天国の扉 焔を継ぐ者

藤井 紫

文字の大きさ
18 / 80
第3章 炎の娘

第18話 魔女の娘

しおりを挟む
 午後の陽はやや傾きはじめ、村の石畳にはやわらかな光が落ちていた。
 ウサマはその隅で、荷運びを手伝っていた。
 森に入るなと言ってきた女性の納屋を借り、エリーと言う魔女が来るのを、ウサマは何日も待っていた。
 そして、この村の住民も、みんな金髪だった。
 女たちは最初、黒髪のウサマに警戒を見せたものの、器用に壊れた戸棚を直したり、薪割りを買って出る彼の姿に、次第に打ち解け始めていた。
 成人の男たちは漁に出ているので、昼間は老人と女と子どもしか見かけない。
「レオンさん、ほんとに旅人?  大工じゃないの?」
「お嫁に来てもらいたいくらいだよ、ねぇえ?」
 笑いながらも、女たちの視線はどこか艶っぽかった。
 腰の動き、腕の筋、濡れた額――。
 黒髪で異国の匂いがする粗雑な男は、彼女たちの昼下がりの好奇心と、ちょっとした妄想の種になっていた。
 ウサマは、彼女たちの心の声は聞こえないふりをして、何も言わず静かに笑っていた。
 そして、昼過ぎにはいつも、子どもたちがウサマの周りに集まってくる。
 誰かが持っていた釣り竿を木剣を見立て、ケルピー討伐ごっことやらに付き合うことになった。これは、オス・ローでの日常とあまり変わらない。
 飛びかかってくる男の子を片手で持ち上げ、女の子が投げた布玉を身を翻してよけ、周囲にはいつしか、拍手と歓声が巻き起こっていた。
「お兄ちゃん、すごい! もうこの村は全滅だ!」
「もっとやってー!」
 ウサマは片腕に一人ずつ、子どもを抱えて振り回し、足や頭によじ登る子ども達と戯れた。

 だがその声聞いて、誰かが遠くからウサマを見ていた。
 木立の影。
 そこに立っていたのは、一人の少女だった。
 黒髪を後ろで編み、森と同じ色の服を着た細身の娘。
 その瞳は淡く緑を含んだ青、村では見かけない珍しい色だった。
 ――その目が、鋭くウサマを見据えていた。
(……黒髪!? 子どもたちが危ない!!)
 その声がウサマに届いた瞬間、彼女は小石をひとつ拾った。
 迷いはなかった。
 ヒュッと風を切る音。
 ウサマの右の頬が、鋭く裂けた。
「っ……!」
 石が右頬をかすった。血が飛び散る様に、周りにいた子どもたちが声をあげた。
「おにいちゃん!?  血が……!」
「レオン、大丈夫……!?」
「……誰だ、投げたのは??」
 ウサマは静かに立ち上がり、傷に手を当てながら周囲を見た。
 そして、見つけた。
 少し離れた小道の先。
 黒髪の少女が、こちらを睨むように立っていた。
「みんな! 離れて! ……そいつ、魔女よ!」
 静かだが鋭い声だった。
 ウサマは何も言わなかった。ただ、その目を見た。
 蒼みがかった翠の瞳。
 ――信じて疑わない目だ。
 誰かを守るために、それ以外のものを敵と見なす目。手には二投目の石が握られている。
 だが、子どもたちが駆け寄った。
「エリー姉ちゃん、この人敵じゃないよ! ごっこ遊びだよ!」
「石、なんで投げたの!?」
「……えっ?」
(違うの? え? どういうこと??)
 黒髪の少女はたじろいだ。
 ウサマは頬の血をぬぐう。痛みよりも、手についた出血が多かった。
「……うん、まあ、この遊びの仲間に入るには、そういう挨拶もアリだな。でも、もしちびたちに当たってたら、笑って済まされなかったぞ」
 ウサマは手の血をぬぐいながら、そう言って静かに少女を見た。
 少女の顔が真っ青になった。
「……っ、ちが、あたしは……」
 少女の声が震えかけたとき、村の年配の女が近づいてきた。
「エリー、あんた、また魔女の娘みたいなことして……。この方ね、何日か前から手伝いをしてくれてるの。悪い人じゃないよ」
 その言葉に、黒髪の少女は完全に動きを止めた。
「……ご、ごめんなさい。あたしったら、早とちりして……」
 今度は、少女の顔が真っ赤になった。
 ウサマは軽く首を振った。
「別にいいよ。当たったのが俺だったし。それに、一応謝ってくれたってことで」
 ウサマは肩をすくめ、軽く笑ってみせた。
 その言葉には、怒りも皮肉もなかった。ただ、傷の痛みよりも、少女の真剣さと戸惑いを受け止めようとする、静かな優しさがにじんでいた。
「……傷、見せて」
 少女が小さな声で言った。
 その視線は、頬の傷ではなく、ウサマの目をまっすぐ見ていた。
 そして、そっと手を伸ばす。
 冷たい指先が、彼の頬に触れた。
 その瞬間、ウサマの体が、かすかに反応した。
 軽く息を飲んだ自分に、ウサマは内心で戸惑う。
 傷口の痛みでもなく、恐怖でもない。
 ただ、その手があまりにやさしくて、熱を持っているように感じたからだった。
 この子が、エリー――。
(どうしよう……、思ってるより傷が深いかも……)
 心の声も聞こえてくる。
 目の前の少女は、自分を敵だと思っていたはずなのに、今はまるで、何かを守るような目をしていた。
「ママ……ママの薬なら、ちゃんと治せるから」
 言葉が、途中で少し揺れた。
 自分が投げた石でできた傷を、なんとか償おうとする気持ちが、その声ににじんでいる。
「……あんたのって、魔女?」
 ウサマは半分冗談のように問いながらも、その返事を待った。
 すると、少女は一歩前に出て、ウサマの手を掴んで答えた。
「そうよ。だから一緒に来て!」
 その表情には、もうさっきまでの迷いや戸惑いはなかった。
 自分の役目を思い出した者の目だった。





