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第1章 空の旅路へ
第14話
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日が、落ちた。
スカイタウンの街路に、風灯(ふうとう)がひとつ、またひとつと灯る。
風の魔力で揺らめく光は、焚き火のようにあたたかく、柔らかな橙色が石畳を照らしていた。
トレインとリリムは、天空回廊から降りて、街の一角にある噴水広場まで戻ってきていた。
夜風が優しく吹いていた。
リリムの髪がふわりと揺れ、ストールの端が風に誘われるように踊る。
「……そろそろ、帰らなきゃ」
彼女の言葉に、トレインはゆっくりとうなずいた。
「ありがとな。来てくれて」
「ううん。こっちこそ。……ちゃんと、見届けたかったから」
どちらからともなく、言葉が少なくなっていった。
それでも、静けさは寂しさではなかった。
空と街と、風のすべてが、ふたりの時間を見守ってくれているようだった。
リリムは、小さな包みを差し出した。
「アストリアのおばさんに頼んで作ってもらったの。ほら、例の、トレインの好物……干し果実のタルト」
「……マジか。最高だ」
思わず笑みがこぼれる。
「明日からも、また試練があるんでしょ?」
「ああ。ギルド本部で、次の発表がある」
「じゃあ、これを非常食にして。……がんばって」
トレインは包みを受け取り、そっと胸に抱えた。
「おう!絶対、最後まで行く」
リリムは小さく笑って、そしてふと、まっすぐにトレインの瞳を見つめた。
「トレイン。……空は、遠いけど、
あんたの想いや”夢”は、ちゃんと届いてるからね」
その声は、確かに響いた。
言葉の一つ一つが、まるで風の結晶のように胸に染みこんでいく。
ふたりは穏やかな時間を惜しむように別れた。
リリムの背中が、街の灯に溶けていく。
トレインは少しだけその場に残って、星の瞬く空を見上げた。
スカイタウンの夜は透明だった。
風が静かに巡り、どこか遠くで鐘の音が響く。
空は近い。
けれど、本当にこの手を届かせるには、これからいくつもの試練を越えていかなくてはならない。
そのすべてを超えるために――
トレインは、ゆっくりと歩き出した。
ギルド本部がある風の塔へと。
新たな風が、彼の頬をそっと撫でていった。
ギルド本部――風の塔は、
夜空に向かってまっすぐに伸びる“白銀の塔”だった。
何層にも重なる浮遊階層(レイヤー)を持ち、塔の周囲を小さな浮遊岩が衛星のように巡っている。
塔を取り囲む外壁には、風を象徴する紋章がいくつも刻まれ、その表面を走る微細な魔力線が、静かに淡く光っていた。
トレインは、塔のふもとに足を踏み入れた。
風の塔の内部は、外から見た以上に広大だった。
白銀の外壁をくぐり抜けると、そこには螺旋状に広がる巨大な空間が広がっていた。
中心には一本の「風柱(エア・スパイラル)」が立ち上がり、塔の天頂に向かって絶え間なく風を吹き上げている。
この柱は、エアリアの神核から引かれた古代魔法装置の一部だといわれていた。
塔の壁面には、古代の浮き彫り装飾が施され、かつて空を駆けたスカイランナーたちの伝説が、幾重にも重ねられた物語のように描かれていた。
床には風を象った幾何学模様の石板が敷き詰められ、踏みしめるたびに微かな共鳴音が響く。
塔そのものが、まるで生きた記録のようだった。
トレインは、そんな空間に一歩一歩、踏みしめるように足を進めた。
第二試練の説明は、塔の第三層――「風の閲覧室(エア・ルーム)」で行われるという。
エア・ルームは、かつて高位のスカイランナーたちが、風の流れを解析し、未来の空路を設計していた場所だった。
今では、試練の前の最後のブリーフィングルームとして使われている。
その扉は、深い青と銀の細工が施された重厚なものだった。
トレインが足を踏み入れると、室内にはすでに多くの挑戦者たちが集まっていた。
空気は、張りつめていた。けれど、それは恐れではなかった。
期待と緊張と、そして微かな誇り。風を越えた者たちだけが持つ、静かな熱気だった。
室内の壁には、巨大な立体地図が浮かび上がっていた。
数十もの漂流島が、空間に点在し、魔力の線で結ばれて、複雑な空域を形成している。
その中には、赤く光る島や、青白く沈む島もあり、それぞれが異なる属性や危険度を示していた。
周りをゆっくり見渡しながら、壁際に並んだ長椅子のひとつに腰を下ろした。座面は滑らかな魔力織布でできており、深く身体を受け止めるように柔らかい。
目の前には、淡い青光を放つ立体投影装置——「風域投影炉(エア・オービター)」が、部屋中央に据えられていた。その周囲を取り囲むように、参加者たちが円形に配置された席に着いていた。
トレインの左隣では、背の高い銀髪の青年が無言で腕を組み、正面を見据えている。その向こうには、ミリア・ブラストの鮮やかな髪が風鈴のように揺れていた。彼女は目を閉じ、わずかに指を鳴らして、風脈の感触でも確かめているようだった。
