行くゼ! 音弧野高校声優部

涼紀水無月

文字の大きさ
32 / 48

あそこの舞台に立つのは俺じゃない

しおりを挟む
 全国区のスターがひしめき、華々しく開幕した音弧祭りの裏で、次期国民的スター候補生を逃がした(正確に言うとキャッチアンドリリースという感じだ)声優部は、会場となる小体育館の狭い楽屋で本番までの間、まんじりともせず待機している。

 ただ、体育館と言っても正式なバスケットコートが一面ある立派なもので、千人収容するには十分な広さだ。ステージ施設も一通り完備されており、普通の高校なら体育館と名乗ってもおかしくない。

 それもそのはず、以前の音弧野高にはこの体育館しかなかったのだ。そのため、充実した設備が揃っているのである。

 しかし、そうは言っても築年数は十年以上にもなる古い建物である上、今ではメインでの使用を大体育館に奪われ、中体育館の後塵すら拝する有様である。そのため、どことなく湿っぽく、実に場末感がある。こんな場所をあてがわれたのも、氷堂が参加しなくなったからだろう。氷堂が参加していたら中体育館くらいは用意されていたに違いない。

 氷堂の出演が取り止めになってからは声優部の公演には主な動きもなく、尻すぼみ感は半端ない。声優部の舞台に対する注目度は一気に下がり、上演自体が中止になったと思っている人も少なくない。

 代わりに主役となったのは流介である。普段はひょうひょうとして得体のしれない流介も、今日ばかりはさすがにナーバスになっているように見える。なんせ、氷堂に代役となったのだから。

 流介は衣装となる紺のテーパードパンツと同色のシャツを身に着け、床の一点を見つめている。衣装が一見地味なのは、一人芝居ということで、複数の役をこなさなければならず、衣装チェンジをする時間もないため、シンプルな服装にして観客に衣装を想像させるためであるらしい。

 さっきから黙ったままで、その表情も硬いような気もするのだが、それは薄暗くて湿っぽいこの小体育館の楽屋がそう見せているだけのことなのかもしれない。流介が本番前に緊張するなんて考えることは難しい。

 とはいえ、やはり緊張しているように見えるので、実際緊張しているのかどうかの確認も兼ねて声をかけてみることにした。しかし、もし本当に緊張しているのであれば、それ相応の気の利いた言葉をかけなくてはならない。どうしようかと思案した挙句、名案が浮かんだので俺は声をかけた。

「どう? 緊張してる?」

 シンプルイズベストだ。こういうのは直截に聞いた方がいいのだ。

「してるよ」

「え? そうなの?」

 返ってきた答えもシンプルだったので俺もシンプルに返した。

「そうだよ」

「そうかぁ」

 シンプルを通り越して間抜けな問答になってしまった。そうか、本当に緊張していたのかぁ……。だったら、俺が緊張を解いてやらなければいけない。俺ができるのはせいぜいそれくらいのことだ。

「まぁそのぉ……、あれだ。舞台つったところでさぁ、とって喰われるわけじゃねぇんだしよぉ、よく言うじゃん? 観客をカボチャと思えば緊張しねぇって。でも、俺的にはカボチャってのは、ありゃあ野菜というよりはお菓子の具材だな。だって、カボチャの煮っころがしよりもパンプキンプリンとかパンプキンタルトの方が美味いじゃん?」

「……」

「あれお前、カボチャ嫌い? 俺好きだなあ。野菜と思うとかなり微妙だけどデザートだと思うと案外美味いぜ」

「……」

「なぁ、流介。……聞いてる?」

「あ、ごめん聞いてなかった」

「なんだよ」

「つーか、今楽しんでるんだから邪魔しないでもらえるかな」

「え、お前今何かやってたの?」

「緊張を楽しんでたんだよ」

「なんだそりゃ?」

「ほら、あるじゃん。本番前の独特のさ、こう、キューッとなって、ハァーッとなって、オエッってなるやつ」

「擬態語ばっかりで全然わかんねぇよ」

「そうかぁ、太一にはわかんないかぁ」

 なんかムカつく。

「まぁでも、あるんだよ、そういうのが。で、そういう感覚って普段生活しると、あんまりないじゃん? こう、切羽詰まった感じっていうか、追い詰められた感じっていうか」

 そんな感じが普段の生活からよくあったら、たまったものではない。

「だからそういうの感じるとさ、あぁ生きてるなぁ、って思うわけ。今それを楽しんでたのさ」

「そうか……。舞台とかそういうの、俺立ったことねぇから全然わかんないけど、そういうもんなのか」

「そういうもんなんだよ」

「そうか……」

 まぁ緊張を楽しんでいるのはわかった(わかんねぇけど)。でも、こいつは元々声優だ(正確に言うと声優志望だ)。流介は声優は役者の一部だ、って言ってたけど、そうは言っても基本的には声優は役者と違って舞台には立たないと思う。よくよく考えたら、そんなこいつが畑違いの舞台に立つのだ。

「お前声優なのに舞台上がんの怖くねぇのかよ」

「前にも言ったけど、声優は俳優の仕事の一部だよ。だから俺は声優である前に、先ず役者なんだ。役者が舞台に上がるのは当たり前だろう? それに、あそこの舞台に立つのは俺じゃない」

