惜しみなく愛は奪われる

なかむ楽

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第一章:仇桜は嵐に翻弄される

 四

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 どうして正門から入れないのかしら――。和泉は疑問に思った。
 堂々と正門から嫁入りができないのは、それなりの理由があるからだと考えが行き着く。
 婚礼は遠藤家にとって利益があるが、喜ばしくない――恥である。家名だけしか持たない小娘など、夫となる人物には不要なのだろう。

 どこに行っても、わたしは必要とされないんだわ。

 朱色の美しい打掛を着て、憧れていた高島田に髪を結い、角隠しを被っていても、ハレとは言い難いく気分は澱んでいる。
 洋館の観音開きの玄関扉をくぐると、ステンドグラスとシャンデリアがきらきら輝くホールになっている。たくさんの使用人たちが並び、花嫁を出迎えているが、ここに花婿の遠藤つよしの姿はなかった。


 天井から床の至る所まで装飾をされている、華やかな大広間で祝言が行われた。広いテーブルに花が飾られ豪華な食事が並んでいるのを、和泉は溜め息を吐いて眺めた。
 毅は多くの来賓の相手をしていて、上座に座っていない。実業家の花婿は、花嫁よりも人脈が大切そうであった。
 身分を買われた婚礼だとしても、いないものとして扱われているようで、やるせない。

 和泉の心を暗くさせているのは毅だけではない。この席に、遠藤家現当主の舅と姑の姿がないのも一因だ。
 義理の両親は、事業のために大陸で暮らしており婚礼に間に合わなかったと、仲人が澄んだ顔で和泉に話した。
 彼らにとって、没落貴族の嫁など無視できる存在であると言っているにすぎない。

 近くの本家屋敷で暮らしている、毅の祖母――大姑は、風邪をひいたとかで欠席をし、代わりに本家の番頭が出席をしている。
 歓迎されていないのが丸わかりで、和泉は場に馴染もうとせず上座で静かに顔を俯かせていた。



「この度はご成婚のお慶び申し上げます」

 掛けられた朗らかな男の声に、陰気を背負っていた和泉は顔を上げた。

「朱色の打ち掛けもよくお似合いですね」

 微笑みかけてくれたのは、見覚えのない男だった。一度見たら忘れられないほどの整った優しい顔立ちに、背広を着こなす姿は洗練されている。
 昔読んだ少女小説の王子さまみたいだと、和泉は不躾に男を見つめてしまった。

「ああ、失礼しました。あなたの年上の義弟になった、英嗣と申すお調子者です」
「こちらこそ、挨拶が遅れ申し訳ありません。本日遠藤の家に嫁に上がりました……」

 男は「おっと」そう言って和泉の口上を遮ってしまった。

「僕のような無作法者の義弟に頭を下げちゃいけませんよ、和泉さん」
「ですが」
「仲良くしましょう、お義姉さん……と。春の花よりも可憐な方を年上みたいに呼ぶと罰が当たりそうですね。……そうだ。和泉さん、とお声掛けするお許しを下さいませんか」
「まあ、大袈裟ですわ……ええと」
「英嗣です」

 屈託なく大人の男が笑った。明るい髪色のせいか、爽やかな春の日差しのような印象を受け、暗く淀んだ和泉の気持ちを晴れさせるようだった。

「お初に御目文字致します、和泉と申します。不束者ふつつかものではございますが、遠藤家の嫁として日夜励んで参る次第です。どうかよろしくお願い致します」

 良家子女として身についている、流れるような所作で和泉は手を合わせ深くお辞儀をした。あかぎれが治っていない手は恥ずかしいけれど、身一つしか持たない和泉の精一杯だった。

「初めてではないかもしれませんよ」
「え?」
「なんて、あなたのような仕草も優雅な女性と会っていたら、忘れられませんよ。本当に兄さんには勿体ないぐらいの美しい花嫁御寮だ」

 明るく柔らかな大人の英嗣の笑顔は、孤立無援である和泉にとって、とてもありがたいものだった。

 けれど、旦那さまは目を合わせてくれようとしない。

 離れた場所で人に囲まれている毅をちらりと見た。英嗣とは全く真逆の、日本男児さながらの厳つい姿。紋付袴を着ているから、余計にそう見えるだけかもしれない。

 話をしてみれば、きっと旦那さまも優しい方に違いないわ。だって、優しくお声を掛けてくださった英嗣さんのお兄さまなのだから。

 その後に毅にきちんと挨拶をしたが、「よろしく」と言われただけで終わってしまった。毅と交わす言葉も少なくて、会話が途切れてしまい、和泉はますます顔を俯かせた。


 
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