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10.ロゼッタと魔力の貸借
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しおりを挟む食事を終えたロゼッタは、生活感がまったくない豪奢なホテルのリビングの重たいソファと大理石天板のテーブルをずらしてもらい、床を広くした。コンパスで四方を調べて、花瓶をどけたテーブルを運んでもらい、ざっと拭き清める。
掃除が終わるとマシューに身を清めるように言い、うがい用の岩塩を手渡した。
これから行うのは魔術儀式だ。順序ひとつ間違えたら魔術式が発動しない……だけならいいが、間違えたらなにが起こるかわからない。それだけに、さすがのロゼッタも緊張している。
ガウン姿の濡れた髪のマシューにときめく気持ちを追いやって、ロゼッタも手早く身を清めた。
部屋の明かりはたくさんの蜜蝋だけ。薄暗くて物が見えにくい。
大きなカウチソファに長い足を組んで座るマシューの前に立ったロゼッタは、これから行う儀式の説明をする。
「なぜ、魔力をお借りするのか──。過去視をする魔術は魔力の消費が大きいんです。わたしが貯蔵した魔力があったらよかったのですが、あいにく前回の過去を可視化させた魔術で全部なくなってしまったので、わたしの魔力は空っぽなんです」
「ほいほい過去視できるなら、警察の捜査はいらないな」
「誰でもできる魔術じゃないですし、犯罪抑制のためにも警察は必要です」
「そうだな」
「魔力が込められた魔術結晶石は高価ですし、どれだけ必要か、この術に耐えきれるのかもわかりません。それで、ですね。……魔力を借りるということは……」
恥ずかしい。人並みにある羞恥心が込み上げて、恋人の顔をまともに見られない。美人は三日で慣れるというのは嘘らしい。
「魔力を借りるということは、お互いの魔力の身体を馴染ませなければならない、だっけか? 要するに、体液の交換だ」
「知ってるならニヤニヤしないで察してください……。今回は魔術スティックに馴染んだ魔力を注ぎ、満ちたら自動で過去視ができるようにしてあります」
拭き清めたテーブルにメモ帳を見ながらチョークで魔術儀式を書き込み、その上にロゼッタは魔力を馴染ませる誓約を結ぶマシューのサインを書いてもらう。マティアス・ヴィクトル・アデラードと書かれた流麗な文字を指でなぞる。
「魔力の根底……精神に関わることなので、魔力が回復する薬を飲んでも回復しません。一時的にお借りするだけなので、二三日経てば元に戻りますから安心してください」
マシューは頷くとカウチソファに戻る。
ロゼッタはテーブルの円の中心にイメリアの日記を置く。テーブルの下と隣接するようにチョークで大きな菱形を描いて、円の四方、東西南北には、清水をたたえた銀の杯、岩塩、銀のナイフ、ラピスラズリを設置する。
菱形いっぱいに、魔術式を魔術スティックで円になるようガリガリ書いていく。文字は幽かな紫色に光りながら空に残っている。
集中したいのだが、マシューの視線を感じると全身が熱くなってしまって困る。ひとつも間違いは許されないのだから、とロゼッタは彼の視線を気にしないよう努めた。
魔術式をすべて書き終えると、テーブルに置いたイメリアの日記の上に魔術スティックを置いた。
「魔術式は物理的な干渉で途切れませんが、ソファをそっと式に触れるように置いてもらえますか?」
「了解」
重たいカウチソファをマシューは軽々と動かすのを見惚れそうになっていた。
(マシューさんって、意外に力持ちなんですね。……そりゃあ、彫像みたいな筋肉をお持ちですし。こんな時に、なにを……)
「こんなもんでいいか?」
「は、はいっ」
広い肩にかかった長い琥珀の髪を直すようにマシューが髪をあげる。思わずくらりとするところだった。
魔力の借り方は、キスなどの性行為で体液を合わせて互いの魔力を馴染ませる方法だ。
まだ高等部学生の頃、未知の魔術に興味を持って、性交渉の知識をためこんで性体験を迫った失敗談をマシューにした。
「性体験で体液を混ぜたとしても、好きな人じゃなかったら魔力は馴染まないでしょうね」
ロゼッタは丸メガネを外して、適当に結っていた髪をほどく。
「……ん? どうかしましたか?」
マシューが不機嫌そうに眉をひそめたのは、過去の軽率な行動を軽蔑されたからだ。話さなければよかったと、ロゼッタは肩を落とす。
「それでは、儀式を始めましょう」
ドキドキしているのは、マシューとキスをするとどうなってしまうのか、知っているから。儀式のためなのに、彼とのキスを想像してしまう。
優しく触れ合う唇から、ロゼッタの溜め息を逃さないで、マシューの舌が口内に入ってくる。
「どうやって体液を混ぜるのか、もう知ってるだろ?」
口内でぴちゃと立った水音がロゼッタの腰をゾクゾクさせた。
知っていることとできることは違う。マシューが教えたそれ。
「で……できま、せん」
「舌を出して」
彼が口の中から出てしまって、ロゼッタは迷った。チラリと魔術スティックを見るとまだ輝いていない。このままだと魔力が足りなくて過去視の魔術が発動しない。
(……ううん、わたしが足りないんです)
離れてしまうマシューのガウンのあわせを掴まえて、ロゼッタは彼を追う。
「……マシューさん」
目を瞑ってちろりと舌を出した。顔どころか身体じゅうが火照ってしょうがない。
せっかく舌を出したのに、マシューはなにもしてくれない。
(マシューさん。早く……お願いします。恥ずかしいです)
出した舌は乾くどころか唾液が出てしまいそうになって、ごくりと飲み込む。
(体液を混ぜるのだから、このまま飲み込まず……、なんて無理ですよぅ)
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