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第二章 側仕えは慌てて駆け出し、嫌われ貴族は無様に転んでしまう

側仕えと神殿

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 お茶をご馳走してもらったことにお礼を述べた。
 まだこれからも取引を続けてくれるという確約はもらえなかったが、取引をやめるということも明言しなかったので私たちにしては上出来だったのではなかろうか。
 今後の動き次第で彼はずっとこちらの味方に付いてくれるはずだ。
 私はお別れの握手をした。

「ありがとうございました」
「いえいえ、まだお役に立っておりませんから。なんにせよお気をつけてください。ここは敵ばかりですからね」


 敵ばかりと言われて今日の買い物の趣旨を思い出した。
 まだ何もお使いの仕事を達成していない。

「ねえ、ここらへん食べ物を分けてもらえるところはない? 今のままだと食材すら手に入らなくて困っているの」
「あー、そういえばそうでしたね。俺だと足がつくから一度神殿に行ってみるといいかもしれません」


 神殿とは神国から布教のために派遣された神官が住まう建物のことだ。
 平民も行事などで利用したりするので、持ちつ持たれつつの関係であった。
 確かにそこなら変なしがらみが無く、私たちのような厄介者にも迎えてくれる可能性があった。

 ──そういえばラウル様はあちらに残られたのかな。


 たまに城であってはナンパまがいのことをしてくるが、新しい神殿の建設についてずっと話し合いで滞在していると言っていた。
 そうするともうすでに港町には神殿もあるため、あちらに帰るまではしばらく会うこともないだろう。
 ターバンの商人から別れてマレインと共に歩き出した。
 しかしマレインの表情は曇り、誰もいないことを確認してからぼやいた。

「神殿ですか。あまり行きたくはありませんが、背に腹は変えられませんね」


 誰に対しても優しい顔を向ける彼女にしては珍しく、神殿自体に良い感情はないようだった。
 他の貴族も似たような反応だったので、貴族全体で同じ認識のようだ。


「そう言えば貴族様と神官様ってどちらも嫌っているけど、同じ貴族なのにどうして仲が悪いの?」
「嫌いというわけでもないですが、家で厄介者扱いされる貴族が無理矢理預けられるのが神殿だからです。ほとんどの方が望んで神官になんてなりませんし関わりたくもありません」


 貴族社会の常識にまたもやぶち当たる。
 いつもラウルは楽しそうに仕事をしていたので、神様を信じる貴族が信仰心が強すぎたために神官になるのだと思っていた。
 ただラウル自身はかなり特殊な人間な気もする。

「そう言えばラウル様って、どのお貴族様もご存知ですが高名な方なのですか?」
「エステルはラウル様と会ったことがあるの?」
「ええ何度か。一度殴って気絶させたらレーシュ様からお叱り……をぉ——?」


 空気を和ませるために出したのにマレインの顔が青くなっていた。
 一体どうしたのかと思っていると、マレインは私の心配をした。

「ラウル様を攻撃して大丈夫だった!? もしかしてご家族が弟様しかいないのも──」
「ちょっと落ち着いて! 一体どうしたの? 何も起きていないから安心して。今では良きお友達? でもないけど、とにかく何も起きてないから! 相手も私だと気付いていないはずだし」

 レーシュもあの時は慌てた顔をしていたがマレインの取り乱し方はそれ以上だ。
 もしかすると私は想像以上に危ういことをしたのだろうか。

「エステル、あまり危険なことはしないで! もしラウル様を攻撃したなんて神国に話が流れたら、国同士で戦争が起きるかもしれないのよ!」
「そ、それほどなの!?」
「当たり前よ。ラウル様は神国の英雄様で下手すれば領主様よりこの国で発言が重かったりするのよ!」


 ──あの冷酷そうな領主様より!?


 領主より偉い人なんて、この国の国王くらいしかいないと思う。
 それと同格以上の発言権って、他国である神国との関係性はしっかり知っておかないといけないのでないだろうか。
 指導役のイザベルから早く教えてもらわないといけない。
 しかしレーシュがラウルに煽った発言をするのはどうなのだろう。

「でもレーシュ様は結構ひどい言い方をしていましたけど大丈夫なの?」
「良くはないですが、やはり神国の英雄とはいえ出来ることに限りがあります。旦那様はそこを突くのが上手いので大丈夫ですが、エステルはまだ貴族の常識を知らないのだから、私がいないところで無茶だけはしないでくださいね!」
「はい……」


 マレインの初めてのお叱りを受けて反省した。
 教えてもらった目印を辿りながら、大理石で出来た平屋建てを見つけた。
 都市にもあったらしいが、残念ながら見つけたことがない。


「おや、お客さんですか?」

 後ろから聞き覚えのある声が聞こえてきたので振り向くと、またもや見知った顔がいた。
 マレインもまた驚きで固まっている。
 ラウルがこの町に来ていたのだ。
 彼も私だと気付いて、満面の笑みで再開を喜ぶ。

