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高校本気編

ちょっとぐらい大丈夫

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 待ち合わせの時間は深夜〇時。ウチから黒廻川と白廻川が交差する橋のところまでは二十分もあれば着くだろう。余裕をもって十一時半に家を出ればいい。それまでに父ちゃんと母ちゃんに、なんとか一言、挨拶しようと思った。

 しかし、こんな時に限って二人はさっさと風呂に入って寝てしまった。なんだよ、と思いつつ時間が来るまでまんじりともせず部屋で時間を潰した。

 そろそろ出かけるか、と思った時、やはり俺は両親に挨拶しようと決意した。異世界への挑戦は、当たり前だが失敗する可能性の方が高い。だから親への挨拶は不要な行為なのだろう。

 しかし、もし万が一、成功したら、こっちの世界に悔いが残り、それでは冒険に邁進できない。俺は何の後悔もなく異世界に旅立ちたいのだ。

 俺は両親の部屋の前に立った。何やら物音が聞こえる。起きているようだ。ちょうど良かった。そして、咳払いを一つ、おもむろにドアを開けた。父ちゃんと母ちゃんと目が合った。

「……」

 俺はそっとドアを閉めた。ノックをしておけば良かった。これ以上は何も聞かないで欲しい。


 後悔も吹っ飛び、逆に吹っ切れた俺は、物音が一つもしないように気を付け、家を出た。最後に、小ぶりではあるが一戸建ての我が家を見上げた。今生の別れかもしれないし、そうではないかもしれない。どちらの方が残念なのかはわからない。

 月明りの下、河川敷を一人歩く。残念ながら満月ではなく、三日月ですらなく、檸檬のような形をした、ある意味最も緊迫感のない月である。この時間に一人で町を歩くのは初めてかもしれない。

 すると、前からどこかで見たようなシルエットの二人組が月明かりに照らされた。だんだん近づいてくると、シルエットの正体がわかった。豪田と滑川であった。

 これから大事な時に、なんでよりにもよってこんな二人と出くわさなくちゃならんのだ、と我が身の不運を嘆いた。しかも、葉月さんたちを除いたら、最後に会うクラスメイトになる可能性(低いけど)もある。最悪と言っていいだろう。

 薄暗い檸檬の月の月明かりでもお互いが認識できる距離にまで近づいた。何も話しかけてくれなければよいが。

「よぉ、荻窪田」

「よぉーッス」

 残念ながら二人が声をかけてきた。見ると、肩に釣竿を下げている。夜釣りといったところか。校内カースト上位気取りにしては、生意気にもそこそこな趣味である。

「あぁ……」

 一応、返事はしといた(返事と呼べるかどうかはわからないが)。俺は礼儀は重んじる。

「どこ行くんだ?」

 まさか、ついて来る気じゃあるまいな。だとしたら、全てが台無しになる。

「あぁー、ちょっと用事があって……」

 俺はお茶を濁した。濁し切れるかどうかは自信がないが。檸檬の月に祈るしかない。

「そうかぁ……。この先、もっと暗くなってるから、足元、気ィつけた方がいいぞ」

「え……!」

「満月だと、もっと明るいんだけどな」

「へぇ……。そう……なんだ」

「じゃあ、俺ら行くから」

「また明日な」

 二人は俺に手を振って行ってしまった。つられて俺も手を振った。

「うん、ありがとー……」

 まさかの気遣いに心底驚いた。

 なんというか、学校で会う彼らとは全然違う感じがした。この違いはなんなのだろう?

