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終章.嘘つきたちの本音。
07.やぶさかではない
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それから、冬期休暇目前の日。セキの誕生日だったが、本人がいないのだからただの日常だった。
今年最後の講義を受けているあいだ、マナーモードのスマホに見知らぬ電話番号と留守電が残されていた。
律人くんかと思ったけれど、それなら律人くんの名前が出るはず。
おそるおそる留守電センターのボタンを押すと、味気ない機械の音声が『留守番電話メッセージが、1件、あります』と悠長なガイダンスをする。
『──きゆ?』
セキだ。2週間ぶりのセキの声だ。わたしはしっかりとスマホを握って耳に当てる。
『メッセージもできなくてごめん。スマホがなくて……。ホテルの電話からも電話ができなくてっていうのは、後で説明するよ。お願いがあるんだけど聞いてくれるかな? きゆが作った煮物が食べたいんだ。場所と時間は──……』
わたしが作る作らないの選択肢がない、性急で一方的な留守電。だけど、ちょっぴり優越感が胸の奥に湧いた。どうしてかわからない。
明日の午後6時。場所は都内のホテル。電車で40分もかかるけど、優しいわたしはお願いを聞いて行ってやろうじゃないか。
『──あ、やばい。見つかった。戸締りはちゃんとね。遅くまで出歩いてちゃダメだよ。それから……』
早口のメッセージはここで途切れていた。プログラマは恐ろしい職だ。
わたしは道草せずに、さっそく最寄りのスーパーへおもむいた。セキが食べたいと言った煮物の食材を買いつつ、重箱弁当にして驚かせてやろうとあれこれ材料を買い込んだ挙句、買い物かごは満杯になっていた。作りすぎた分は、次の日のお昼に不破さんたちと食べるのもいい。
久しぶりに料理らしい料理の下ごしらえを、せっせと広いキッチンで始めた。バイト先にも電話をして、どうしても外せない大切な用事が急にできたので遅刻すると、事を大きく膨らませて伝えた。クリスマス忘年会シーズンで忙しいところ「休みをください」なんて言えない。ろくすっぽ家に帰ってない店長が死んでしまう。
☽・:*
翌日、早朝から取り掛かった重箱弁当は昼すぎには完成していた。巻き寿司とおいなりさん、魚とセキが好きな牛肉の根菜巻きなどの焼き物、リクエストの煮物などの和のラインナップは花見弁当のようだ。もちろん入り切らなかった余りは、タッパーに入れて明日のお昼に不破さんたちと食べるように冷蔵庫にしまった。
約束の時間は夕方6時半。約束の場所はビジネスホテルではなく、わたしでも名前を知っている有名な高級老舗ホテルだった。
入るのにドレスコードがあるのだろうか?
お兄ちゃんの結婚式に着るワンピースをおろすのは、なんだかもったいない。明日香さんと一緒に買いに行った薄い紫系のワンピースは、結婚式に着てこそ。晴れ着はハレの日におろすのがもっともだ。
なにを着て行こうか。今からではあるもので間に合わせるしかない。
広いウォークインクローゼットの奥に、深緑色のAラインワンピースが掛けてある。これを着て、結婚式の会場まで着ていくクリーム色のドレスコートを羽織ればそれなりに見える。……オシャレかどうかわからないが、モニクロのスウェット上下よりは格段にオシャレだ。夏秋ワンピースだけど、セキが選んだワンピースだから高級ホテルでも大丈夫。
結婚式用のイヤリングのスペア用の控えめなビーズイヤリングと同じくスペア用の控えめな1粒パールのネックレスをなんとなく身に着けた。それなりに化粧をして、出がけに玄関の鏡でチェックをする。クリーム色のドレスコートからは、深緑のワンピースの裾は出ていない。もう1度髪にブラシをかけて、うん。大丈夫。
パンプスではなく、お気に入りの編み上げブーツを履いて、去年のクリスマスプレゼントにセキのからもらったマストアイテムの赤いマフラーを巻いた。中身が夏秋のワンピースだと誰も思わない。よし。
そして重箱が入ったケーキ屋さんの大きな保冷バッグといつものトートバッグを手にして、わたしは玄関から飛び出した。
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