氷の貴婦人

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アトレーの家族たち

隣の領地へのご挨拶

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 キースは耳ざとくその話を聞いていた。
 だが、黙っていた。自分が口を挟むことではないと分かっているのだろう。

 そして俺は、グレッグの言葉に衝撃を受けたような、納得するような、不思議な気分になった。

 考えてみればマーシャは若い女性だ。独り身でいるのも淋しいだろうから、他の男性を求めてもおかしくはない。

 今の状態が不自然なのだ。何故か急に全てが単純に思えてきた。

 もうマックスも大きくなった。だから離婚してマックスだけを引き取っても何ら問題はないだろう。

 グレッグに話すと、賛成してくれた。

「相手がどんな男であれ、気にすることは無い。
 家出、私生児、家政の放棄、間男、しかも公に夫と公言、ここまで揃えば無一文で今すぐ放り出せるよ」

「いや、そこまでは。
 マックスの母親だ。それなりの金を持たせて別れるよ」

「いくらあげても、すぐに使い果たすよ。渡さないほうがマシだと思うけどね。
 なまじな金を与えると、ずっとすがりついて、家や子供たちの害になる」

 八時過ぎに帰宅すると、調査を依頼した者が待っていた。
 途中の宿屋に問い合わせに向かった者も戻っており、宿泊の記録はないと答えた。

 マーシャの素行調査は簡単だった。
 前回はアトレーの暮らしぶりを中心に、領地内を調べたので、他の家族に関してはあまり話が上がってこなかった。
 社交を全くしないので、動向がわからない、静かに暮らす妻と子供達。そういう評判だった。

 マーシャに焦点を当てると、隣の領地での交友関係が上がってきた。
 彼女が付き合っている男は、隣の領地を管理しているパイク伯爵の弟の息子だった。
 隣の領地なので挨拶に行っており、年に、二度顔を合わせる機会がある。