「エステルさんではないか! これは良くお越しくださいました」

 大仰に礼をしてくるのがこの人らしい。
 そして隣にいるマレインにも近づき、膝をついてマレインの手を持ち挨拶をする。

「これはこれはまたお綺麗な方だ。私の名前はラウルと申します。どうぞお見知りおきくださいませ」
「え、ええ。わたくしはマレインと申します。モルドレッド様の側仕えでございますので、どうぞ今後もよしなに」


 このたらし男は出会う女性、みんなにしているのではなかろうか。
 だがマレインは顔を赤らめることはせず、少し表情が固くなりながらも挨拶を返した。
 一瞬ラウルの顔が歪んだのは、おそらくレーシュの名前を聞いたからだろう。
 ここは私が対応した方が良さそうだ。


「どうしてラウル様もこちらに?」

 ラウルはマレインの手を離して立ち上がった。


「ふむ、アビ・ローゼンブルクから直接のご依頼をいただきましてね。治安が悪くなって不安な国民が大勢いるので支えてほしいと。神に仕える者として神の子たちには等しい幸せをおくることを望んでおります」


 ──領主様ってけっこう平民想いなんだ。


 レーシュへいつも厳しく接するので意外な一面を見た気がした。
 知らない町でこうして知り合いに出会えるのはありがたいことだ。

「なら今後ともよろしくお願いいたします」
「もちろん。ところで今日は何か用があったのかな?」
「それが──」


 買い物をしようとすると断られたことを説明すると、覚えがあるようだった。
 立て札に書いてあったことを思い出したらしい。
 レーシュに対して思うところがあるようだが、一瞬だけ悩むだけですぐに了承してくれる。


「モルドレッドにあげるのは癪だが、君たちにまで被害が出ているのなら捨ておけんな。あまり多くはあげられないが数日分くらいは分けてあげられるだろう」
「ありがとうございます。お金もお渡ししますのでよろしくお願いいたします」


 特にお金に困っているわけではないので、しっかり代金は支払う。
 ここのお金は生活に困る者達が使うべきだ。
 ラウルもごねずに受け取ってくれた。

「ただやはりその件はどうにかしないと立ち行かなくなるだろう。モルドレッドに何か秘策は聞いていますか?」
「今は熱が出てそれどころじゃない状況でして」


 情けない、とラウルは頭を押さえる。
 すぐにでも元気になって私たちを引っ張ってもらわないと餓死してしまうだろう。
 今の私たちではこの現状を解決するにはあまりにも力がない。

「でもどうしてこんなに目の敵にされるのですか? 昨日だって海賊を追い払ったらこっちが悪者にされてしまいましたし」
「そうか、君は事情を知らないのだったな。ここは貴族よりも海賊の方が立場が上なんだ」
「どうしてですか!?」


 海賊が貴族よりも立場が上なら統治が意味を為さない気がした。
 もしかするとターバンの商人が言ったことはこのことだろうか。


「海が凶悪な魔物に支配されて、誰も海を渡ることはできない。神国ですら何年も魚介類なんて口にしていないからね。だがこの国でこの町だけはそれに縛られない」
「海賊がいるから?」
「ああ、海賊の頭は海の加護を持っている。だから彼の船団だけは無事に航海ができるんだ」
「それでお貴族様も言いなりになったのですか?」
「もちろんその後に海賊を倒そうとした貴族もいるが、悲惨な末路を迎えたらしい。モルドレッドは社交で情報を集められないだろうから、海賊と貴族の関係が逆転していることも知らないだろう」


 初めから私たちはかなり不利な立場になっているようだ。
 でも側仕えの私では剣以外で役には立てない。
 早くレーシュに復帰してもらうしか打開する方法がない。

 食材をいくつかもらって箱詰めしてもらう。
 お金を支払って持とうとするとラウルがひょいと持ち上げてくれた。

「これくらいならお運びしますよ」
「そんな、ここまで良くしてもらっているのにそれ以上は——」
「なら今度こそお茶でもお願いします。それに私も来たばかりでまだここの地理に詳しくないのですよ」


 あまりこの人と関わるとろくなことにならない気がするので断りたい。
 マレインに助けをもらおうとしたが、彼女も首を振って諦めていた。

「ではお言葉に甘えさせていただきます」

 ようやくご飯を手に入れることが出来たことに安堵した。
 神殿を出てから来た道を戻ろうとすると、前方からこちらにやってくる大勢の気配を感じる。
 どうやらラウルも異様な雰囲気を感じ取っているようだ。


「うむ、少しばかり面倒なことが起きそうだな」


 ラウルは荷物をその場に置いて、腰に刺しているレイピアを取り出した。
 どんどんこちらに向かっている人たちが見えてきて、おそらくは昨日襲ってきた海賊の仲間だろう。


「マレインは私の側を離れないでね」
「は、はい!」


 戦いの術を知らないマレインには大勢の男は恐怖の対象だ。
 私がいる限りはこの子に指一本でも触れさせる気はない。
 ラウルも私たちを守るため前に出て大きな声を上げた。

