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異世界帝国編

濡れ鼠

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 いやあ、本当に来れるもんなんだなぁ。つーか、本当に来ちゃったよ。いやー、どうしよう。

 俺はしばらくこれといったことは何も考えられず、しばし、その光景に見入っていた。

 だだっ広い平野のほとんどは畑のようだ。細かいところまではさすがに遠くてわからないが、色が非常にカラフルで、黄色、桃色、黄緑色、紫などなど、淡い色合いの作物らしきものが区画ごとに分けられ、広がっている。そしてそれぞれの区画の中にはぽつんぽつんと建物らしきものが点在している。多分あれが家なのではないだろうか。

 その奥は更に遠いので詳細はわからないが、どうやら町になってるっぽい。何となく灰色っぽい茶色っぽい色彩で、何となく角張っている形のものが連なっているからだ。

 そして一番奥、遠くにそびえてるのが、どうも城的なものであるようだ。ここからだと流石に小さく見えるが、そこに至るまでの畑や町と比べると、巨大な建造物であることがわかる。形としては、全体的に太い鉛筆や細い鉛筆をいくつかくっつけてレイアウトしたようなものだが、細部まではわからない。

 見上げると、鳥とも違う動物が、空を我が物顔で飛んでいる。あれは、多分龍的な何かだろう。長い首、大きな翼、そして長い尻尾。恐竜図鑑で見た首長竜(首長竜は恐竜ではないのだが)に翼が生えたような形だ。

 これはもう間違いなく異世界だろう。日本の文化圏ではない上、地球環境ですらないように思う(息は吸えてるが)。

 原先生の論は正しかったのだ。さっきは悪口言って申し訳ないです。前言撤回させていただきます。

 そういえば、原先生と七瀬さんはどうしたろうか? 確か一緒に流されたはずだ。そういや、優紀もどうしたろう? 確かあいつ、俺の目の前に飛び込んできたよな。ひょっとしたら、みんなも川岸に流れ着いてるかもしれない。

 俺は来た道を引き返し、川へと戻ろうと体の向きを変えた。


 するとそこには、真っ赤な毛を逆立てた巨大な猫がいた。


 尖った三角の耳、長い尻尾。爛々と輝く目。しかし、二本足で立っている。いや、正確に言うと、片膝を立てている。異世界ってのは動物という動物が二本足で立つものなのか。うーん、ファンタジー。

 しかし特筆したいのはそのである。どことなく人めいている。何やら非常に苦しそうだ。そう、なんである。つまり、があるのだ。

 猫に表情筋はない。苦しそうな表情をした猫など見たことがない。顔の感じからすると、多分雌だろう。いや、雌と言うとしっくりこない。女……、いや、女の子、と言った方がいいだろう。まだ若い。これは……、これはまさか……。

 『獣人』というやつではないだろうか。

 これはもう異世界だ! 俺の求めていたものはこれだ!

 しかし、何やらその猫獣人は俺に向かって尋常じゃない殺気を放っている。牙を剥き、低い唸り声を発している。その表情はまさに猛獣のそれだ。俄かに恐怖が背中から立ち上ってきた。

 一体俺が何をしたというのだ? いや、単純に俺は獲物なのかもしれない。そうだ。獲物なのだ。状況証拠が揃いすぎている。山中である。デカい猫である。猫は基本肉食である。この女の子猫獣人は本日の朝食に俺を選んだのだ。不味いと思うぞ。

 思えば、殺気を感じるのは生まれて初めてだ。普段生きてて殺気を感じるなど、余程の職業の御方でないとないだろう。平々凡々に生きてきた俺にはそんなものはない。

 しかし今、俺は平々凡々の世界から逸脱したのだから、殺気の一つも向けられるものなのだろう。しかし、殺気を向けられているということは、非常に危険であるということだ。

 見るとその猫は、剣を構えている。切っ先は俺の方を向いている。

「御覚悟!」

 人語を話しやがった。御覚悟、って言った。御覚悟、ってことは覚悟しろ、つまり、やっつけるということだ。

 もうこれは疑いようがない。確定である。どういう理屈だかわからないが、この猫獣人は俺を喰おうとしている。ここは異世界だ。理屈など存在しないだろう。

 しかしこの猫、さっきも言ったように何やら苦しそうだ。息も絶え絶えである。絶え絶えではあるのだが、猫獣人は最後の力(のように見えた)を振り絞って立ち上がった。そんな無理しないでいいのに。

