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~17話~
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地響きする程の馬の足音と剣檄。雄叫びに似た争う叫び声に震えが止まらない。
物凄いスピードになってきた馬車はガタガタと縦横無尽に揺れて座っているのも困難で、私は床に這いつくばるようにして小さくなるしか出来ない。
ガッ!
何かに躓いたのかガクンッと馬車が大きく揺れる。
一瞬身体が宙に浮く。
横倒しになりそうな程床が傾いて、転倒する!とぎゅっと目を瞑って衝撃に備えた。
ビュシュッ!!バシュッ!と空を切る音が馭者台から聞こえてくる。
きっと必死に鞭を操って馬車を立て直しているんだ...。
頑張って!お願い!と強く願う。
ガタガタと大きく揺れながら車体が戻ってホッとしたのも瞬間でズバッッ!!!ズバンッ!と矢が刺さる。
今度のはかなり深く刺さった。至近距離からなのか矢じりが壁から覗く。
その鉛色が鈍く光るのを見て悲鳴を必死に飲み込んだ。
「行け行け!行けッ!!飛び乗れ!聖女はその中だ!」
叫ぶ声が馬車の真横から馬の蹄の音と一緒に複数聞こえてきて、サウスさんの声が再び近くでする。
「触るな!!!」
ガキンッ!ザシュッ!!バシャッッ!!
金物がぶつかる音、何かが...液体が掛かる音...。馬の激しい足音...。
直後に馬車の上にドン!と何かが飛び乗る音がして、直ぐにノースさんの叫ぶ声がする。
「エミーリア様の馬車に触るな!」
ガキンッガキンッと何かがぶつかる音と、ズドンと後ろに何かが落ちる。
ノースさんが落ちたの...?
両手を握りしめて無事を祈る。
「ここは俺が護る!サウス行けッ!」
ノースさんの声が上で聞こえて、無事だと判って一瞬安堵して。
再びズバッ!と壁に矢が刺さる。
怖い...!
ガタガタ震える事しか出来ないのも、何かに襲われる怖さにも、戦う音も、なにも出来ない自分にも涙が出そうになりながら、ひたすら耐える。今にも耳を塞いで叫びだしそうになるけど...それをしたらいけないと悲鳴を飲み込んで、両手を握りしめる。
ここで泣いたら駄目だ。それは...卑怯な気がする。
泣いたらノースさんや、サウスさん、神官さんや、馭者さん、馬車の馬たちの頑張りが薄れる気がして、ぐっと唇を噛み締める。
泣くもんか。
ドドドドッと走り寄る馬の激しい足音と、激しい応酬は一体どれだけ続くのだろう?
矢が刺さる音と剣檄、獣の様な叫び声が続く。
激しいそれらに恐怖で「フーッ...フーッ...」と息が荒くなるけど、怖いのは私だけじゃない。きっと馬たちも、馭者さんも、神官さんも、ノースさん、サウスさんも怖いはず...!
しっかりしなくちゃ...しっかりしなくちゃ...。
そう思うほど、どうやって心を立て直したら良いのか判らない。
「エミーリア様をお守りしろ!」
サウスさんの声が聞こえる。
「応ッ!」
ノースさんの声と斬撃の音。
怒鳴るような男の人の声が「ガキ共だと侮るな!回り込め!」と叫んでいる。
「聖女は殺すな!!馭者を狙え!」
怒鳴る声が響いて、それに答える様に矢が馬車に当たる。
「させるか!!」とノースさんが叫んで、ガキンッ!ガキンッ!と弾く音が馬車の周りでする。
激しく揺れながら疾走する馬車の中で両手を握りしめて、ぎゅっと目を閉じて二人の無事を祈って恐怖を耐える。
地鳴りする程の蹄の音が一瞬遠退いて、「突撃陣形!!掛かれ!!」
突然大人の男の人の低い声が響き渡る。
ガシャガシャと重い金属音といきなり増えた馬の足音、ドゥッ!!と横倒しになる重い音が複数響いて、先程の馬の激しい足音よりも更に激しい蹄の音が響き渡る。
ガキンッガキンッ!ズドンッッ!!ドゥッ!!!
激しく響き渡る戦う音が、叫び声が、連続で響いて、唐突に...静かになった。
馬車は徐々にスピードを落として、ゆっくりと止まる。
「畏れながら聖女様...不測の事態により今夜はお御祓の取り止めと致します。扉をお開けしても宜しいでしょうか?」
神官さんの声がする。
もう...終わった...の...?
震える手を必死に押し止めながら深く息をして、「はい...。」と小さく返事を絞り出した。
「ご無事でございますか?聖女様。」
真っ青な神官さんの顔がそっと開けられた扉から覗いて。
コクコクと頷いて。
強張った神官さんは、そんな私を見て、一瞬表情を柔らげてくれる。
「騎士団が駆けつけてくれました...。もう大丈夫です。聖女様。...彼らにお声をお掛けなさいますか?」
「はい...。」
床から立ち上がろうとしたら、よろめいてしまう。
小刻みに震える手足を止められない。
「...ゆっくりで、大丈夫ですよ、聖女様。」
支えようと手を差し出してくれる神官さんも、その手は震えていた。
馭者台にいた神官さんは、きっとあの激しい最中を見ていたはず...。私よりも怖い思いをしたであろうのに...それでも私を気遣ってくれる。
泣きそうになる両目を自分で叱りながら、必死に涙を飲み込んだ。
床から立ち上がり、ガクガクと震える膝を叱りながら、神官さんの手を取って、助けられながら馬車から降りる。
「エミーリア様!」
ヒラリ、とノースさんが飛び降りてきて、私の前ですぐに跪く。
「ノースさん...。」
私を見てノースさんがほっとした顔で、すぐに顔を引き締めて頭を垂れる。
「エミーリア様...!」
「サウスさん...。」
馬から降りてサウスさんもノースさんの横に跪く。一瞬笑顔を見せてくれたけど...ノースさんも、サウスさんも、あちこちに切り傷を受けていて...。でも
「...ノースさん、サウスさんも...無事でよかった...ありがとうございます...。」
泣きそうになる。
何があって...狙われて...こんな風に二人が怪我をしなければいけないの?