・゜゜・*:.。. .。.:*・゜゜・*:.。..。:*・゜゜・*:.
ノアとカイ小話

【第3話】君、祈ってないの?

 旅の三日目の夜。
 薄明かりの空の下、野営地には風の音と焚き火の囁きだけが漂っていた。
 ノアは寝る前にそっと立ち上がり、小さな布の包みを取り出す。
 それは、祈りの石。聖地の出立前に、サライがお守りにと渡してくれたものだった。
 火から少し離れた場所で、ノアは膝をつくと、静かに目を閉じた。
「……君、祈ってるの?」
 背後から声がかかって、ノアは肩を揺らす。
 振り返ると、カイが焚き火に膝を抱えたまま、こちらを見ていた。
「……うん。毎晩、寝る前に少しだけ」
 ノアは立ち上がって戻りながら、問い返した。
「……君は、祈らないの?」
 カイは少し考えるように視線を落とし、火の揺らぎをじっと見つめた。
「……子どもの頃はしてた。神学校も通ったし、聖典も読んだ。形式としての祈りは覚えてるよ。でも――」
 そこで言葉を切って、カイは苦笑した。
「僕が祈っても、誰が僕を見てるのか、よく分からなかったんだ。『ホープの息子』に向けた祈りにしか、聞こえなかったから」
 ノアはその言葉に、しばらく黙っていた。
 そして、少しだけ目を伏せながら言う。
「……エブラ信仰でも、祈りは教えとしてあるけど、僕も、本当に意味がわかるようになったのは……両親が旅に出てからかな」
「意味?」
「今ここにいない人と、心をつなぐための言葉じゃないかな。これは僕の持論だけど」
 カイはその言葉を、焚き火の音とともに胸に落としていく。
 そして、ぽつりとこぼした。
「……そういう祈りなら、僕もしてるかもしれない」
「それでいいんだと思うよ。名前を呼ばなくても、手を組まなくても」
「うん。……じゃあ、今度からは君の隣で、何となく祈ってみる」
 ノアは少し目を丸くして、それから微笑んだ。
「……強制はしないけど、歓迎するよ」
 二人の間に、しばらく静かな夜が流れた。
 祈りの形は違っても、誰かを想う気持ちだけは、きっと同じだった。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】使えない令嬢として一家から追放されたけど、あまりにも領民からの信頼が厚かったので逆転してざまぁしちゃいます

腕押のれん
ファンタジー
アメリスはマハス公国の八大領主の一つであるロナデシア家の三姉妹の次女として生まれるが、頭脳明晰な長女と愛想の上手い三女と比較されて母親から疎まれており、ついに追放されてしまう。しかしアメリスは取り柄のない自分にもできることをしなければならないという一心で領民たちに対し援助を熱心に行っていたので、領民からは非常に好かれていた。そのため追放された後に他国に置き去りにされてしまうものの、偶然以前助けたマハス公国出身のヨーデルと出会い助けられる。ここから彼女の逆転人生が始まっていくのであった! 私が死ぬまでには完結させます。 追記:最後まで書き終わったので、ここからはペース上げて投稿します。 追記2:ひとまず完結しました!