「は?」

「あそこに立つ俺は違う人間になった俺だから、厳密に言うと俺じゃないんだ」

「……いやお前だろ?」

「そうなんだ。でも違うんだ」

「言ってる意味がわからないんですけど」

「太一にはわからないだろうね」

「わからねぇよ。俺、舞台立ったことねぇもん」

「まぁ、俺も立ったことないんだけどね」

「なかったんかい! ベテランみてぇに偉そうな口利きやがって、むしろ初心者この野郎」

 偉そうなことばかり言いやがって、こいつもやったことないんじゃねぇか。そのくせ人を小馬鹿にしやがって。もうこいつのことは知らん。ちょっと気を遣おうと思ったのは大間違いだった。

 とも思ったが、こうも思った。流介が人前で演劇をしたことはないというならド素人ということだ。つまり俺と同じだということだ。ということは、今から俺が本番の舞台に上がるのと、大した差はないのではないか。

 というわけで俺は俺自身が声優部の舞台に上がることを想像してみた。冗談じゃない、と即座に思う。俺なら間違いなく逃げる。つまりは流介が今いる状況はそういうことだ。なるほど、と俺は思った。

 俺は流介に、

「ちょっとトイレ行ってくる」

 と言って、楽屋を出た。そして氷堂にLINEを送った。氷堂と連絡を取るのはこれが初めてだった。

 俺はこれから、バカになろうと思う。
 
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

セーラー服美人女子高生 ライバル同士の一騎討ち

ヒロワークス
ライト文芸
女子高の2年生まで校内一の美女でスポーツも万能だった立花美帆。しかし、3年生になってすぐ、同じ学年に、美帆と並ぶほどの美女でスポーツも万能な逢沢真凛が転校してきた。 クラスは、隣りだったが、春のスポーツ大会と夏の水泳大会でライバル関係が芽生える。 それに加えて、美帆と真凛は、隣りの男子校の俊介に恋をし、どちらが俊介と付き合えるかを競う恋敵でもあった。 そして、秋の体育祭では、美帆と真凛が走り高跳びや100メートル走、騎馬戦で対決! その結果、放課後の体育館で一騎討ちをすることに。

美人生徒会長は、俺の料理の虜です!~二人きりで過ごす美味しい時間~

root-M
青春
高校一年生の三ツ瀬豪は、入学早々ぼっちになってしまい、昼休みは空き教室で一人寂しく弁当を食べる日々を過ごしていた。 そんなある日、豪の前に目を見張るほどの美人生徒が現れる。彼女は、生徒会長の巴あきら。豪のぼっちを察したあきらは、「一緒に昼食を食べよう」と豪を生徒会室へ誘う。 すると、あきらは豪の手作り弁当に強い興味を示し、卵焼きを食べたことで豪の料理にハマってしまう。一方の豪も、自分の料理を絶賛してもらえたことが嬉しくて仕方ない。 それから二人は、毎日生徒会室でお昼ご飯を食べながら、互いのことを語り合い、ゆっくり親交を深めていく。家庭の味に飢えているあきらは、豪の作るおかずを実に幸せそうに食べてくれるのだった。 やがて、あきらの要求はどんどん過激(?)になっていく。「わたしにもお弁当を作って欲しい」「お弁当以外の料理も食べてみたい」「ゴウくんのおうちに行ってもいい?」 美人生徒会長の頼み、断れるわけがない! でも、この生徒会、なにかちょっとおかしいような……。 ※時代設定は2018年頃。お米も卵も今よりずっと安価です。 ※他のサイトにも投稿しています。 イラスト:siroma様

ぼっち陰キャはモテ属性らしいぞ

みずがめ
ライト文芸
 俺、室井和也。高校二年生。ぼっちで陰キャだけど、自由な一人暮らしで高校生活を穏やかに過ごしていた。  そんなある日、何気なく訪れた深夜のコンビニでクラスの美少女二人に目をつけられてしまう。  渡会アスカ。金髪にピアスというギャル系美少女。そして巨乳。  桐生紗良。黒髪に色白の清楚系美少女。こちらも巨乳。  俺が一人暮らしをしていると知った二人は、ちょっと甘えれば家を自由に使えるとでも考えたのだろう。過激なアプローチをしてくるが、紳士な俺は美少女の誘惑に屈しなかった。  ……でも、アスカさんも紗良さんも、ただ遊び場所が欲しいだけで俺を頼ってくるわけではなかった。  これは問題を抱えた俺達三人が、互いを支えたくてしょうがなくなった関係の話。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

隣に住んでいる後輩の『彼女』面がガチすぎて、オレの知ってるラブコメとはかなり違う気がする

夕姫
青春
【『白石夏帆』こいつには何を言っても無駄なようだ……】 主人公の神原秋人は、高校二年生。特別なことなど何もない、静かな一人暮らしを愛する少年だった。東京の私立高校に通い、誰とも深く関わらずただ平凡に過ごす日々。 そんな彼の日常は、ある春の日、突如現れた隣人によって塗り替えられる。後輩の白石夏帆。そしてとんでもないことを言い出したのだ。 「え?私たち、付き合ってますよね?」 なぜ?どうして?全く身に覚えのない主張に秋人は混乱し激しく否定する。だが、夏帆はまるで聞いていないかのように、秋人に猛烈に迫ってくる。何を言っても、どんな態度をとっても、その鋼のような意思は揺るがない。 「付き合っている」という謎の確信を持つ夏帆と、彼女に振り回されながらも憎めない(?)と思ってしまう秋人。これは、一人の後輩による一方的な「好き」が、平凡な先輩の日常を侵略する、予測不能な押しかけラブコメディ。

after the rain

ノデミチ
青春
雨の日、彼女はウチに来た。 で、友達のライン、あっという間に超えた。 そんな、ボーイ ミーツ ガール の物語。 カクヨムで先行掲載した作品です、

処理中です...