1 / 4
序章
蒼薔薇の罪
しおりを挟む
「春を売る、ってなあに?」
幼い頃のアリアは、そう言って周囲の巫女たちを困惑させた。
流石に年幼い少女へ、神殿公認の高級娼妓について説明しようとする巫女はいない。巫女たちにも良識やプライドがあったし、神殿の深くで外界と隔絶されたアリアの扱いについて、厳重注意するように大神官から言付けられていたからでもある。
「女神さまの代わりにお仕事をされているのです」
「女神さまのお仕事ってなあに。アリアはお手伝いできないの?」
世話役の巫女達は、暇でしょうがない幼いアリアに捕まるたびに追求をごまかして、煙に巻かねばならなかった。青く澄んだ瞳が、決して濁らないように細心の注意を払う。
「大人になれば大神官様のお手伝いができますよ。その為に世界のお勉強をしましょう」
「お勉強つまんなーい」
隔絶されたアリアの世界は、大神殿の最奥に築かれた箱庭が全てだった。
日々の生活から勉学、お庭遊びに至るまで。何もかもが箱庭の中で完結していた。本来であれば未婚が義務付けられた神官や巫女の子供たちは、総じて秘密裏に育てられる。婚姻や出産は禁忌であれど、対外的に露見することがなければ宗教国家としての権威は落ちない。
自然堕胎の努力虚しく生まれた子は、女の子ならば巫女に。
男の子ならば下級神官になるべく育てられる。
決して揺るがない人生の一本道。
食うものに困らず、高等教育が施される点においては、平民の子供よりは幾許か恵まれているのかもしれないが……神殿の中に是非を推し量る者などいない。禁忌を犯して誕生したアリアもまた、同じように育てられるはずだった。
けれどアリアは違った。
アリアの不幸は、生まれ持った肉体に違いない。
女神の祝福と呼ばれる花のアザを、アリアはその身に持って生まれた。
伝説にしか語られたことのない『女神の祝福』を見た巫女や神官は、赤子のアリアを畏怖し、或いは崇め、大理石で囲まれた箱庭の中に押し込んだのだ。そこでアリアに施された教育は、人を愛する心と慈悲深さと、むやみやたらに動揺しない鋼の心の養い方。
かくして十六歳を超える頃には、高級娼妓とは縁遠い、凍れる姫君が作り上げられた。
青銀の髪、瑠璃の瞳。
白磁のように透き通った細い四肢。
首筋にきらめく装飾品と世界中から集められた絹の衣。
美術品の様に飾り立てられたアリアの仕事は、式典や祭典などの華々しい場に静々と現れ、うっすらと微笑んで手を振る事だった。ただそれだけで民衆や信者は「春巫女様」と熱狂し、仕事を終えて奥に引っ込んだアリアは、趣味の園芸に使う花の種や苗を与えられた。
「よくやった。今回のご褒美だ。新しいバラの種だよ」
「わぁ、ありがとうございます」
アリアが自分が外でなんと言われているのか知りもしなかったし、大凡欲というものを持たなかった。神殿の外に出ようとすればキツい仕置が下されるのを子供の頃に学んでいたから、周囲の巫女や神官に言われるまま、日々を淡々と過ごす。
「アリア様、美しい花ですわね」
「青くて綺麗でしょう。シーナはどの花が好き?」
箱庭の中に作られた庭園は、全てアリアが世話して育てた。綺麗な装飾品も絹の衣も脱ぎ捨てて、素足で庭の芝生に降り立つ時だけ、アリアは自由と高揚感を手にした。花の世話をしている時だけは、どんなに大地に転がっても、誰も怒らないし、何も言わない。
「あの、アリア様。この青い苗、ひとつだけ頂けませんか」
侍女の巫女シーナが発した言葉に、アリアは驚いた。
彼女たちは、アリアに矯正する事は合っても何かを頼んだ事などない。長年一緒に暮らした姉のようなシーナの頼みが嬉しくなって、アリアは「いいよ」と無邪気に笑って快諾した。
「どれがいい? お部屋に飾るの?」
「いえ、その……私が春売りの仕事をする時に、いつもいらっしゃる商人の男性がいて。誕生日が近いそうなので、何かお贈りできたらと思ったのですが……私は何も持っていないので」
アリアにも覚えのある感覚だった。
大切な人たちの誕生日に贈り物をあげたいのに、自分は何も持っていない。花を育てだしたのも、そうした幼い頃の虚しさを払拭しようとしたのがきっかけだ。丹精込めて咲かせた花を巫女や神官たちに贈ると、皆が大げさなくらいに喜んでくれる。
「まかせて。きっと喜んでもらえるように、自慢の花を分けてあげる。大きいのにしようか」
