天国の扉 焔を継ぐ者

藤井 紫

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第3章 炎の娘

第19話 森の家

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 村の外れから続く、ほの暗い獣道を抜けた先。
 幾重にも枝が重なり合い、昼でも薄明るい森の奥。
 そこに、小さな家がぽつんと建っていた。
 丸太を積んで作られた質素な小屋。
 けれど、屋根の上には色とりどりの花が咲き、扉には炎と剣の彫刻が施されている。
 苔むした石段の先には、いくつかの薬草が鉢に植えられ、入り口には干したハーブの束が揺れていた。
 空気がひんやりしていて、どこか澄んでいる。
 音が吸い込まれるように静かで、鳥や虫の気配すら遠かった。
 ウサマは思わず足を止める。
「……ここが、あんたの家?」
「うん。ママと二人で住んでるの」
 エリーは当たり前のように答え、鍵を取り出して扉を開けた。
 軋む音とともに開かれたその家の中は、外観からは想像できないほど清潔で整っていた。
 棚には乾かした薬草の束、古い薬壺、動物の骨が並べられている。
 窓際のテーブルには古びた本と石の置物。炉にはまだ残り火の香りがかすかに残っていた。
 天井にも干したラベンダーが吊るされていた。
 その光景に、ウサマはひとつ、呼吸を止める。
 ……母さんの、部屋に似ている。
 何か特別なものがあるわけじゃない。
 けれど、物の置き方。秩序のある散らかり方と、道具が使われている空気。
 それに、棚から漂ってくる、薬草と干し果実の混ざった匂い。
 記憶の中、アデルが腰をかがめて、戸棚の奥を探していた姿がふと浮かぶ。
 見つけた葉をすぐ煎じるために鉢に入れていた仕草。
 子どもだった自分に、少しだけ苦そうな薬を飲ませてくれた手。
 ――何かが、重なる。
 でも、それがなぜかは分からない。
「ママ、今日は森の北に行ってるの。……夜までに戻ってくると思うんだけど」
 そう言いながら、エリーは水差しを手にとって、ウサマの前に差し出した。
「座ってて。手当て、すぐするから」
 ウサマは黙ってうなずき、椅子に腰を下ろした。
 視線は自然と部屋の中を見回す。すべてが初めて見るものなのに、どこか懐かしいような、胸の奥がざわつく感じがあった。
「……あんたのママ、ほんとに魔女なのか?」
「うん。ちゃんとした魔女ウィッチよ」
 エリーはそう言って、棚から薬草の入った小瓶を取り出す。
 その仕草には慣れた手つきがあり、子どものような無邪気さと、母親を真似ているような誇りが同居していた。
 あの村の誰もが少女の言うはお婆さんだと言っていた。でも、こんな森の奥に住む魔女が、本当にそんな歳のはずがあるか?
 ウサマの胸に、いくつもの疑問が芽生えていく。
「ここに座って」
 少女はそう言って、炉のそばの椅子を指さした。
 棚の上から小さな陶器の壺を手に取り、蓋を開けると、草の香りがつんと広がる。
「これ、ママが作った薬なの。血はすぐ止まるけど……ちょっと、しみるかも」
(ほんとは、めちゃくちゃしみるのよね)
 ウサマは苦笑して座り、顔を傾けた。
 少女は布を濡らし、彼の頬にそっと当てる。ひやりとした水の感触。
 その向こうにいる少女の顔が、すぐそこにある。
(あ、やばっ……、結構傷深いな……。縫わないと駄目かな……)
 少女の内心が伝わってくる。
 やわらかく波打つ黒髪は、背中側で一本に編まれている。
 くすんだ緑の服と相まって、森の一部のようだった。
 瞳は蒼とも翠とも言いがたく、光の加減で色が変わって見えた。
 ……綺麗な瞳だな、とウサマはその色に見とれていた。
 ふと浮かんだ感想に、自分で驚き、視線を逸らす。
 ほんの少し触れられただけなのに、肌の奥がじんと熱くなったようだった。
「ごめん、痛かった?」
「いや、大丈夫。……さっきの石よりは」
「……本当に、当たると思ってなかったの」
「あの距離で当ててくるって、結構すごいぜ?」
「あたしのこと、褒めてる?」
「暗殺者としてな」
 少女がぷっと吹き出す。
 ウサマも、それにつられて口元を緩めた。
「あたし、ママ以外で黒髪の人見たの初めて。その髪は本物?」
「どういう意味だよ?」
(最近、偽物の魔女も黒髪も増えてるのよね……)
 少女は顎に指を当てて、ウサマの黒髪をじっと見つめている。
「……ねえ、あなた、どうしてヴェレダ村にいたの?」
「村の名前、あったんだ……」
「答えて」
 ウサマはどこから説明したらいいものか悩んだ。
 しばらく沈黙の後、意を決して答える。
「……魔女を、探してる」
「……ほんとに?」
 たくさんの事を端折ったが、それは本当だ。自分の異能についても確かめたい。
「それって……魔女の仲間になりたいの?」
「いや、探しものとさ、知りたいことがあって」
 ウサマは言葉を濁す。
「……じゃあ、やっぱりママに会うといいわ。あなたって『運』が良いのね。ママは『本物』よ」
 少女はそれ以上は聞いてこなかった。
(でも、どうしよう……。やっぱり、ママに会わせて大丈夫かな……、大丈夫よね……。ママに怒られるかな……)
 そんなことを考えながら、少女の手はまたウサマの頬に触れた。
「……これでよし」
(そうよ、あたしがケガさせちゃったんだもの……)
 薬を塗り終えたその手は、もう冷たくなかった。
「あなたの名前、聞いてなかったわ」
「……レオン」
「あら、『金獅子王リオネル』の幼名なのね。黒髪だけど」
(うん。これは絶対、偽名ね。黒髪に金獅子の名前を付けるはずないもん)
 そう言うと、少女は冷たく笑う。
 ウサマは、目の前の少女の洞察力を怖いと思うと同時に、名前を決めてくれたソルに恨みを覚えた。
「えーと、君は? エリー?」
「あ、……うん。そうよ」
(いけない。名前言っちゃいけないのよね……)
 彼女の瞳がふと、ウサマから目を逸らす。
「……ママの分だけど、ご飯でも食べて待ってましょ。ママ、遅くなるかもしれないし」
「ママの分なのに、俺が食べてもいいのか?」
「いいの。ママなら大丈夫だから」
(ママ、お願いだから、早く帰ってきて……)
 なぜかエリーの心の中は焦っていた。
 けれどそれよりもウサマが気になったのは、さっきから――
 目の前の少女の横顔を、なんだか、ずっと見ていたくなることだった。