「聖女様...騎士団の方が彼方に。」
神官さんの指し示す手の先に、20よりは多い馬たちの上に鎧を着た騎士達がいた。
中央の一際大きな馬に跨がる騎士が鎧の重さを感じさせない身軽さでヒラリ、と降りる。
「第3騎士団!降馬!その場にて敬礼!」
その人が低く響く声を鋭く上げると、一糸乱れる事なく、全騎士が馬から降りて一斉にバッ!と音がなる程に揃った動きで敬礼する。
馬も微動だにしない。
その中を先に降りた騎士が近付いてきて、ノースさんとサウスさんがすっと立ち上がり、道を開ける。
私の真ん前に立つその人は、サッと兜を脱ぐと私の前で跪く。
「聖女様...到着が遅くなりまして申し訳なかった。
第3騎士団団長ギルニング ノートン以下25名!聖女様をお護りする為に参上致しました!ご無事でありますか?」
兜の下から、よく日に焼けた顔がキラキラした笑顔を私に向けていた。
額まで覆われた鎧帷子から覗く目は、夜なのにはっきりと鮮やかなグリーンで、射ぬく様に鋭い目がキラキラと子どもみたいに輝きながら、私を見ている。
「聖女様、直接お声をお掛けしますか?」
神官さんが、そっと聞いてくる。頷きだけで返して、深呼吸してからローブのフードを外してから口を開く。
「ありがとうございます...。駆け付けてくださったのですね...。本当にありがとうございます。」
なんとか笑顔を絞り出して、ギルニングさんにお礼を伝えると、ギルニングさんがニカッと笑った。
「聖女様へお目通りがまさか叶うとは思わずですよ!馬車の中からお声が聞けるかどうかと思っておりました。拝顔の誉れをありがとうございます。
我ら一同感激至極!このあとの残党一掃にも力が入ります。
聖女様、ただいまより騎士団から幾人か護衛をお付けするのを御許し頂きたい!それに聖女様付き従士の二人もよく頑張った!」
大きくて低いけど、朗らかで元気付けられるギルニングさんの声。
ノースさんも、サウスさんも、ギルニングさんに敬礼を返している。
私も敬礼したほうがいいのかな...?ちらりとノースさんを見ると小さく横に首を振っているのが見えて、よく考えてることがわかったなぁと思いながら小さく頷き返す。
「ギルニングさん...本当にありがとうございます。あの...私自身なんのお礼も出来ないのが心苦しいのですが...何かお礼をと思うのですが...ご迷惑になりますか?」
ごくわずかなことしか...今の私に出来ることはない。例えばお菓子を焼くのは聖殿のバザーとかで何年も焼いてきたから、かなり得意だけど、そういうものの差し入れを後日持って行くのは迷惑だろうか?
街のお客さんは喜んでくれてたから自己満足の菓子かもしれないけど、日持ちもするし...気持ちだけかもしれないけど、それでもお礼を...感謝の気持ちを表したいと思う。
ノースさんがブンブンと首を振ってダメって言ってる顔をしていたけど、神官さんがにっこり笑いながら「祝福でございますね。では騎士団団長ギルニング卿に代表して後日聖殿で御こしいただくのが宜しいでしょう。これこそ騎士団への誉れでございましょう。」
「「え?!祝福ですか!」」
ギルニングさんと私の声が被った。
嬉しそうなギルニングさんに対して、私はそんなのでいいの?!と驚きの声なのが同じ言葉だけど響きの違いで、「これ以上ない誉れでありますが騎士団ごときでは分不相応ではありませんか?」と私に聞いてくる。
「いえいえいえ!!そんな滅相もないです!!祝福でいいんですか?お菓子とか、その...作ってお持ちしようかと思ってたんですけど...?」
...え?祝福でいいんですか?ほんとに?!後悔しません?
だって、祈るだけよ?本の少し光ったり風が薫ったりはするようになったけど、基本あれは祈るだけよ?プライスレスすぎない?商売人の娘としてはそんなのでいいの?!と驚きでしかないのに、神官さんはにっこにこしてるし、私の驚きを何か違う意味に捉えたのか、ギルニングさんが大きな身体を小さく縮めて項垂れている。
ノースさんをちらりと見ると小さく頷き返してくれるから、お菓子よりも祝福の方がいいのだと、なんとなく納得いかないまでも理解はした。
「そんな...助けていただいて居ながら後日だなんて申し訳ないです。ここでよろしかったらですが...皆さんに祝福をさせて頂けませんか?」
「聖女様!!それは!」
神官さんが慌てた顔でなにか言おうとしていたのを手で押しと止めて、「もちろん...神官さんと馭者さんも、良かったら...ですけど...。でもお二人にもご迷惑だったら止めておきます...。」
そう言った私をノースさんが倒れそうな顔で首を横に振っているのと、サウスさんが何故か空を仰ぎ見ていたのがちらりと視界に入った。
けど...まぁ、感謝の気持ちがこれで伝わるなら...良いのではないかと思っているんだけど...あれ?なんか神官さんや、馭者さんまでもがっくりと跪いてる...?
****************
全員にまとめての祝福だなんて初めてなんだけど、神官さんや、馭者さん、ギルニングさんに騎士団の皆さんに、頑張って走ってくれた馬たちにも、祝福の光が降り注ぐ。
大きく広げた両手で、視界に入ったみんなごと抱きしめる気持ちで祝福の言葉を紡いだ。ふわりと風が髪を巻き上げて、私の全身が光輝いてから天から光が降り注ぐ。多分これが祝福の光なんだろうと3回目にして思いながら祈る。
なにやら喜んでくれてるみたいで良かった。馭者さん泣いてるけど...大丈夫かな?
ノースさんとサウスさんも、キラキラ光って「あ、怪我治った...」って呟いた...?え、ほんと?良かった!光がサウスさんの頬の傷やノースさんの太股の傷に吸い込まれて行くのが見えた。
馬車の馬たちが嬉しそうな嘶きを上げる。良かった。ありがとうの気持ちが届いたのかな?
私の横で神官さんが「尊い」って呟いてるけど、光るのって、なんだか凄い効果がある気がするよね!