「運ぶのが大変なので、小さなものだと嬉しいです」
「あ、そっか。じゃ、蒼の濃い薔薇で」
小瓶に苗を入れた。
「ありがとうございます。アリア様!」
まばゆい笑顔に「喜んでもらえるといいね」と小さく囁く。
もしも。
アリアがこの時、薔薇の苗を渡さなかったら……戦争など起きなかったに違いない。
きっと生涯を箱庭で過ごし、己が手塩にかけた花園の中で、穏やかに息を引き取る未来が待っていたはずだ。けれど退屈で平和な未来は、小さな善意でかき消された。
たった一輪の青い薔薇のせいで。
幼い頃のアリアは、そう言って周囲の巫女たちを困惑させた。
流石に年幼い少女へ、神殿公認の高級娼妓について説明しようとする巫女はいない。巫女たちにも良識やプライドがあったし、神殿の深くで外界と隔絶されたアリアの扱いについて、厳重注意するように大神官から言付けられていたからでもある。
「女神さまの代わりにお仕事をされているのです」
「女神さまのお仕事ってなあに。アリアはお手伝いできないの?」
世話役の巫女達は、暇でしょうがない幼いアリアに捕まるたびに追求をごまかして、煙に巻かねばならなかった。青く澄んだ瞳が、決して濁らないように細心の注意を払う。
「大人になれば大神官様のお手伝いができますよ。その為に世界のお勉強をしましょう」
「お勉強つまんなーい」
隔絶されたアリアの世界は、大神殿の最奥に築かれた箱庭が全てだった。
日々の生活から勉学、お庭遊びに至るまで。何もかもが箱庭の中で完結していた。本来であれば未婚が義務付けられた神官や巫女の子供たちは、総じて秘密裏に育てられる。婚姻や出産は禁忌であれど、対外的に露見することがなければ宗教国家としての権威は落ちない。
自然堕胎の努力虚しく生まれた子は、女の子ならば巫女に。
男の子ならば下級神官になるべく育てられる。
決して揺るがない人生の一本道。
食うものに困らず、高等教育が施される点においては、平民の子供よりは幾許か恵まれているのかもしれないが……神殿の中に是非を推し量る者などいない。禁忌を犯して誕生したアリアもまた、同じように育てられるはずだった。
けれどアリアは違った。
アリアの不幸は、生まれ持った肉体に違いない。
女神の祝福と呼ばれる花のアザを、アリアはその身に持って生まれた。
伝説にしか語られたことのない『女神の祝福』を見た巫女や神官は、赤子のアリアを畏怖し、或いは崇め、大理石で囲まれた箱庭の中に押し込んだのだ。そこでアリアに施された教育は、人を愛する心と慈悲深さと、むやみやたらに動揺しない鋼の心の養い方。
かくして十六歳を超える頃には、高級娼妓とは縁遠い、凍れる姫君が作り上げられた。
青銀の髪、瑠璃の瞳。
白磁のように透き通った細い四肢。
首筋にきらめく装飾品と世界中から集められた絹の衣。
美術品の様に飾り立てられたアリアの仕事は、式典や祭典などの華々しい場に静々と現れ、うっすらと微笑んで手を振る事だった。ただそれだけで民衆や信者は「春巫女様」と熱狂し、仕事を終えて奥に引っ込んだアリアは、趣味の園芸に使う花の種や苗を与えられた。
「よくやった。今回のご褒美だ。新しいバラの種だよ」
「わぁ、ありがとうございます」
アリアが自分が外でなんと言われているのか知りもしなかったし、大凡欲というものを持たなかった。神殿の外に出ようとすればキツい仕置が下されるのを子供の頃に学んでいたから、周囲の巫女や神官に言われるまま、日々を淡々と過ごす。
「アリア様、美しい花ですわね」
「青くて綺麗でしょう。シーナはどの花が好き?」
箱庭の中に作られた庭園は、全てアリアが世話して育てた。綺麗な装飾品も絹の衣も脱ぎ捨てて、素足で庭の芝生に降り立つ時だけ、アリアは自由と高揚感を手にした。花の世話をしている時だけは、どんなに大地に転がっても、誰も怒らないし、何も言わない。
「あの、アリア様。この青い苗、ひとつだけ頂けませんか」
侍女の巫女シーナが発した言葉に、アリアは驚いた。
彼女たちは、アリアに矯正する事は合っても何かを頼んだ事などない。長年一緒に暮らした姉のようなシーナの頼みが嬉しくなって、アリアは「いいよ」と無邪気に笑って快諾した。
「どれがいい? お部屋に飾るの?」
「いえ、その……私が春売りの仕事をする時に、いつもいらっしゃる商人の男性がいて。誕生日が近いそうなので、何かお贈りできたらと思ったのですが……私は何も持っていないので」