 そして彼女(で、いいと思う)は剣を構え、雄叫び(雌なのに叫びとはこれ如何に)を上げながらこちらに突進してきた。やられる! そう思った。やっと転移できたと思ったのにもうジ・エンドかよ……。やっぱ異世界になんて来るんじゃなかったか……。

 悲嘆と後悔にくれたその瞬間、俺の体は反射的に動いていた。

 両手を合わせて掌を猫獣人に向けたかと思うと、なんというか、掌にこう、冷んやりと力が貯まるというか、そんな感覚があって、そして力を入れると、今度は俺の掌から白い、そして極めて強い光が発せられた。

「まぶしっ……!」

 一瞬目くらましになって、その眩しさに目を閉じたが、ややあって目を開けると、猫獣人は氷漬けになっていた。カチンコチンである。

「ど、どういう……?」

 自分の所業ではあるが、そんな声が出てしまった。やはり、声に違和感がある。やっぱり、なんというか、自分で言うのもなんだが、……可愛いのである。

 それにしても、今のはどういうことなんだろう?

 自分の意思に関係なく、反射で事が起こってしまった感じだ。例えば、朝起きた時、特に何も考えもせず、自然と洗面所に行き、歯ブラシと歯磨きを出して歯を磨くような、ちょっと違うかもしれないが、割とそれに似てると思う。

「帝妃様ぁー!」

 突然、そんな声が響いた。声のする方を見ると、道を川の方からおっさん二人が走ってくる。二人とも濡れ鼠だ。

 一人はプロレスラーみたいなデカいおっさんで、髪は短く刈り上げられ、甲冑のようなものを身に着けて、いかにも勇者然としているが、なんだかやけにボロボロで、顔も腫れているところがある。それこそ試合後のレスラーといった風情だ。

 もう一人の方は特にこれといった怪我はなさそうだ。しかし、言っちゃ悪いが、何だかショボクレた感じのおっさんだ。真っ黒な髪はうっとうしいくらい長く、切ってやりたいくらいだ。マントも衣服も真っ黒で、こちらは魔導士といったところか。いやあ、異世界って感じになってきた。

「お怪我はありませぬか?」

 試合後のレスラーが問いかけてくる。

「はぁ、まぁ……、何とか……」

「誠に申し訳ございませぬ!」

 突然、レスラーが片膝をつき、それとは反対の腕の肘から先を地面に付けた。大男が俺の目の前で土下座ともちょっと違う、でもほとんど土下座をしたので焦った。むしろ怖かった。しかも、指を俺の足の甲に添えている。キモッ!

「一度ならず二度までも、この獣の襲撃を許し、あまつさえ、遅れを取るなど……! 恥ずかしい限りでございます!」

 割とうっとおしいな。何なんだこのオッサン?

 しかし、どうも話の内容から察するに、このオッサンは、負けはしたようだが、この猫獣人と戦ったらしい。だから、試合後のレスラーみたいにボコボコになってるし、猫獣人の方も息も絶え絶えだったのか。であるならば、

「いや、おかげで助かったと思います。この猫の人、相当参ってたんで、それでまぁ何とか……」

「おおおお! このような役にも立たぬ戦士に対して過ぎたお言葉……! もったいなき幸せにござりまする」

 いちいちめんどくせーなー。だから、役に立ったっつってんじゃん、マジめんどくせーなーコイツ。でも、また何か言ったらめんどくさいことになりそうだから黙っとこう。

 しかしこの人ら、俺と知り合いのようだが、どういった関係だ?
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