんとろんになった千綾は、おもちゃでの強制絶頂を何度も何度もして、疲れて眠ってしまった。目元を泣き腫らした彼女に治癒の魔術をかける。
淫魔が治癒魔術を使うのは、欠けた自分を治すためのもので、人間を癒すものではない。
今夜はあまりキスもしなかったから、治癒効果が足りないと考えたからだ。
一度だけ、飢えに任せて廃人になるまで精気搾取をしたことがある。が、いいものではなかった。以来、召喚者の健康状態には気を配っている。
人間が動物をかわいがるのと似た感覚だとウェインは感じている。
でも、千綾に感じるものは、なんだか違う。
それがなにか、うまく言語化できないが。
たった半年近くで、愛着のようなものが湧くものだろうか?
(壊れちゃったら、セックスもできないし、笑顔が見られなくなるから。手離したくないな)
ウェインは千綾の泣き腫らした涙袋にキスを落とした。
(どうして、そう思うのかな……。永らく生きてきて、初めての、不可解な感覚。気に入ったおもちゃや動物を可愛がるのとも違う)
・・・✦・✧︎・✦・・・
召喚されて六カ月になろうとしていたその日、少し遅く帰ってきた千綾は、小さな紙袋を下げて帰宅した。
スイーツを買って帰ってきたときとは違い、少しの照れと不安のある表情が新鮮だった。
なにごとだろうか。
「開けてみて」
受け取った紙袋の中には小さめの箱が入っていた。その箱にもプリントされているものが入っているのだろうと予測されるし、開けてみると薄いビニールやフィルムに包まれた──
「叡智の書……」
黒い画面が美しい、現代の魔導書・スマートフォン。そのなかでも、最新式のスマートフォンが手のなかにある。
「通信するのに金銭や契約が必要なんだよね?」
「ウェインのおかげで、かなぁり貯金できたんだよ。食費、光熱費、家賃以外にもいろいろとウェインが払ってくれてるから。そのお礼」
ふわっと千綾が笑うから、ウェインも笑った。それに、なんだろうか。胸の奥がむずむずする。精気搾取のときに獲る、悦びの感情に似ていて異なる感情だ。
「ありがとう。いいの?」
「わたしにお金を使うくせに、自分のスマホを買うっていう考えはなかったんだ?」
「まあ。緊急性はないからね。それに」
「それに?」
契約したくない。それは、ウェインの本能的なものだ。ほいほい契約する悪魔や淫魔もいるが、ウェインは古いタイプなので、契約は慎重派だ。
「人間が持つもの、だよね」
「欲しがってたじゃない」
叡智の書。古今東西の古い情報から最新の情報、分厚い本、暇つぶしまでできる薄い板だが、淫魔的には精気以外への欲は薄い。
現代の召喚書として名前を刻んだ以降は、千綾に召喚されるまで興味を失っていた。
「スマホは使ったことがないから、使い方がわからないよ」
「充電しながら……こう」
スマホの使い方を千綾から教わる。ひと通り基本的な使い方を千綾が隣で説明する。柔らかな髪を耳にかけ、バラ色の口紅で色をつけたふっくらとした唇を動かし、時折ウェインの目を見ては嬉しそうに目尻を下げて、へにょんと笑う。
(かわいらしいな。食べちゃいたい)
だいたいのアプリをダウンロードし終えたあとは、スマホで調べながら使い方を知ればいいと千綾はえへんと胸を張る。
「これでスマホでのやり取りもできるね」
「離れていても声が聞けるんだったね」
「うん。そう。淫魔はテレパシーみたいなので離れた相手と話すの?」
「俺はあんまりしないよ。同族と関わることはほとんどないしね。魔王の配下ならまだしも、俺はフリーだから」
「フリーランスの淫魔?」
千綾が声を上げて笑う。彼女の笑顔はどうして心地いいのだろう?
