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5.番外編③
62-12.きみをどんなに好きか(舜太郎視点)④
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それから。
藍の体調は治ったもの、食欲はないようだ。それが続いているのに、藍は病院に行こうとしない。一緒に行くからと説得したが、首を縦に振らない。
午後になると家を開けて、閉店近くまで実家の手伝いに行っている。その帰りでいいから病院に行くよう運転手の正和に言ったが、藍にその気がないので、行きようがないと断られてしまった。
聖子から『奥さまを大切に思いやるのと、猫可愛がりは違いますよ』言われる始末。
(猫可愛がりではない、はず)
ひとりでいるアトリエにいると、藍のことばかり飽くなく想う。だけど、たくさんのキャンドルに囲まれて祈りを捧ぐ夢望は、なにも答えない。
今年は教会のクリスマスミサに参加した。ステンドグラスのシックな光に彩られた藍は、初めてのクリスマスミサに感激していた。ゴスペルを聴いてうっとりしているのが、セックスに酔いしれてうっとりしているものとは別だったので、目を奪われ続けた。自然に出る溜め息と無防備に閉じた瞼のまつ毛のカール。うるつやな唇。
クリスチャンではないが、教会で襲ったらさぞかし背徳的なのだろうなと想像して、ウェディングドレスのままならさらに背徳的だと行きついて、教会式を挙げたあとでするのもアリだと深く考えた。
その後、ちゃっかりしっかり剃毛した聖なる性夜を愉しんだ翌日に、夢望を描いた。
夜の教会膝をつき、祈りを捧げる慈愛ある彼女。その禁欲的なシスター服の下に男を虜にして離さない肢体を隠し持つ。目元に朱をさしているのは、禁欲を破り姦淫に耽る夜を想像して濡らしているからだ。
描き込みが足りないアクリル画になっているが、これが草案だ。岩絵具を薄く淡く重ねる時、藍を愛撫している錯覚がする。
誰にも見せない宝物だから、どれだけ藍を想って描いても、この官能の秘密は守られる。
とはいえ。
(風邪気味って言っているわりに、素っ気ない)
隠しごとが下手な藍だ。なにかあるから態度に出ている。
『なにかあった時に恥ずかしい思いをするような行為は禁止です』
(なにか、あったのでは?)
アクリル画を眺めていると、閃いた。
「やっぱり妊娠している? そういえば、そろそろ生理なのに遅れているな」
市販の妊娠検査薬だと生理終了予定日から一週間ほどで判明すると七瀬から聞いている。
市販の妊娠検査で陽性になっても、受診すると違うことも稀にあるらしい。
思いやりのある藍のことだから、きちんと確定するまで舜太郎に隠しているのかもしれない。
「それとも病院は年明けに行くとか?」
診察には毎回付き添って……。必要なものがあれば惜しまずに用意する。
子供部屋! それから、質のいいベビーシッターを調べて。その前にベビーグッズか? いや、マタニティドレスにマタニティフォトだ。
結婚式はどうする? 新婚旅行は……旅行するまで子供がいても新婚でいればいい。
「なにぶつくさ独り言してんの?」
勝手に上がって、奥の間のふすまを開けたのは、翠信だった。あれから、藍との仲はニュートラル。良くも悪くもないが、藍は嫌がる様子はない。藍と仲良くしようものなら、翠信だろうと許せないから、それでいい。これが舜太郎が出した答えだ。
舜太郎はよどみなくキャンバスに布をかぶせ、夢望を隠す。長年培ったナチュラルで無駄のない動きだ。
「大晦日だってのにひとり?」
「あ、うん。藍さんは実家の大掃除とおせち作りに。朝から行ってるよ」
「ふぅん。相変わらず自由にさせてるんだね」
「信頼しあっている証拠だよ」
翠信は近くの簡易チェアに座るとお土産の茶色い袋を「はい」と渡した。まだ温かい紙袋から、たい焼きの甘くて香ばしい香りが漂う。
がさり、紙袋を開けると、ひとつずつ紙袋に入ったたい焼きが二個あった。「舜くんに全部あげるよ」とのこと。ありがたくちょうだいし、カリカリのふちがたくさんついた頭をぱくりと食べる。口のなかに香ばしいあんこの香りと強い甘みが咀嚼するたびにじゅわじゅわ暴れ出す。焼きたてのたい焼きの魔力は、しっぽの先までぎっしり詰まっていた。
「悩んでるんだ。……飽きちゃった、とか?」
「ん? たい焼きおいしいよ?」
「たい焼きじゃなくてさ、舜くんがだよ。恋人がいても半年もった試しないじゃん」
そうなのである。最長は大学時代の十か月だった記憶が薄らとある。だいたいは、告白してきた女性が半年後に別れ話を持ちかける。来る者拒まず去るもの追わず。他人に対して執着心もなければ、孤独を愛する舜太郎にとって別れ話は「そう。それじゃあ」で終わる。怒った相手からワインをぶっかけられたこともあった。
七瀬に言わせれば「恋情が欠落している」である。夢望に恋心を抱いていたピュグマリオンだったのだから。愛を向けられたい人物は絵のなかの人物だった。
藍に出会って、こんなにも人を深く愛することができるのかと驚いたし、大切にしたいと考えている。
「だいたい女が舜太郎に別れ話するパターンだろ? ……舜くんが飽きたんじゃなくて、嫁が飽きてる、とか?」
「……は?」
つい、眉間に眉を寄せた。びきっと額に血管が浮かび上がる手前である。
舜太郎の虎の尾を踏むのがうまくなった翠信は、名探偵のごとく、椅子から立ち上がりウロウロする。弟のような相手にイラッとしてしまう。
「才能も地位もあって、顔もいい。もちろん声も。完全無欠のスーパーヒーロー。だけど、女ってのは、どこか欠陥がある男に惹かれる。ヒモやクズとかさ」
(あの男に未練があるとか? ……それはない)
藍を傷つけたあの男(名前を覚えていない)は、アメリカの田舎に送りこんだ。
藍もあの男に対して嫌悪と憎悪しか抱いてないはずだ。
「もしくは、性の不一致?」
「え?」
激しく求めるあまりに、藍が嫌になってしまった? 剃毛したから病院にいけない、とか?