でも多分気のせいですよ?とは言えないけど...あれ?怪我が治ったのなら、何かしら効果があるのかな。
とにかく皆が笑顔でほっとした。
ほっとしたら...ちょっとだけ...指の先が冷たくて、小さく小さく震えだした腕を、そっと気が付かれない様に腕を擦った。
なんだろう?
もう、大丈夫なのに。
騎士団の方々から8人の騎士がギルニングさんに選ばれて、馬車の周囲をぐるりと堅めながら離宮へと戻る事になった。
全身を鎧に固めた騎士は重厚感がある。
一人ずつ、ひさし?を挙げて目を合わせて挨拶をしてくれる。その目は微笑みの色が見えて安心できる。
馬たちも私へ鼻を寄せてスリスリっと挨拶してくれてるみたいで、圧倒されるほど大きいのに、ちょっと可愛い。
サウスさんが「エミーリア様、お部屋に戻りましたら温かいシナモンミルクを御入れしましょうね?」と笑ってくれて、ノースさんが「でしたらハチミツビスケットを温めましょう。」って笑ってくれて、笑顔で頷いて馬車の中へ乗り込んだ。
クッションに埋もれる様にして座る。
小さく小さく震えたままの手をクッションに埋もれる様にして隠しながら、神官さんが扉を閉じるまで笑顔を浮かべて。
静かに頭を下げて神官さんが扉の向こうに消えて、「ハッ!」と掛け声?と、ピシッと空を切る鞭の音が軽く鳴って、馬車がゆっくりと走り出す。
馬車の周りからは同時に複数の馬の蹄が重なって響く。
無音ではない事にほっとしながら、嗚咽を溢さないように私はクッションに埋もれながら泣いた。
見ないふりをしてた視界の端に、馬車の周りについたままだった矢と、黒赤くなった血糊を、私はさっき見ない降りをした。
騎士団の鎧と帯剣に残った血糊を見ない降りをした。
彼らは私を護ってくれたのだ。
彼らはそれが仕事。
判ってるし、判る。
でも...。
何者かに襲われた事と、きっと襲撃者の誰彼が亡くなったであろう事や、いろいろな感情がぐちゃぐちゃになって...どこか割りきれない気持ちが溢れ出す様。私は歯を食いしばりながら、泣き声が絶対に響かない様に泣き続けた。
悲しいのか、怖いのか、怒っているのか、それすらも全く解らない涙...。
「...ても宜しいでしょうか?聖女様。」
ノックの音と神官さんの呼び掛ける声が聞こえて、ハッとして身体を起こした。
いつの間にか寝てた?
「はい、大丈夫です。」と答える。多分扉を開けてもいいかと聞かれたのだと思う。違ったらどうしよう?
「今夜は...大変申し訳ない夜になってしまい恐縮です。神父長官様にご報告を致しますので、今暫く従士騎士と共に居ていただけますでしょうか?」
神官さんが扉の向こうから深々と頭を下げて、その姿になんと声を掛けていいのか悩んで...ただ頷くだけに留めた。
神官さんの後ろにはニイゾノさんと、ノースさん、サウスさん、ウェスダーさんが立ち並ぶ。
ニイゾノさんに左手を支えられながら、降りやすい様にと置いてくれたタラップを踏んで、直ぐにノースさんが私を抱え上げる。
「...歩けますよ...?」いつもの台詞を小さく呟くと、ノースさんがいつもの様に小さく笑って...くれなかった。
「温かいシナモンミルクと、ハチミツビスケットを侍女に頼みましょう。」とだけ。
皆が沈黙しながら私を出迎えてくれて、騎士も居るので、と部屋ではなく応接室へと移動する。
ソファにそっと降ろされると、モーリーが駆け寄ってローブを脱がせてくれて、直ぐ温かい大きなショールですっぽりときゅうっと抱きしめるように包んでくれて、背中を擦ってくれて...「エミーリア様...今直ぐに温かいシナモンミルクとハチミツビスケット、お持ちします。キャシーが用意してますから...。今暫くお待ちくださいませね?」と、掠れた声で半分泣きそうなのに、懸命に微笑んでくれて...思わず抱きついてしまう...。
「...エミーリア様がご無事で良かった...」
モーリーの声が少し震えて。
モーリーの背中へ回した腕の力を強めてしまう。
モーリーも、私の背中を何度も繰り返し擦ってくれる。その温かい手のひらの温度と、モーリーの胸の柔らかい温もりが安心するの...。
暫くモーリーにぴっとりとしがみついて、お願いして、横に座ってもらって、そのまま背中を撫でられながら、キャシーがトレイに乗せたシナモンミルクとハチミツビスケットを側にセットしてくれて、モーリーの反対側...私を挟む様に座って、両手で左手を包み込む様にしながら擦ってくれて。
「温かいうちに、お飲みくださいませね?」ってカップを持たせてくれる。
扉の前に騎士が並んで。
従士の皆が私の座るソファを囲むように立っていて。
狭いお部屋ではないけれど、何となく圧迫感がある...。
人数は多いのに、カップを置く音が響くほど、しんとした静けさが部屋の中にはのし掛かっている気がする。
それは重い静けさだけど、無理に抉じ開ける気がしない静寂。
モーリーに凭れながら、キャシーに手を握られながら、二人の温もりを拠り所にして...ショールがまるで砦の様に守ってくれるみたいに思いながらただ座ってた。
「エミーリアッ!!」ダダダダッと走る音とバンッ!と開いた扉から、テセウス様が飛び込んでいらした。
「良かった...!無事で良かった...!エミーリア」
ギュウウッと抱き締められて、私の肩口でテセウス様が震えながら良かった、と繰り返し...。
騎士たちが一瞬で剣を抜いて、テセウス様に突き付けているのをウェスダーさんが「神父長官だ...。抜刀止めて良し。」と瞬間で止めてくれてた。
「テセウ...サンドーム神父さま、血が...!」
微かに首筋に剣先が掠めたのか、ジワリと浮かんだ血に慌てて。
でもテセウス様は、「そんなものは舐めとけば治ります!エミーリアが無事な事以外は些事!ああ、顔をよく見せてくださいエミーリア?」
と、震えながら確かめるように私の頬を撫でて、肩を腕を撫でて、安堵の吐息を洩らすのは...皆が見てるけど...テセウス様は全く意に介していない。
なんだかそんなテセウス様が愛しくて嬉しくて...ちょっと浮上してきた。
「ふふふ。良かったですね?エミーリア様。」
モーリーが微笑んで立ち上がる。
「...本当に。ええ、本当に...!」
キャシーの声は若干、怖い...。なんだか鬼のオーラが見える様な...?
