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それはきっと幸せだった
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三日間は、思ったよりも普通に過ぎていった。
店はいつも通りで、
客はいつも通りで、
わたしはいつも通り笑っていた。
けれど、鏡を見るたびに、
どこかに値札がぶら下がっている気がした。
「……わたし、いくらなんだろ」
呟いてすぐに首を振る。
知りたくないと言ったくせに、
もう気になっている。
一日目の夜、彼は来た。
いつもと同じ席。
いつもと同じ、触れない距離。
部屋に上がっても、
ソファに並んで座るだけ。
「三日だそうですね」
彼が先に言った。
「……ご存じなんですか」
「商売の話は耳が早い」
冗談めかして言うけれど、
目は静かだ。
「どうするつもりですか」
「まだ、決めてません」
「そうですか」
それ以上、何も言わない。
助言も、説得も、しない。
「……どうして身請けなんですか」
気づけばわたしのほうが聞いていた。
彼は少し考えてから言った。
「君と話す時間を、金で買うのが嫌になった」
思っていた答えと違った。
「……それだけですか」
「…って言えたら格好良かったのだけど」
頬を掻いてふにゃりと微笑みながら彼は、
「君がいない人生が考えられなくなった」
「……なんか恥ずかしいですね。あ、あの…、救ってやろうとか、そういうのは?」
「君は救われたいのですか」
キョトンと問い返されて、言葉に詰まる。
「別に」
「なら、必要ないでしょう」
淡々としている。
「また話そう」
選択はわたしの手の中にある。
その事実がやけに重い。
二日目、彼は来なかった。
それなのに視線が勝手にラウンジの端を探す。
いないと分かると、
胸の奥が少しだけ静かになる。
──ああ。
寂しい、のかもしれない。
わたしはここを通過点だと言った。
通り道。
一時的な場所。
娼婦は今だけのわたし。
でも、
ここで彼と話している時間だけは、
値札を忘れていられた。
楽しかった。
笑い方も、
声の高さも、
計算しなくてよかった。
それがなくなるのが、
怖いのかもしれない。
三日目。
彼はまた端の席にいた。
部屋に上がる。
いつも通りの距離。
いつも通りの沈黙。
「決まりましたか」
「……まだ、何も掴んでないんです」
ぽつりとこぼす。
「ここを出る理由も、
ここにいる理由も」
彼は頷いた。
「掴んでから出る必要はない」
「え?」
「掴める場所や答えは、ひとつとは限らない」
静かな声。
「君はここで値札を見ないふりをしている。
それは悪いことではない」
「……」
「でも、俺はもう、
君の時間を値段で買うのが嫌だ」
その言葉は、
強くもなく、優しくもなく、
ただまっすぐだった。
「君といる時間がないと駄目な男になった」
心臓が、少し遅れて跳ねる。
「……それは、どういう意味ですか」
「愛しているという事だよ」
救済じゃない。
同情でもない。
ただの欲望。
それが逆に、対等だった。
わたしはしばらく黙ったまま、
自分の手を見つめる。
この手は、
何人の客に触れられたか分からない。
でも、この人は、
一度も触れなかった。
「……わたし」
喉が少し乾く。
「値札を見たくなかったんです」
何故か涙が出る。
彼は何も言わない。
「でも、あなたといるときだけは、
忘れてました」
静かな空気が、揺れる。
「選ばれたいわけじゃないんです」
息を吸う。
「わたしが、あなたを選びます」
言ってしまってから、
何言ってるんだろうと少しだけ笑ってしまう。
「通過点を、
自分で終わらせます」
彼はほんのわずかに目を細めた。
そして私を膝に乗せる。
大げさな約束もない。
「では私の愛を君に」
それだけ言って、優しいキスをした。
店を出る日、
ラウンジの照明はいつもより明るく感じた。
同僚が軽く手を振る。
マダムは帳簿を閉じて言った。
「贅沢になったわね」
「王都に一年いましたから」
そう返すと、
少しだけ笑われた。
扉の前で振り返る。
ここは結局わたしにとって、何だったのだろうか。
でも、
ここでわたしは、
値札のついた自分を知った。
そして、
値札を外したいと思った。
外してくれる人を待ったんじゃない。
外したいと自分で思った。
外に出ると、
彼が立っていた。
触れた距離。
「行こうか」
「はい」
歩き出す。
夜は思っていたより眩しくない。
でも、暗くもない。
わたしはもう、
娼婦ではない。
ただのわたしとして、
あなたの隣を歩く。
通過点の出口は、
