氷の王と炎の王妃

藤井 紫

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第三章 わたしの身体で証明してみせます

千夜を超えて

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「ラシェル、ホープ様が戻られたそうよ」

 今朝、王妃シルヴィアが微笑んで言ったひと言が、ラシェルの心を波立たせていた。

 なぜ祝宴の夜にホープが突然姿を消したのか。その理由も、シルヴィアから打ち明けられた。

「革命で生き残った皇子がヴァロニアに亡命してくるのだけど、その案内人が、ホープの双子の姉ジェードなんですって。だから陛下は、ホープ卿に迎えを命じたそうよ」



 夜の宮廷は静かだった。
 昼間の喧騒は遠く、燭台の灯だけが、石の廊下に淡く影を落としていた。

 仕事を終えたラシェルは、中庭の方へと足を向けていた。
 なぜ向かっているのか、自分でも答えはわかっている。

 ホープが戻ったと聞いたその瞬間から、胸の奥がそわそわしていたのだ。

(おかえりなさい、って……言いたいだけなんだけど)
 それが、どうしてこんなにも難しいのだろう。

 ふと、回廊の先、花壇の縁に誰かが腰をかけていた。
 やっぱり、ここに居た。
 穏やかに微笑む、見覚えのある黒髪。
(ホープ様!)
 けれど、その隣には見知らぬ女性がいた。

 ゆるやかな黒髪と、どこか面差しの似た横顔。
 ただそこにいるだけで、彼と通じ合っているような、自然な空気があった。

(あの方が……ジェードさん……)

 ホープの双子の姉。
 ずっと捜し続けていたという、大切な家族。その人だ。

 ふたりは、静かに言葉を交わしていた。
 ホープは彼女の話に真剣に耳を傾け、時折、問い返しながら頷いている。

 やがて、そっと背に手をまわし、肩を抱くようにして寄り添った。
 髪に触れ、慰めるように指をすべらせる。

 そこに恋情はない。
 けれど、それ以上に深い、血の絆と再会の安堵が確かにあった。

 ラシェルは、一歩踏み出しかけて――やめた。

(……だめ。今は、入っちゃいけない)

 この時間は、ふたりのものだ。
 割り込む理由なんて、どこにもなかった。



 ジェードの表情には、疲れがにじんでいた。
 それをすべて受け止めるように、ホープは優しく微笑みながら寄り添っていた。

 見ていられなくなったわけではない。
 けれど、その距離の近さに、胸がきゅっと締めつけられた。

(……でも、ホープ様が笑っているなら、それでいい)

 そう思って、ラシェルは静かにその場を離れた。
 足音を忍ばせ、夜の回廊を抜けてゆく。

 
 風が中庭を通り抜け、スカートの裾をそっと揺らした。
 あの夜、ホープが受け取ってくれた小さな花輪の記憶が、遠くかすんでいくような気がした。

(……大丈夫。あのダンスは、本物だった。あの人は、優しい人だから)

 胸の奥で、そう自分に言い聞かせながら。
 ラシェルは歩き出した。
 もう少しだけ、この想いは、自分の中にしまっておこう。そう思いながら。
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