神々の愛し子って何したらいいの?とりあえずのんびり過ごします

夜明シスカ
ファンタジー
アリュールという世界の中にある一国。 アール国で国の端っこの海に面した田舎領地に神々の寵愛を受けし者として生を受けた子。 いわゆる"神々の愛し子"というもの。 神々の寵愛を受けているというからには、大事にしましょうね。 そういうことだ。 そう、大事にしていれば国も繁栄するだけ。 簡単でしょう? えぇ、なんなら周りも巻き込んでみーんな幸せになりませんか?? −−−−−− 新連載始まりました。 私としては初の挑戦になる内容のため、至らぬところもあると思いますが、温めで見守って下さいませ。 会話の「」前に人物の名称入れてみることにしました。 余計読みにくいかなぁ?と思いつつ。 会話がわからない!となるよりは・・ 試みですね。 誤字・脱字・文章修正 随時行います。 短編タグが長編に変更になることがございます。 *タイトルの「神々の寵愛者」→「神々の愛し子」に変更しました。

靴屋の娘と三人のお兄様

こじまき
恋愛
靴屋の看板娘だったデイジーは、母親の再婚によってホークボロー伯爵令嬢になった。ホークボロー伯爵家の三兄弟、長男でいかにも堅物な軍人のアレン、次男でほとんど喋らない魔法使いのイーライ、三男でチャラい画家のカラバスはいずれ劣らぬキラッキラのイケメン揃い。平民出身のにわか伯爵令嬢とお兄様たちとのひとつ屋根の下生活。何も起こらないはずがない!? ※小説家になろうにも投稿しています。

妻からの手紙~18年の後悔を添えて~

Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。 妻が死んで18年目の今日。 息子の誕生日。 「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」 息子は…17年前に死んだ。 手紙はもう一通あった。 俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。 ------------------------------

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

拾われ子のスイ

蒼居 夜燈
ファンタジー
【第18回ファンタジー小説大賞 奨励賞】 記憶にあるのは、自分を見下ろす紅い眼の男と、母親の「出ていきなさい」という怒声。 幼いスイは故郷から遠く離れた西大陸の果てに、ドラゴンと共に墜落した。 老夫婦に拾われたスイは墜落から七年後、二人の逝去をきっかけに養祖父と同じハンターとして生きていく為に旅に出る。 ――紅い眼の男は誰なのか、母は自分を本当に捨てたのか。 スイは、故郷を探す事を決める。真実を知る為に。 出会いと別れを繰り返し、命懸けの戦いを繰り返し、喜びと悲しみを繰り返す。 清濁が混在する世界に、スイは何を見て何を思い、何を選ぶのか。 これは、ひとりの少女が世界と己を知りながら成長していく物語。 ※週2回(木・日)更新。 ※誤字脱字報告に関しては感想とは異なる為、修正が済み次第削除致します。ご容赦ください。 ※カクヨム様にて先行公開(登場人物紹介はアルファポリス様でのみ掲載) ※表紙画像、その他キャラクターのイメージ画像はAIイラストアプリで作成したものです。再現不足で色彩の一部が作中描写とは異なります。 ※この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。

無能令嬢、『雑役係』として辺境送りされたけど、世界樹の加護を受けて規格外に成長する

タマ マコト
ファンタジー
名門エルフォルト家の長女クレアは、生まれつきの“虚弱体質”と誤解され、家族から無能扱いされ続けてきた。 社交界デビュー目前、突然「役立たず」と決めつけられ、王都で雑役係として働く名目で辺境へ追放される。 孤独と諦めを抱えたまま向かった辺境の村フィルナで、クレアは自分の体調がなぜか安定し、壊れた道具や荒れた土地が彼女の手に触れるだけで少しずつ息を吹き返す“奇妙な変化”に気づく。 そしてある夜、瘴気に満ちた森の奥から呼び寄せられるように、一人で足を踏み入れた彼女は、朽ちた“世界樹の分枝”と出会い、自分が世界樹の血を引く“末裔”であることを知る——。 追放されたはずの少女が、世界を動かす存在へ覚醒する始まりの物語。

つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました

蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈ 絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。 絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!! 聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ! ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!! +++++ ・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)

処理中です...