調和が取れた音楽みたいだ。
「ありがとう、ちい」
すぐ隣の柔和な頬にキスをする。とたんに彼女は笑うのをやめて、榛色の目をぱちぱちとまばたきさせ、頬をほんのりと染める。
そして、ゆっくりとまぶたを下ろし、ゆっくりとまぶたを上げた。上目遣いのその榛色に欲が灯っていた。
先週、最後までしなかったから、よけいに疼くのだろう。それをわかって、ウェインは淡く微笑む。
「ああ、スマホの使い方を教わっていたら深夜になっていたんだね。お風呂にお湯を入れてくるよ。今日の入浴剤はなにがいい?」
「んと、ミルキーハーブがいいな」
「イエス、マイレディ」
残念そうな声には、ほんのり期待が混ざっていた。
千綾が入浴しているあいだ、ウェインはスマホを片手に狭いソファに寝転ぶ。そして、目を瞑り寝たふりをする。
今日も食事はしない。あともう少しで千綾の淫紋が最大限に輝くから。
・・・✦・✧︎・✦・・・
その翌週。連休前の金曜日。
ウェインは、千綾と外食するために会社の最寄りのコンビニで彼女を待っていた。ジャケットの内ポケットでスマホが振動したので、通話ボタンをスライドした。
『ウェイン、どこにいるの?』
電子が変換した千綾の声に雑踏が混ざっていても、彼女の声はよく澄んだ歌声みたいに感じる。
「今──」
ウェインは、コンビニを出ると千綾を探知しながら歩く。スマホがなくても獲物の位置はよくわかる。
帰宅者や繁華街に向かう雑多な人間で駅前は溢れている。見目好いウェインをすれ違う女が振り返るし、コンビニに行くまでにも女に声をかけられた。
しかし、どの女も千綾には劣る。千綾が持つ魂が清浄なのか、ウェインを召喚しただけに波長と好みがばっちり合っているからか。それとも、別の理由があるのだろうか? それに関しては、やや謎だ。
人間よりずっとずっと長く生きているし、その長いあいだにおこなった精気搾取やその相手など記憶にない。人間が食べた主食の量を数えて覚えていないのと同じだ。
けれど、千綾はこれまでで召喚してきた人間とは違う。枯れぬ性エネルギーは、上等なワインのように芳醇で深い味わいだけでない。砂漠を彷徨った旅人が飲むひと口目の水のごとく、甘く澄んでいて喉だけではなく身体をも潤し、癒す。そして、摂取するたびに味が変化する。
食事のたびにそう思う。
そして、彼女の満ち足りた笑顔やくるくる変わる表情は、精気搾取とは違ったエネルギーをウェインに与える。
一緒にいても不快に思わなければ、一緒にいない時間が長く感じる、不思議な人間だ。
食事以外もしたいと思うし、千綾を悩ますすべてを排除したいと思う。実際、悩ませていた会社を変えてしまった。
人間は悩んで、失敗をして、苦難を乗り越えて、精神的に成長し成熟していく。おのれが排除するのは、彼女の精神的な成長の阻害になるのだろうか? なぜ、それを悪く思う? 愛玩動物を溺愛したいから? いいや、千綾は愛玩動物ではない。
それなら、なんだろう。噛めば噛むほど味が出る、というやつなのだろうか?
今よりも成長した千綾は、どんな味になるのだろうか。興味が尽きない。
(──見つけた)
人が多い夕方の雑踏は羊の群れのようなだ。そのなかに、ウェインがつけた淫紋から波動を放つ、美しく輝く千綾。
彼女が微笑み、小さく手を振っている。会社に行く前よりやや華やかなのは、化粧を変え、
「ちい、おかえり。見つけてくれたんだ」
「ただいま。でも、ウェインは背も高いし、目立つから遠くからでもわかったよ。スマホ、便利でしょ?」
「そうだね」
スマホと目の前の千綾から声が聞こえる。スマホを通す千綾の声より、本人の声の方がより澄んでいる。柔らかなのに芯を持つ、透明感のある声。
「車を待たせてるんだ」
「どこに行くの?」
「いいところだよ」
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