「サンドーム神父長官はエミーリア様がお生まれになられた頃からの知己でらっしゃるとお聞きしております。生誕の洗礼も、成人の儀もサンドーム神父のお手でなされた程深く慈しんでらっしゃったのだと。
エミーリア様の父君のような眼差しでご成長を育んでらしたのでしょう。珍しく取り乱してらっしゃる様ですが...ですよね?サンドーム神父長官?...ええ聞いてないですね、このご様子では。
キャシーはエミーリア様のお部屋を調えて、モーリーはトレイを下げて、二人とももう今夜は下がって宜しい。」
スッとドアから入ってきたニイゾノさんが騎士さんたちに向けて、どこかキリッとした笑顔を浮かべながら、パンパンッと両手を叩いて、私の横からモーリーとキャシーとが離れていく。
モーリーはニコッと微笑みながら、キャシーはもう一度私の手を撫でて。
二人とも綺麗な礼をして、下がっていった。
「そういった訳ですので、騎士の方々は私、聖女様の執事であるニイゾノが詳細お聞き致します。先程随行の神官からは神父長官と共に状況は聴いておりますが、他にも第3で押さえている情報等があるでしょう。神殿からの命も頂いておりますので、仔細開示していただきましょう。
...エミーリア様、神父長官様にお部屋に付き添って頂いて、本日はおやすみになられては如何でしょうか?」
テキパキとニイゾノさんの指示が飛ぶ。
「はい...!やすみます!」思わず背筋が伸びてしまう。
「...神父さま、お部屋に付き添って...下さいますか?」
ギュウウッと抱き締め続けるテセウス様のお袖をツンツンと引っ張った。
ハッ!と音が聞こえるんじゃないか?と言うくらい、テセウス様が一瞬硬直して、いつもの柔和な眼差しで私を見て、「もちろんです、エミーリア。」って幼子にするように頭を撫でてくれて、「...借りができましたね。」と、続いて呟いた言葉は聞き取れなかった。
抱き上げようとするノースさんは、ニイゾノさんに捕まって、テセウス様が私を幼子にするように真っ直ぐに抱き上げて、背中をトントン、と軽く叩きながら応接室から出る。
何となく騎士さんたちには微笑ましげにどこか温かく眺められていた気がしないでもない。
ああ、テセウス様に抱っこされるの、今日は二度目だ。
ぴっとりとテセウス様の身体にくっついて身を任せるのは、帰ってきたって実感が大きくて安心する。
暫く無言で抱っこされながら、長い廊下を通り、階段をゆっくりと上がって下さる...。
部屋の前でキャシーが凛とした美しい姿勢で立っていて、ドアを開けてくれる。
「もう下がって宜しいですよ、キャシー。」
私をソファへ降ろしながら、テセウス様がキャシーを遠ざけようとする。
「お召し替えがございますわ。」
冷たく聞こえる位の抑揚の無さで、キャシーが直ぐにテセウス様に言葉を返す。
「...大丈夫。キャシー、ありがとう。...もう休んで?」
部屋に入った途端になんだか全身の力が抜けたみたいで、力無くだけど笑ってキャシーにおやすみを伝える。
渋々キャシーは「何かありましたら直ぐにお呼び下さいませね?わたくし、飛んで参りますから!」って両手を握って。
静かにドアが閉じた。
「...テセウス様...!」
「エミーリア!!」
テセウス様の腕の中にぶつかるように飛び込んで、背中へとしがみついて...私はぼろぼろと涙が溢れて止められなくなって。
エグエグとしゃくり上げながら色んな気持ちを伝えたいのに言葉に成らなくて。
「エミーリア!エミーリア...!!」
テセウス様は私の名前を呼びながら、抱き締めてくださりながら、髪に、目蓋に、額に、頬に、鼻に、唇にとキスの雨を降らせてくれる。
「テセウ...ス様ッ...私...私聖女なのにっ!助けられなかったの!助けられなかったの!何も出来なかったの!なんで...なんで?!」
必死に吐き出した言葉はさっきから胸の中で突き刺さってジクジクした痛みを生んでいた言葉。テセウス様にすがり付いて泣きながら漸く言葉に出来たそれ。
目を瞑ると折り重なるように倒れ伏した人影と、横倒しになったまま微動だにしない馬体のシルエットが浮かんでくる。
「エミーリア...!!大丈夫です、大丈夫。貴女が貴女であるだけで、それだけでいいのですからね?悔やんでも何をどう足掻いても取り返せないのは死なのです...。思い悩んではいけない。貴女が貴女が無事でそれだけで私は...!!」
テセウス様がきつく私をその胸の中に閉じ込める様にしながら抱き締めて。
「私は...貴女が襲撃に遇ったと聞いた瞬間、人としてあるまじき願いを胸に描きました...!本当に...貴女が無事で良かった。貴女が居ない世界など想像したくも無いのです...」
私を掻き抱きしめるその腕は震えていて。
「テセウス様...お願いです...私を抱いて?」
「エミーリア、お願いします。抱いてもいいですか?」
二人同時に紡いだ言葉に一瞬だけ見つめ合う。
テセウス様の奥歯からギリッと音がして、唸る様に喉の奥が鳴って。
引き裂く様な荒々しさで脱がされて。
私も貪る様にテセウス様の口に唇を押し付けた。
テセウス様の整った髪に両手の指を差し入れて隙間を無くしたいと唇を貪る。
深く、深く掻き交ぜる舌がどちらの口腔を蠢いているのかも解らないくらいに互いの舌を絡めていく。
テセウス様の手が遠慮無く私の乳房を握り、押し潰しながら捏ねて、痛い程のその快感を貪る。
腰を絞める程強く抱き上げられて、シーツの上に仰向けに投げられ、毟り取る様にご自身の神服を脱ぎ捨てていくテセウス様に向けて、淫らに脚を広げながら両腕を差し出して「来て...?」とだけ、声を出す。
物凄いスピードになってきた馬車はガタガタと縦横無尽に揺れて座っているのも困難で、私は床に這いつくばるようにして小さくなるしか出来ない。
ガッ!
