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第1章 空の旅路へ
第6話
しおりを挟む《スウィフトウィング》は、空を滑っていた。
浮遊艇の風魔結晶が、地脈に溶けた風の力を掴み取り、重力を忘れたように滑らかな航跡を描いていく。
空気は、思っていたより重たかった。
けれど、その重みすら、トレインには心地よかった。
頬にあたる風。
肌を刺す高空の冷たさ。
指先に感じるわずかな振動。
すべてが、生きているという感覚を与えてくれた。
雲の層が、すぐそこにあった。
乳白色の濃い霧の塊。
空に流れていく白い“海”。
《スウィフトウィング》は、何のためらいもなくそこへ突っ込む。
視界が、真っ白に染まった。
世界が、無音になった。
ただ、心臓の音だけが響いていた。
その白の迷宮を抜けた瞬間、目の前に開けた空は、眩いばかりに青かった。
雲の海を見下ろす高さ。
そこには、誰のものでもない世界が広がっていた。
「……すげぇ」
思わず、言葉が漏れた。
風を切る音。
浮遊島をすり抜ける、濃淡のある空気の層。
上昇気流に押し上げられるときのふわりとした浮遊感と、下へ引き込まれそうな微かな恐怖。
それらすべてを、トレインは感じ取っていた。
耳で、肌で、胸で。
遥か前方に、見えた。
雲海を超えて、さらに高く、
巨大な柱のように聳え立つ、金色の尖塔。
それは、天空都市スカイタウンの象徴だった。
まだ遠い。
けれど、確かにそこに在る。
トレインは、ぐっとハンドルを握り直した。
風を読む。
空を掴む。
《スウィフトウィング》は、さらに加速した。
風を裂き、浮遊する小島を縫うように滑空する。
空を裂くようにして、金色の尖塔が次第にその全貌を現していった。
淡い光を帯びた外壁が、朝陽を受けてゆっくりと輝き始める。まるで、雲の海から浮かび上がった幻の城塞のようだった。
塔の先端からは、無数の風見羽根がゆるやかに旋回し、風に応じて微かな音を立てていた。風の囁きが、塔そのものを奏でる楽器のように響いていた。
その周囲を取り囲むのは、大小様々な浮遊島たち。
島々はまるで呼吸をしているかのように、微かな揺らぎを見せながら、半透明の橋で互いに繋がっている。
陽光を透かした空中橋は虹色の光を返し、風に乗ってたなびく祈祷の帆が、どこか幻想的な舞を描いていた。
浮遊する大木に囲まれた空中庭園。
風の流れを導く帆柱の群れ。
空を渡る滑空艇と、それを見送るように回る風車群。
そして、中央浮遊核——ゼファーコアが輝く中心塔からは、都市全体を包み込むように、緩やかな回転の気流が広がっていた。
空の都、スカイタウン。
巨大な浮遊礎に支えられた、大陸そのもののような街。
空に浮かぶにもかかわらず、その城壁はどっしりとした重厚さを持っている。
背の高い無数の塔が林立し、風の街ならではの白銀の帆や風見塔が、きらめく光を受けて踊っていた。
それはまさに、風と共に生きる者たちの「夢」が形となった場所だった。
浮遊艇専用のランディングポートがいくつも広がり、世界各地から集った若き挑戦者たちの艇が、鳥の群れのように集まっていた。
——スカイタウンの入り口、風のゲート。
巨大な空中の“アーチ”だった。
空そのものが造り上げた門。
そう言っても過言ではないほどに、——巨きい。
広大な空間の中央に浮かぶその巨大な構造体は、静かに、しかし確かな威圧感を放っていた。
アーチを描いた外縁は、半透明の風晶石で編まれ、陽光を受けて虹色の薄膜を纏っている。
その輝きは固定されたものではなく、風の流れに応じて柔らかく揺らぎ、まるで生きているかのようだった。
アーチの両端からは、羽ばたく翼のような帆柱が左右対称に広がっている。
風を捕まえるように開かれた中央には、巨大な風車の装飾が回転していた。
その回転音がかすかな倍音となって空に響いていた。
それは鐘のようでもあり、誰かの呼び声のようでもあった。
ゲートの内側には、円環状の浮遊磁場が設置されていた。
そこを通過するすべての浮遊艇の速度を自動的に緩め、静かに着陸へと導いていくための機構だ。
近づくたびに、低く震えるような風音が、体に直接響いてきた。
《スウィフトウィング》の風魔結晶が共鳴し、ふわりと機体が軽くなる。
エアリアの神核の力に触れる瞬間だった。
トレインは、ぐっとハンドルを握り直す。
呼吸を整え、速度を緩めた。
「……行くぞ」
低く呟き、風のゲートへと突入した。
スカイタウンの輪郭が、急速に近づいてきた。
突入の瞬間、視界が爆ぜた。
まばゆい虹光が前方から迫り、眼の奥を焼いたかと思えば、次の瞬間、すべての音が吸い込まれたように消える。
無音の中で、ただ風だけが、透明な振動となって体を満たしていく。
そして――
世界が、反転した。
風のゲートを越えたその先には、言葉にできないほど巨大な、天空の都市スカイタウンの全貌が広がっていた。
都市の中心、天頂へと伸びる浮遊柱ゼファーコアが、巨大な銀白の螺旋を描いて空へ突き刺さっていた。
その柱の周囲に浮かぶのは、大小の島が織りなす“空の輪舞”。
ゆるやかな軌道で都市全体が回転しており、その運動に沿って、建物、風見塔、吊り下げられた無数の帆布が、風の律動を映し出している。
街が、踊っていた。
それは単なる人工構造物ではなかった。
まるで意志を持った存在のように、都市そのものが風と共に呼吸し、命を育んでいた。
高層部には透明な回廊が網の目のように張り巡らされ、鳥たちの群れがそこを縫って飛んでいる。
空中に吊るされた庭園からは滝のような風花が舞い、陽光にきらめきながら落ちていく。
帆柱群が生み出す微細な風流が、街の至る所に「風路(ウィンドレーン)」を創り出し、住民たちは滑空布や軽装具でその流れに乗って移動していた。
建物の多くは石造と魔力帆の融合建築であり、柔らかな弧を描く屋根の上に、風詩(かざうた)を記す風鈴の列が並ぶ。
それがひとたび風に吹かれれば、都市全体がひとつの楽器となって空に歌を奏でる。
「やっぱ……すげぇ……」
トレインは言葉を呟くことさえ忘れ、ただ圧倒されていた。
その広さも、美しさも、生き物のような気配も、すべてが息を呑むような絶景だった。
《スウィフトウィング》は、誘導気流に乗って緩やかに旋回し、中央広場“セレスティアル・プラザ”のランディングポートへと降下していく。
そこには、すでに数十の浮遊艇が着陸を終えていた。
世界中から集まった若き挑戦者たちの乗機が、空の船団のように連なっている。
視線を上げれば、広場の奥にそびえるエアリア・ギルドの大聖堂が見えた。
尖塔には巨大な風帆と風見車が掲げられ、神殿の壁面には「風に生き、空に誓う(Vivere in Ventum)」というスカイタウンの標語が、古代語で刻まれていた。
まさに、風と空を信じる者たちの都。
胸の奥で、また高鳴るものがあった。
ここからだ。
ここから、すべてが始まる。
トレイン・フェザーネット、十五歳。
スカイランナーを目指す少年は、ついに、空の都へと足を踏み入れた。
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