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4.番外編②
53-11.紅茶にミルクとお砂糖と幸せを③
しおりを挟むそれから、舜太郎と翠信は積もる話とふたりだけの話をするから、聞いている藍の心にちょっとした疎外感が生まれる。
(翠信さんと話している時って、お兄さんって感じ)
ふたりの話を聞きながら、お兄さんをしている舜太郎にやっぱり見とれていた。中高生の頃に憧れた、理想の落ち着いた優しいお兄さんが目の前にいる。
「……──で、アニメなんだけどさ。ラノベからマンガ、アニメ化って脳内の映像が可視化されてて、感動したよ」
映像化は三作目になるという。売れ売れの売れっ子だ。それなのに気取ったところがひとつもない。年の離れた兄を慕う犬のような弟だ。
ワンコ受けが三度の飯より好きな彩葉が見たら黄色い声をあげそうなものだけど、彼女はしかめっ面をしていた。『翠くんは、めんっどっくさい!』と。
「層が違うから、お嫁さんは知らないと思うけど?」
「一作目は社会現象になりましたよね。駅の構内で大きな広告を見たのを覚えています。舜太郎さんの本棚に翠信さんの小説があったので読みました。デビュー作の〈ティラノシリーズ〉がとくにおもろいなって思いました」
「いいんですよ。オレの作品なんて無理に読まなくても」
「翠くん。謙遜できるようになったんだね。えらいえらい」
「なんだよ。オレが常識ないみたいじゃん」
「ちょっと前は尊大で横柄だったよ。こんなので来年は三十かって心配してたんだ」
「えっ、翠信さん、二十九歳なんですか? てっきり、二十五歳くらいだと思ってました。オシャレだからでしょうか」
「それは、僕がお洒落じゃないと?」
隣の舜太郎があからさまにムッとした。こんなに砕けた舜太郎を見るのは初めてで嬉しい。
「ふふっ。舜太郎さんはお出かけする時だけお洒落です。絵を描いている時はもっさりしてますから」
「ひどいなぁ、藍さん。それだけ打ち込んでいるんですよ」
「知ってます」
和服姿の綺麗な舜太郎が、髪をボサボサにして無精髭を生やす姿が見られるのは、妻の特権だ。
「独身者の前でイチャイチャすんなよ」
「いいだろう?」
舜太郎の言いかたが男の子みたいだったので、藍は笑う。強引に肩を寄せられて、ちょっぴり照れてしまったが。
こんな時間がずっと続くといいのに。
.+:┄┄┄┄:+.
「しばらく厄介になってもいい? 基本、ひとりだから、作業が煮詰まっちゃっててさ」
創作者同士で、弟のような従弟の頼みを断る舜太郎ではない。
藍は、すぐに聖子に伝えて、しばらく逗留してもいいようにする。
一階の客間を花蓮が使ったと知ると、翠信は顔を歪める。どうやら育ての祖母とは相性が悪いらしい。『妖怪クソババア』と呼んでいたらしいだけはある。
そこで、二階の空室を使ってもらうことにした。いつか出会えるであろう子供用の部屋はふたつ。そのどちらでもない、空室だ。
シンプルなベッドと机。クローゼットがあるだけの部屋。舜太郎の家族全員が揃っても泊まれるように部屋は揃えてある。
この空室もホテルのシングルルームのように大きなシングルベッドと机、ソファー、テレビモニター、有線LANやWi-Fiなど揃えてある。
「別にばあさまのことが嫌いって意味じゃないんだけどさ。二階のが見晴らしもいいし」
リュックサックからノートパソコンを取り出した翠信からWiFiのパスワードを聞かれた。身内だし大丈夫だろうと、藍がパスワードを教えると、翠信はきりっと整った眉をひそめた。
「ITリテラシー低く」
侮蔑した色の声だった。翠信の顔は笑顔なのに。聞き間違いかと思ったくらい。
「あんたさ、フツー、家主の舜くんにたずねるところじゃねぇの?」
「え?」
翠信から笑顔が消えた底意地悪い声は、さっきとまるっきり態度が違う。目つきは冷酷だ。気さくな男性だったとは思えない。……いや、少し兆候はあった。藍に対して少し冷たかった。翠信は人見知りだと思って対応したが、単に嫌われていたのだ。
それなら、波風立たない対応にシフトチェンジするしかない。
藍は気づかれぬよう静かに息を深く吐いてから笑顔を保つ。
「舜太郎さんのお身内ですから、聞かなくてもいいかなと判断しました」
それともわざわざ聞かなければならない仲なのか? そうニュアンスを含めると、翠信が口を曲げてムッとした。これはあからさまな拒絶だ。
(……ブラコンを拗らせて、小姑になっちゃってるのかな?)