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ノアとカイ小話

【第4話】君、歌える?

 月のない夜だった。
 小道には風の音だけがさざめいて、ふたりの影が細くのびている。
 その静寂を、唐突に破ったのは――。
 ひゅう、と短い音。
 続けて、軽やかな旋律が闇に溶けていった。
「……カイ?」
 ノアは歩みを止め、横を向いた。
「ん?」
 返ってきたのは、少し首を傾げた笑顔。口元にはまだ笛の形が残っている。
「今……なんか、吹いた?」
「うん、口笛。夜道って静かすぎると、ちょっと寂しくなるからさ」
「あ……そ、そう……」
 ノアの眉がかすかに揺れた。口には出さなかったが、その瞳にはあからさまな戸惑いが宿っている。
「え、ダメだった?」と、カイ。
「いや……その……」ノアは目を伏せ、言葉を探す。「……歌ったりする?」
「んー、普通にするよ? 子どもの時なんかは楽しみのひとつだったし。むしろそっちは……しないの?」
 その『普通に』という言葉が、ノアの心に引っかかった。
 『普通』が違う。
 ノアの世界では、歌は神に捧げる祈りであり、軽々しく口にすべきものではなかった。
 少なくとも、エブラ信仰ではそう教わっていた。
「……祈りの時だけ、かな」ノアはぽつりと答える。
「へえ……厳しいんだね」
 その声に責める色はない。ただ、素朴な驚きだった。
「でも、ノアも本当は歌えるんじゃない? 歌いたくなること、ないの?」
「……」
 ノアはしばらく黙ってから、ほんの少しだけ笑った。
「……子どものころ、母がよく歌ってたんだ。仕事とか料理しながらとか、弟と妹の世話しながら。僕は、それを覚えてる。ヴァロニアの歌だったのかもしれない」
「それ、歌ってよ」
「……今は無理」
 きっぱりとした声だったが、どこか寂しげでもあった。
「じゃあさ、僕が代わりに歌うよ。夜道の退屈しのぎに」
 カイはまた口笛を吹き始める。今度は少しだけ、ゆったりとした旋律だ。
 ノアはその音に耳を傾けながら、足を動かし始めた。
 信仰が違えば、歌の重みも違う。でも――。
 この道をともに歩く相手の音色が、自分の心を少しだけ軽くしたことに、彼はまだ気づいていなかった。
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