何かに躓いたのかガクンッと馬車が大きく揺れる。
一瞬身体が宙に浮く。
横倒しになりそうな程床が傾いて、転倒する!とぎゅっと目を瞑って衝撃に備えた。
ビュシュッ!!バシュッ!と空を切る音が馭者台から聞こえてくる。
きっと必死に鞭を操って馬車を立て直しているんだ...。
頑張って!お願い!と強く願う。
ガタガタと大きく揺れながら車体が戻ってホッとしたのも瞬間でズバッッ!!!ズバンッ!と矢が刺さる。
今度のはかなり深く刺さった。至近距離からなのか矢じりが壁から覗く。
その鉛色が鈍く光るのを見て悲鳴を必死に飲み込んだ。
「行け行け!行けッ!!飛び乗れ!聖女はその中だ!」
叫ぶ声が馬車の真横から馬の蹄の音と一緒に複数聞こえてきて、サウスさんの声が再び近くでする。
「触るな!!!」
ガキンッ!ザシュッ!!バシャッッ!!
金物がぶつかる音、何かが...液体が掛かる音...。馬の激しい足音...。
直後に馬車の上にドン!と何かが飛び乗る音がして、直ぐにノースさんの叫ぶ声がする。
「エミーリア様の馬車に触るな!」
ガキンッガキンッと何かがぶつかる音と、ズドンと後ろに何かが落ちる。
ノースさんが落ちたの...?
両手を握りしめて無事を祈る。
「ここは俺が護る!サウス行けッ!」
ノースさんの声が上で聞こえて、無事だと判って一瞬安堵して。
再びズバッ!と壁に矢が刺さる。
怖い...!
ガタガタ震える事しか出来ないのも、何かに襲われる怖さにも、戦う音も、なにも出来ない自分にも涙が出そうになりながら、ひたすら耐える。今にも耳を塞いで叫びだしそうになるけど...それをしたらいけないと悲鳴を飲み込んで、両手を握りしめる。
ここで泣いたら駄目だ。それは...卑怯な気がする。
泣いたらノースさんや、サウスさん、神官さんや、馭者さん、馬車の馬たちの頑張りが薄れる気がして、ぐっと唇を噛み締める。
泣くもんか。
ドドドドッと走り寄る馬の激しい足音と、激しい応酬は一体どれだけ続くのだろう?
矢が刺さる音と剣檄、獣の様な叫び声が続く。
激しいそれらに恐怖で「フーッ...フーッ...」と息が荒くなるけど、怖いのは私だけじゃない。きっと馬たちも、馭者さんも、神官さんも、ノースさん、サウスさんも怖いはず...!
しっかりしなくちゃ...しっかりしなくちゃ...。
そう思うほど、どうやって心を立て直したら良いのか判らない。
「エミーリア様をお守りしろ!」
サウスさんの声が聞こえる。
「応ッ!」
ノースさんの声と斬撃の音。
怒鳴るような男の人の声が「ガキ共だと侮るな!回り込め!」と叫んでいる。
「聖女は殺すな!!馭者を狙え!」
怒鳴る声が響いて、それに答える様に矢が馬車に当たる。
「させるか!!」とノースさんが叫んで、ガキンッ!ガキンッ!と弾く音が馬車の周りでする。
激しく揺れながら疾走する馬車の中で両手を握りしめて、ぎゅっと目を閉じて二人の無事を祈って恐怖を耐える。
地鳴りする程の蹄の音が一瞬遠退いて、「突撃陣形!!掛かれ!!」
突然大人の男の人の低い声が響き渡る。
ガシャガシャと重い金属音といきなり増えた馬の足音、ドゥッ!!と横倒しになる重い音が複数響いて、先程の馬の激しい足音よりも更に激しい蹄の音が響き渡る。
ガキンッガキンッ!ズドンッッ!!ドゥッ!!!
激しく響き渡る戦う音が、叫び声が、連続で響いて、唐突に...静かになった。
馬車は徐々にスピードを落として、ゆっくりと止まる。
「畏れながら聖女様...不測の事態により今夜はお御祓の取り止めと致します。扉をお開けしても宜しいでしょうか?」
神官さんの声がする。
もう...終わった...の...?
震える手を必死に押し止めながら深く息をして、「はい...。」と小さく返事を絞り出した。
「ご無事でございますか?聖女様。」
真っ青な神官さんの顔がそっと開けられた扉から覗いて。
コクコクと頷いて。
強張った神官さんは、そんな私を見て、一瞬表情を柔らげてくれる。
「騎士団が駆けつけてくれました...。もう大丈夫です。聖女様。...彼らにお声をお掛けなさいますか?」
「はい...。」
床から立ち上がろうとしたら、よろめいてしまう。
小刻みに震える手足を止められない。
「...ゆっくりで、大丈夫ですよ、聖女様。」
支えようと手を差し出してくれる神官さんも、その手は震えていた。
馭者台にいた神官さんは、きっとあの激しい最中を見ていたはず...。私よりも怖い思いをしたであろうのに...それでも私を気遣ってくれる。
泣きそうになる両目を自分で叱りながら、必死に涙を飲み込んだ。
床から立ち上がり、ガクガクと震える膝を叱りながら、神官さんの手を取って、助けられながら馬車から降りる。
「エミーリア様!」
ヒラリ、とノースさんが飛び降りてきて、私の前ですぐに跪く。
「ノースさん...。」
私を見てノースさんがほっとした顔で、すぐに顔を引き締めて頭を垂れる。
「エミーリア様...!」
「サウスさん...。」
馬から降りてサウスさんもノースさんの横に跪く。一瞬笑顔を見せてくれたけど...ノースさんも、サウスさんも、あちこちに切り傷を受けていて...。でも
「...ノースさん、サウスさんも...無事でよかった...ありがとうございます...。」
泣きそうになる。
何があって...狙われて...こんな風に二人が怪我をしなければいけないの?