アリアにも覚えのある感覚だった。
大切な人たちの誕生日に贈り物をあげたいのに、自分は何も持っていない。花を育てだしたのも、そうした幼い頃の虚しさを払拭しようとしたのがきっかけだ。丹精込めて咲かせた花を巫女や神官たちに贈ると、皆が大げさなくらいに喜んでくれる。
「まかせて。きっと喜んでもらえるように、自慢の花を分けてあげる。大きいのにしようか」
「運ぶのが大変なので、小さなものだと嬉しいです」
「あ、そっか。じゃ、蒼の濃い薔薇で」
小瓶に苗を入れた。
「ありがとうございます。アリア様!」
まばゆい笑顔に「喜んでもらえるといいね」と小さく囁く。
もしも。
アリアがこの時、薔薇の苗を渡さなかったら……戦争など起きなかったに違いない。
きっと生涯を箱庭で過ごし、己が手塩にかけた花園の中で、穏やかに息を引き取る未来が待っていたはずだ。けれど退屈で平和な未来は、小さな善意でかき消された。
たった一輪の青い薔薇のせいで。
0
あなたにおすすめの小説
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
幼馴染の許嫁
山見月 あいまゆ
恋愛
私にとって世界一かっこいい男の子は、同い年で幼馴染の高校1年、朝霧 連(あさぎり れん)だ。
彼は、私の許嫁だ。
___あの日までは
その日、私は連に私の手作りのお弁当を届けに行く時だった
連を見つけたとき、連は私が知らない女の子と一緒だった
連はモテるからいつも、周りに女の子がいるのは慣れいてたがもやもやした気持ちになった
女の子は、薄い緑色の髪、ピンク色の瞳、ピンクのフリルのついたワンピース
誰が見ても、愛らしいと思う子だった。
それに比べて、自分は濃い藍色の髪に、水色の瞳、目には大きな黒色の眼鏡
どうみても、女の子よりも女子力が低そうな黄土色の入ったお洋服
どちらが可愛いかなんて100人中100人が女の子のほうが、かわいいというだろう
「こっちを見ている人がいるよ、知り合い?」
可愛い声で連に私のことを聞いているのが聞こえる
「ああ、あれが例の許嫁、氷瀬 美鈴(こおりせ みすず)だ。」
例のってことは、前から私のことを話していたのか。
それだけでも、ショックだった。
その時、連はよしっと覚悟を決めた顔をした
「美鈴、許嫁をやめてくれないか。」
頭を殴られた感覚だった。
いや、それ以上だったかもしれない。
「結婚や恋愛は、好きな子としたいんだ。」
受け入れたくない。
けど、これが連の本心なんだ。
受け入れるしかない
一つだけ、わかったことがある
私は、連に
「許嫁、やめますっ」
選ばれなかったんだ…
八つ当たりの感覚で連に向かって、そして女の子に向かって言った。
あんなにわかりやすく魅了にかかってる人初めて見た
しがついつか
恋愛
ミクシー・ラヴィ―が学園に入学してからたった一か月で、彼女の周囲には常に男子生徒が侍るようになっていた。
学年問わず、多くの男子生徒が彼女の虜となっていた。
彼女の周りを男子生徒が侍ることも、女子生徒達が冷ややかな目で遠巻きに見ていることも、最近では日常の風景となっていた。
そんな中、ナンシーの恋人であるレオナルドが、2か月の短期留学を終えて帰ってきた。
娼館で元夫と再会しました
無味無臭(不定期更新)
恋愛
公爵家に嫁いですぐ、寡黙な夫と厳格な義父母との関係に悩みホームシックにもなった私は、ついに耐えきれず離縁状を机に置いて嫁ぎ先から逃げ出した。
しかし実家に帰っても、そこに私の居場所はない。
連れ戻されてしまうと危惧した私は、自らの体を売って生計を立てることにした。
「シーク様…」
どうして貴方がここに?
元夫と娼館で再会してしまうなんて、なんという不運なの!
復讐のための五つの方法
炭田おと
恋愛
皇后として皇帝カエキリウスのもとに嫁いだイネスは、カエキリウスに愛人ルジェナがいることを知った。皇宮ではルジェナが権威を誇示していて、イネスは肩身が狭い思いをすることになる。
それでも耐えていたイネスだったが、父親に反逆の罪を着せられ、家族も、彼女自身も、処断されることが決まった。
グレゴリウス卿の手を借りて、一人生き残ったイネスは復讐を誓う。
72話で完結です。
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる