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1.魔術師ロゼッタ
01.-1-
しおりを挟む某月某日。
大ウィスタリア王国の我らが首都・セラドンを流れる市民に愛されるマルン川に架かるレグホーン橋より下流で魚の大量死が見つかる。生活排水で汚れていたとはいえ天変地異の先触れではないかと、震えながら漁師は語る。
大衆紙・デイリーセラドンより。
━━━
およそ一か月後
某月某日。
魔術省庁長官・アデラード閣下の愛娘の花婿発表か!?
[写真]
写真の中央の美しい方がグレイシアさま。たくさんのお祝いのお花に囲まれてとっても幸せそうですね!
ウエストサックスフォード公アデラード閣下の煌びやかなジョンブリアン館で、アデラード閣下の愛娘・グレイシア・アデラードさまの十九回目の誕生日会が盛大に催されました。
ゲストには、今をときめく貴公子や騎士、高名な魔術師が呼ばれていたところから、がグレイシアさまのご結婚相手を選んでいるのでは? と、もっぱらの噂です。おめでたいニュースは我々国民を笑顔にしてくれますよね。お誕生日を迎えたグレイシアさまのお召し物は──(以下省略)
週刊誌ごきげんウィスタリアより
同日。
首都セラドンの古い高級住宅街にある集合住宅が火事で半焼し、一名の行方不明・五名の軽傷者が出ました。一階のフリューズ家が出火元とされており、所有者であるミス・イメリア・フリューズが行方不明になっていると、当局が発表。出火原因は現在調査中とのことです。
みなさんも火元や魔導ランプ・ティールの置き場所に注意を! 安全なティールは説明書通り八時間以上使うときは物から離しましょう!
セラドン新聞・朝刊の片隅より
☆⋆*.。
ロゼッタは、古い蒸気バスから降りて、下町の古びたホコリっぽい土を固めただけの路地をおっかなびっくりで歩く。中級階級と労働階級が入り組んだ町は活気こそあれ、粗野な大声が上がり、人目をはばからず歌をうたい、歩き食べをしては食べかすをその辺に捨てていて、慣れないロゼッタをビクビクさせた。
煙突掃除のブラシを持った煤だらけの子供たちとぶつかった。一瞬で肩掛けバッグが軽くなり、ロゼッタは丸メガネの奥の目を大きくさせ、通りすぎた子供たちを振り返る。
(やられました!)
落ち着いて口の中で魔術式を紡ぐ。本人の物が本人へ帰る程度の魔術は、魔術ステッキで魔力を増幅させなくても簡単に発動する。
(ごめんなさい。魔術師の物は魔術師の物。きみたちにおいそれとあげるわけにいかないんです)
光の粒がロゼッタの腕に帰る。形を成したのは、財布と革張りの日記帳。今のロゼッタのすべてだ。
スリをした子供たちも通りすがった大人たちも間近で見た魔術に目を丸くさせている。
一般市民は便利な魔導具で小さな魔術を見るくらい。生活に欠かせない魔導具は便利品として認識されていて、もはや奇跡の技ではない。──はずだ。
「すげぇ、地味なねぇちゃん、魔術師なの?」
「もっと見せてよ! 地味なねぇちゃん!」
確かにロゼッタは地味だ。人参色の髪は重たい三つ編み。丸メガネの奥の瞳の色は灰緑。ドングリみたいな形の目と小さな鼻のせいで童顔に見えるのが悩みだ。
平均より低めの背丈はやや猫背。羽織っているコートは黒の王立魔術大学のもの。コートの下に至っては、ずいぶん前に魔術で仕立てた装飾がない地味でシンプルな淡い黄色のワンピースだ。
定番のバッスルスタイルのおかげで布が足りなくなった臀囲をごまかし、ぱつぱつの胸元はアスコットタイでごましかしている。魔術で簡単にワンピースが作れるが、着れればなんでもよいと感性を鈍らせた。高価な布をケチりたかったのもある。
服を買いにいく服がない状態でも、感性を鈍らせることによって、ワンピースを着続けているロゼッタなりの節約術だ。普段は簡易運動着に白衣だから、これでも普段よりはおしゃれをしているつもりだ。
羽織っているコートが黒いのも、化粧っけない童顔も、三つ編みおさげも地味なことを彼女は理解していない。
「なあなあ、地味なねぇちゃん!」
わあわあと目を輝かせた子供たちに囲まれて、ロゼッタはジリジリと後ずさる。こんなに子供に囲まれたことなどついぞない。
「わ、わたしは、地味なねぇちゃん……では、その、魔術師……あうう」
「地味な魔術師?」
「地味魔術師がなにしに来たんだよ。食堂で奇術ショーでもするの? それとも広場?」
「わぁっ。おれ、魔術も奇術も見たことねぇや」
「見たい見たい!」
「キャンディは出るの?」
「そうではなくて。あの……えっと……。……さよなら!」
普段のコミュ障ぶりが頂点になり、どうにもいかなくなったロゼッタは、長い夕日が落ちて暗くなる下町の中心部へ駆け出した。
☆⋆*.。
大ウィスタリア王国の首都セラドンにあやしげな秘密結社がある……らしい。
噂話を耳にした当時高等部に在籍していたロゼッタは、馬鹿げた都市伝説だと一笑していた。が、まさか数年後に都市伝説に縋るとは思いもよらない。
王立魔術大学で教鞭を執る稀代の大魔術師・アルター・ボールドウィンが愛弟子であり、助手のおのれが知る魔術の知識をフル動員させて組んだ探索魔術は、セラドンの地下を網目状に走っている不可解な魔術を発見した。
点在していた中継地点はどれも地図では、<Queens Head>という居酒屋だった。そこからまた魔術の糸は地下を走る。各地のパブから集約された網目の終着点は、<Queens Head>。やはりパブだった。
自宅から近い<Queens Head>へ自転車で向かい、その目で魔術式を注視し調べてみたら、情報を暗号化して流している魔術だった。それで、確信した。
(嘘か本当かわからない、どんな汚れ仕事でも請け負う秘密結社は本当に存在してたんですね!)
辞表を郵送し恩師の元を去ったのは、秘密結社の構成員になるため。中等部の頃から目をかけてくれていた恩師は親のようなもの。きちんと挨拶をするのが本来の辞め方だとわかっているが、決意が揺るぎそうだったから、後ろ足で砂をかけるようなかたちで去ることになった。
魔術師として輝かしい未来よりも大切なことがあったと遅れて気づいたからだ。
その探し当てた<Queens Head>は、教会から小さな噴水を挟んで正反対の場所。煤汚れとツタがたっぷり付着した石造りの小さな店だった。噴水広場を囲うほとんどの店は閉まっているが、夜になれば食堂や居酒屋が元気だ。
ロゼッタは、まったく普通のパブの風雨にさらされた軋むドアを、勇気を出して開けた。途端に酒と油、煙草のにおいに嗅覚を奪われ。音が外れたオルガンの下手くそな演奏と客のやかましい談笑が聴覚をダメにして。外よりも暗い店内が丸メガネをかけた視覚を真っ暗にした。
ざわざわガチャガチャ、薄暗い店内で音を立てて食事をしている客たちみんな、目つきが悪いように感じる。
(ひえ……。怖いところに来てしまいました。でも、何でもないフリをしなきゃ)
ゴクリと唾を呑み込んで、調理場から差し込む灯りで明るいカウンターに向かう。作り置きの料理が盛られた大皿がのったカウンターは、油とヤニでべたべたしていて、さすがのロゼッタも手を置くのをためらった。
二つしかない古いビールサーバーからビールを注いでいたふくよかな中年女性店員が、珍客のロゼッタに気がついた。
「迷子にしちゃあおかしな具合だね。そのコートは魔術師の偉い学校の学生さんだろう? 度胸だめしかい?」
「いえ、学生ではなくて。着る物がなくて学生時代のコートを引っ張り出しただけです」
尻すぼみのゴニョゴニョ声が聞こえたかどうかあやしいが、聞こえていてお願いしますとロゼッタは緊張で汗をかいてきた手を握る。
乱暴にドカッとジョッキを置いた店員は、ビクビクしているロゼッタを下から上へジロジロと眺め、フンッと鼻を鳴らした。
銀糸で縁取られた真っ黒な学生用のコートは、魔術で織られ魔術で作られた貴重な物だ。履き慣れた革靴と肩掛けバッグ。人参色の適当な三つ編みおさげと丸メガネには洒落っ気などありはしない。灰みがかった緑の瞳を両親はよく褒めてくれたけれど、我が子だから褒めてくれたのだと、ロゼッタは思っている。
「そんで? 偉い学校の元学生さんがなんの用さ?」
店員は聞くだけ聞いて、片手にジョッキ三つとできあがったばかりの肉と豆の煮付けを持って薄暗い客席へ消えて、すぐにロゼッタの隣に戻ってきた。
「これを」
ロゼッタは懐から皮袋を取り出してカウンターにどすっと置いた。
「小金貨二十枚、大銀貨五枚。わたしの全財産です。これで構成員にしてもらえませんか? もしくは、依頼を引き受けてください!」
人参色の頭を下げて祈るように手を組んだ。
どうしかしてここで承諾をもらわなければならない。もう後戻りはできないのだから。
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