思っていたより静かだった。
それはきっと当たり前で、
ありふれている、あたたかい幸せ。
店はいつも通りで、
客はいつも通りで、
わたしはいつも通り笑っていた。
けれど、鏡を見るたびに、
どこかに値札がぶら下がっている気がした。
「……わたし、いくらなんだろ」
呟いてすぐに首を振る。
知りたくないと言ったくせに、
もう気になっている。
一日目の夜、彼は来た。
いつもと同じ席。
いつもと同じ、触れない距離。
部屋に上がっても、
ソファに並んで座るだけ。
「三日だそうですね」
彼が先に言った。
「……ご存じなんですか」
「商売の話は耳が早い」
冗談めかして言うけれど、
目は静かだ。
「どうするつもりですか」
「まだ、決めてません」
「そうですか」
それ以上、何も言わない。
助言も、説得も、しない。
「……どうして身請けなんですか」
気づけばわたしのほうが聞いていた。
彼は少し考えてから言った。
「君と話す時間を、金で買うのが嫌になった」
思っていた答えと違った。
「……それだけですか」
「…って言えたら格好良かったのだけど」
頬を掻いてふにゃりと微笑みながら彼は、
「君がいない人生が考えられなくなった」
「……なんか恥ずかしいですね。あ、あの…、救ってやろうとか、そういうのは?」
「君は救われたいのですか」
キョトンと問い返されて、言葉に詰まる。
「別に」
「なら、必要ないでしょう」
淡々としている。
「また話そう」
選択はわたしの手の中にある。
その事実がやけに重い。
二日目、彼は来なかった。
それなのに視線が勝手にラウンジの端を探す。
いないと分かると、
胸の奥が少しだけ静かになる。
──ああ。
寂しい、のかもしれない。
わたしはここを通過点だと言った。
通り道。
一時的な場所。
娼婦は今だけのわたし。
でも、
ここで彼と話している時間だけは、
値札を忘れていられた。
楽しかった。
笑い方も、
声の高さも、
計算しなくてよかった。
それがなくなるのが、
怖いのかもしれない。
三日目。
彼はまた端の席にいた。
部屋に上がる。
いつも通りの距離。
いつも通りの沈黙。
「決まりましたか」
「……まだ、何も掴んでないんです」
ぽつりとこぼす。
「ここを出る理由も、
ここにいる理由も」
彼は頷いた。
「掴んでから出る必要はない」
「え?」
「掴める場所や答えは、ひとつとは限らない」
静かな声。
「君はここで値札を見ないふりをしている。
それは悪いことではない」
「……」
「でも、俺はもう、
君の時間を値段で買うのが嫌だ」
その言葉は、
強くもなく、優しくもなく、
ただまっすぐだった。
「君といる時間がないと駄目な男になった」
心臓が、少し遅れて跳ねる。
「……それは、どういう意味ですか」
「愛しているという事だよ」
救済じゃない。
同情でもない。
ただの欲望。
それが逆に、対等だった。
わたしはしばらく黙ったまま、
自分の手を見つめる。
この手は、
何人の客に触れられたか分からない。
でも、この人は、
一度も触れなかった。
「……わたし」
喉が少し乾く。
「値札を見たくなかったんです」
何故か涙が出る。
彼は何も言わない。
「でも、あなたといるときだけは、
忘れてました」
静かな空気が、揺れる。
「選ばれたいわけじゃないんです」
息を吸う。
「わたしが、あなたを選びます」
言ってしまってから、
何言ってるんだろうと少しだけ笑ってしまう。
「通過点を、
自分で終わらせます」
彼はほんのわずかに目を細めた。
そして私を膝に乗せる。
大げさな約束もない。
「では私の愛を君に」
それだけ言って、優しいキスをした。
店を出る日、
ラウンジの照明はいつもより明るく感じた。
同僚が軽く手を振る。
マダムは帳簿を閉じて言った。
「贅沢になったわね」
「王都に一年いましたから」
そう返すと、
少しだけ笑われた。
扉の前で振り返る。
ここは結局わたしにとって、何だったのだろうか。
でも、
ここでわたしは、
値札のついた自分を知った。
そして、
値札を外したいと思った。
外してくれる人を待ったんじゃない。
外したいと自分で思った。
外に出ると、
彼が立っていた。
触れた距離。
「行こうか」
「はい」
歩き出す。
夜は思っていたより眩しくない。
でも、暗くもない。
わたしはもう、
娼婦ではない。
ただのわたしとして、
あなたの隣を歩く。
通過点の出口は、
思っていたより静かだった。
それはきっと当たり前で、
ありふれている、あたたかい幸せ。
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