 父親は領地の経営を任せられている。気の良い付き合いやすい男性だ。息子の方は、アトレーより六歳位若かったはずだ。今、二十代半ばだろうか。

 グレッグが感心した。

「やはり貴族の男を選ぶんだな。まあ、市井のヤクザ者とかでなくて幸いだ。
 では、後は本人を捕まえて、書類に、記名させれば終わりだ」

 マーシャの件はそれで道筋が決まった。
 後の日々は屋敷の体制を整えることに費やした。

 そのうちの1日を使い、パイク家を訪問した。
 外国へ引っ越す挨拶で、元々予定していたものだが、今回は相手の品定めの意味も兼ねた。

 アトレーが一人で行く予定に、グレッグが同行させてくれと言い出し、少し揉めた後、アトレーが折れた。

 キースは乗馬の練習にl夢中になっている。出掛けに二人を見かけ、手を振ってくれた。
 しみじみ可愛いと思う。こんな幸せに、今まで背を向けていたことが悔やまれた。

 パイク家の邸に着くと、丁重にもてなされ、すぐに館の主人を務めるジムがやってきた。

 頭頂が禿げた、恰幅の良い、人の良さそうな男だ。
 引越しの挨拶と日程などの話の後、世間話に移り、近隣の作物の捕れ高や、災害の話が続いた。

 アトレーが息子のことに話を振ると、彼は愚痴っぽい口調で、ここ数年領地経営に身が入らない様だとこぼした。

「まだ若いし、遊びたいのだと思います。そろそろ妻帯させて落ち着かせようと考えているところです」

 アトレーは、この先を話すかどうか迷っていた。

「せっかくの機会だから、息子もご挨拶させていただきます」

 そう言って、侍従を呼び、息子に挨拶に来るよう伝えさせた。

 グレッグが小声で、相手の出方を見れるなと言った。


 しばらく後に、息子のグレアムがやってきた。なかなか風采の良い若者で、気の強そうな感じだ。

 敵対心丸出しの様子で、ぶっきらぼうに挨拶をし、父親のジムを驚かせた。

「おい、態度が悪いぞ。それでは失礼だ」

 父親がたしなめらようと、伸ばした手を振り払った。

 ぐっと拳を握りしめ、顔を上げると、アトレーに向かって暴言を吐き始めた。

「あなたは、マーシャを無理やり妻にしたあげく、全く顧り見ずに放置し、今度は急に外国に引っ越すだなんて、彼女が哀れすぎる」

 グレッグがぼそっと言った。

「ほう、今度はそうきたか」

「あなたはマーシャを愛していないんですか」

 その叫びに、アトレーは淡々と答えた。

「愛していない。子供ができて責任を取っただけの関係だ」

「ひどい男だ。しかも無理やりに彼女を手に入れたくせに」

 グレッグが軽い感じで口を挟んだ。

「俺の予想では、彼女の方が迫っていたと思うけどね」

 アトレーはずっと落ち着いたままだ。

「まあ、落ち着いてくれ。座って話そう」

 そう言って、親子を座らせた。
 しばらく時間を置いて、興奮が冷めるのを待ち、話してもいいか、と聞いてから話し始めた。

「領地に戻り、遊びに出た時に、妻とグレアムが、よく一緒に遊んでいて、お互いを夫婦だと言っていると聞いた。
 本当のことかな?」

 ジムが驚いて椅子から立ち上がったのを、手で制して座らせ、グレアムの方にどうだ、と聞いた。

「僕は彼女を愛している。彼女もだ。
 あなたなんかよりずっと」

「実はこの度、離婚しようと思っている。
 彼女がその後どうしようと、私は知らないが、もし君と結婚するとなれば、隣同士になる。
 よく話し合っておいたほうが良いと思ってね。
 まずは、結婚まで考えているのか、遊びなのか教えてくれ」

「もちろん結婚する。
 彼女は外国に行きたくないと泣いていたんだ。泣きながらら馬車に乗ったんだぞ」

 アトレーは頭が痛くなってきた。この騙された若者に押し付けるのは、良心の呵責を感じる。

 仕方がない。本当の彼女の姿を話しておこう。

「彼女は三ヶ月後に皇都に来る約束を破って、先日突然に屋敷にやってきた。追い返そうとしたが、応じなかった。
 どうも都会が好きなようだよ」

「嘘だ。あんなに泣いていたのに」

 アトレーはにっこり笑った。相変わらず華やかな笑顔だった。

「そう。彼女の嘘だ。かなり、芝居気があるようだね。
 ところで遊びの資金はどうしていたんだ? 遊び歩いていると、街では有名だった。マーシャの自由に出来る金額はそう多くはない」

「マーシャは自由に使える資産があると言っていたから……」

「僕が知る限り、そんなものはない」

 ジムがいきなり立ち上がり、グレアムを殴った。そしてアトレーに頭を下げた。

「申し訳ない。他人の奥方に手を出して、さらに、夫人のお金で遊ぶなんて、それじゃあジゴロじゃないか。
 実に恥ずかしいかぎりです」

 それに頷いてから聞いた。

「グレアム君、お金の出どころを聞いたことはないか?」

 真っ赤になって下を向いていたグレアムが、そろそろと顔を上げた。

「四半期ごとに振り込まれる口座を持っていると聞いた事があります。どこからの、どんな金なのかは知りません」

 そう聞いて、アトレーがあっと声を上げた。

「まさか、子供達に渡す予定の積立て資産か?」

「何だって!」

 そう叫んだのはグレッグだった。

「領地の上がりから積立ている。
 マーシャが投資して増やすと言うので彼女に任せたんだ」

 アトレーが呆然としている。

 グレッグが唸った、

「わかりやすい経費じゃあなく、利益としてストックされている分を食いつぶしていたのか? おい、お前、どのくらい遣っていたんだ」

 グレアムがおどおどし始めた。

「どうせわかる、今の内に言え」

「お前に何の関係があるんだ」

 部外者からの突っ込みに文句を言ってみたが、グレッグの『俺は、あの馬鹿の兄だ』の一言にがっくりと力を抜いた。

 彼の口から出た数字に、しばらく考えていたアトレーの体から力が抜けた。

「ほとんど全部だろう。この八年の努力がパアだ」

 ジムは、すでに泣いていた。グレアムも、蒼白で表情が無い。

 グレッグが、早く帰って確認しようと促し、二人はパイク家から出て、館に向かって馬を走らせた。

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