空気が、少しずつ変わっていく。
塔の天井から、緩やかな風が降りてきたのだ。
それは歓迎の合図。
風の塔が、ここに集った者たちを“次の空”へと導く意思を示す兆しだった。
ふと見上げれば、エア・ルームの天井には、天空の地図が広がっていた。
星を模した風晶が幾何学的に配され、その中心には、静かに回転する“風の輪(エア・サークル)”があった。これは古代ヴェントゥス文明の航法儀で、次なる試練の空域座標を示すものだと伝えられている。
「皆、揃ったようだな」
静かながら、確かな力を持った声が室内に響いた。
声の主は、ギルド本部の試験管、ノエル・ヴァント。
長身の女騎士であり、かつて“風裂の道”を単騎突破した伝説を持つ人物だ。
彼女は、風を切るような動作で手を掲げると、風域投影炉が反応し、目の前に空間地図が浮かび上がった。
——それは、まるで生きているかのようだった。
島々が回転し、風の線が走り、気圧の層が重なり合い、魔力の波動が律動する。
ノエルは一歩前へと進み、風域投影炉の中央に立った。
彼女の手が静かに動くと、空間に浮かんだ立体地図が再び脈動し、浮遊島のいくつかが赤く染まっていった。
「第二試練の名は――《漂流島制覇(ドリフト・クエスト)》」
その言葉に、室内の空気がほんのわずか引き締まった。
「内容は、単純明快だ」
ノエルの声は静かだが、風のように鋭く、はっきりと響く。
「これより君たちは、16班・各5名に分かれ、それぞれの“試練ルート”に挑むことになる。
総勢80名——この塔に辿り着いた者たちすべてが、風と共にこの空を越える資格を得た」
投影された地図の中で、いくつかの島々が班ごとに色分けされて浮かび上がった。
地図上では、赤・青・紫・金・緑に光る五つの島が、それぞれ異なる軌道で空中を漂っていた。
その軌道は常に移動し、また風脈や魔力流によって一時的に消失する“隠れ島”となることもある。
「各島には課題がある。
一つ目は『探索』。地脈の揺れによって埋もれた“風晶装置”を探し出し、再起動せよ。
二つ目は『戦闘』。模擬ではない、実戦だ。スカイギルド傘下の精鋭部隊が敵役を務める。
三つ目は『調査』。風に流された情報断片を拾い集め、過去の記録を復元する。
四つ目は『護衛』。移動する観測者NPCの保護任務だ。風に逆らうルートを取らされることになるだろう。
そして最後は、“風の裁定”と呼ばれる特殊課題。内容は、現地に到達するまで一切知らされない」
立体的な盤面には、光の点線で結ばれた16のルートが現れ、それぞれ別々の軌道を描きながら空域を縦横に交差していた。
「君たちは一人ではない。
だが、仲間に頼りきってもいけない。
班行動である以上、連携と判断、そして信頼が鍵になる。
誰かひとりでも脱落すれば、班全体が大きな不利を背負う。
逆にいえば、どんな試練も——“班として”越えるのだ」
参加者たちの間に、わずかなざわめきが走る。
各自の視線が、周囲の参加者へと向けられる。
誰が味方で、誰がライバルなのか——その境界は、この瞬間から溶けていく。
「この試練で求められるのは、単なる速度や操縦技術だけではない。
仲間との連携、判断力、持久力、そして――風との対話能力。
君たちが“空に値する者”かどうか、風がすべてを見ている」
ノエルが腕を広げると、空域地図の中央に一本の光が走った。
それは“起点”を示す航路線——風の塔から出発し、すべての島を巡り、再び戻る軌跡だった。
「制限時間は日の出から日没までの十二時間。
班単位で全島を踏破し、最終目的地“風の帰還門(エア・ゲート)”に到達した時点で試験終了となる。
なお、どの島も“同じ課題が用意されているとは限らない”。
班ごとのルートに応じて、試練の難易度や性質も変わる。これは、風が選んだ道だからだ」
再び、風が室内を巡る。
「班分けとルートマップは、各人の席前にある“風刻カード”に記録されている。
自身の班番号、仲間の名前、初動ルートを確認せよ。
試練は明朝、第一風門から順に出発する。……遅れた者は、その時点で脱落だ」
沈黙が、確かな緊張となって空気を包んだ。
投影された空間地図では、星が流れるように漂流島の光が軌道を描いた。
トレインは、自分の前に置かれた風刻カードにそっと手を伸ばした。
そこに記されていた文字。
【第七班】——リーダー:ミリア・ブラスト
メンバー:トレイン・フェザーネット/ジーク・ハンロック/セラ・オルディアス/カイ・リューレンユク・ラングレー
試練ルート:島No.17→21→08→03→最後島(封印指定)
(——班か。……いいだろ)
トレインは、拳を握る。
これは“ただの試験”ではない。
これは、“風を生きる者”になるための本当の旅路の始まりだ。
「試練は明朝、夜明けと共に開始される。
各艇は指定された風門から出発せよ。
集合時間に遅れた者もまた、容赦なく脱落する。
……以上だ」
ノエルはひとつ息を吐き、静かに背を向けた。
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