 ひょっとしたら、学校以外での彼らは、いつもなのかもしれない。ということは、本当の彼らはなのかもしれない。だとしたら、学校という場が、彼らをあんな風にしているのかもしれない。

 学校がなければ、そもそも「校内」カーストなんて存在しないのだから。

 俺は彼らに言われた通り、暗い足元に気をつけつつ、先を急いだ。


 現地に着くと、既に原先生と葉月さんがいた。

 驚いたのは優紀が既に来ていたことだ。来るかどうかも怪しかったのに俺より早く来ていた。それに、来るとしたら俺んちに一声かけてからだと思い込んでいたので、ちょっと軽くショックだった。なんかスルーされた感じ。

 そして、何やら葉月さんと楽しそうにタブレットを見ながら話している。まぁ、仲直りしたのなら良い傾向だ。もっとも、ハッキリと喧嘩していたわけではないが。それが女の怖いところだ。

「こんばんはー」

 俺はみんなに駆け寄って声をかけた。

「あぁ、来た来た。こんばんは」

「あ、荻窪田くん! こんばんわぁ」

「遅いゾ、荻窪田ぁ」

 先ずは原先生に、わざわざご足労いただいたお礼を述べた後(屋外でも臭ってきた)、何を話しているのか気になったので、優紀と葉月さんに話しかけた。

「何話してるの?」

「今ねー、ゆうゆに水門の開閉のやり方教えてるの」

 聞き捨てならない単語が二つほどあったが、よりプライオリティの高い方を聞くことにした。ちなみに葉月さんが「ゆうゆ」と言った時、優紀の顔面の筋肉が一瞬強張ったのは見逃さなかった。

「水門の開閉って、優紀がやるの?」

「いや、いつもどうやって水門が開閉されてるのか、実は気になっててね。こんなチャンスでもないとわからないでしょ?」

「なるほどなー」

 ゴリ子がそんな社会見学的なものに興味があるとは意外だった。もちろん、口には出さなかった。

「専用のアプリで開閉するんだよ。ホラ」

 葉月さんがタブレットを俺にも見やすい角度にしてくれた。

「これをこういじれば、開いたり閉じたりするの。ね? 簡単でしょ?」

「なるほどなぁ。もっと、こう、鋼鉄のハンドルをひねる力技的なものかと思ってた」

「やだあ、荻窪田くん、そんな野蛮なことやってないよぉー」

「でも、よくお父さん貸してくれたね」

「違うよ。今日、パパ出張だから」

「ん?」

 質問と答えが噛み合っていない気がする。微妙に嫌な予感がする。

「あ、そうか。このタブレットは出張先のお父さんに電話して貸してもらったんだね」

「違うよぉ。パパの書斎にコレあるの、知ってたんだ、私」

「……と、申しますと?」

「だから昼間言ったじゃない、ちょっとぐらい大丈夫、って。もう忘れちゃったの? 荻窪田くん、おもしろーい」

 ものすごい屈託のない笑顔で姫は宣った。大丈夫、という言葉の主語は、怖くて聞けなかった。

 そこへ綺羅星がやってきた。スマホの時計を見ると、計ったように〇時きっかりである。少しの過不足もないところが綺羅星らしい。なにやら大きめのバスケットを手にしている。

 葉月さんの話だと、警備員の見廻りは深夜は一時、三時、五時の奇数時の二時間おきだそうである。水門が閉じて川底を歩けるようになるまでは三十分くらいかかりそうだと(根拠のない)予想が立てられている。

「じゃあ、全員揃ったところで、早速始めるか」

「はい! 始めましょう!」

 いよいよである。いよいよ、異世界への門が開かれる、その第一歩である。我々は二つの川が交差する橋の、その真ん中らへんに立った。二つの水門がよく見える。

「じゃあ、葉月さん、お願いします!」

「うん、了解! いっくよー!」

 葉月さんが、タブレットを操作する。ポンッ、シュッ、シュッと手際良く葉月さんの指が液晶上を滑る。

「はい、おっわりー!」

 え? それだけ? わずか三回、指を動かしただけだった。

 あまりにあっけなさすぎて、正直拍子抜けしてしまった。しかし、葉月さんのその指の動きは、どことなく魔導士を連想させ、逆に「らしく」思われ、すぐに気分が高まった。

 こうして、異世界への門を開くため、水門が閉められた。開くのに閉めるとはこれいかに? 我ながら上手いことを言ったが、なんとなく口に出すことはためらわれた(後でそッと優紀に言った。虚無の視線を向けられた)。
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