「聖女様...騎士団の方が彼方に。」
神官さんの指し示す手の先に、20よりは多い馬たちの上に鎧を着た騎士達がいた。
中央の一際大きな馬に跨がる騎士が鎧の重さを感じさせない身軽さでヒラリ、と降りる。
「第3騎士団!降馬!その場にて敬礼!」
その人が低く響く声を鋭く上げると、一糸乱れる事なく、全騎士が馬から降りて一斉にバッ!と音がなる程に揃った動きで敬礼する。
馬も微動だにしない。
その中を先に降りた騎士が近付いてきて、ノースさんとサウスさんがすっと立ち上がり、道を開ける。
私の真ん前に立つその人は、サッと兜を脱ぐと私の前で跪く。
「聖女様...到着が遅くなりまして申し訳なかった。
第3騎士団団長ギルニング ノートン以下25名!聖女様をお護りする為に参上致しました!ご無事でありますか?」
兜の下から、よく日に焼けた顔がキラキラした笑顔を私に向けていた。
額まで覆われた鎧帷子から覗く目は、夜なのにはっきりと鮮やかなグリーンで、射ぬく様に鋭い目がキラキラと子どもみたいに輝きながら、私を見ている。
「聖女様、直接お声をお掛けしますか?」
神官さんが、そっと聞いてくる。頷きだけで返して、深呼吸してからローブのフードを外してから口を開く。
「ありがとうございます...。駆け付けてくださったのですね...。本当にありがとうございます。」
なんとか笑顔を絞り出して、ギルニングさんにお礼を伝えると、ギルニングさんがニカッと笑った。
「聖女様へお目通りがまさか叶うとは思わずですよ!馬車の中からお声が聞けるかどうかと思っておりました。拝顔の誉れをありがとうございます。
我ら一同感激至極!このあとの残党一掃にも力が入ります。
聖女様、ただいまより騎士団から幾人か護衛をお付けするのを御許し頂きたい!それに聖女様付き従士の二人もよく頑張った!」
大きくて低いけど、朗らかで元気付けられるギルニングさんの声。
ノースさんも、サウスさんも、ギルニングさんに敬礼を返している。
私も敬礼したほうがいいのかな...?ちらりとノースさんを見ると小さく横に首を振っているのが見えて、よく考えてることがわかったなぁと思いながら小さく頷き返す。
「ギルニングさん...本当にありがとうございます。あの...私自身なんのお礼も出来ないのが心苦しいのですが...何かお礼をと思うのですが...ご迷惑になりますか?」
ごくわずかなことしか...今の私に出来ることはない。例えばお菓子を焼くのは聖殿のバザーとかで何年も焼いてきたから、かなり得意だけど、そういうものの差し入れを後日持って行くのは迷惑だろうか?
街のお客さんは喜んでくれてたから自己満足の菓子かもしれないけど、日持ちもするし...気持ちだけかもしれないけど、それでもお礼を...感謝の気持ちを表したいと思う。
ノースさんがブンブンと首を振ってダメって言ってる顔をしていたけど、神官さんがにっこり笑いながら「祝福でございますね。では騎士団団長ギルニング卿に代表して後日聖殿で御こしいただくのが宜しいでしょう。これこそ騎士団への誉れでございましょう。」
「「え?!祝福ですか!」」
ギルニングさんと私の声が被った。
嬉しそうなギルニングさんに対して、私はそんなのでいいの?!と驚きの声なのが同じ言葉だけど響きの違いで、「これ以上ない誉れでありますが騎士団ごときでは分不相応ではありませんか?」と私に聞いてくる。
「いえいえいえ!!そんな滅相もないです!!祝福でいいんですか?お菓子とか、その...作ってお持ちしようかと思ってたんですけど...?」
...え?祝福でいいんですか?ほんとに?!後悔しません?
だって、祈るだけよ?本の少し光ったり風が薫ったりはするようになったけど、基本あれは祈るだけよ?プライスレスすぎない?商売人の娘としてはそんなのでいいの?!と驚きでしかないのに、神官さんはにっこにこしてるし、私の驚きを何か違う意味に捉えたのか、ギルニングさんが大きな身体を小さく縮めて項垂れている。
ノースさんをちらりと見ると小さく頷き返してくれるから、お菓子よりも祝福の方がいいのだと、なんとなく納得いかないまでも理解はした。
「そんな...助けていただいて居ながら後日だなんて申し訳ないです。ここでよろしかったらですが...皆さんに祝福をさせて頂けませんか?」
「聖女様!!それは!」
神官さんが慌てた顔でなにか言おうとしていたのを手で押しと止めて、「もちろん...神官さんと馭者さんも、良かったら...ですけど...。でもお二人にもご迷惑だったら止めておきます...。」
そう言った私をノースさんが倒れそうな顔で首を横に振っているのと、サウスさんが何故か空を仰ぎ見ていたのがちらりと視界に入った。
けど...まぁ、感謝の気持ちがこれで伝わるなら...良いのではないかと思っているんだけど...あれ?なんか神官さんや、馭者さんまでもがっくりと跪いてる...?
****************
全員にまとめての祝福だなんて初めてなんだけど、神官さんや、馭者さん、ギルニングさんに騎士団の皆さんに、頑張って走ってくれた馬たちにも、祝福の光が降り注ぐ。
大きく広げた両手で、視界に入ったみんなごと抱きしめる気持ちで祝福の言葉を紡いだ。ふわりと風が髪を巻き上げて、私の全身が光輝いてから天から光が降り注ぐ。多分これが祝福の光なんだろうと3回目にして思いながら祈る。
なにやら喜んでくれてるみたいで良かった。馭者さん泣いてるけど...大丈夫かな?
ノースさんとサウスさんも、キラキラ光って「あ、怪我治った...」って呟いた...?え、ほんと?良かった!光がサウスさんの頬の傷やノースさんの太股の傷に吸い込まれて行くのが見えた。
馬車の馬たちが嬉しそうな嘶きを上げる。良かった。ありがとうの気持ちが届いたのかな?
私の横で神官さんが「尊い」って呟いてるけど、光るのって、なんだか凄い効果がある気がするよね!