「止まれ!」


 遠くまで響くほどの声量によって海賊がどんどん止まっていく。
 普段は女たらしだが、いざというときにはこうやって守ろうとしてくれるので、彼の人柄だけは信用ができる。
 海賊の何人かもラウルの白い髪を見て、恐れ慄く者もいた。


「ここからは神殿の敷地ということを知って来ているのか? もしそうなら神国を怒らせることになるが、貴方のリーダーは納得しているのだろうか!」


 神国の名前を出した途端に不安がどんどん大きくなっていくのがわかる。
 このまま退散してくれと思ったが、先頭にいるベレー帽を被るサーベル使いは舌なめずりをしていた。

「当たり前だ。ウィリアム海賊団に手を出したんだ。落とし前にはつけねえとなめられるじゃねえか」


 ラウルはそれをした人物にすぐに思い当たり私を見た。
 大変申し訳ない気持ちで謝る。


「それでお前たちはこの子達を襲いに来たのか? ウィリアム海賊団は野蛮だが非道ではないと思っていたが、その評価は改めないといけないな。リーダーがいれば叱ってやったところだ」


 ラウルはレイピアを帽子の男に突きつける。
 しかしいきなり帽子の男は激昂した。

「そんなわけねえだろう! モルドレッドの使いなら、護衛をしている男のことを聞けるだろうがぁ! それを聞いたらすぐさま解放してやる」


 護衛は私です。
 しかしどうして男だと思っているのだ。


 ──もしかしてちゃんと伝わっていない?


 おそらく女の私に負けたことを恥と思い、襲ったきた男たちが嘘をついたのだろう。
 それならばここで私が名乗れば、引いてくれるだろうか。


「なら早く解散してください! 追い払ったのは私です!」


 後ろから顔を出して声を出した。
 これで帰ってくれという思いで発したのに想定外の反応が帰ってくる。

「お、お前が? クククッ、ハハハハッ!」


 帽子の男につられて海賊たちが一斉に笑い出した。
 腹立つ光景にこの男たち全員を同じ目に合わせたくなった。


「お嬢ちゃん、庇いたいのは分かるが隠すのは良くないぜ。あまり下手な嘘が続くなら、暴力は振るわないが連れ去るくらいはするかもしれないぜ」
「嘘も何も、レーシュ様のお屋敷には男性の使用人は誰もいません!」
「あん?」


 サリチルと料理人は男だが、まだこちらに来ていないので嘘は言っていない。
 怒りの声をあげたがやっとこっちの話に耳を傾けたようだ。
 後ろの仲間に大声をあげて誰かを呼び出した。
 怯えた顔でやってきたのは昨日襲ってきた中で見かけた気がする男だ。

「おい、お前は確か男に負けたって言ったよな? あの女の言ったことは嘘か? それともお前が嘘をついたのか?」


 恫喝する彼の姿に周りの人間たちも緊張が走っていた。
 どうやら彼らは本物のクズではないようだ。
 仲間は涙を流しながら、帽子の男に懇願する。

「ずいまぜん! 女にやら──!」
「女に手を出すなって掟を忘れたんじゃないだろうな! 俺にその掟を破らせようとしたのか!」


 殺気立った様子で仲間の胸ぐらを掴んで持ち上げる。
 筋肉質だが細い体をしているのに、その二倍くらいありそうな男を簡単に持ち上げるのは、彼が実力者として率いてきたことがわかる。


「てめえ、俺に恥をかかせやがって!」

 片手で仲間を放り投げた。
 浮き上がった体が地面にぶつかりただでは済んでなさそうだ。
 帽子の男は怒りに満ちた目をこちらへ向ける。

「だが女に負けたとあっちゃ、示しがつかねえな」
「なら私が発散の相手になろう」


 ラウルを見返す帽子の男は今にも飛びかかってきそうだ。
 サーベルを肩に置いてどんどん殺気が強くなる。
 だが急にフッとそれも消えた。


「いいや、これはこっちの落ち度のようだ。だがな、その女の主人にはしっかり落とし前をつけてもらう」
「それは護衛しているこの娘を狙うのではないのか?」
「はっ! やり方はいくらでもある。いいか、戦わない方法というのを教えてやるよ。これでもこの海賊団の参謀なんでね。普通なら挨拶代わりに脅すんだが、女が護衛ならその手も使えねえ。だからお前らの主人に償ってもらう。せいぜい新しい管理者様にもよろしく言っておいてくれ」


 本当に女を襲う気はないらしく、仲間を引き連れて帰って行く。
 だがこれから買い物もできないのなら、どうにか方法を考えないといけない。


「私にも考えがありますので、エステルは旦那様をお守りください」


 マレインもこのままでは危ないと思ったのだろう。
 来て早々に大変な目に合い続け、私たちは屋敷に戻ってもどうにも落ち着かないのだった。
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