テンプレ通りの嫌がらせをされるのだろうか? それはそれで、嫌なような、そうでないような。テンプレ通りの嫌がらせを受けたら、感動してスマホで撮影しかねない。そんな人がいるんだって。
藍があまり動じてないのに腹を立てたのか、翠信は呆れ顔になった。
「どこがいいんだか。あんたは舜くんとつり合わない」
上から下まで検分するようにジロジロと見られるのは、いい気がしない。セクハラだ。
「今までのカノジョのなかで一番フツー。あんたのなにがいいのかさっぱりわかんねぇし、あんたといたら舜くんがダメになる。これまで静寂を切り取った澄み渡った絵を描いてきたのに、変わったのはあんたのせいだ」
舜太郎の評価が下がったし、ファン層も変わったとケチをつける。
画風が変わって喜ぶ声を実際に聞いている藍は、こんなマイナスの声に耳を傾けない。気にしだしたらキリがないと、舜太郎からも言われていたことだ。
でも。ここは素直に翠信の言葉を受け入れる。
「わたしも思うんです。なにも持っていないわたしでいいのかなって」
「ハァ~? そんなの、あんたの問題で舜くんには関係ないだろ」
「そうですよね」
藍は肩を落とす。
これまで抱えてきた問題だ。舜太郎と弓香に相談してもうまく言語化できなくてモヤモヤしている。
それでなくても、創作者の家系のなかにポツンと普通の人間がまざっているのが、ちょっとしたコンプレックスになりかけている。
舜太郎を影日向で支える女になれたらいいが、尽くす女にはなりきれない。
(あっ、そうか。わたし、自信がないんだ。だから外で評価を得ようとしているのかな)
なんだか、悩みの光明が射した気分だ。
「そ、そんなにしょげるなよ、庶民女。そりゃ、モデルやセレブ、女優よりは華はない。同じ畑の画家や女流棋士よりは才能もなけりゃ頭も悪いだろ」
言いすぎたと思ったのか、翠信が慌ててフォローしようとする。貶したいなら貶し続けてくれたほうがいい。──根はいい人なのだろう。
ストレートな暴言を吐かれたが、それよりも舜太郎の過去に囚われる。
(そんなすごい女性ばかりと付き合ってたんだ)
落ち着いた柔らかな物腰のイケメン。資産家に生まれ、天性の才能を持っている。女がほっとくわけがない。舜太郎から聞くなり、ネットでちょこっと調べるなりすれば簡単なのはわかっているが、過去の恋愛を聞きたくないし、知りたくない。妬いてしまうのが火を見るより明らかだ。
「あんたはフツーだ。平々凡々の庶民中の庶民。そんでもって商店街にあるしがないパン屋の娘だ。全然つり合わねぇ」
お金持ちでもないし、普通に暮らして普通に進学し、普通に就職した。舜太郎が〈パンののぞえ〉に通ってなかったら出会うこともなかった。
舜太郎は、未来で出会う藍を描いていたと熱く語ってくれたから、それを信じている。信じたい。過去の積み重ねがあって今があるのは、舜太郎だけじゃなくて藍もだ。
でも、出会ってから半年をすぎたくらいでは……。過去は過去だと、割り切れるほど愛は冷めていない。
(年月と信頼関係は比例するもの。仕方がないよね。それに、翠信さんが言っているのは事実)
そう思い宥めるが、モデルや女優が恋人だったのだから、嫉妬よりも落ち込んでしまいかける。
「顔色ひとつ変えない、可愛げのない女だな」
久々に耳にする〈可愛げのない女〉。昔からそう。部活やスポーツに熱中していた少女時代から変わらない評価。舜太郎だけが『かわいい』と言ってくれるだけに、夫からの価値と言葉は宝物だ。
優しくしてくれて、甘やかしてくれるのは、舜太郎だけでいい。舜太郎がいい。
(……うん。翠信さんと話していると客観的になれる)
ということは、藍にとって翠信は敵ではない。ただの鏡だ。傷つく場所はどこにもない。
翠信は藍のことを嫌いだろうが。
「はい。よく可愛げがないって言われるんです。……それじゃ、お仕事、頑張ってくださいね。ミニバーにコーヒーからお酒まで揃っているので、ご自由にお使いください。わたしはこれからジムに行ってくるので、ご用がありましたら聖子さんまでお願いします」
「……ふぅん。さっさと行けば?」
(はーい。そうしますよー)心でべーっと舌を出して、笑顔で退室した。
(翠信さんがここまで拗らせてるって、舜太郎さんは知らないんだろうな。翠信さんも知られたくないだろうから、黙っておこう)
舜太郎の結婚相手がモデルだろうと女優だろうと、文句をつけて冷たくしたに違いない。仲がいいお兄さんを取られた気持ちはわからないけれども。
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