でも多分気のせいですよ?とは言えないけど...あれ?怪我が治ったのなら、何かしら効果があるのかな。
とにかく皆が笑顔でほっとした。
ほっとしたら...ちょっとだけ...指の先が冷たくて、小さく小さく震えだした腕を、そっと気が付かれない様に腕を擦った。
なんだろう?
もう、大丈夫なのに。
騎士団の方々から8人の騎士がギルニングさんに選ばれて、馬車の周囲をぐるりと堅めながら離宮へと戻る事になった。
全身を鎧に固めた騎士は重厚感がある。
一人ずつ、ひさし?を挙げて目を合わせて挨拶をしてくれる。その目は微笑みの色が見えて安心できる。
馬たちも私へ鼻を寄せてスリスリっと挨拶してくれてるみたいで、圧倒されるほど大きいのに、ちょっと可愛い。
サウスさんが「エミーリア様、お部屋に戻りましたら温かいシナモンミルクを御入れしましょうね?」と笑ってくれて、ノースさんが「でしたらハチミツビスケットを温めましょう。」って笑ってくれて、笑顔で頷いて馬車の中へ乗り込んだ。
クッションに埋もれる様にして座る。
小さく小さく震えたままの手をクッションに埋もれる様にして隠しながら、神官さんが扉を閉じるまで笑顔を浮かべて。
静かに頭を下げて神官さんが扉の向こうに消えて、「ハッ!」と掛け声?と、ピシッと空を切る鞭の音が軽く鳴って、馬車がゆっくりと走り出す。
馬車の周りからは同時に複数の馬の蹄が重なって響く。
無音ではない事にほっとしながら、嗚咽を溢さないように私はクッションに埋もれながら泣いた。
見ないふりをしてた視界の端に、馬車の周りについたままだった矢と、黒赤くなった血糊を、私はさっき見ない降りをした。
騎士団の鎧と帯剣に残った血糊を見ない降りをした。
彼らは私を護ってくれたのだ。
彼らはそれが仕事。
判ってるし、判る。
でも...。
何者かに襲われた事と、きっと襲撃者の誰彼が亡くなったであろう事や、いろいろな感情がぐちゃぐちゃになって...どこか割りきれない気持ちが溢れ出す様。私は歯を食いしばりながら、泣き声が絶対に響かない様に泣き続けた。
悲しいのか、怖いのか、怒っているのか、それすらも全く解らない涙...。
「...ても宜しいでしょうか?聖女様。」
ノックの音と神官さんの呼び掛ける声が聞こえて、ハッとして身体を起こした。
いつの間にか寝てた?
「はい、大丈夫です。」と答える。多分扉を開けてもいいかと聞かれたのだと思う。違ったらどうしよう?
「今夜は...大変申し訳ない夜になってしまい恐縮です。神父長官様にご報告を致しますので、今暫く従士騎士と共に居ていただけますでしょうか?」
神官さんが扉の向こうから深々と頭を下げて、その姿になんと声を掛けていいのか悩んで...ただ頷くだけに留めた。
神官さんの後ろにはニイゾノさんと、ノースさん、サウスさん、ウェスダーさんが立ち並ぶ。
ニイゾノさんに左手を支えられながら、降りやすい様にと置いてくれたタラップを踏んで、直ぐにノースさんが私を抱え上げる。
「...歩けますよ...?」いつもの台詞を小さく呟くと、ノースさんがいつもの様に小さく笑って...くれなかった。
「温かいシナモンミルクと、ハチミツビスケットを侍女に頼みましょう。」とだけ。
皆が沈黙しながら私を出迎えてくれて、騎士も居るので、と部屋ではなく応接室へと移動する。
ソファにそっと降ろされると、モーリーが駆け寄ってローブを脱がせてくれて、直ぐ温かい大きなショールですっぽりときゅうっと抱きしめるように包んでくれて、背中を擦ってくれて...「エミーリア様...今直ぐに温かいシナモンミルクとハチミツビスケット、お持ちします。キャシーが用意してますから...。今暫くお待ちくださいませね?」と、掠れた声で半分泣きそうなのに、懸命に微笑んでくれて...思わず抱きついてしまう...。
「...エミーリア様がご無事で良かった...」
モーリーの声が少し震えて。
モーリーの背中へ回した腕の力を強めてしまう。
モーリーも、私の背中を何度も繰り返し擦ってくれる。その温かい手のひらの温度と、モーリーの胸の柔らかい温もりが安心するの...。
暫くモーリーにぴっとりとしがみついて、お願いして、横に座ってもらって、そのまま背中を撫でられながら、キャシーがトレイに乗せたシナモンミルクとハチミツビスケットを側にセットしてくれて、モーリーの反対側...私を挟む様に座って、両手で左手を包み込む様にしながら擦ってくれて。
「温かいうちに、お飲みくださいませね?」ってカップを持たせてくれる。
扉の前に騎士が並んで。
従士の皆が私の座るソファを囲むように立っていて。
狭いお部屋ではないけれど、何となく圧迫感がある...。
人数は多いのに、カップを置く音が響くほど、しんとした静けさが部屋の中にはのし掛かっている気がする。
それは重い静けさだけど、無理に抉じ開ける気がしない静寂。
モーリーに凭れながら、キャシーに手を握られながら、二人の温もりを拠り所にして...ショールがまるで砦の様に守ってくれるみたいに思いながらただ座ってた。
「エミーリアッ!!」ダダダダッと走る音とバンッ!と開いた扉から、テセウス様が飛び込んでいらした。
「良かった...!無事で良かった...!エミーリア」
ギュウウッと抱き締められて、私の肩口でテセウス様が震えながら良かった、と繰り返し...。
騎士たちが一瞬で剣を抜いて、テセウス様に突き付けているのをウェスダーさんが「神父長官だ...。抜刀止めて良し。」と瞬間で止めてくれてた。
「テセウ...サンドーム神父さま、血が...!」
微かに首筋に剣先が掠めたのか、ジワリと浮かんだ血に慌てて。
でもテセウス様は、「そんなものは舐めとけば治ります!エミーリアが無事な事以外は些事!ああ、顔をよく見せてくださいエミーリア?」
と、震えながら確かめるように私の頬を撫でて、肩を腕を撫でて、安堵の吐息を洩らすのは...皆が見てるけど...テセウス様は全く意に介していない。
なんだかそんなテセウス様が愛しくて嬉しくて...ちょっと浮上してきた。
「ふふふ。良かったですね?エミーリア様。」
モーリーが微笑んで立ち上がる。
「...本当に。ええ、本当に...!」
キャシーの声は若干、怖い...。なんだか鬼のオーラが見える様な...?
