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第一章 嫌われ貴族の明かない夜は長い、側仕えの明けない夜はない

側仕えへの疑惑

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 今日も慌ただしく客人を迎えるための準備を行う。
 レーシュが懇意にしている商人たちとの会合らしい。
 ただ気持ちが楽なのは、貴族ではなく商人であるためだ。
 大部屋の客室に客人たちを案内していく。
 全員が揃ったところで、レーシュとサリチルが入室して会合が始まった。
 五人の商人が真剣に木簡や羊皮紙を読みながら、各自が報告や意見の交換をしていく。
 私では全く分からないので、カップを飲むときの傾き具合から判断して、紅茶を淹れることだけに集中する。


「この前の香水は領主様のおかげで売れ行きはいいですね」


 ターバンを付けた若い商人ははにかみながら木簡を叩く。
 舞踏会で香水は彼が卸したものらしく、領主が率先して買ってくれたおかげで商売がうまくいっているようだ。
 だがレーシュはあまり浮かないようだった。


「そうだな。だが他の貴族から嫌味を言われることも多くなっている。いつ手を出してくれるか分からんから、先に献上品を贈ったがどうなることやら」


 商人たちはあくまでレーシュを通して商売をしているため、全ての責任はレーシュが負うことになる。
 しかしレーシュに何かあれば巻き込まれるのは商人たちだ。
 少しばかり気持ちを引き締め直し、再度今後の販路について打ち合わせをしていく。
 温かい紅茶をレーシュも口に入れると、少しばかり顔が綻んでいた。
 毎日遅くまで仕事をしており顔色もあまり良くないが、人前に出るときには上手く隠すものだ。
 貴族社会で弱みを見せたら、骨までしゃぶられると言われている。
 舞踏会を見る限り、頼れる人間があまりいないのだろう。
 少しでも緊張を取れるといいのだが。


「あとは茶葉だが、もう少し量を増やせないのか? 価格をもう少し抑えたい、最近は上がる一方だ」
「それなのですが、やはり輸送費の兼ね合いからこれ以上は厳しいですね。特に最近は魔物が茶畑を荒らしますので。まあ、それは野菜全般に言えるのですがね」


 別の商人が答えた。
 街の中は住宅が密集しているため、どうしても郊外やその土地に合った農作物でしか作ることができない。
 価格が少しでも下がるのは嬉しいが、やはり貴族でも簡単に良くすることはできないようだ。


「ところで──」


 また別の商人が私を見た。
 どうやら他の者たちも興味があったようで一斉に注目が集まる。
 一体何かやってしまったのかと身構えた。


「このお嬢さんは平民に見えるのですが、貴族の側仕えは平民でもよろしかったのですか?」


 馬鹿にしているのではなく、ただ好奇心で聞いているようだった。
 ただ全員がそうではなく、目をギラギラとさせてまるで獲物を狙う獣のようになる者もいる。

「本来はそうだが、残念ながら我が家の資産は決して多くはない。臨時収入があったとはいえ、それを当てにして使用人を増やせばすぐにお金も無くなるのでね」
「ほう、それでしたら私の伝手で有能なメイドを何人か献上いたしますよ」


 商人の中でも最年長の髭商人が自分の顎髭を触りながらレーシュへと提案した。
 こういった些細なことでも商売に繋げようとする逞しさが、着ている上等なお召し物になったのだろう。
 だが女性が来ることを喜びそうなレーシュがすぐに首を横に振った。
 代弁するようにサリチルが発言する。


「心遣いはありがたいですが、この娘は冒険者もやっておりました。レーシュ様の命を狙う輩もいるので、ある程度の武芸がなければ不幸な未来が待っているでしょう。そんな特殊技能を持った側仕えは、なかなか見つからないのではないですか?」


 側仕えの条件がどういったものか分からないがみんなが悩み出したので、私が想像しているより採用基準がしっかりとあるようだ。
 私としてもせっかく仕事を覚えてきたのに、新しく来た子に高給な仕事を奪われることだけは避けたい。


「ちなみにそのお嬢さんの月給はおいくらですかな? その額に見合った令嬢を探しましょう」
「旦那様、大変申し訳ございませんが──」
「ほう、綺麗な令嬢がいるのか?」


 サリチルの言葉を遮ってレーシュは興味深げだった。
 この男はまだ自分好みの側仕えを欲して止まないらしい。
 レーシュの歓心をもらったことで髭商人も好機と見たのか、ぐいっ、と体を前へ倒す。

「もちろんたくさんおります。レーシュ様の好みでしたら熟知しておりますので。ですから予算さえお伺いさせて頂ければと思います」
「そうかそうか」

 レーシュはまるで夢の世界に落ちたような顔で私へ笑顔を向けてくる。
 何だか腹立つ顔でだらしなく鼻の下が伸びているので、一度トレーで顔を殴ってあげたい。

「エステル君、君の月収はいくらかね。心配するな、君の働きは知っているから解雇になんてしない」


 みんなが私の言葉を待っている。
 サリチルは手で顔を抑えており、私を見て頷いた。
 仕方なしと命令されたので嘘偽りなく答えた。


「小金貨一枚です」


 先ほどまで少し騒がしくなっていた空気が一気に静まった。
 商人たちは驚きで目を開き、レーシュは笑顔のまま固まっていた。
 髭商人は乾いた笑いをしながらもう一度確認してくる。