「女って、怒りのゲージが溜まるまで我慢に我慢を重ねるだろ? 決壊してからじゃ遅いってね」
「まさか、藍さんに限って」と出そうになった口を結んだ。それは、舜太郎の希望的観測である。主観的になれない部位だ。思いやりという想像をして、配慮するべき場所。
(妊娠じゃなくて、怒っている?)
風邪気味になったのは、剃毛してからだ。泣くほど嫌がったのを強引にことに及んだ。翌日も怒っていた。仲直りをしたと思っていたのは舜太郎だけではないか?
不安がぐらぐらと足元を揺らす。信じている。けれども、信じられてなかったら?
交際せずに結婚したことから、藍は怒っていたかもしれない。些細なことが溜まり、重なり溜まりに溜まって……。いや、些細だと思っているのも主観だ。藍にとったら、些細なことでない可能性だってある。
結婚して十か月弱。毎日顔を合わせるようになり、夫になった男の粗が目立っているのかもしれない。
慣れるようになり、優しさや配慮が足りない?
もっと砕けた付き合いになりたかったのは、舜太郎だけの願望で。藍は別れたいのかもしれない。
(そういえば。結婚式だって、僕は任せすぎていないか? 藍の願望盛りだくさんにしたくて見守っているけれど)
結婚式の日取りは決めた。来年五月の大安吉日。湖月家が懇意にしているホテルの挙式用のガーデンで結婚式をする。
花嫁花婿衣装と招待客などはだいたいピックアップしてある。食事や席、その他細々としたのは、プランナーとこれから詰めていく。
プランナーと言えば。藍の部屋やリビング、キッチンなどを決めた時に、藍は遠慮がちだった。部屋を使うようになって不満が膨らんできたのかもそれない。
セックス以外のコミュニケーションは? 不足していないか?
(食事や普段からよく話すようにしている。でも、デートは……。クリスマスにゴスペルを見に行って、食事をした。でも、クリスマスイブは家でご馳走を作ったのも、プレゼントも気に入らなかった?)
プレゼントはスマートウォッチと誕生日のダイヤモンドのペンダント。ペンダントトップはオーダーして作ってもらった。
「愛情に重い軽いの比重があるよね」
名探偵・翠信の言葉が心にグサッと刺さる。
(オーダーアクセサリーもほぼ毎日のセックスも重い?)
普通の勤めをしていれば会わない時間が多いが、在宅仕事が中心だから用事がなくても顔を合わせる。
それに、朝昼晩の食事と家事掃除を任せっきりだ。もちろん、エキスパートの聖子がいるけれど。それだって藍にとったら不満かもしれない。
(それとも、僕もマラソンや自転車に付き合えば……)
それこそ、藍のひとりの時間を奪ってしまう。
(デートを増やそう。家にばかりいないで、ドライブや旅行を増やして……。身重になってからでは遅い経験をして)
たとえば、海外旅行。
(新婚旅行もまだだった。藍は富士に行ったのを新婚旅行だと思っているみたいだ。欧州巡りや地中海クルーズ……。子供がある程度大きくなれば行けるけど、クルーズは子供には危険では?)
思い立ったが吉日。舜太郎はスマホで旅行会社のサイトを見つけて、沖縄のホテルを探す。ふたりで旅行先を決めたほうがいいとわかっているが、藍のことだから、旅行自体を遠慮してしまいそうだ。
(僕は藍がいなければ死んでしまうけれど……)
藍はどうなのだろうか?
「……舜くん?」
「ああ、いたんだ、翠くん」
「ひどいなぁ。まあ、俺もいじめすぎた気がするし。おあいこかな」
「いじめ?」
「無駄に不安にさせるようなこと言ったからさ」
「不安……。そう、不安になるくらい藍さんが好きなんだ」
ぼんやりと呟く。ここに藍がいればいいのに。一緒に暮らしているのに片時も離したくないのは、舜太郎だけだろうか?
幼稚な愛情だと思う。藍を想うと大人の対応ができない。
自分が突飛な行動に出て、気持ちを押しつけてしまう。わかっている。ここまで人を好きになったことがないから。わからない。
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