「サンドーム神父長官はエミーリア様がお生まれになられた頃からの知己でらっしゃるとお聞きしております。生誕の洗礼も、成人の儀もサンドーム神父のお手でなされた程深く慈しんでらっしゃったのだと。
エミーリア様の父君のような眼差しでご成長を育んでらしたのでしょう。珍しく取り乱してらっしゃる様ですが...ですよね?サンドーム神父長官?...ええ聞いてないですね、このご様子では。
キャシーはエミーリア様のお部屋を調えて、モーリーはトレイを下げて、二人とももう今夜は下がって宜しい。」
スッとドアから入ってきたニイゾノさんが騎士さんたちに向けて、どこかキリッとした笑顔を浮かべながら、パンパンッと両手を叩いて、私の横からモーリーとキャシーとが離れていく。
モーリーはニコッと微笑みながら、キャシーはもう一度私の手を撫でて。
二人とも綺麗な礼をして、下がっていった。
「そういった訳ですので、騎士の方々は私、聖女様の執事であるニイゾノが詳細お聞き致します。先程随行の神官からは神父長官と共に状況は聴いておりますが、他にも第3で押さえている情報等があるでしょう。神殿からの命も頂いておりますので、仔細開示していただきましょう。
...エミーリア様、神父長官様にお部屋に付き添って頂いて、本日はおやすみになられては如何でしょうか?」
テキパキとニイゾノさんの指示が飛ぶ。
「はい...!やすみます!」思わず背筋が伸びてしまう。
「...神父さま、お部屋に付き添って...下さいますか?」
ギュウウッと抱き締め続けるテセウス様のお袖をツンツンと引っ張った。
ハッ!と音が聞こえるんじゃないか?と言うくらい、テセウス様が一瞬硬直して、いつもの柔和な眼差しで私を見て、「もちろんです、エミーリア。」って幼子にするように頭を撫でてくれて、「...借りができましたね。」と、続いて呟いた言葉は聞き取れなかった。
抱き上げようとするノースさんは、ニイゾノさんに捕まって、テセウス様が私を幼子にするように真っ直ぐに抱き上げて、背中をトントン、と軽く叩きながら応接室から出る。
何となく騎士さんたちには微笑ましげにどこか温かく眺められていた気がしないでもない。
ああ、テセウス様に抱っこされるの、今日は二度目だ。
ぴっとりとテセウス様の身体にくっついて身を任せるのは、帰ってきたって実感が大きくて安心する。
暫く無言で抱っこされながら、長い廊下を通り、階段をゆっくりと上がって下さる...。
部屋の前でキャシーが凛とした美しい姿勢で立っていて、ドアを開けてくれる。
「もう下がって宜しいですよ、キャシー。」
私をソファへ降ろしながら、テセウス様がキャシーを遠ざけようとする。
「お召し替えがございますわ。」
冷たく聞こえる位の抑揚の無さで、キャシーが直ぐにテセウス様に言葉を返す。
「...大丈夫。キャシー、ありがとう。...もう休んで?」
部屋に入った途端になんだか全身の力が抜けたみたいで、力無くだけど笑ってキャシーにおやすみを伝える。
渋々キャシーは「何かありましたら直ぐにお呼び下さいませね?わたくし、飛んで参りますから!」って両手を握って。
静かにドアが閉じた。
「...テセウス様...!」
「エミーリア!!」
テセウス様の腕の中にぶつかるように飛び込んで、背中へとしがみついて...私はぼろぼろと涙が溢れて止められなくなって。
エグエグとしゃくり上げながら色んな気持ちを伝えたいのに言葉に成らなくて。
「エミーリア!エミーリア...!!」
テセウス様は私の名前を呼びながら、抱き締めてくださりながら、髪に、目蓋に、額に、頬に、鼻に、唇にとキスの雨を降らせてくれる。
「テセウ...ス様ッ...私...私聖女なのにっ!助けられなかったの!助けられなかったの!何も出来なかったの!なんで...なんで?!」
必死に吐き出した言葉はさっきから胸の中で突き刺さってジクジクした痛みを生んでいた言葉。テセウス様にすがり付いて泣きながら漸く言葉に出来たそれ。
目を瞑ると折り重なるように倒れ伏した人影と、横倒しになったまま微動だにしない馬体のシルエットが浮かんでくる。
「エミーリア...!!大丈夫です、大丈夫。貴女が貴女であるだけで、それだけでいいのですからね?悔やんでも何をどう足掻いても取り返せないのは死なのです...。思い悩んではいけない。貴女が貴女が無事でそれだけで私は...!!」
テセウス様がきつく私をその胸の中に閉じ込める様にしながら抱き締めて。
「私は...貴女が襲撃に遇ったと聞いた瞬間、人としてあるまじき願いを胸に描きました...!本当に...貴女が無事で良かった。貴女が居ない世界など想像したくも無いのです...」
私を掻き抱きしめるその腕は震えていて。
「テセウス様...お願いです...私を抱いて?」
「エミーリア、お願いします。抱いてもいいですか?」
二人同時に紡いだ言葉に一瞬だけ見つめ合う。
テセウス様の奥歯からギリッと音がして、唸る様に喉の奥が鳴って。
引き裂く様な荒々しさで脱がされて。
私も貪る様にテセウス様の口に唇を押し付けた。
テセウス様の整った髪に両手の指を差し入れて隙間を無くしたいと唇を貪る。
深く、深く掻き交ぜる舌がどちらの口腔を蠢いているのかも解らないくらいに互いの舌を絡めていく。
テセウス様の手が遠慮無く私の乳房を握り、押し潰しながら捏ねて、痛い程のその快感を貪る。
腰を絞める程強く抱き上げられて、シーツの上に仰向けに投げられ、毟り取る様にご自身の神服を脱ぎ捨てていくテセウス様に向けて、淫らに脚を広げながら両腕を差し出して「来て...?」とだけ、声を出す。
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