「ちょっと最近耳の調子が悪くてね。もう一度聞いてもよろしいですかな?」
「小金貨一枚です」

 髭商人は手をこめかみに抑えていた。
 そしてもう一度深呼吸をして、笑顔のまま固まっているレーシュへ向き直した。

「大変申し訳ございません。流石に小金貨ほどの価値がある侍従に心当たりはありません。差し支えなければ、どういった基準でその価値を付けられているのかご教示頂けますでしょうか」
「あ、ああ! それはだなっ! 今は教えてやれん!」


 かなり動揺したレーシュを見れたことはかなりスカッとしたが、どうして雇い主が知らずに私にそんな給金が設定されているのだ。
 ターバンを付けた商人は何か深く考えていた。

「最近だと冒険者も階級制度がかなり定着しています。お姉さんの冒険者ランクはどれくらいですか?」

 冒険者として登録するとその実力に合った仕事を紹介される。
 私も何度か利用しており、近場に出現すれば時々狩っていた。
 一度階級が上がったので、もしかしたらそれで高待遇になったのかもしれない。


「私は──」
「それくらいにしておきましょう。レーシュ様からも秘密と言われましたので」


 サリチルが口を挟んだことであやうくのところで言葉を引っ込むことができた。
 深く考えずに答えようとしたが、どうやらサリチルにとってあまり喜ばしくないようだ。
 他の者たちもそれ以上聞いてくることはなかったが、チラチラとこちらを見てくる。
 商人たちとの会合も終わってから、私はレーシュに呼び出された。
 サリチルも同席しており、考えなくても先ほどの給金のことだろう。


「さて、今なら誰もいない。サリチル、さっきの話はどういうことだ?」


 厳しい目をサリチルへと向けていた。
 お互いに給金についての共有はされていないようで、信頼の証として裁量があるといえば耳触りはいいが、逆に言えばもし何か過ちがあれば気付けないことになる。


「エステルさんの給金がどうして小金貨ということでしょうか?」
「当たり前だ!」

 机に思いっきり拳を振り下ろす。
 大きな音を立てて、彼の怒りが込められているのがわかった。

「金がないことは知っているはずだ! それなのにどうして貴族の社会すら知らない娘に大金を支払わないといけない!」


 かなり高い給金だと思ったが、やはり貴族でも安くはないようだ。
 私は雇われただけなので、この二人のやりとりを黙って見ているしかなかった。


「エステルさんはそれに見合うだけの価値があるだけです」
「この田舎娘がか? 報告では文字も読めないのにどんな価値があるんだ!」


 かなり耳の痛い話だ。
 私も分相応な賃金だと思っていたが、レーシュも納得していない。
 正直に言えば私も賃金に見合っていないと思っていた。
 これは自分から退職願いを出したほうがいいのだろうか。


「レーシュ様、最近貴方様の命を狙う輩が増えていることはご存知ですか?」
「もちろんだ。だから使用人を全員この家から追い出した」


 お金がないから太った貴族に売ったのかと思ったが、暗殺者から守るためであったことに彼なりの優しさがあることを知る。
 一体それがなんだと言いたげだったが、サリチルからの言葉で一変した。

「エステルさんが捕まえた暗殺者の数は十三人です」
「は?」


 そういえばそれくらいの数は捕まえた気がすると思う。
 屋敷に侵入しようとした輩がいたので、気絶させてサリチルに任せた。
 全員がまだ未熟のようだったので簡単に捕まえることができたので、あれで実力がわかるのかは怪しいところだが。


「舞踏会でもレーシュ様は命を狙われたそうですが、それにお気付きになられましたでしょうか?」
「舞踏会だと? 何を言っている……」
「毒針を放つ輩がいたそうです。それを誰にも気付かれずに防いだのです。私が厳命した騒ぎを起こさずに守るということを簡単に成し遂げられる方なのです」


 レーシュは一度深く考える。
 ぶつぶつと何かを呟いて頭を整理しているようだ。
 そしてやっと考えがまとまったのか、再度私を見た。

「おい、田舎娘」
「はいッ!」
「サリチルと一本勝負をしろ」


 仰っている意味を理解するのに時間が掛かった。
 私がサリチルと戦ってどうするのだろう。
 だがサリチルも良案だと頷いている。

「降参するか、剣を手放した方が負けでいい。怪我をしてもらっても困るからな」
「えっと……それに勝てば私の給料も小金貨のままということですか?」
「ああ。サリチルは騎士の訓練も受けていた。それに勝てるのなら払ってやる。ただ負けるようなら出ていけ」


 勝手な言い分だが、雇い主の言うことは絶対のため私に拒否権はない。
 サリチルもしょうがなしと、お互いに一度服を着替えて中庭に集まることにした。
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